箸先から、恋がはじまる 〜隣の席のイケメンは、なぜか弁当を食わせたがる〜

 風に乗った桜が舞い、空気までピンクに染まったような四月。
 教室の扉を前に、俺の心臓はさっきからうるさいくらいに鳴っている。

 十四回。
 これは、俺がこの十六年の人生で、転校をした回数だ。
 そして今、俺は十五回目にして、人生最後の転校をまさにしようとしているところだ。
 
 幼少期から、親の転勤で幾度となく転校をしてきた。
 あまりの多さに、幼い頃は、父はやばい職業で、借金取りか何かから逃げ回っているかと本気で思っていたほどだ。もちろん今は、ちょっと転勤が多い会社の普通のサラリーマンだと知っている。
 最短で五ヶ月。最長でも一年と同じ学校にいた試しがない。もはや転校は、俺にとって特技と言っていいレベルだ。
「家族は一緒にいるべき」という母のポリシーのせいで、単身赴任という選択肢は一度も話の俎上にすら上がらなかった。けれど、そんな母も寄る年波には勝てなかったらしい。

 父の十五回目の転勤が決まったとき、母がポロリと溢した。
「もう引っ越しは疲れたわ……。パパには単身赴任してもらいましょう」

――え、今更?
 俺は思わず目を剥いた。
 もっと早くにその決断をしてくれていれば、普通の学生生活が送れたのに。

 転校ばかりの生活で、まともに友達が作れるわけもなく、気づけばいつからか俺はいつも教室で一人だった。
 仲良くなっても、いつしか別れが待っている。だったら、友達なんていらない。始まりがなければ終わりもないのだ。
 それは少しだけ物寂しいものだけど、俺は嫌というほど知っていた。
 待っていると言いながら、どんどん頻度が落ちていく手紙のやり取りも、忘れないと言いながら記憶から薄れていく思い出も。
 だから、一人でいる方が楽だった。そうやって友達を作らず、一人だけの世界で生きてきた。

 なのに。
 いきなりこの転校が最後だなんて、どうすればいいんだ。
 しかも、新学期とはいえ、高二という人間関係がすっかり出来上がってしまった中途半端なタイミングで。
 友達の作り方なんてわからないし、むしろ今まで友達を作らないように努めてきたからどうすればいいか分からない。
 それでも、ここにずっといるわけにもいかず、俺は深く息を吐き、重い扉に手をかけようとしたその時――。
 扉が勝手に開き、俺は壁というには柔らかな何かにぶつかった。いや、壁が向こうから突進してきた。
 「ぶふっ」
 「あ、悪い! 大丈夫? ごめん、全然気づかなかった」
 そう声が降ってきて初めて、柔らかな壁が人だということに気づく。
 小柄な身長のせいで、「そこにいるの気づかなかった」なんて、よく母には馬鹿にされるけど、もしかしたら、本当に自分は存在感がないのかもしれない。

 「いや、俺もこんなとこで突っ立ってて、ごめんなさい……」
 おでこを抑えながら、心の中では、ちゃんと前を見て歩いてくれよと頼む。 
 だいいち、扉を開けて勢いよく飛び出るやつがいるか。この教室から出てきたということはクラスメイトになるんだろうが、絶対に仲良くなれないタイプだ。……まぁこいつに限ってじゃなくて、きっと誰とも、仲良くなれないんだろうけど。
 そう思いながら、目を上げて相手の顔を見て、俺は思わず目を眇めた。
 近い。……近すぎる。
 いや、それ以前に。なんだこいつ。顔面偏差値が高すぎやしないか。しかも、男にしては髪長くないか? イケメンじゃなきゃ許されないヘアスタイルだ。
 絶対に仲良くなれないタイプだ。というか、隣に並ぶだけで何もかも劣ってる自分が惨めになりそう。
 瞬間的にそうジャッジする。
 俺は、相手にぺこりと軽く会釈すると、扉の隙間から、体を細くして中に入ろうとした。が、なぜか体が後ろに引っ張られた。
「待って!」
 声と同時に、腕を掴まれたのだ。思わず後ろによろけながら、咄嗟に振り返ると、先ほどのイケメンが俺の腕を握っていた。

 一体なんなんだ。もしかして、「制服が汚れちまったな、クリーニングに出せよ」とでも脅されるのだろうか。そうなればせっかくの学校生活が台無しだ。初日からいじめ確定。俺の平穏な高校生活よ、グッバイ。
 一瞬にしていろんな妄想を膨らませていると、イケメンが口を開いた。

