人形令嬢と半妖のあやかし祓い屋

カラスの鳴き声で、優子は目を覚ました。
何度か瞬きをすると、視界が鮮明になる。見慣れない天井が見えたことで、ボケッとしていた脳が冴えはじめる。
(ここは……)
襖からオレンジ色の光が差し込んでいる。外はすでに日が暮れはじめていた。
どうやら、しばらくの間、眠ってしまっていたようだ。
額に違和感を感じ触れると、包帯が巻かれていることに気づいた。
あの時、額を切った。その手当を誰かがしてくれたようだった。
(一体、誰が……)
「目が覚めましたか?」
いきなり人の声が聞こえ、優子は驚きビクッと肩をすくめる。
布団から上体を起こし、部屋の隅に目を向けると、黒髪の男が正座して、こちらを見ていた。
(……この男、気配が全くしなかった)
男は口元にうっすらと笑みを浮かべ、優子を見ている。
その不気味な姿に、優子は眉をひそめた。
「……あなたは?」
「名は、黒羽青紫と言います。神社で倒れたあなたを私の屋敷まで連れてきました」
(黒羽……? どこかで聞いたことあるような)
聞き覚えのあるようなその名前に、優子は思考を巡らせるが、そこであることが気にかかった。
「……えっ、神社?」
「おや、覚えていませんか?」
疲れ果て、気を失った。それは覚えているが、あの場所が神社だったとは気づかなかった。
何せ、視界不良になるほどに霧が濃かったし、意識も朦朧していていて、周りを見る余裕などなかった。
「あそこは、神社なのですか?」
優子の問いかけに、青紫は目を伏せる。
「ええ、五百年ほど前からあの場所に」
(そんなに前から……)
あの田舎には、幼い頃から足を運んでいたが、神社があることは知らなかった。
変なものだ。今まで気づかなかったとは。
「黒羽さん……でしたっけ? ここはあなたのお屋敷だとお聞きしましたが、どこなのですか? あなたは、何者……なんですか……」
人の賑わいが全く感じられない。おそらく帝都ではないはず。それに、この屋敷内からは人の気配がしない。ここには、自分とこの男しかいないような気がした。
「質問が多いですね。ま、それもそうですよね」
警戒する優子に、青紫はどこか楽しそうに笑いそう言うと、優子を見据えた。
長い前髪で左目は隠れているが、闇を映すかのような右目に見つめられ、優子は静かに息を呑んだ。
不思議な感覚だ。怖いとか、不気味だとか以前に、とにかくこの男の存在自体そのものがあやふやで、どこか他の時空にいるかのように、優子の心身はふわふわと浮いているようだった。
「私は祓い屋を生業としている者で、ここはあなたがいた田舎より、森の奥にあります」
「祓い屋……」
【祓い屋】人ならざるものを祓う。つまりは、消し去る者のことを意味する。
そこで、優子はハッとする。
(……思い出した。黒羽って、あの黒羽一門のことだ)
妖怪についてはそんな詳しくないが、前に屋敷の蔵にある書物で読んだことがある。黒羽一門は祓い屋の最大勢力で、古の世からあやかし祓いをしている由緒ある祓い屋の家系の一つとして、この地に潜む妖怪から、人間たちを守ってきたと。
「あなたは、黒羽一門の方なのですか」
優子がそう聞くと、青紫は僅かに目を見開く。
「我が一門をご存知でしたか。そうです、私は黒羽一門の祓い屋です。……と言っても、今は家を出て独立した身ですので、一門とはあまり関係はありません」
祓い屋などただの言い伝えで、書物の中だけの話だと思っていた。まさか、本当に存在していたとは……。
信じがたい。だが、自分にはそれが見えるのだ。妖怪__が。
祓い屋ということは、この男も……。
優子はごくりと唾を呑んだ。
「……あなたは、見えるのですか。その……妖怪が」
恐る恐ると言った様子で、聞きにくそうに問う優子に、青紫は少しだけ間を開けると、屈託ない笑みを浮かべ答える。
「ええ、見えますよ」
心底驚く優子に、青紫は腰を上げると、優子の隣に腰を下ろした。
ぐいっと顔を近づけられたかと思うと、闇を映すかのような右目に、瞳の奥を覗き込まれる。
「あなたにも、見えているのでしょう?」
その言葉に、優子の体はゾクリと身の毛がよだつ。
「な、何がですか……」
何とか絞り出した声は、震えていた。
屈託ない笑みを浮かべたまま、じっと優子を見据える青紫。逸らしたいのに、視線を逸らせない。
「妖怪ですよ」
闇を映すかのようなこの瞳には、まるで全て見透かされているようで、嘘をつくことはできなかった。
