ダウナー先輩のあまい条件

「それじゃあ七原(ななはら)くん、挨拶をお願いします」
「……はいっ」

 さっき会ったばかりの担任の先生に呼ばれて、教卓の横に立つ。30人くらいの視線が一気にオレに集まっていて、今すぐ逃げ出したい。真新しいブレザーのポケットの上から、潜ませたお守りをそっと握りこむ。

「え、っと……熊本の高校から転校してきました! 七原真白(ましろ)……、です」

 最初が肝心だぞと、泣く泣く別れた地元の友だちに口酸っぱく言われてきた。それなのに、すぐに怖気づいて声のボリュームがしぼんでしまった。教室のあちこちから、笑い声が聞こえてきたからだ。顔を見合わせている人たちが、視界のあちこちに映る。

 なにかおかしかったかな。猫っ毛な上にくせ毛でどうしてもふわふわしてしまう髪なら、今朝頑張って整えてきたつもりだけど。ああ、もしかしたら(なま)ってるからかも。神奈川だなんて都会の人たちにしたら、面白おかしく聞こえるのかもしれない。

「よろしくお願いします……」
「七原くんの席は、あそこね。窓側のいちばん後ろ」
「はい……」

 机の間を縫うようにして、示された席へと向かう。一歩一歩がロボットみたいにぎこちなくなってしまう。初めての校舎、初めての教室、初めてのクラスメイトたち。全てがオレを拒んでいる気がする。

 永遠みたいなほんの数秒ののち、自分の席に到着した。この教室には縦に五列席が並んでいて、他の列は六人ずつなのに、オレの列だけ七人になっている。オレだけ後ろに飛び出しているかたちだ。それだけで、自分は異質な存在だと感じるのに十分だ。

「なあ、熊本ってどこだっけ?」

 聞こえてきた声に、すぐに反応することができなかった。顔を上げると、前の席の男子がこちらを振り返っていた。あ、オレに話しかけてくれてるんだ。

「あっ。えっと、九州です」
「あー、九州。お前行ったことある?」
「ねえなー」
「俺もー」
「…………」

 斜め前の席の男子もこちらを向いてくれた。それなのに、話を広げることができない。おしゃれにセットされている髪、耳にはピアスも飾られている。地元の高校にはまずいない今どきの出で立ちの彼らに、どうにも怖気づいてしまう。

 そうこうしている間に朝のホームルームが始まった。彼らも前を向き直し、それっきりになってしまった。

 父親の仕事の関係で、急きょ決まった引っ越しだった。まさか高1の夏休み明けだなんて、こんな時期に転校することになるなんて夢にも思わなかった。大好きな友だちとせっかく同じ高校に受かったのに、離ればなれになるなんて。

『真白がおらんと寂しかあ……』
『俺も……でも真白なら、すぐ友だちできるって! 応援しとっけんね!』

 別れの日の友だちの声が、ふと耳の奥に蘇る。オレも寂しい、すごくすごくすごく。友だちは、もしかしたらできないかもしれない。

 引っ越しの荷解きをしながらどうにか気持ちを切り替えて、ここ神奈川でも楽しい高校生活にするのだと決意を新たにしたはずなのに。初日の朝にして、オレはもうへこたれそうだ。


 転校してきて早くも一週間が経った。ぺしゃんこにくじけた心は今もちっとも戻らず、友だちと呼べる人はひとりもいないままだ。

 休み時間はひたすら地元の友だちにメッセージを送り、昼休みになったら教室を飛び出してひとりで弁当を食べる。移動教室がある時なんかは、オレの世話をするように言われているのか、クラスの委員長が案内してくれるけれど。その時に話題を振ってくれることもあるのに、ただ訊かれたことに答えるだけで話を広げることがちっともできない。自己紹介をした時に笑われたことが頭から離れなくて、声を発するのが怖くなっている。生まれた時から身についているイントネーションを、すぐに直すなんてできる気がしない。

 放課後。この一週間はすぐに帰宅していたけれど、今日は行かなきゃいけないところがあった。緑化委員の、委員会活動だ。

 初日の帰りのホームルームが終わった後、担任の先生がオレを呼んでこう言った。もし委員会に興味があるなら、緑化委員だったら入れるけどどうかと。一学期が始まった際に各委員のメンバーは決定しているけれど、転校生がきたのならと緑化委員会の顧問の先生が声をかけてくれたらしい。少し迷ったけど、その場でお願いしますと担任に伝えた。へこたれてばかりではいられない、これはチャンスだと思ったからだった。クラスメイトとフレンドリーな会話を繰り広げるのはハードルが高くても、委員の仕事として業務的な会話ならまだできる気がする。そこから始めてみたい、と思った。

