ダウナー先輩のあまい条件

 日曜日に遊ぼうって世良(せら)先輩に誘ってもらって、あの瞬間は本当にただただ嬉しかったのだけど。約束当日の3時間前。オレは今、部屋の中をウロウロしているところだ。

「服どうしよう! 髪も! 普通、オシャレして行くとよね!? だって……好きな人、と遊ぶとやし」

 ぽつりつぶやいて、ふと鏡を見る。けれど恥ずかしくなって、前髪を指先でつまんで目を逸らした。

 先輩のことで頭がいっぱいだと丸わかりの、薄らと赤い顔のオレが映っていたから。


 待ち合わせは横浜駅で、自宅の最寄り駅からは電車で30分ほどだ。落ち着かなくて、約束の1時間も前の10時には駅に到着してしまった。学校と家の往復ばかりで、こんなに大きな駅でも降りたのは初めてだ。迷ってしまう可能性もあるから早めにとは考えていたけれど、さすがに早すぎたかもしれない。

 せっかくだから、付近を散策してみようか。どこもかしこも、田舎から出てきたオレには目新しい。でもその前に、待ち合わせ場所を確認しておきたい。

 先輩から指定されたのは、コーヒーショップ前だ。中央改札を出たら、通路を西口のほうへ向かうとあるらしい。

「西口は……こっち? であっとるよね?」

 日曜だからだろう、人がものすごく多い。ぶつかってしまわないように、身を縮こませながら歩く。するとすぐに、コーヒーショップを見つけることができた。オレでも名前を知っている有名なチェーン店だ。地元には1店舗もなくて、入ったことはないけれど。

「ここだ。待ち合わせの10分前くらいに来ればよかかな。……ん?」

 場所を確認できて、移動しようとした矢先だった。店の前が、少し騒がしいことに気づく。女性が数人集まっている。なにかイベントでもあるのかな。気になってかかとを浮かせたオレは、その中心にいる人物と目が合った。

「っ、先輩!?」

 どういう状況なのだろう。でもオレだけじゃなく、先輩も驚いた顔をしている。次の瞬間にはほっとした顔を覗かせて、女性たちの間を割ってこちらへとやってきた。

真白(ましろ)……助かった」
「えっと、なにかあったんですか? あの人たちは一体……」
「知らねえよ……俺はあそこでスマホ見てただけ」

 先輩を囲っていた女性たちは、どこか残念そうにしている。なんだ待ち合わせか、なんて声や、マジイケメンだったねー、なんて会話が聞こえてくる。なるほど、先輩に吸い寄せられた人たちだったんだ。正直、気持ちはすごくよく分かる。だって今日の世良先輩は、いつにも増してかっこいい。

 全体的にゆるいシルエットのファッションに、ゴツゴツしたピアスや指輪が似合っている。それぞれのブランドのモデルと言われても納得だ。髪も普段とは違った風にセットされていて、センターパートの前髪の下で相変わらず美しい顔立ちが際立っている。制服の時だって芸能人かと勘違いしたほどなのに。もしも先輩がアイドルだったら、すぐにファンクラブに入っていた自信がある。

「真白? おーい、まーしーろ」
「……はっ! すいません、ぼーっとしとった! その、先輩がかっこよすぎるけん……」

 いけない、つい先輩に見惚れてしまっていた。ハッと肩を揺らせば、先輩が

「なんだそれ」

 と笑う。

 やっぱりすごくかっこいい。オレはとびきり素敵な人に恋をしてしまったのだと、改めて思い知る。オレなんて、せっかくの休日でもオシャレひとつできてない。頑張ってヘアセットをしてみたけれどいつもと大して変わらないし、服も先輩と似たゆるいシルエットが好きで着ているのに、比べるまでもなく雲泥の差だ。

 横に並ぶのも失礼かも。そんなことを思いつつ、ふと気づく。

「あれ、先輩なんでもうここにおるとですか? まだ約束の時間じゃなかですよ?」
「ああ、うん。真白、この辺初めてだって言ってたろ? もし迷ってもすぐ動けるように、早めに来といた」
「ええ、先輩優しか……」

 まさか、そんなことを考えてくれていたなんて。だって、約束までまだ1時間あるのに。

「真白こそ早かったじゃん。最初から迎えに行けばよかったなって思ってたんだけど、そんな心配もいらなかったみたいだな」
「オレはその……楽しみでそわそわして、落ち着かんかっただけです」
「へえ?」

