ダウナー先輩のあまい条件

 いよいよ寒くなってきた11月。とある変化が起きている。世良(せら)先輩こと悠介(ゆうすけ)くんが、なんだかオレを甘やかしている気がするのだ。

真白(ましろ)ー。昼行くぞ」
「はーい! 今行きます!」

 悠介くんの誕生日の翌日から、昼休みになると悠介くんがオレの教室まで迎えにきてくれるようになった。

 2年の教室は階が違うのに、授業が終わってお弁当の準備をしていたらもう悠介くんは現れる。4時間目が移動教室の時にはお昼の用意をしてから向かい、そのままオレのところに来てくれているらしい。その理由を「早く真白に会いたいからに決まってんじゃん」と言われた時には、ひえっと変な声が出てしまったのを覚えている。

「世良先輩が七原(ななはら)を迎えに来んのも、もはや当たり前の光景になってきたな」
「それな。めっちゃ気に入られてんのな」

 飯田(いいだ)くんたちも、今やこんなことを言っている。気に入られてるだなんて頷くのもおこがましい気がするけど、かと言って否定するのもどうかと思えるくらい、良くしてもらっている自覚がある。

 返答に困ったオレは、ただただほほ笑む。

「じゃあ行ってくるね」
「おう、また後でな」

 みんなに手を振って、悠介くんのところへ駆け寄る。隣に並ぶと、決まって頭をぽんとしてくれる。この瞬間が、たまらなく好きだ。


「今日のおかずはつくねです!」
「お、新作じゃん」
「そうなんです! ちなみにこっちがタレで、こっちは塩で味つけしてみました」

 じゃーん、と効果音をつけながらお弁当箱を開く。交換をはじめて約2ヶ月にもなれば、同じおかずも何度か作っていたりするけれど。悠介くんはこうして、初めて作ったものの時はすぐに気づいてくれる。それがすごく嬉しい。

「いただきます」
「いただきます!」

 先週から、お昼を食べる場所を体育館のところから校舎内へと変更している。さすがに寒くなってきましたね、なんてオレが零したら、悠介くんが翌日には提案してくれたのだった。場所は、3棟の空き教室。ひと昔前より生徒数が減っている影響で、いくつかあるらしい。そこを拝借しているかたちだ。そういうのってなんか青春! と(さわ)っちが言っていたけど、オレもそう思う。

「このつくね、マジでうまいな」
「本当ですか!? へへ、やった。ちなみにどっちが好きですか? タレと塩」
「んー、どっちも好きだな。真白が作ったヤツだし」
「っ!」

 ほら、こういうところもだ。悠介くんはなにかにつけ、こんな風にオレを甘やかすことを言う。悠介くんにとっては何気ないひと言なのかもしれないけれど、なんせオレは恋をしている。だからその度に、胸の奥で甘酸っぱい音を立ててしまう。

「そ、そう言ってもらえるのは嬉しかとですけど……えっと、悠介くん、の好みが知りたくて」
「はは。どっちかと言うと、つくねはタレ派だな。でもマジでどっちもうまいよ」
「あ、実はオレもタレ派です! 一緒だ」
「そっか。それは嬉しいな」

 ごはんを食べ終えたら、お待ちかねの悠介くんお手製のお菓子の時間だ。

「今日はなんやろ」
「今日はこれ。マシュマロ」
「え、マシュマロ!? マシュマロって家で作れるとですか!?」
「意外と簡単に作れる。まずメレンゲを作って――」

 今までのお菓子全て手作りだったと教えてくれてから、悠介くんはこんな風にお菓子のことを話してくれるようになった。本当に好きなんだなと、その顔を見ていれば伝わってくる。まるで小さな子みたいでかわいいなって、こっそり思っていたりする。

 ただ、困ったことがひとつある。

「じゃあ真白、口開けて」
「うう……自分で食べちゃダメですか?」
「真白が嫌ならしないけど」
「嫌じゃなかけん困っとるとです……」
「はは、毎日このやり取りしてんな。ほら、観念しろ」
「……あーん」

 悠介くんはなぜか、毎回お菓子を手ずから食べさせてくれるようになった。あーんしてもらった後はもちろん、食べている様子を観察される。お菓子と悠介くんの甘さが合わさって、オレは毎日溺れてしまいそうだ。