「綿谷……」
 急に名前を呼ばれ、俺は目を丸くした。
 なんで俺の名前を知っているんだ。いや、その前に、お前だれ? こんなイケメン、知り合いにはいないはずだ。
「えっとー……」
 誰ですか? と直球で聞くのはさすがに失礼かなと思い、掴まれた腕をチラチラ見ながら、言葉を探す。
 イケメンは、ハッと気づいたように手を離すと、視線を泳がせた。

「あー……、君が綿谷……だよね? さっき、座席表見て、綿谷って初めて見る名前だなって思ってて。そしたら、君がきたから……、その、見ない顔だったから、綿谷かな?って……。あっ、俺隣の席なんだ」
 なぜか辿々しい目の前のイケメンの言葉を、整理するに、彼は座席表で見た『綿谷』という名前を見て、初めて見る名前だ転校生かなと思っていたところで、俺にぶつかって、「お前が綿谷?」と確認したということだろう。なるほど。
 理解はできるけど、いきなり話しかけてこないでほしい。心臓に悪い。しかもイケメンと話しているからか、さっきからクラスメイトの、しかも女子の視線が痛い。

「……あぁ、そうなんだ。……えっと、そうだ。座席表ってどこ?」
 外向きの声で訊ねると、イケメンは黒板を指差した。
「あ、ほんとだ。ありがとう」
 ぺこりと会釈して、それじゃ、と話を切り上げると、黒板に張り出された席次表まで足を進めた。

「本物の綿谷だ……」
 後ろでイケメンがそう呟いた気がしたが、振り返るともうそこに彼の姿はなかった。
 本物の、って言葉が気になるけど、まぁきっと、自分の空耳だろう。そう気を取り直して、席次表に目を向ける。
 俺の席は……、と探して、窓際の一番後ろで、目が止まる。
 教室の端っこに、遠慮がちに書かれた名前に、自分らしさを感じてしまう。
 ふと、隣の席の名前が目に入った。

『宮成』
 あのイケメンは、どうやら宮成というらしい。隣があんな一軍男子なんて。自分から話しかけるのはハードルが高すぎるし、完全に詰んだ。神様は俺に友達を作らせないつもりらしい。まだどんな奴なのかも知らないけれど、もうすでに席替えがしたい。
 小さくため息を漏らしながら、窓際を歩き、一番後ろの席に腰掛ける。
 カバンの中から筆箱を取り出した時、視界に揺れるスカートが入って、甲高い声が上から降ってきた。

「わたやくん……で名前あってる?」
 見上げると女子が三人、俺の席の前に立っていた。
 返事をするより前に、彼女たちの口が開く。
「さっき宮成くんと話してなかった?」
「知り合いだったりするの?」
「同じ中学校出身とか?」
 矢継ぎ早とはこういうことなのだろう。
 俺は、「あ、いや」「えっと」と漏らすだけで、話をする間をもらえない。
 大縄跳びに入るタイミングが分からない感じと似てる。
 というか、なんだ。宮成は人気者なのか。まぁ、あれだけのイケメン、女子がほっておくわけないか。

「もう、そんな質問したら、わたやくん? が困ってるじゃんー!」
 俺が固まっているのに気づいたのか、一番派手な見た目の女子が手を叩いて笑う。その言葉に、周りの女子も「ごめんごめん」と対して悪くは思ってない口ぶりで謝ってくる。
「で、わたやくん? は……、宮成くんと知り合い?」
 改めて訊ねられた問いに、俺は首を横に振った。結構強めに。

「いや、座席表ここだよって教えてもらっただけ……です」
 思わず敬語になったのは、もうここ数年、女子となんて話したことがなかったから。距離感がよく分からず、とりあえず敬語を取ってつけてみたが、なんか芋っぽい返事になってしまったような気がする。

 俺の答えに、女子たちの表情が一瞬にして冷めていった。心なしか、浮ついていた彼女たちの足元がしっかりと地に着いたように感じる。
「あ、そうなんだ。変なこと聞いてごめんね」
 派手女子がそう言うと、彼女たちはそそくさと俺の席からはけていった。
 「ほらー、だから言ったじゃん。宮成くんとあんなのが友達なわけないじゃん」
 「属性が違いすぎるか」
 キャハハハと笑う女子の声は、コソコソ話のつもりなんだろうが、全部聞こえている。
 そんなこと自分でもわかってるから、特に傷つきはしないけど。
 まだ席について数分しかたっていないが、もう今の時点で、この学校でやっていける気が、まるでしなかった。