 靴を履いて、外に出る。この学校には校舎が3棟あって、校門側から1棟2棟3棟と呼ばれているらしい。来るようにと指定されたのは、2棟と3棟の間だ。花壇があり、渡り廊下を行き交う生徒の話し声や吹奏楽部の音、運動部のかけ声なんかも聞こえてきて結構賑やかだ。教室から逃げるようにして帰ってばかりだったから、放課後の雰囲気すら知らなかった。

「もしかして、君が七原くん?」
「っ、はい!」

 手持ち無沙汰に立っていたら、背後から名前を呼ばれた。肩を跳ね上げながら振り返ると、女子生徒がひとり立っていた。

「こんにちは、三年の山下(やました)です。緑化委員の委員長やってます」
「え、っと……一年の七原です。委員に入れてもらって、ありがとうございます」
「こちらこそ、入ってくれてありがとう。そんなに固くならなくて大丈夫だからね」
「う……はい。ありがとうございます……」
「じゃあさっそくだけど、水やりを手伝ってもらっちゃおうかな。やりながら色々教えるね」
「はい、お願いします!」

 まずはじめにと、山下先輩は用具倉庫の場所を教えてくれた。後ろをついていきながら、こっそり深呼吸をする。一応話せているつもりだけど、緊張感は否めない。

「じょうろにホース、スコップとか全部ここに置いてあるから」
「はい」
「よし、じょうろひとつずつ持ってこうか」
「はい」

 すぐそばにあった水道で水をくみ、花壇のほうへ戻る。咲いている花を山下先輩が教えてくれた。コスモスにポーチュラカ、ケイトウというらしい。花に詳しくないオレでも、コスモスは見ただけで分かった。オレに務まるかなと心配だったから、ちょっとだけほっとできた。

「今はまだ暑いから、水やりは朝と夕方の二回。涼しくなってきたら朝だけで、二日に一回のペースになるよ」
「そうなんですね」
「当番表があるけど今月の分はもうできちゃってるから、七原くんの当番は来月からだね」
「はい、頑張ります!」
「ふふ、そんなに緊張しないで平気だよ」
「あ……はい、ありがとうございます」

 つい肩に力が入ってしまっていることに、どうやら気づかれていたらしい。恥ずかしさに、オレの体は今度は縮こまる。

 黙々と水やりをしていると、渡り廊下のほうから誰かを呼ぶ女子生徒の声が聞こえてきた。どうやら山下先輩のことだったようで、

「あ、もうちょっと待っててー!」

 と手を振りながら応えている。

「用事ですか?」
「うん、ちょっとね。あそこにはいないけど、友だちがフラれちゃったから、カラオケでパーッと騒ごうってことになってて」
「そうなんですね。あの、オレ残りやってくおくので。お友だちのところ、行ってあげてください」
「え、七原くん今日が初めてだからいいよ」
「こことあそこの花壇に水かけて、じょうろを倉庫にしまったら大丈夫ですか?」
「そうだけど……」
「じゃあひとりでも平気です」
「んー、じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかな」
「はい、ぜひ」

 山下先輩は申し訳なさそうな顔をしたけど、ここは押し通させてもらった。フラれた友だちのためにみんなで集まるなんて、素敵なことだと思う。落ちこんでいるその人のところに、早く行ってあげてほしかった。

 山下先輩が使っていた、水が半分くらい残っているじょうろを受け取る。渡り廊下で待っていた人たちと合流した先輩は、わざわざこちらを振り返って手を振ってくれた。先輩に対して手を振り返すなんて、ちょっと失礼かな。そう思いつつ、会釈しながらちいさく手を振った。

 いい人だったけど、やっぱりすごく緊張してしまった。ふう、と息を吐いて、作業に戻る。水を浴びた花はその体に水滴をまとって、キラキラと光っている。転校してきてからこっちいいことがなかったから、ちょっと癒される心地がする。もしかしたら、花が好きな人たちの気持ちの端っこくらいは分かるかも?

 なんてことを考えていた時だった。色めき立った空気を渡り廊下のほうに感じて、顔を上げる。すると、ひとりの男子がこちらへと歩いてくるのが見えた。

 渡り廊下から出てきたのだから、その人は当然靴ではなく上履きを履いていて。それに構いもせずまっすぐ、どこか苛立った様子だ。

「え? え、なに?」

 勘違いじゃなければ、オレのほうに向かってきてる気がするんだけど。いや、勘違いであってほしい。そんな願いも虚しく、その男子生徒はオレの目の前までやってきた。その顔を見て、オレはつい息を飲んでしまった。