「どう?」
「めっちゃおいしいです……ふわふわでしゅわしゅわだ」

 ドキドキが体を埋めつくしても、やっぱり悠介くんの作るお菓子はおいしい。頬が緩むのを感じながら、もうひとつもうひとつとねだってしまう。

「あの、悠介くん」
「んー?」
「なんで最近、あーんしてくれるようになったとですか?」

 気にはなりつつも、なんだか聞けずにいたことだ。思い切って尋ねれば、悠介くんはいたずらに口角を上げた。

「言ったろ。俺、もっと頑張るって」
「あ……ふたりで叶えたいこと?」
「そう、それ」

 悠介くんの誕生日の日。オレの家まで送ってくれる道で、悠介くんは言った。ワガママとしてオレに叶えてもらうんじゃなくて、ふたりで叶えたいことがあるって。そのために、悠介くんはもっと頑張るのだそうだ。

 あーんしてくれることが、どうやらその“頑張る”に値するらしい。やっぱり今日も、オレは首を傾げることしかできない。

「そろそろ教室戻るか」
「ですね」

 悠介くんはおにぎりのゴミやマシュマロが入っていた袋を、オレはお弁当箱を片づける。リュックにしまって、おそろいのホイップが揺れるスマホとお守りとしてのホイップをポケットに入れて。立ち上がったら、頬に悠介くんが触れてきた。

「っ、悠介くん?」
「マシュマロの粉ついてる」
「えっ! どこですか!?」
「もう取れた」
「ありがとうございます。…………? 悠介くん?」

 粉は取ってくれたらしいのに、悠介くんの手が離れない。これではじわじわと胸の奥から上がる熱を、知られてしまう。

「もうすぐだな」
「…………? なにがですか?」
「あさって。金曜日」
「横浜遠足!」
「それと、真白の誕生日な」
「あ、そうでした」

 親指でゆったりと頬を撫でてから、悠介くんの手が離れていった。気持ちがバレそうで戸惑ったくせに、そうなると寂しがるこの胸は厄介だ。数秒立ち尽くしてしまって、慌てて悠介くんの隣へと駆け寄る。

「遠足、すごく楽しみなんですけど……悠介くんにその日は会えんとが寂しいです」

 遠足の日は班で行動することになっている。班のメンバーで行動ルートを決め、現地集合の現地解散だ。通常授業の2年生と会う機会はない。

「それなんだけどさ」

 誕生日に会えないのが寂しいだなんて、そんなこと言われても困るよな。言ったそばから後悔しそうになっていたら、悠介くんが立ち止まった。

「遠足が終わったあと、会わねぇ?」
「へ……」
「おめでとうって直接言いたいし」
「……っ、いいんですか?」
「いいって言うか、俺も会えないの寂しいから」
「悠介くん……」

 悠介くんの言葉に、一瞬で目の奥が熱くなった。零れてしまわないようにとそっとくちびるを噛んだけど、悠介くんにはお見通しなんだと思う。ほほ笑みながら、頭を撫でてくれた。

「決まりな」
「っ、はい!」

 あっという間に教室についてしまった。なんと悠介くんは、迎えにきてくれるだけではなく、こうして毎日教室まで送ってくれる。転校してもう2ヶ月経ったし、空き教室からの道もすぐに覚えたのだけれど。1秒でも長く一緒にいられることが嬉しくて、結局甘えたままだ。

「どこで会うかとかは、当日に連絡する」
「分かりました! へへ、遠足の後ゆう……世良先輩に会えるとか、贅沢すぎますね。楽しみです!」

 まだ緊張はしつつも、悠介くんとの呼び方も大分馴染んできた。でも他の人が周りにいる時は、先輩呼びにするようにしている。

「俺も楽しみにしてる」

 じゃあなと手を挙げて、悠介くんが自身の教室へと帰っていく。階段のほうへと見えなくなる瞬間、悠介くんは必ずもう一度こちらを振り返る。言葉はもう交わせない距離でも、手を振って笑い合って。そうしてからやっと、オレは教室の中へと戻った。


