人形令嬢と半妖のあやかし祓い屋

夕日に照らされ、森は神秘的な輝きを放っていた。その輝きを眺めながら、優子は先を行く青紫に付いて石階段を下りる。
あの妖怪と遭遇した田舎は、青紫の屋敷から程近いところにあるらしく、青紫の案内の元、二人でスカーフを探し歩いた。
霧が晴れ見晴らしが良くなって気づいたが、青紫の言う通り、石階段の上にあったのは、確かに神社だった。参拝者の姿もなく、人の手が行き届いていない場所に思えるが、手水舎は綺麗に整っている。もしかして、この男が綺麗にしているのだろうか。
青紫はゆくっりとした足取りで石階段を降りている。ペースを合わせてくれているのかもしれない。
さっきはよく見ていなかったが、青紫はとても背が高い。それに細身でスラリとしていて、スタイルも良い。自分を抱き抱えたままこの森を歩いたとは、細いが中身はしっかり詰まっているようだ。
「さっきから、視線が痛いのですが」
振り向きもせずそう言われ、優子はドキッとする。
この男は、背中に目でもついているのか。
青紫が足を止める。優子もそれに倣って足を止めた。
幅の厚い石階段の数段上に優子がいるが、青紫の方が背が高い。
優子へ振り向く青紫。
優子が青紫を見上げると、目が合う。
「何か言いたいことでも?」
屈託ない笑みを浮かべ、青紫は言う。優子は淡々とした態度を示すように、今一度、背筋を伸ばす。
「いえ、何も」
そう言い、優子は石階段を下り、青紫の横を通り過ぎる。
「フッ……」
青紫は小さく鼻で笑うと、優子の後ろを楽しそうに歩く。
(変な人……)
鳥居をくぐり終えたところで、カラスの鳴き声が聞こえた。振り向き見上げると、鳥居に一羽の黒カラスがとまっていた。
あれは……オッドアイ?
黒カラスの片目は赤く、宝石のように光っていた。
黒カラスは鳴きもせず、じっと優子を見ている。
監視でもされているかのような視線だが、カラスがそんなことをするはずがないと、優子は黒カラスから視線を逸らした。
スカーフ探しは困難を極めた。手当たり次第、思い当たる節を探すがどこにも見当たらない。
こんなに探してないなんて、もう諦めるしかしないのだろうか。
優子は首を横に振る。
いや、きっとどこかにあるはずだ。諦めないで探し続けよう。
優子は腕捲りをして、生い茂った草むらの中に入る。虫がいようとも小さな悲鳴を上げるだけで、探すのを止めることはしない。
ぐんぐんと茂みの中を突き進む優子。そんな優子の姿に、青紫も茂みの中に入り、一緒にスカーフを探す。
スカーフ探しに夢中になっているうちに日は落ち、あたりはすっかり暗くなった。街灯もない田舎は、月でも出ない限り明かりはない。
さすがにこれ以上は探せないか。
優子が肩を落としたその時。
カチッと音がしたと思うと、足元がライトで照らされる。見上げると、隣に立っていた青紫の手に、懐中電灯があった。
「これでまだ探せますね」
そう言い、にっこり笑う青紫。
懐中電灯なんて、たまたま持っているはずがない。まるで、始めからこうなっても、探すつもりだったかのようだ。
「どうして……どうしてそこまでしてくれるんですか」
青紫の言動に混乱する優子。
「今日、会ったばかりの私などのために」
青紫の顔には跳ねた泥、髪には草がついていて、着物も汚れている。
この男にとって、これはなんの利益もないこと。スカーフがあろうとなかろうと、どうでもいいことのはず。
それなのに、どうして。
「……さぁ、どうしてでしょうか」
青紫は真っ暗な空を見上げ、疑問気にそう言う。
自分でも、なぜこんなことをしているのか、分かっていないようだった。
「でも、そうですね……。一生懸命なあなたに、何かしてあげたいと思ったのですよ」
掴みどころのない青紫に、優子は翻弄されるばかりだ。
懐中電灯の灯りを頼りに並んで歩き、右左に視線を巡らせる。