 ゆるくパーマでもかけているのだろうか、ウェーブがかった髪はセンターパートにセットされていて、その下には驚くほどに美しく整った顔がある。三白眼の瞳はつい目を奪われるし、鼻やくちびるのラインもきれい。今日この学校でアイドルの撮影が行われていました、なんて言われたらすぐにこの人だと納得できるくらい、イケメンってやつだ。おまけに両耳にピアスがたくさん飾られていて、背は170センチちょっとのオレが見上げるくらいある。

 つい呆けるように見惚れていたら、

「おい」

 との声が聞こえてきた。オレに言っているのだと理解するのに、数秒かかってしまった。まさか自分がこの人の世界の登場人物になり得るとは、とうてい思えないからかもしれない。

「え……はいっ」
「誰かが俺を探しに来ても、知らないって言え」
「……へ? えっと……」

 一体なにが起こっているんだ? オレはなにを頼まれたんだろう。ひとつも理解できないうちに、その人はまっすぐ用具倉庫へと向かって中に入ってしまった。どうしよう。あたふたとしながら後を追って、倉庫の前へと立った時。

「おーい」

 との声が背後から聞こえてきた。まさかまたオレのことじゃないよな? そう思いつつ振り返ると、今度は渡り廊下にふたりの男子が立っていた。制服をゆるく着ている様が、ちょっと怖い。

「なあー、そこのちんちくりん」

 え、ちんちくりん? なんだ、やっぱりオレじゃなかった。そう信じたかったけど、ふたりはこちらを見ているし、辺りにはオレしかいない。恐る恐る自分の顔を人差し指で指して首を傾げると、

「そう、お前ー」

 と言われてしまった。結構ショックだ。たしかに背は大したことないけど、ちんちくりんだなんて。でもオレの内心なんかには構いもせず、「あのさあ」と話は続いていく。

世良(せら)のヤツ見なかった?」
「こっちのほう来たと思うんだけど」

 世良って誰だろう。知らない名前だけど、この状況的に思い当たる人はひとりしかいない。つい倉庫の中に目を向けると、そこに居座る人と目が合ってしまった。美しい人は人差し指を口元にあて、

「シー」

 とくちびるの動きだけで示す。どうやらこの人が、世良という人で合っているらしい。

「なあー、聞いてんだけどー?」
「っ、えっと……」

 なにも返事をできないでいたから、苛つかせてしまったみたいだ。渡り廊下に立つ男子のひとりは腕を組み片足だけに重心を乗せ、もうひとりは首の後ろを気だるそうに掻いている。

 どうしよう、怖い。あの人たちに、オレは嘘をつかなきゃいけないのか? バレたら一体どうなるんだろう。かと言って、目の前にいる人を裏切るのも恐ろしい。

 視線を交互に向けて、手に持っていたじょうろをぎゅっと握って。それから意を決して、大きく息を吸う。

「見てない、です!」

 それだけのことを言うのに、バクバクと心臓が速くなる。どうにか信じてくれて、こちらのほうへは来ないことを願うしかない。

「マジかー。おいどうする? アイツ連絡もつかないじゃん」
「なー。しょうがねえ、ほか探すか」
「だなー、莉子(りこ)ちゃんたち待ってんし」

 どうやら、オレの心からの願いは天に届いたらしい。がっかりした様子を見せながらオレのことはもう眼中にないようで、ふたりは校舎の中へと入っていった。胸をなでおろしながら見届けて、世良と呼ばれた彼にそっと声をかける。

「あの、お友だち行ったみたいですよ」
「おー、さんきゅ。すぐ出たら見つかりそうだから、もう少しここにいるわ。お前のそれ、終わったら教えて」

 じょうろを指差してあくびをひとつ零した彼は、もうそれ以上オレと会話を続ける気はないようだ。倉庫内の壁に背を預け、つまらなそうにスマホを取り出している。

 ハプニングにてんやわんやになっても、やるべきことはしないといけないわけで。まだ途中だった花の水やりを終わらせ、ふたつのじょうろを手に倉庫へ入る。すると器用なことに、彼はしゃがんだまま眠っていた。終わったら教えて、と言われたからには起こさないといけない。転校してからこっち、人と話すことすら怖くなっているオレにはハードルが高い。かと言って、放って帰るわけにもいかなくて。じょうろをそっと元の場所に戻し、オレも目の前にしゃがみこむ。

「あのー……世良、さん?」

 なんとなく、この人は先輩な気がする。でもクラスメイトたちだって、田舎から出てきたオレには同い年には見えないくらい大人びていて。どっちなんだろう。計りかねた末に、さん付けで呼びかける。一度じゃ起きてくれず、恐る恐る肩をトントンとたたいてみる。