 あっという間に遠足の日になった。班のみんなと待ち合わせ場所に決めた、横浜駅へと向かう。悠介くんと出かけた日があるから、迷うことなく行けそうだ。

 混み合う電車の中で、オレはずっとスマホを見つめている。悠介くんが送ってくれた、誕生日のメッセージだ。

《真白、誕生日おめでとう》
《今日会えるの楽しみ》

 ふたつに分けられた文章と、それからホイップのスタンプ。日付が変わった瞬間に送られてきた。悠介くんはそうしてくれる気がしていたから、いつもはもう少し早く寝るのに、夜ふかししてしまった。それからもうずっと、何度も何度も見返している。スクショも撮ってある。印刷して部屋に飾るのもいいかも。

 待ち合わせの10分前には横浜駅に着くことができた。ひとり、またひとりとメンバーが増えて、時間丁度にはオレも含めて6人の全員が集まった。悠介くんとお昼休みを一緒に過ごせなくなった日に、写真を撮ったメンバーだ。あれ以来、なにかあるとこのメンツでグループを組むようになった。みんなとのこの縁も巡り巡って悠介くんのおかげなんだよなあと、いつだって喜びを噛みしめている。

「よーし、じゃあ行くか!」

 今日のリーダーを買って出た飯田くんが、拳を突き上げた。それに倣って、みんなでハイタッチする。

「よし七原。まずはどこへ行くのか、改めて発表してくれ」
「なんか飯田うざい」
「はあ!? 別にいいだろ、リーダーとか滅多に回ってこねえから張り切ってんだよ。言わせんな!」
「ええっと、発表します! 中華街です!」
「そう、中華街!」

 行き先を決める話し合いの結果、ベタな横浜観光コースにしようということになった。なんと、熊本から引っ越してきたばかりのオレのために、だ。そんなの申し訳ない! と最初こそ言ったけれど、みんなにとっては遊び慣れた街だし、かと言ってベタな場所は地元だと逆に行かなかったりするらしい。それはオレにもよく分かる気がした。熊本生まれだからと言って県内全ての観光地に行ったことがあるわけじゃないし、馬刺しをよく食べるわけでもない。それならばと、みんなの提案に乗らせてもらうことにしたのだった。

「七原の行きたいところ、全部行こうな」
「うん! すごく楽しみ」
「よし、出発!」

 まず中華街では、食べ歩きをした。小籠包に甘栗、ソフトクリーム、いちばん楽しみにしていたパンダのかたちの中華まんも食べることができた。大きなショップでは家族とケンちゃんと沢っち、それから悠介くんにお土産を購入した。

 みんなたらふく食べたので「お昼はもういいね」なんて言いながら、みなとみらい方面へ歩く。山下公園、大さん橋に赤レンガ倉庫。色んな場所を堪能していたら、目的の遊園地に着く頃には結局みんなお腹が空いて、すぐ隣のショッピングモールで食事をすることになった。フードコートで悩みつつも海鮮丼を選んで、ひとつのテーブルをみんなで囲う。いただきますをしてから、食べるより先にスマホを取り出した。悠介くんに写真を送りたかったからだ。数枚送るとすぐに既読がついて、《楽しそうだな》と返ってきた。

「七原くんなに見てんのー?」
「ね。ニヤニヤしてる」
「えっ、ニヤニヤしてた?」
「してたしてた」

 返信の文を考えていたら、向かいに座っている女子ふたりに指摘されてしまった。

「えっと、今日の写真を世良先輩に送ってたんだ」
「マジ!? え、私半眼とかなってないよね!?」
「私も私も!」
「大丈夫。みんな笑ってて、かわいいよ」
「まじぃ? でもまあ、確かに私たちかわいいわ」
「だね。てか、この会話デジャヴなんだけど」
「それな」

 3人で話していたら、

「おーいお前ら、時間なくなるから早く食えー」

 とラーメンを食べ終えそうな飯田くんが声をかけてきた。さすがリーダーだ。たしかにこの遠足を余すことなく楽しむために、ここで時間をかけるのはもったいない。

「そうだよね、今食べます!」
「そんな急がなくていいからな」
「いやどっちだよ」

 みんなの会話に笑いつつ、サーモンとごはんを頬張る。メッセージの着信音が鳴って確認してみたら、悠介くんからで《真白ひとりの写真も送って》とあった。大さん橋で撮った1枚を送ったら、《最高》と返ってきた。多分、オレの顔は今赤いと思う。