辺りは静まり、自分たちの足音だけ。まるで、この世界には、自分とこの男しかいないようだ。出会ったばかりの男と暗闇に二人きり。あの妖怪も、またいつ襲ってくるか分からない。だが、不思議と怖くなかった。
優子は隣を歩く青紫を見上げる。低くもなく、高くもない気高い声に、物腰が柔らかで、口調も穏やか。不気味なところはあるが、この男には、安心感がある。
「あの、聞いてもいいですか」
「なんでしょうか」
「妖怪が見えると言っていましたけど、いつから」
「そうですね、生まれた時からでしょうか」
「それって、区別できていたのですか? 人か、妖怪か」
「ええ」
さも当然かのように答える青紫。
祓い屋の家系に生まれたこの男にとって、妖怪が見えることは当たり前。それを否定るする者も、周りにいなかったのだろう。
(……私とは大違い)
「私は、妖怪と人間の区別がつきません。あの妖怪もそうでした。道でうずくまっていたところを助けようとしたら首を絞められて、顔が変形するまで、妖怪だと分かりませんでした」
「……フッ」
「馬鹿にしてます?」
鼻で笑う青紫に、優子は眉間に皺を寄せ、少しムッとする。
青紫は目を伏せると、首を横に振る。
「いいえ、していませんよ。あなたらしいなと、思っただけです」
意外にも優しい返しに、優子は拍子抜けしそうになる。
(……よく分からない人)
「あなたを襲ったあの妖怪は、人に化けることができる妖怪で、そういった妖怪は妖力が強く、タチの悪いものもいます」
「どうすれば、人と妖怪を区別できますか」
優子のその質問に、青紫は「うーん」と言うように、首を捻らせる。
「人と妖怪を見極める方法は、これと言ってありません。ですが、違いはあるものです」
「違い……? どんな違いですか?」
「これは感覚的なものなので、言葉で説明するのは珍しいですが、力を磨けば、自然と分かるようになります。力を磨くことは、自分を守ることにも繋がりますしね。見たところ、あなたは妖力がとても強い。使い方次第では、妖怪を従えることもできる」
妖怪を従える……。それは、恐ろしいことのように思えた。
「……よく、分からないですけど、それはしてはいけないことだと思います」
たとえ妖怪であったとしても、何かで縛ることは、自由と尊厳を損なわせること。
優子の頭には、前園家の道具として生きている自分の姿が思い浮かぶ。
そう、縛ることなど、あってはならないのだ。
「そうですか? 使えるものは使った方がいいと思いますけどね」
「そんな物みたいに」
「あなたが珍しいんですよ。それだけ大きな力を持ちながら、欲望というものがまるでない。人間は己の強さをひけらかしたくなる生き物です。……不思議な人もいるものですね」
青紫は考え深そうにそう言った。
夜は深まっていく。肌寒さを感じ着物の上から腕を摩ってると、青紫が優子の肩の上に、そっと自分の羽織をかけた。
「えっ……いいですよ、あなたが風邪を引いてしまいます」
言いながら、優子は羽織を返そうとするが、青紫は受け取らない。
「私は寒さには強いので。それに、こういう時は甘えるものですよ」
そういうものなのだろうか。優子にはよく分からない。何せ、今まで恋愛という恋愛をしてきたことがないのだから。
優子は青紫の言う通り、大人しく羽織を肩にかけることにした。
(……温かい)
両手で羽織を顔の横まで引き寄せ、顔をうずめる。
人の温もりが、こんなにも温かいものだとは、知らなかった。
ゆったりとした足取りで進み続けていると、川のせせらぎが聞こえてきた。心地良い音に耳を傾けていると、眩い黄色い光が二人を出迎えた。
「わぁ……」
思わず感嘆の吐息が漏れる優子。そこには、何百匹もの蛍がいた。
「ほぉ……これは見事ですね」
隣でその光景を見た青紫も、思わずと言った様子でそう言う。