 口角を片方だけあげて、先輩がちょっと意地悪にほほ笑む。まさか、オレが先輩を好きなこと、今の会話だけでバレてないよね? 内心ハラハラしていたら、先輩はオレの頭にぽんと手を乗せた。でもその手はなぜか、いつもより遠慮がちに触れている。不思議に思って首を傾げると、

「髪、かっこいいじゃん」

 と言われてしまった。まさか。まともにセットできなかったのに。呆気にとられるオレに、先輩は追い打ちをかける。

「似合ってるよ。いつものふわふわの髪も好きだけどな」
「ひえっ、ちょ、先輩〜……あんま褒めんでください。オレ倒れそう……」
「ふ、なんでだよ。それは困る。今日はやりたいことがいっぱいあるからな」
「そうなんですか?」
「ああ。予定より早いけど、さっそく行くか。こっち」

 今度はどこか子どもっぽい笑顔で、先輩がオレの背中をトンとたたいた。誘われるままに進みつつ、こっそり先輩の横顔を盗み見る。まだ会って数分なのに、今日は先輩の色んな表情を見られている。休みの日に誰かと会うって、こんなに特別だったっけ。ううん、相手が先輩だからこそだ。

 一歩一歩に心臓まで浮つくのを感じながら、始まったばかりの今日が終わることをオレはさっそく惜しんだ。
 

「え? えっ、ホイップだ! 先輩! ホイップのでっかいぬいぐるみ!」
「想像以上のリアクションだな」

 駅を西口へと抜けた。このデパートは老舗だとか、こっちのショッピングセンターには飲食店や色んなショップが入っているとか。先輩の案内を聞きながら進んだ先で、まずはゲームセンターに入った。キョロキョロと機械の中を見渡す先輩の後ろを、なにかお目当てのものがあるのだろうと歩いていたら。先輩が「あった」と言って立ち止まったのは、大きなホイップのぬいぐるみが入ったクレーンゲームの前だった。

「オレ、こんなの出てるって知りませんでした……」
「今日から投入らしい」
「先輩、詳しいんですね」

 じゃあさっそく、と先輩は両替をしてプレイをし始めた。前もって情報を得ていたり、躊躇なく挑戦したり。どうやら先輩もホイップのとりこらしい。

 少しずつ、獲得口に近づいていく。固唾を飲んで見守っていたら、ホイップの体半分が仕切り板に乗り上がった。

「もうちょっとだ! 先輩すごすぎる」
「結構得意なんだよ。多分、次でいける」

 宣言した先輩は、ひとつ息をしてボタンに指を置いた。クレーンがホイップを持ち上げて、ついに転がり落ちた。ちいさくガッツポーズをした先輩が、ホイップを両手で取り出す。

「先輩、すごい! おめでとうございます!」
「さんきゅ」

 先輩の両手で抱くくらいの大きさだ。オレまで感激してしまって、拍手を贈る。先輩は満足そうにホイップの頭を撫でて、それから

「はい」

 とオレに手渡してきた。獲れたばかりなのに触らせてくれるなんて、先輩はやっぱり優しい。

「よかったなあホイップ。今日から先輩んちの子になれるとか」
「いや、それは真白へのプレゼントな」
「……え? え! いやいや! もらえませんて!」
「いいんだよ。そのために獲ったんだから」
「ええー……そんな」

 先輩のお金で、先輩の技術で獲れたぬいぐるみだ。オレがもらうなんて申し訳なさすぎる。そう思ったのだけど、先輩は薄らとくちびるを尖らせている。ああ、本当にオレのために獲ってくれたんだ。それって、夢みたいな話だ。だってわざわざ発売日を調べてくれたのも、オレのことを考えてってことになる。じわじわと頬が熱くなってきた。恥ずかしくなってきたオレは、ぎゅっと抱きしめたホイップに顔を半分埋める。

「本当に? オレがもらってよかとですか?」
「うん、もらってほしい」
「っ、ありがとうございます。先輩が獲ってくれたホイップとか、特別すぎです」
「よかった。真白のその顔が見たかったから、満足」
「…………? その顔?」
「嬉しくてたまらないって顔」
「そやん顔! ……うう、しとるかも」
「はは、してるしてる」

 ホイップを獲ってもらったことはもちろんのこと、先輩の言葉ひとつひとつや笑ってくれるところとか、全てが先輩の言う通り嬉しくてたまらない。こんな気持ちを、オレも先輩にあげられないかな。