「世良さん、あの、起きてください」
「……んー」

 ぴくりと肩を跳ね、世良さんは髪をかき上げるようにしながら唸った。それから固まった首をほぐすように左右に揺らして、顔を上げる。

「うわ、俺寝てた?」
「そうみたいですね」
「マジか。あー、水やりは? 終わった?」
「はい、終わりました」
「そ、お疲れ」

 ゆっくりと立ち上がって、両手を組んで伸びをして。倉庫から出る世良さんにオレも続く。

「さっきはありがとな。かくまってくれて助かった」
「いえ、オレは特になにも……」
「ああいう時、つかまると面倒くせえんだよ」
「そう、なんですね。世良さん、大変なんですね」
「…………」
「わっ」

 倉庫の扉を閉めて振り返ると、思った以上に近くに世良さんが立っていて驚いた。思わず見上げれば、どこか不思議そうにオレを見て首を傾げている。

「なあ、今のなに?」
「…………? 今のって、なんですか?」

 なにを言われているんだろう。思わず問い返して、すぐにハッと気づく。気をつけて喋っていたつもりだったけど、訛りのことを指摘されたのだろう。

「あ……オレの話し方、変ですよね。すみません、全然直らなくて」
「話し方?」
「……オレ、転校してきたばっかりで。訛ってるから」
「へえ、転校生か。なるほどな」
「はい……なので、変でごめんなさい」
「いや、なるほどって言ったのはそっちじゃないし、謝ることじゃないと思うけど」
「……え?」
「なあ、お前何年?」
「一年です、けど……」

 世良さんがなにを言っているのか分からず、今度はオレが首を傾げる番だ。でも世良さんは飄々としていて、その余裕ある少し気だるげな雰囲気に、オレはつい魅入ってしまう。

「さん付けで呼ばれることなんてねえから、不思議だっただけ。1年は先輩って言うだろ。さっき、俺のこと知らなそうな感じだったし。転校生って聞いて、納得した」
「あ……やっぱり先輩だったんですね。そうかもとは思ったんですけど、ごめんなさい」
「はあ……」

 ちいさく頭を下げたら、つむじに世良さん、もとい世良先輩のため息がぶつかってオレは体を縮こませた。不快にさせてしまっただろうか。でもそうじゃないと、すぐに先輩が教えてくれる。

「だから、謝るようなことしてねえだろ」
「え?」
「訛ってんのも、俺が何年か分かんなくてさん付けだったのも、別に悪いことじゃねえじゃん」
「…………」

 まさかの言葉に、オレは今ずいぶんと呆けた顔をしていることだろう。

 悪いことじゃない? 本当に? クラスのみんなには、くすくす笑われたのに? 訛ったままで、自分のままでいていいのかな。

「お前、名前は?」
「……へ、オレ? ですか?」
「ふ、お前しかいないだろ」
「っ、オレは、七原といいます。七原真白、です!」
「一年何組?」
「一年三組です」
「三組の七原真白、ね。ん、覚えた」

 首を縦に振りながらオレの名前を復唱して、先輩は歩き出す。けれどすぐに振り返ってくれたから、オレも慌ててその後を追いかける。

「あの、世良先輩の名前も聞いていいですか」
「俺の名前か。久しぶり聞かれたな。俺は世良悠介(ゆうすけ)。二年。……ふ、やっぱいいな」
「え?」
「新鮮でいいわ」
「…………? なにがですか?」
「お前の全部?」
「ええ……意味分からんです」
「あのさ」

 突然立ち止まった先輩が、親指と人差し指であごをつまむようにしながらオレを見る。なにかを言うのを、戸惑っているみたいだ。全ての仕草がサマになる人だなあと思う。キラキラした星が落ちてくるみたいな視線を受け止めながら、言葉の続きを待つことしかできない。

「真白、甘いもの好き?」
「へ……」

 今、聞き間違いでなければ真白と呼ばれた気がする。名字ですら滅多に呼ばれなかったからか、熱いものがじんわりとこみ上げそうになる。泣くなんてと、くちびるをぎゅっと噛みしめる。

「真白?」
「あ……えっと。甘いものは大好きです!」
「嫌いなお菓子は?」
「嫌いなお菓子? レーズンが入ってるのは苦手です」
「了解」

 よかった、世良先輩には泣きそうだってバレなかったみたいだ。ほっとしていたら、頭になにかが乗せられた。なんだ? と思ったら、それは世良先輩の大きな手だった。目が合うと、ぽんぽんと撫でられる。

「え? あの……」

 どうして? 思わずそう聞きたくなったけど。世良先輩はそっと口元だけで笑って、

「またな」

 とだけ言って去ってしまった。

「…………」

 泣きそうだってバレなかった。そのはずだけど。もしかして気づかれてたのかな。だって、またなという今のオレには特別響いてしまう言葉と、その表情。この一週間のオレを慰めてもらっている心地がしたから。
 そう思うと、堪えたはずの涙が今度こそ鼻の奥をツンとさした。