「私、蛍は初めて見ました。こんなにも美しいものなのですね……」
蛍に心奪われた優子を、青紫は何も言わずに見つめる。その瞳の奥には、小さな光が灯っているようだ。
「蛍の生涯は一年と言われていますが、そのほとんどは水の中で過ごすそうです。産卵した後は、二、三日でその短い生涯を終えるとか」
「そう考えると、私たち人間の寿命が、とても長く思えますね」
「蛍と比べてしまえば、そうですね。でも、人間の寿命なんてものは、瞬き程度のものですよ」
「ふふっ……まるで自分が人間ではないような言い方ですね」
優子は冗談めかしてそう言ったことだったが、青紫は不敵に笑うだけで、何を言うでもない。
蛍は子孫を残すためのパートーナーを探しているのか、翼を羽ばたかせ、宙を舞う。
「……私にも、翼があったらな……」
思わず漏れた優子の小さな呟きに、青紫は蛍から視線を外し、優子に目を向ける。
「あ、いえ……。翼があれば、自由にどこまでも行けそうだなと思って」
例えば、雲の上を浮遊できるくらい大きな翼があったとして、そうすれば、あの家を出て、誰にも見つからない場所に行けるのではないだろうか。自由を、手に入れられるのではないか。
「私、いつも家に閉じこもってばかりなんです。たまに外出したかと思えば、身なりを整えるためで」
白い肌を保つために、外出は控えなさい。外で遊ぶのではなく、家の中でお裁縫や生花をしなさい。気品ある優美な女性になるために、仕草や立ち振る舞いを厳しく叩き込まれ、感情を表に出すことすらも禁じられた。
「こんな風に着物を汚したり、顔に煤をつけるのは初めてで……なんだか、心が解き放たれたような気がしています」
無鉄砲でも、何か頑張れている自分は、綺麗でいる自分よりも好きな気がした。
「本当の美しさって、外見の美ではなく、こうして、懸命に生きている姿なのではないでしょうか」
儚くも、短い生涯を生きる蛍は、切なくも美しい。人間の美しさも、そうであってほしい。優子は切にそう願った。
「そうですね」
青紫は優しく微笑みながら、片手で優子の頬をスッと撫でた。頬についた煤を拭き取ってくれた。
「私も、煤をつけて胸を張るあなたの方が、好きですね」
胡散臭くもない自然な笑み。そんな青紫に、優子は惹きつけられた。
「ん? あれは……」
ふと視線を上に動かす青紫。懐中電灯で照らされた先を優子が追うと、高い木の上にスカーフがあった。
「あっ! あれです……!」
スカーフは木の葉に巻き付くようにしてある。
あんな高い位置にあったとは、これではいくら探しても見つからないはずだ。
「あんな場所にあるとは……あれは妖怪の仕業かもしれませんね」
「でも、あんな高いところ、どうやって取れば……きゃあ__!!」
突然、体が宙に浮いたかと思うと、優子の体は青紫の肩の上に。
「な、何を……!?」
恐怖で叫ぶ優子に、青紫はニコニコとした楽しそうな笑みを浮かべている。
「私が抱き抱えれば、手が届くのではないかと思いまして」
「そんな無理ですよ! 落ちてしまうかもと思ったら怖いですし……」
「私がちゃんと支えます。信じてください」
青紫は優子の腰を支える両手に力を込める。
絶対に落とさない。そう言われているような気がした。
青紫を信じ、優子は懸命にスカーフに手を伸ばす。
(っ……あともう少し……)
指先でスカーフを掴むと、グッと引き寄せ、スカーフを手に取る。
「取れた……! 取れましたよ!」
嬉しさのあまり、優子は青紫にスカーフを見せようと前のめりになる。その反動で、青紫はバランスを崩す。優子が青紫に覆い被さるようにして、二人は地面に倒れ込んだ。
「っ……すいません、大丈夫ですか?」
言いながら、上体を起こした優子は青紫を見て、目を見張る。懐中電灯で照らされた青紫のその左目は、血のような赤かった。
「その目……」
