四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴って、英語の先生が「じゃあ今日はここまで」と教科書を閉じる。一礼をして頭を上げた瞬間に、オレはリュックを引っ掴んで教室を飛び出る。
昨日初めて委員会の活動に参加して、どうにかふたりの先輩と会話ができたからと言って。すぐに友だちができるはずもなく。転校初日からの行動をなぞることしか、オレにはできない。
目的の場所に到着して、弁当を広げる。体育館の、横からの入口のところ。四段ほどの階段があって、扉の前には少し広いスペースがある。校舎からは見えない死角にあって、ここを見つけられたのはラッキーだった。
弁当の横にリュックを置いて、スマホを立てかける。その隣には、お守り代わりにこっそりポケットに忍ばせている小さなぬいぐるみを並べる。いつも泣いているのが特徴の白うさぎのキャラクターで、オレのお気に入りだ。美味しそうなホイップという名前も、かわいくて好き。
これで、昼休みのセッティング完了。さっそくメッセージアプリを起動して、受話器マークをタップする。
「ケンちゃん、沢っち〜……」
<おー、昨日ぶりー>
<真白、今日もやっぱひとりね?>
「ひとりに決まっとる……友だちできる気全然せん……」
画面に映るのは、本来なら同じ高校に通っているはずだった地元の友だち、ケンちゃんと沢っちだ。口いっぱいにごはんを頬張りながらも手を振ってくれるケンちゃんと、オレを心配して眉をしゅんと下げている沢っち。転校初日の昼休みから、こうしてビデオ通話をしてもらっている。両親以外と気兼ねなく熊本弁で喋れる、貴重なリラックスタイムだ。
<真白なら大丈夫と思うとけどねー。こっちでもみんなと仲良かったたい>
「そうけど……転校でひとりのスタートはやっぱ違うもん……」
がっくりと項垂れつつ、弁当のたまご焼きに箸を伸ばす。うん、ちょっと焦げちゃったけどおいしい。牛乳と砂糖の加減が、結構上手になってきたと思う。やさしい甘さが、しおしおの心に染み渡る。
こっちに引っ越してきてから、弁当は自分で作るようになった。神奈川で母が見つけた仕事は以前より朝が早く、オレから申し出た。少しでも助けになりたかったからだ。中身はほとんど冷凍食品だけど、たまご焼きは必ず作るようにしている。
<そうだ真白、今日面白かことあったぞ。沢っちが体育の時にさー>
<ちょ、おいケン。お前、誰にも言うなって言ったろが>
「え、なになに? 気になる」
弁当も半分くらい食べ進めて、ケンちゃんがなにか沢っちのことを暴露しようとして。それに身を乗り出すようにして、耳を傾けた時だった。
「あ。やっと見つけた」
との声が背後から聞こえてきて、オレの肩はびくりと跳ね上がった。勢いよく振り返れば、そこには昨日出逢ったばかりのイケメンの顔があった。世良先輩だ。やっと見つけたって、どういう意味だろう。
「世良先輩!? なんでここに……」
「お前を探して、だな。教室覗いたけど、いなかったから。で? 真白こそ、なんでこんなとこいんの?」
「う……それは……クラスに友だちがいないので、お昼はいつもここで食べてます」
「なるほどな」
頷きながら、先輩はオレの隣に腰を下ろした。戸惑いつつも、
「あの、先輩。オレを探してって、なんで……」
と言いかけた時だった。背後からオレを呼ぶ声が聞こえて、慌てて振り返る。そうだ、沢っちとケンちゃんとの通話を繋いだままだった。
<真白ー! お、やっとこっち見た。 ねえ、そのイケメン誰ね!?>
どうやら、世良先輩の姿が映っていたらしい。それはそうと、ケンちゃんの言い方にオレは大いに慌てる。
「ちょっ、ケンちゃん! そやん言い方、失礼ばい! 先輩やけん!」
「なに? 誰と喋ってんの?」
「あ、えーっと……地元の友だちです。いつも通話しながらお弁当食べてて」
「へえ。こいつらの名前は?」
「さっきから声が大きいのがケンちゃんで、こっちは沢っちです。ケンちゃん、沢っち。こちらは世良先輩」
問われるままにふたりを紹介すると、世良先輩は確かめるように画面を覗く。すると向こうから返ってきたのは、先ほどまでのうるさい声じゃなく、ふたり分の感嘆のため息だった。
<はあ〜、マジでイケメンね>
<こっちにはおらんよな、こやんかっこよか人>
<都会ってすごかあー>
褒め言葉ではあるけど、オレもそれに大いに同意するけど! 本人を目の前に、やっぱり失礼じゃないだろうか。恐る恐る表情を覗えば、けれど先輩はおかしそうに吹き出した。
「ふっ、真白の友だち、面白えな」
「そう、ですか?」
「うん。ケンちゃん、沢っちー。俺も真白の友だち、よろしくな」
「っ、え?」
先輩の言葉に、オレは思わず息を飲んだ。今、オレのこと友だちって言ってくれた?