 みんなとの遠足がすごく楽しい。それでもオレは贅沢みたいで、ここに悠介くんもいたらなあなんて考えてしまう。遠足の解散時間まで、あと1時間と少し。1秒1秒をカウントしてしまいそうになるのをどうにか吹き飛ばして、海鮮丼をかきこんだ。


 お昼を食べた後、お楽しみの遊園地へ向かった。いちばん大きなジェットコースターはさすがに怖くて、みんなが乗るのを下から眺めた。シューティングゲームや射的を楽しんだら、あっという間に解散時間になった。

「やべーめっちゃ楽しかった! 七原は? 横浜楽しめたか?」
「うん! みんなと色んなところ周れて、すっごく楽しかったよ」

 中華街に始まって、本当に一日中笑いっぱなしだった。ほくほくとした気持ちで、飯田くんに頷いて応える。

「七原くん見てると、マジで癒されるわあ」
「分かる」
「てかどうする? 普通に帰る? 俺甘いもん食いたくなってさあ。新しいアイス屋できたじゃん、誰かそこ行かない?」
「あ! 俺行く!」
「いいじゃん。私たちも食べたい」
「行こ行こ。七原くんも行くでしょ?」
「えーっと、オレは……」

 今日の遠足を楽しみにしていたし、実際に満喫することができた。この後もみんなと過ごしたら、思い出はより濃くなるのだろうけれど。オレにはとびきり大切な約束がある。

「この後、行くところがあって。やめときます」
「そっかあ、残念」
「あっ、もしよかったら、食べてるみんなの写真送ってほしいです」
「オッケー! あとで絶対送る。俺のソロショットも送ったるわ」
「いやいらねえだろ、飯田の写真とか」
「なんでだよ!」
「てか七原、なんで敬語だし」
「あ……へへ、つい出てた」

 遊園地の外へと出ると、ひとり離れるオレをみんなが見送ってくれる。

「駅分かるー? あそこの建物入って、エスカレーター下るんだよー」
「分かった! ありがとう!」

 数メートル進んで、また両手を振って。そうしてからスマホを確認してみたら、悠介くんから5分前にメッセージが届いていた。

《この前のコーヒーショップのところにいる》
「っ、横浜まで出てきてくれてるんだ」

 また連絡するとは言われていたけど、まさか迎えにきてもらえるとは思っていなかった。でも、2年生は今日学校終わるの早いんだったっけ。通常通り6時間授業だったら、この時間に横浜にいるのは不可能なはずだけれど。

 気になりつつも、早く会いたくてついに走り出す。みなとみらいから横浜までたった2駅なのに、それすらもどかしい。
 

 横浜駅に着いた。改札を出て、左へと曲がる。階段を上がってすぐ左側に、あのコーヒーショップがある。

 エスカレーターひとつ分の階段を、走りたい気持ちを抑えて上る。数メートル歩いたら、もう1回階段だ。早く会いたい、悠介くんに。会ったらまずはなんて言おうかな。そんなことを考えながら、最後の数段を飛ばして上がろうとした時だった。

「あ」

 という聞き覚えのある声がした。反射的にそちらを向いたオレの口からも、同じように「あっ」と声が漏れた。

莉子(りこ)先輩」
「……久しぶりだね」

 莉子先輩はそれだけ言って引き返しはじめた。ついてきて、という意味なのだろう。莉子先輩は階段を上がりきって、壁によりかかった。

「え、っと……遊びに来たんですか? オレは横浜遠足の帰りで……」
「知ってる。あんたを探しに来たんだし。こんなすぐ会えるとは思わなかったけど」
「へ……そうなんですか?」