「……なぜ、それを」
「なぜって、あなたはこれだけの傷を負いながら、何が起きていたのか追求してこない」
「それは……」
口ごもる優子に、青紫は続ける。
「それに……あなたは何やら、不思議な気配をしている」
そう言うと、青紫は優子に近づけていた顔を離す。
「おそらく、妖力がかなり強いのでしょう」
「妖力……? それって、妖怪が持つものではないのですか」
「私やあなたのように、見える者は、少なからず妖力を持っているものですよ。……まあ、私の場合は少し違いますけど」
そう言った青紫の顔に影が差す。
どういう意味かと首を傾げる優子に、青紫はなんでもないというように、また屈託のない笑みを浮かべる。
「自分以外にも見える人がいたなんて」
「驚きましたか?」
「はい……かなり」
正直な優子に、青紫は「フッ」と笑みを漏らすと、棚の中から薬箱を取り出す。
「沁みますが我慢してください」
青紫は布に消毒液を垂らすと、ぎこちなく優子の額に触れ、傷口を消毒する。
指先から伝わる青紫の体温は低く、そのひんやりとした感覚が、気持ちよかった。
人にしては、体温が低すぎる気もするが。
優子が青紫に目を向けると、青紫は集中した顔つきで手当をしていた。
不気味な笑みを浮かべていたかと思えば、屈託ない笑みを浮かべ、今は、真面目な顔をする。人間らしいその姿に、優子の緊張は和らいでいった。
「何も、妖怪が見えるというのは、不思議なことではありません。この世には解明できない謎が多くある。そうは思いませんか?」
「でも、多くの人には見えないではありませんか。私は……他とは違う」
見えることで、常に他者から否定され、この世界に自分の居場所がない。そう思って生きてきた。それはとても辛いことで、だから、自分も他の人と同じように普通になれれば、仲間はずれにされることも、邪険にされることもないと、同じになろうと努力した。
(でも、それも全て、ただ悲しくなるだけだった……)
気づくと、青紫の手がぴたりと止まっている。笑みを消し、俯きかげんでどこか一点を見つめる青紫。
その表情は、何を考えているのか分からない。
「なぜ人と違うことがいけないのですか?」
「え……」
怒っている様子の青紫に、優子は戸惑う。
「私からしたら、同じであることの方が気味が悪い。こう思ったことはありませんか。見えない方がおかしいと」
真剣な眼差しを向けてくる青紫を、優子は何も言わずに視線を向ける。
青紫の瞳の奥に宿る稲妻のようなもの。怒り、憎悪……だが一番強く感じたのは……酷い悲しみ__。
この酷い悲しみはどこからやってきているのか。
優子が戸惑い続けていると、青紫は一転して柔らかな笑みを浮かべる。
優子の頭に、優しく片手が置かれる。
「あなたは変などではありません。あなたは優しく、思いやりのある人です。自分を卑下するのはやめなさい」
この男の体温は低く、実態が不確で不気味だ。
それなのに……。
この手はとても優しく、その言葉はとても温かかった。
人に肯定されると、こんなにも気持ちが楽になるものだと、優子は初めて知った。
「傷はそこまで深くありません。跡も残らないでしょう」
薬を塗ると、新しい包帯を巻いてくれる青紫。
細長い綺麗な指が、包帯が巻かれた優子の額を軽く撫でる。
「これで大丈夫でしょう」
「……ありがとうございます」
「いえ」
青紫は他の人たちのように、棘のある視線を送ってきたり、舐めまわしく見てもこない。この髪色を見ても、何も言わない。それは優子にとって、とても心地良いことで、初めて感じた安らぎだった。
(髪……)
そこでハッとする。急に忙しくなく辺りを見回し出す優子に、青紫は首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「スカーフが……」
焦る優子。
「スカーフ?」
「髪を覆っていたスカーフがないんです」
「スカーフなんて、ありませんでしたが……」
車を降りた時、確かにあった。あの妖怪ともみ合っているうちに、どこかに落としてしまったのかもしれない。
あのスカーフは母の形見、あれがないとダメなのだ。
(探さないと)
優子は立ち上がると、青紫に向かって、できる限り丁寧に腰を折り曲げお辞儀をする。
「助けていただきありがとうございます。私はこれで失礼します」
そう言い、部屋を出ようする優子の腕を青紫が掴む。
「私も一緒に行きます」