「先輩は好きなキャラクターとかありますか?」
「俺? 俺はそういうの興味なかったんだけど、真白見てたらホイップが好きになってきたな」
「マジですか! じゃあ、オレも先輩にホイップあげたい……あ、あった!」

 こんなに大きいのは難しいけれど、他にはないだろうか。キョロキョロと見渡していたら、たくさん並んでいる小さなタイプのクレーンゲームの中に、ホイップの景品を見つけた。お守り代わりにしているホイップと同じくらいの大きさで、バッグなどにつけられるよう紐がついている。

「これ! これ獲って先輩にあげます!」
「マジ?」
「大マジです!」

 さっそく両替をして、機械の前にしゃがみこむ。とりあえず一度プレイしてみたけど、ちっとも動いてくれない。そうだ、オレ下手くそなんだった。

「真白、こういうのってまともに持ち上げようとしても難しいんだよ」
「へ? そうなんですか?」
「そう。ホイップの頭のほう狙ってみて」
「やってみます! 頭のほう……あっ! ちょっと動いた!」
「上手いじゃん。今の感じで、穴に近づけていくのが効率いい」
「先輩すごい……」

 先輩のアドバイス通り、レバーとボタンを操作する。すると、それから5回ほどでホイップをゲットすることができた。

「やったー! 先輩! 獲れました!」

 思わず両手を突き上げる。その手に先輩がハイタッチをしてくれた。

「すげーじゃん」
「落ちた瞬間めっちゃ気持ちよかった……へへ、先輩どうぞ! もらってください」
「本当にいいのか?」
「もちろんです」
「さんきゅ、大事にする」

 先輩は紐を摘んで、視線の高さにホイップを持ち上げた。優しい瞳がそれを映していて、オレの胸にまであたたかいものが満ちる。にやける顔を必死に抑えていたら、

「じゃあ俺もこれ獲る」

 と言って先輩は同じ機械に100円玉を入れた。

「もう1個欲しかったんですか?」
「もう1個って言うか……お、獲れた」
「えっ、早っ!」

 あっという間に、たった2回で先輩はホイップをゲットしてしまった。そしてそのホイップを、先輩はオレの手へと乗せた。

「へ……」
「これは真白のな」
「そんな! もうもらえませんて!」
「ひとつもふたつも変わんねえだろ。ちなみにオレは、真白にもらったのスマホに付ける。真白もそうしねえ? お揃い」
「っ、お揃い?」
「どう? やっぱり要らねえ?」

 先輩とお揃い? あまりにも魅力的な提案に、オレの喉がごくりと音を鳴らした。先輩はさっそくスマホを取り出して、取り付けてしまった。勝ち気な顔で揺らして見せられれば、もうオレは抗えない。

「要ります! 先輩とお揃いしたい!」
「決まりな。スマホ貸して、付けてやる」
「ありがとうございます! 先輩とお揃いでホイップ……最高すぎる」

 満足げに笑って、先輩が立ち上がる。その後ろを追うだけで、オレは今幸せでいっぱいだ。


 お昼には少し早いけれど食べちゃおうということになって、ハンバーガーのファーストフード店に入った。地元にも一応同じチェーン店があるけれど、それほど食べたことはない。ケンちゃんや(さわ)っちと遊ぶ時は、基本的に誰かの家がお決まりだったし。

 先輩と同じセットを注文して、混み合った店内でそれでもおしゃべりをしながら食べた。5日ぶりの、先輩との食事だ。同じものを食べていることもあって、特に交換するものはなくて。それが新鮮で、ちょっとだけ物足りなくもあった。

「この後はどこに行くとですか?」

 今日のプランは、先輩にすべてお任せしてある。こんなに賑わう都会の街だ。次はどんなところに連れていってくれるのだろうと、ワクワクしてしまう。

「ああ、次な。次は……俺んち」
「おれんち? えっ、先輩の家!?」
「そう。でもその前に、寄りたいところがある。こっち」

 まさか、先輩の家に行くことになるなんて考えてもみなかった。やばいやばい、緊張してきた。固まるオレの背をポンとたたいて、先輩は進みはじめる。

 いったいどこへ向かっているのだろう。並んで歩きながら入ったのは、先ほど横を通ってきたショッピングセンターだった。先輩は慣れた様子で、エスカレーターで地下へと下りていく。