 どうして莉子先輩がオレを探しているのだろう。検討もつかず、莉子先輩の言葉を待つことしかできない。

「今日、世良が早退する時……」
「っ、え!? ゆう、っ、世良先輩、早退したんですか!? もしかして体調不良ですか?」

 メッセージでは、そんなことは言っていなかった。でも早退するなんて大事(おおごと)だ。居ても立ってもいられずスマホを取り出したけど、

「そんなんじゃない。あんたが関係してんじゃないの?」

 との莉子先輩の尖った声が、オレにぶつかった。

「え……オレですか?」
「世良、今日は変だった。たまにスマホ見て嬉しそうにして、それ以外はずーっと上の空。かと思えば、見たことない顔でほほ笑んでたりして。1年は遠足だから、今日は一緒にいられるって思ってたのに、帰っちゃうし! ……っ、もうずっと、世良はあんたのことばっか気にしてる。そんなの、見てれば分かる」

 悠介くんが体調を悪くしているわけじゃないのなら、ひとまずよかった。けれど莉子先輩が今にも泣き出しそうで、オレの胸も苦しくなる。

「……莉子先輩、えっと」
「こないだの世良の誕生日だって、あんたが一緒にいたんでしょ!? 私だってお祝いしたかったのに! 昼休みを一週間もらっても、やっぱり虚しかった。当日に選ばれたのは、私じゃなくてあんたなんだって」
「…………」
「私言ったよね、邪魔しないでって」

 涙がなみなみと浮かぶ瞳で、莉子先輩がオレをぐっと睨む。邪魔しないでという言葉が、再びオレの胸に突き刺さる。でもあの時と今では、オレの心が明確に違う。

 初めて言われた時はモヤモヤして、莉子先輩の言葉を守ろうという気持ちもあった。でもオレは今や、莉子先輩と同じく悠介くんに恋をしている。邪魔をされたくない気持ちがよく分かる。だからこそ、オレだって引けない。そのくらい強い想いで、悠介くんに恋をしているから。

「莉子先輩、ごめんなさい。邪魔をしない約束はやっぱりできません」
「っ、なんでよ」
「だってオレ……」

 そこまで言って、オレは口を噤む。言っていいのだろうか、悠介くんのことが好きなんだって。同性を好きなこと、もしも変な目で見られてもオレは構わないけれど。それが、想いを向けられているだけの悠介くんにも及ぶのは嫌だ。でも、莉子先輩にはきちんと伝えたい。莉子先輩が、まっすぐ気持ちをぶつけてくれているから。同じ恋を胸に持つ者同士だから。

「……オレも同じなんです。莉子先輩と」

 莉子先輩が息を飲むのが分かった。もうオレの気持ち、分かっちゃったかな。

「オレ……!」

 意を決して口を開く。すると、莉子先輩の視線がオレの背後に動いた。なにかあったのかな。でももう、止められない。

「オレも、世良先輩のことが……っ、んん!?」

 止められないはずだったのに。オレはその先を言えなくなってしまった。なにかに口を塞がれてしまったからだ。

「ちょっと待った」
「っ!?」

 背後から聞こえてきたのは、なんと悠介くんの声だった。つまり、オレの口を覆っているのは悠介くんの手ということだ。

 どうしよう。くちびるに触れられている。いやそれよりも、莉子先輩との会話を聞かれたかな。だとしたらどこまで? テンパっていると、肩になにかが乗せられた。悠介くんのおでこだと、すぐに分かった。擦りつけるように揺らして、

「真白」

 と囁かれる。

「今言おうとしたの、いったんストップ。牧田(まきた)じゃなくて、俺にいちばんに聞かせてよ」
「……っ!?」
「分かった?」
「っ、ん! んん!」

 口を塞がれたままなので、首を大きく上下に振る。すると悠介くんの手が離れた。ほっと息をついたけど、安堵からではない。

 ――今、悠介くんはなんて言った? まるでオレがなにを言おうとしたか、分かっているみたいだった。

「牧田」
「世良……」

 悠介くんが、莉子先輩に声をかける。

「学校は?」
「……早退してきた」
「そっか」

 悠介くんと莉子先輩と、そしてオレの間に沈黙が流れる。いつだって賑わう横浜駅だけど、ここだけ時間が止まっているみたいだ。

「牧田に伝えなきゃいけないことがあるな、って思ってる」
「……それって、聞かなきゃダメかな」
「できれば聞いてほしい」
「…………」
「俺、好きなヤツがいるんだ」