昨日に引き続きまた泣いてしまいそうなオレを差し置いて、ケンちゃんと沢っち、それから世良先輩はなんだか盛り上がっている。なんだ真白友だちいたんじゃんとか、先輩がいてくれたら安心だとか。そんな言葉が耳に届いてはいるけど、オレは涙を堪えるのに必死だ。ケンちゃんと沢っちに気づかれないようにと、画面に背を向ける。すると、世良先輩がオレの頭にぽんと手を置いた。ああ、やっぱり昨日は泣きそうになったことに気づかれてたんだ。今もこの涙を茶化しはせず、ただあたたかさをくれる手に安堵を覚える。
「そうだ。真白、渡したいもんがある」
「…………? 渡したいものですか?」
「ん、これ」
せめてふたりにはこの涙がバレないようにとそっと拭っていたら、先輩がなにかを取り出した。手に乗せられたのはお菓子だ。
「わっ、美味しそう! えっと、これなんてお菓子ですっけ」
「マフィン」
「そうだ、マフィン! チョコチップが入っとる」
「ん、食えそう?」
「食えます! 絶対好き……」
「それはよかった」
透明のラッピングの中にはマフィンがふたつ。それぞれピンクと白のストライプ、水色と白のストライプのカップに入っていて見た目もかわいい。きれいに丸く焼かれていて、お店で買ってきたのか手作りなのか、オレには判断がつかない。
「これ、先輩の手作りですか?」
「……いや、あー……俺の母親、が作ったヤツ」
「先輩のお母さんが……えっ、オレが食べてよかとですか? お母さん、先輩のために作りなったんじゃなかですか? てかなんでオレに?」
たくさんのはてなマークがオレの頭の上に浮かぶ。だって先輩はさっき、オレを『やっと見つけた』と言っていた。つまり、これを渡すために探していた、ということだろう。首を傾げれば、先輩はあの大きな手を口元にあてて、おかしそうに目を細める。
「質問攻めだな」
「だって……」
「んー、そうだな。昨日かくまってもらったろ。それのお礼」
「そんな。豪華すぎません?」
「豪華ではないだろ」
「豪華ですよ! だってオレ、甘いものほんとに好きですもん」
「そっか、じゃあ遠慮なく食え」
「うう……でも……」
先輩の気持ちはありがたいけど、そんな凄いことをしたつもりはない。どうしようかと目を彷徨わせていたら、ふと弁当が目に入った。そこにはまだ、ミニトマトとたまご焼きが残っている。
「先輩、たまご焼きは好きですか?」
「たまご焼き? 好きだけど……」
「じゃあ交換! このマフィンと、オレのたまご焼き。交換しませんか?」
「マジで? 真白がいいならいいけど」
「あ、全然見合わんですよね……マフィンふたつ入っとるし絶対美味しかとに、たまご焼きはオレが作ったちょっと焦げとるヤツやし……」
「え、真白が作った? マジ?」
「マジです……」
「すげーじゃん。食いたい」
おずおずと弁当箱を差し出すと、先輩は指先でたまご焼きをつまんで口に入れた。指先を舐めつつ咀嚼する先輩の姿に、なんだろう、すごくドキドキする。そう言えば、親にだってたまご焼きを食べさせたことはなかった。
「ん、甘いヤツだ」
「…………」
「ふ、めっちゃ見るじゃん」
「うう、怖いけど感想気になって!」
「すげー美味いよ。真白、上手だな」
「っ!」
「見合わないとか元々思ってなかったけど、むしろ俺の儲けかもな」
「っ、さすがにそれはなかですよ!」
「なあ、真白も食ってよ。それ」
ごちそうさん、と言ってから先輩はオレの手にあるマフィンを指差した。オレはこくんと頷いて、ラッピングをほどいてひとつマフィンを取り出す。食べちゃうのがもったいない気もするけど、先輩に言われたらそうしたくなる。カップを少し剥がして、
「いただきます」