驚きを隠せない優子に、青紫はサッと前髪で左目を隠す。
「……驚かせてすみません。見て気持ちの良いものではないと分かっているのですが、これは生まれつきなので、どうにもできないんですよ。立てますか?」
優子に片手を差し出す青紫だったが、一瞬、ハッとした顔をして、手を引っ込める。変わった見た目をしている自分の手などに、触れたくないだろうと思ったかもしれない。
(そんなこと、ないんだから)
優子は迷わずその手を掴む。青紫は驚いたように目を見開いたが、すぐに何事もなかったかのように優子の手を引き、一緒に立ち上がった。
「戻りましょうか」
青紫は落ちた懐中電灯を拾うと、来た道を戻る。
「……」
先をゆく青紫に、優子はどこか一線を引かれたように感じ、虚しくなる。
優子は青紫の後ろを歩き、そのスラリとした背中を見つめる。
赤い瞳をした人間を初めて見た。あれは、あのカラスのようにオッドアイ……というものなのだろうか。だが、あの血のように赤い瞳は、他とは逸脱しているように思える……。
急に足を止める青紫、不思議に思いながら、優子も足を止める。
「……早かったな」
青紫が独り言のようにそう呟くと、辺りが騒がしくなる。前方から、ランプの灯りが見え、灯はどんどん優子たちに近づいてくる。
「あれは……警察?」
目を凝らした優子。見えたのは警察だった。その後ろには、前園家の執事長と何名かのメイド、そして、用心棒たちも一緒だ。
「あっ……」
すっかり忘れていたが、ここに来たのはもう何時間も前のこと。自分がいなくなったと、家では大騒ぎになっていたのだ。
「優子様……!」
優子に気づいた執事長が、血相変えた様子で駆け寄って来る。
「ご無事で何よりです」
安堵したのも束の間、執事長は優子の額の包帯、着物の汚れや乱れた髪を見ると青ざめた顔をする。
「一体、何が……」
そう言うと、執事長は優子の隣に立っていた青紫に気づき、優子と青紫の間に割って入る。
「お前、優子様に何をした」
警戒した執事長は鋭い目で青紫を睨む。どうやら、執事長は優子が青紫に乱暴をされたと思っているようだった。
「これは心外ですね」
執事長に疑惑の目を向けらても、青紫は飄々としている。その様子に、執事長の後ろに控えていた、お屋敷お抱えの用心棒たちが青紫を囲む。
誤解を解かなければ。
優子は青紫を自分の後ろに隠すようにして、執事長の前に立ちはだかる。
執事長は驚いた様子で優子に目を向ける。
「違います。この方は私を守ってくれたのです」
「では、なぜそのようなお姿に……そのお怪我はどうされたのですか?」
「この怪我は……転んでしまって、この方が手当てをしてくださいました。着物が汚れているのは、スカーフをなくして探していたからです。それもこの方が手伝ってくださいました」
優子は手に握られていたスカーフを胸の前に出し、執事長に見せる。しかし、執事長は青紫に疑惑の目を向け続ける。
(どうしよう、信じてもらえてない)
「そのような薄着では風邪を引かれます。早くお車の中へ」
執事長の目配せで、メイドは優子を車に連れて行く。
「いや、私は……」
優子が青紫の方へ振り向くと、青紫は警察に囲まれていた。このままでは青紫が誘拐犯にでもされてしまう。やはり自分も一緒に事情を説明した方がいい。
それに……なぜだかは分からないが、この男と、離れたくなかった__。
青紫の元に戻ろうとする優子。だが、その足は止まってしまう。
妖怪に追いかけ回されたなんて、誰が信じてくれるだろうか。自分がそんなことを言えば、青紫がもっと疑われてしまう。
(私は無力だ)
悔しさと悲しみが込み上げてくる中、優子は大人しく車に乗り込むしかなかった。
優子を乗せると、車はすぐに発車してしまう。
窓から外を見ると、青紫がこちらを見ていた。
その表情は、やはり何を考えているのか分からなかった。