 悠介くんがそう言った瞬間、莉子先輩は目を閉じて静かに息を吸った。オレはオレで、衝撃でいっぱいいっぱいだ。そっか、悠介くん好きな人がいるんだ。頭ではショックを受けているのに。オレの真後ろに立ったままの悠介くんが、オレの腰に手を添えているから――心臓は甘く鼓動を打っていて、混乱してしまう。

「……っ、私じゃダメ?」

 莉子先輩が、振り絞ったような声で言う。

「俺がソイツじゃなきゃダメ」

 答えた悠介くんの手が、オレのブレザーをそっと握りこんだ。

「はー……そっか。分かった。分かりたくなんかなかったけど、分かった」

 天井を仰いで、莉子先輩は大きく長く息を吐いた。そうして次にこちらを向いた時、莉子先輩の目にはさっき浮かんでいた涙はなかった。強く美しい瞳に、オレを映す。

「別に、本当にちょっとも応援する気なんかないんだけどさ」
「…………? はい」
「なんか似てるよね、世良とあんたって」
「え? 全然似てない、と思いますけど……」
「見た目の話じゃないからね? 世良は意味わかんないくらいイケメンで、あんたはちんちくりんだし」
「っ、莉子先輩までちんちくりんって……」

 久しぶりに聞いたそのワードに、オレはがっくりと項垂れる。

「でも……ふたりしてお人好し」
「お人好し? ですか?」
「…………?」

 けれど思いがけずそんなことを言われて、オレは悠介くんと顔を見合わせた。

「邪魔するななんて勝手なこと言うヤツのこと、相手せずに突っぱねていいんだよ。世良だって……人が自分をどう想ってようがどうでもよさそうだったのに、わざわざ宣言してくれちゃって。変わったね。……そういう相手に出逢ったってことなんだろうけど」

 綺麗に巻かれた髪を、彩られた指先がかき上げる。ふう、と息をした莉子先輩は、じゃあねと手を振って去っていった。

 その背中をつい見送ってしまったけれど、ふと視線を感じて隣を見上げる。悠介くんと目が合って、胸の奥がきゅうっと音を立てた。

「真白」
「っ、はい」
「あー……色々起こりすぎて、なにから言ったらいいか分かんねぇけど。でもまずはこれだよな。誕生日おめでとう」
「悠介くん……ありがとうございます!」

 何度も何度もスマホの画面を読み返しながら、悠介くんの声で脳内再生してきたけれど。本物の威力は絶大だ。一瞬で心も体も持っていかれてしまう。でも、悠介くんはオレを更に翻弄する。

「ケーキ、作ってきた」
「へ……えっ!? オレにですか!? あ、もしかして早退したのって……」

 ふと見ると、たしかに悠介くんは片手に袋を持っている。

「なんでそれ……って、ああ、牧田に聞いたのか。うん、どうしても今日作りたかったから。それでこれ渡して、ちょっと話せたらって思ってたんだけど……」

 拳を口元に当てて、なにか考えているようだ。視線がきょろきょろと動いたかと思えば、オレの肩に額をコツンと当ててきた。

「っ、悠介くん?」
「まだ離れたくねえー……」
「……っ!」

 耳元でぽつりと呟かれたその言葉に、オレの心臓が悠介くんを好きだ好きだと暴れはじめる。思わず背中に腕を回して、悠介くんの服をきゅっと握りこむ。

「っ、あ、あの、悠介くん」
「んー?」

 もうすぐ日が落ちてしまう。でも、一緒にいたい。悠介くんもそう思っていてくれるのなら、尚更だ。

「オレも……オレもまだ離れたくないです」
「っ、真白……」

 ゆっくりと頭をもたげ、悠介くんがオレの顔を覗きこむ。喉からかすれた声がこぼれて、恥ずかしくてくちびるを噛んで。そうしてやっと、口を開く。

「あの、ワガママ言ってもいいですか? 誕生日、だから」
「ふ、もちろん。俺もいっぱい言ったしな」
「へへ。えっと……」

 悠介くんのおかげで、ちょっと緊張が和らいだ。それでも1回深呼吸をする。悠介くんが、オレの言葉を聞き逃すまいとするかのように、耳を寄せた。優しいな、好きだな。

 オレのワガママが、この優しい人にとっても喜ばしいものでありますように。そう願いながら、悠介くんの耳元に手を添えてささやく。

「今から、オレの家に来ませんか」