と言ってからかじりつく。するとその瞬間、オレは大きく目を見開いた。口の中にふわっと広がる小麦粉とチョコの風味に、顔がほころんでいく。
「えー、すご……へへ、おいしかあ」
「ふ、真白の顔、すげーふにゃふにゃ」
「だって、こやんおいしかマフィン、初めて食べました」
「それはさすがに大げさじゃね?」
「大げさじゃなかです! ほんとに! 絶対に!」
「はは、そっか」
あぐらを掻いている先輩は、膝に肘をつき、その手のひらに顔を乗せてオレをじっと見つめている。その表情は、オレの知ってる先輩の表情の中でいちばんやわらかい。なんだか気恥ずかしくて、でもやめてという気にもなれない。
食べ終わりたくないけど、もうひとくち。すると背後から、
<真白ー、俺たちそろそろ昼休み終わるけん、通話切るぞー>
との声が聞こえてきた。しまった、通話が繋がっていることをすっかり忘れてしまっていた。
「あ、うん! ケンちゃん沢っち、今日もありがとう!」
<どういたしましてー。またな>
ふたりにバイバイをしていると、先輩も画面を覗いてひらひらと手を振ってくれた。それを嬉しく思いつつ、オレはとあることに気づく。
「あれ、先輩お昼は? もう食べたとですか?」
「ああ、そうだった。昼飯も持ってきたんだわ。俺もここで食っていい?」
「もちろんです!」
それから改めて、お昼タイムを再開した。熊本の高校のほうが昼休みが始まるのが早くて、いつも後半は静かに食べていたけど。今日は目の前に世良先輩がいる。ひとりじゃない。オレにとって、これは奇跡だ。
マフィンをひとつ食べ終わって、ミニトマトもきちんと食べる。先輩のお昼ごはんは、コンビニで買ったおにぎりと菓子パンのようだ。
「なあ真白、さっきから気になってたんだけどさ」
「はい」
「それなに? スマホの横の、ぬいぐるみ?」
「あっ、これは……」
そうだ、ホイップを出したままだった。男子高校生がぬいぐるみを持ち歩いているなんて、恥ずかしいことかもしれない。でも先輩に嘘をつく気にもなれない。
「オレのお守りみたいなものです。いつも泣いてる白うさぎで、ホイップって名前で」
「へえ、かわいいな。ちょっと真白に似てるかも」
「え!? どこがですか?」
「んー、言っていい?」
「……いや、やっぱ言わんでほしかです」
「はは、分かった」
言われた瞬間は不思議だったけど、十中八九泣いているからだろう。オレは先輩に情けない姿ばかり見せているということだ。でも先輩は気にしている様子もなく、ちょっと見せてと言ってホイップを手に取った。
「なるほど、ホイップクリームでできてる感じか」
「え、そうなんですか?」
「かたちがそれっぽい。そんでこの赤い目は、ドレンチェリーだな」
「ドレンチェリー?」
「クッキーとかケーキに乗ってる、真っ赤で甘いヤツ」
「へえ。先輩詳しいんですね」
「……ん、まあな」
こんなに美味しいマフィンが焼けるお母さんがいるくらいだ、先輩も知識があるのだろう。感心していると、食事を終えた先輩が後ろに両手をつきながら空を見上げた。
「ここ、すげーいい場所だな。人気なくて静かだし、風気持ちいいし」
「はい、そうですね」
オレにとっては本当は、ここは孤独の象徴でもあった。昼休みはどこもかしこも、賑わっているはずだから。でもオレは、先輩の言葉に嘘偽りなく頷くことができた。先輩がここにいるからだ。
「俺もまたここ来ていい? 真白がいいなら、俺も昼休みはここで過ごしたい」
「っ、もちろんです!」
「やった、さんきゅ。またお菓子も持ってくる」
「え……いやいいですよ! 悪いです!」
「全然悪くねえよ」
「でも……もう昨日のお礼は十分ですし……」
「明日からのはお礼じゃなくて、俺がそうしたいだけ」
「そんな……」