「ここ」
「ここは……お菓子屋さん?」
「んー、半分正解。お菓子の材料とか、道具を売ってる店だな」
「すごい……専門のお店があるんですね」

 店内に入る前から、たくさんの商品が目に入って圧倒されてしまう。これ、全部お菓子に使うものなんだ。初めての世界に圧倒されていると、

「真白、こっち」

 と先輩がオレを手招いた。勝手知ったる様子で、奥へと進んでいく。先輩はよくここへ来るのだろうか。お母さんがお菓子作りの名人だから、おつかいを頼まれたりするのかもしれない。

「この辺りで真白の好きなやつ、選んでほしい」
「えっ、オレがですか?」

 とあるコーナーの前に立って、先輩は指をくるっと回してここだと示した。隣に立って見てみると、カラフルなものやキラキラしたものがたくさんあって、目を奪われる。

「うわあ、きれいか……これってなんですか?」
「トッピングだな。お菓子とかケーキを飾るのに使うヤツ」
「へえ……こんなにたくさんあるんですね」
「すげーよな。例えばこれがアラザンで、こっちは砂糖に色つけて宝石みたいに加工してある。それでこっちは……」
「あ、それ知ってます! チョコスプレーだ!」
「ふ、正解」

 ひとつひとつ、先輩が丁寧に教えてくれる。そうしてもらうと、全部選びたくなってしまう。きれいなもの、かわいいもの。先輩が求めているのはどんなものだろう。

「えっと、なにに使うのを選ぶんですか?」
「んー……それ言ったほうがいい?」
「先輩がよければ」
「じゃあヒントな。俺としては、真白が選んでくれたらなんでもいいんだけど。まあそれくらいは言ってもいいか。ケーキに飾るつもりで頼む」
「なるほど、ケーキ」

 ケーキを作る予定がお母さんにあるということかな。それって本当にオレが選んでいいのだろうか。先輩の言い回しもなにか含んでいるみたいで、ちょっと気になる。けれど今のオレの任務は、トッピングを選ぶことだ。真剣に棚を見つめて、吟味していく。

「何個くらい選んだらいいですか?」
「何個でもいいよ」
「マジですか。えっと、じゃあ……アラザンがきれいで好きです!」
「オッケー。どの色がいい?」
「水色! んー、ピンクもケーキがかわいくなりそうで悩む……」
「じゃあどっちも買う」
「どっちも!?」
「うん。あとは?」
「あとは……この星型のチョコもかわいいですね」
「じゃあこれも」
「……ん? これってお花?」
「ああ、それはエディブルフラワー」
「えでぃぶる?」
「食べられる花だな。生のもあるけど、これは乾燥してあって日持ちするタイプ」
「えっ、本物? 花って食べられるんですか!? 知らんかった……」

 花は目で見て、時には香りを楽しむものなのだと思っていた。まさか、食べられるだなんて。驚きのまま、いくつかある種類をひとつひとつ確認していく。するとその中に、オレにも見覚えのある花があった。

「これ、こないだ委員会で植えた花だ」
「ああ、ビオラ」

 オレと先輩はチューリップを担当したけど、用意された苗の中にはビオラもあった。チューリップの作業が終わった後、山下先輩が『せっかくだからこっちもやってみる? 球根と苗じゃやり方も違うし』と言ってくれたのだった。それじゃあと世良先輩と紫のものを選んで、ひとつずつ花壇に植えた。その時のビオラに、このエディブルフラワーはそっくりだ。

「っ、先輩、これもよかですか?」
「もちろん」
「へへ、やった。えっと、じゃあこれで選ぶのは終わりです」
「ん、さんきゅ」

 いつの間にか先輩は手に買い物かごを持っていて、そこにビオラも入れてくれた。会計のために一緒にレジへ向かう。けれど先輩は

「ちょっとここで待ってて」

 と言って、さっきのトッピングのコーナーへと引き返した。先輩はすぐに戻ってきて、オレがついかごの中を覗こうとすると、目元を先輩の手で隠されてしまった。

「だーめ」
「ええ、なんでですかあ」
「んー、内緒だから」
「また内緒だ……」
「だなあ。まあ後で分かるよ。買ってくる」

 目を覆っていた手が離れていく時、しょんぼりとしているだろうオレの眉間を親指でそっと撫でてくれた。内緒を作られて、ちょっと凹んだはずなのに。先輩のあたたかい指先がいとも容易く元通りに、いやもっと華やいだ心にしてしまった。

 先輩には敵わないな。好きな人の仕草ひとつに翻弄されてしまう。それが嫌じゃないのだから、恋って不思議だ。