だって本当に、とびきり美味しいお菓子だった。先輩のお母さん、お店開けるんじゃないかなって思うほどの。現にオレはやっぱりもったいなくなって、もうひとつのマフィンは帰ってからおやつに食べようと、ラッピングを元に戻したくらいだ。
それをまたもらうだなんて。どうしよう、そう考えてふと気づく。
「先輩、お昼はいつも今日みたいな感じですか? おにぎりとか、パンとか」
「だな」
「っ、じゃあ! オレ、先輩の分のおかず持ってきてもいいですか?」
「は? いやそれこそ悪いだろ」
「悪くなかです! お菓子と交換こです。どう、ですかね?」
結構いいアイディアだと思う。お菓子を持ってきてくれるという先輩の心もちゃんと受け取れるし、オレの申し訳なさも少しはなくなる。やっぱり見合わないと思うけど、それはもう言わない。
「なるほどな。ん、それすげーいいかも。乗った」
「ほんとですか!? やったー!」
受け入れてもらえたのが嬉しくて、思わず両手を突き上げてしまった。ちょっと子どもっぽかったのか、そんなオレを見て先輩がくすくす笑う。恥ずかしいけど、でもどうしたって嬉しくて。オレは誤魔化すみたいに頭をかきながら、
「へへ……」
と笑った。
間もなく昼休みが終わる五分前のチャイムが鳴り、弁当とそれからマフィンを大切にリュックにしまう。ホイップとスマホはポケットに入れて、待ってくれていた先輩の隣に並び立つ。
今日の午後は、今まででいちばん穏やかな気持ちで過ごせる気がする。
昨日初めて委員会の活動に参加して、どうにかふたりの先輩と会話ができたからと言って。すぐに友だちができるはずもなく。転校初日からの行動をなぞることしか、オレにはできない。
目的の場所に到着して、弁当を広げる。体育館の、横からの入口のところ。四段ほどの階段があって、扉の前には少し広いスペースがある。校舎からは見えない死角にあって、ここを見つけられたのはラッキーだった。
弁当の横にリュックを置いて、スマホを立てかける。その隣には、お守り代わりにこっそりポケットに忍ばせている小さなぬいぐるみを並べる。いつも泣いているのが特徴の白うさぎのキャラクターで、オレのお気に入りだ。美味しそうなホイップという名前も、かわいくて好き。
これで、昼休みのセッティング完了。さっそくメッセージアプリを起動して、受話器マークをタップする。
「ケンちゃん、沢っち〜……」
<おー、昨日ぶりー>
<真白、今日もやっぱひとりね?>
「ひとりに決まっとる……友だちできる気全然せん……」
画面に映るのは、本来なら同じ高校に通っているはずだった地元の友だち、ケンちゃんと沢っちだ。口いっぱいにごはんを頬張りながらも手を振ってくれるケンちゃんと、オレを心配して眉をしゅんと下げている沢っち。転校初日の昼休みから、こうしてビデオ通話をしてもらっている。両親以外と気兼ねなく熊本弁で喋れる、貴重なリラックスタイムだ。
<真白なら大丈夫と思うとけどねー。こっちでもみんなと仲良かったたい>
「そうけど……転校でひとりのスタートはやっぱ違うもん……」
がっくりと項垂れつつ、弁当のたまご焼きに箸を伸ばす。うん、ちょっと焦げちゃったけどおいしい。牛乳と砂糖の加減が、結構上手になってきたと思う。やさしい甘さが、しおしおの心に染み渡る。
こっちに引っ越してきてから、弁当は自分で作るようになった。神奈川で母が見つけた仕事は以前より朝が早く、オレから申し出た。少しでも助けになりたかったからだ。中身はほとんど冷凍食品だけど、たまご焼きは必ず作るようにしている。
<そうだ真白、今日面白かことあったぞ。沢っちが体育の時にさー>
<ちょ、おいケン。お前、誰にも言うなって言ったろが>
「え、なになに? 気になる」
弁当も半分くらい食べ進めて、ケンちゃんがなにか沢っちのことを暴露しようとして。それに身を乗り出すようにして、耳を傾けた時だった。
「あ。やっと見つけた」
との声が背後から聞こえてきて、オレの肩はびくりと跳ね上がった。勢いよく振り返れば、そこには昨日出逢ったばかりのイケメンの顔があった。世良先輩だ。やっと見つけたって、どういう意味だろう。
「世良先輩!? なんでここに……」
「お前を探して、だな。教室覗いたけど、いなかったから。で? 真白こそ、なんでこんなとこいんの?」
「う……それは……クラスに友だちがいないので、お昼はいつもここで食べてます」
「なるほどな」
頷きながら、先輩はオレの隣に腰を下ろした。戸惑いつつも、
「あの、先輩。オレを探してって、なんで……」
と言いかけた時だった。背後からオレを呼ぶ声が聞こえて、慌てて振り返る。そうだ、沢っちとケンちゃんとの通話を繋いだままだった。
<真白ー! お、やっとこっち見た。 ねえ、そのイケメン誰ね!?>
どうやら、世良先輩の姿が映っていたらしい。それはそうと、ケンちゃんの言い方にオレは大いに慌てる。
「ちょっ、ケンちゃん! そやん言い方、失礼ばい! 先輩やけん!」
「なに? 誰と喋ってんの?」
「あ、えーっと……地元の友だちです。いつも通話しながらお弁当食べてて」
「へえ。こいつらの名前は?」
「さっきから声が大きいのがケンちゃんで、こっちは沢っちです。ケンちゃん、沢っち。こちらは世良先輩」
問われるままにふたりを紹介すると、世良先輩は確かめるように画面を覗く。すると向こうから返ってきたのは、先ほどまでのうるさい声じゃなく、ふたり分の感嘆のため息だった。
<はあ〜、マジでイケメンね>
<こっちにはおらんよな、こやんかっこよか人>
<都会ってすごかあー>
褒め言葉ではあるけど、オレもそれに大いに同意するけど! 本人を目の前に、やっぱり失礼じゃないだろうか。恐る恐る表情を覗えば、けれど先輩はおかしそうに吹き出した。
「ふっ、真白の友だち、面白えな」
「そう、ですか?」
「うん。ケンちゃん、沢っちー。俺も真白の友だち、よろしくな」
「っ、え?」
先輩の言葉に、オレは思わず息を飲んだ。今、オレのこと友だちって言ってくれた?
昨日に引き続きまた泣いてしまいそうなオレを差し置いて、ケンちゃんと沢っち、それから世良先輩はなんだか盛り上がっている。なんだ真白友だちいたんじゃんとか、先輩がいてくれたら安心だとか。そんな言葉が耳に届いてはいるけど、オレは涙を堪えるのに必死だ。ケンちゃんと沢っちに気づかれないようにと、画面に背を向ける。すると、世良先輩がオレの頭にぽんと手を置いた。ああ、やっぱり昨日は泣きそうになったことに気づかれてたんだ。今もこの涙を茶化しはせず、ただあたたかさをくれる手に安堵を覚える。
「そうだ。真白、渡したいもんがある」
「…………? 渡したいものですか?」
「ん、これ」
せめてふたりにはこの涙がバレないようにとそっと拭っていたら、先輩がなにかを取り出した。手に乗せられたのはお菓子だ。
「わっ、美味しそう! えっと、これなんてお菓子ですっけ」
「マフィン」
「そうだ、マフィン! チョコチップが入っとる」
「ん、食えそう?」
「食えます! 絶対好き……」
「それはよかった」
透明のラッピングの中にはマフィンがふたつ。それぞれピンクと白のストライプ、水色と白のストライプのカップに入っていて見た目もかわいい。きれいに丸く焼かれていて、お店で買ってきたのか手作りなのか、オレには判断がつかない。
「これ、先輩の手作りですか?」
「……いや、あー……俺の母親、が作ったヤツ」
「先輩のお母さんが……えっ、オレが食べてよかとですか? お母さん、先輩のために作りなったんじゃなかですか? てかなんでオレに?」
たくさんのはてなマークがオレの頭の上に浮かぶ。だって先輩はさっき、オレを『やっと見つけた』と言っていた。つまり、これを渡すために探していた、ということだろう。首を傾げれば、先輩はあの大きな手を口元にあてて、おかしそうに目を細める。
「質問攻めだな」
「だって……」
「んー、そうだな。昨日かくまってもらったろ。それのお礼」
「そんな。豪華すぎません?」
「豪華ではないだろ」
「豪華ですよ! だってオレ、甘いものほんとに好きですもん」
「そっか、じゃあ遠慮なく食え」
「うう……でも……」
先輩の気持ちはありがたいけど、そんな凄いことをしたつもりはない。どうしようかと目を彷徨わせていたら、ふと弁当が目に入った。そこにはまだ、ミニトマトとたまご焼きが残っている。
「先輩、たまご焼きは好きですか?」
「たまご焼き? 好きだけど……」
「じゃあ交換! このマフィンと、オレのたまご焼き。交換しませんか?」
「マジで? 真白がいいならいいけど」
「あ、全然見合わんですよね……マフィンふたつ入っとるし絶対美味しかとに、たまご焼きはオレが作ったちょっと焦げとるヤツやし……」
「え、真白が作った? マジ?」
「マジです……」
「すげーじゃん。食いたい」
おずおずと弁当箱を差し出すと、先輩は指先でたまご焼きをつまんで口に入れた。指先を舐めつつ咀嚼する先輩の姿に、なんだろう、すごくドキドキする。そう言えば、親にだってたまご焼きを食べさせたことはなかった。
「ん、甘いヤツだ」
「…………」
「ふ、めっちゃ見るじゃん」
「うう、怖いけど感想気になって!」
「すげー美味いよ。真白、上手だな」
「っ!」
「見合わないとか元々思ってなかったけど、むしろ俺の儲けかもな」
「っ、さすがにそれはなかですよ!」
「なあ、真白も食ってよ。それ」
ごちそうさん、と言ってから先輩はオレの手にあるマフィンを指差した。オレはこくんと頷いて、ラッピングをほどいてひとつマフィンを取り出す。食べちゃうのがもったいない気もするけど、先輩に言われたらそうしたくなる。カップを少し剥がして、
「いただきます」
と言ってからかじりつく。するとその瞬間、オレは大きく目を見開いた。口の中にふわっと広がる小麦粉とチョコの風味に、顔がほころんでいく。
「えー、すご……へへ、おいしかあ」
「ふ、真白の顔、すげーふにゃふにゃ」
「だって、こやんおいしかマフィン、初めて食べました」
「それはさすがに大げさじゃね?」
「大げさじゃなかです! ほんとに! 絶対に!」
「はは、そっか」
あぐらを掻いている先輩は、膝に肘をつき、その手のひらに顔を乗せてオレをじっと見つめている。その表情は、オレの知ってる先輩の表情の中でいちばんやわらかい。なんだか気恥ずかしくて、でもやめてという気にもなれない。
食べ終わりたくないけど、もうひとくち。すると背後から、
<真白ー、俺たちそろそろ昼休み終わるけん、通話切るぞー>
との声が聞こえてきた。しまった、通話が繋がっていることをすっかり忘れてしまっていた。
「あ、うん! ケンちゃん沢っち、今日もありがとう!」
<どういたしましてー。またな>
ふたりにバイバイをしていると、先輩も画面を覗いてひらひらと手を振ってくれた。それを嬉しく思いつつ、オレはとあることに気づく。
「あれ、先輩お昼は? もう食べたとですか?」
「ああ、そうだった。昼飯も持ってきたんだわ。俺もここで食っていい?」
「もちろんです!」
それから改めて、お昼タイムを再開した。熊本の高校のほうが昼休みが始まるのが早くて、いつも後半は静かに食べていたけど。今日は目の前に世良先輩がいる。ひとりじゃない。オレにとって、これは奇跡だ。
マフィンをひとつ食べ終わって、ミニトマトもきちんと食べる。先輩のお昼ごはんは、コンビニで買ったおにぎりと菓子パンのようだ。
「なあ真白、さっきから気になってたんだけどさ」
「はい」
「それなに? スマホの横の、ぬいぐるみ?」
「あっ、これは……」
そうだ、ホイップを出したままだった。男子高校生がぬいぐるみを持ち歩いているなんて、恥ずかしいことかもしれない。でも先輩に嘘をつく気にもなれない。
「オレのお守りみたいなものです。いつも泣いてる白うさぎで、ホイップって名前で」
「へえ、かわいいな。ちょっと真白に似てるかも」
「え!? どこがですか?」
「んー、言っていい?」
「……いや、やっぱ言わんでほしかです」
「はは、分かった」
言われた瞬間は不思議だったけど、十中八九泣いているからだろう。オレは先輩に情けない姿ばかり見せているということだ。でも先輩は気にしている様子もなく、ちょっと見せてと言ってホイップを手に取った。
「なるほど、ホイップクリームでできてる感じか」
「え、そうなんですか?」
「かたちがそれっぽい。そんでこの赤い目は、ドレンチェリーだな」
「ドレンチェリー?」
「クッキーとかケーキに乗ってる、真っ赤で甘いヤツ」
「へえ。先輩詳しいんですね」
「……ん、まあな」
こんなに美味しいマフィンが焼けるお母さんがいるくらいだ、先輩も知識があるのだろう。感心していると、食事を終えた先輩が後ろに両手をつきながら空を見上げた。
「ここ、すげーいい場所だな。人気なくて静かだし、風気持ちいいし」
「はい、そうですね」
オレにとっては本当は、ここは孤独の象徴でもあった。昼休みはどこもかしこも、賑わっているはずだから。でもオレは、先輩の言葉に嘘偽りなく頷くことができた。先輩がここにいるからだ。
「俺もまたここ来ていい? 真白がいいなら、俺も昼休みはここで過ごしたい」
「っ、もちろんです!」
「やった、さんきゅ。またお菓子も持ってくる」
「え……いやいいですよ! 悪いです!」
「全然悪くねえよ」
「でも……もう昨日のお礼は十分ですし……」
「明日からのはお礼じゃなくて、俺がそうしたいだけ」
「そんな……」
だって本当に、とびきり美味しいお菓子だった。先輩のお母さん、お店開けるんじゃないかなって思うほどの。現にオレはやっぱりもったいなくなって、もうひとつのマフィンは帰ってからおやつに食べようと、ラッピングを元に戻したくらいだ。
それをまたもらうだなんて。どうしよう、そう考えてふと気づく。
「先輩、お昼はいつも今日みたいな感じですか? おにぎりとか、パンとか」
「だな」
「っ、じゃあ! オレ、先輩の分のおかず持ってきてもいいですか?」
「は? いやそれこそ悪いだろ」
「悪くなかです! お菓子と交換こです。どう、ですかね?」
結構いいアイディアだと思う。お菓子を持ってきてくれるという先輩の心もちゃんと受け取れるし、オレの申し訳なさも少しはなくなる。やっぱり見合わないと思うけど、それはもう言わない。
「なるほどな。ん、それすげーいいかも。乗った」
「ほんとですか!? やったー!」
受け入れてもらえたのが嬉しくて、思わず両手を突き上げてしまった。ちょっと子どもっぽかったのか、そんなオレを見て先輩がくすくす笑う。恥ずかしいけど、でもどうしたって嬉しくて。オレは誤魔化すみたいに頭をかきながら、
「へへ……」
と笑った。
間もなく昼休みが終わる五分前のチャイムが鳴り、弁当とそれからマフィンを大切にリュックにしまう。ホイップとスマホはポケットに入れて、待ってくれていた先輩の隣に並び立つ。
今日の午後は、今まででいちばん穏やかな気持ちで過ごせる気がする。



