「申し訳ありません、旦那様と奥様は外出中でして」
玄関先、多江は申し訳なさそうに、紅葉と薊に頭を下げた。
紅葉は隣立ってる薊と顔を見合わせた。
一緒にお茶でもしよう。そんな軽い気持ちで、二人の屋敷を訪れたが、まさかの青紫だけではなく、優子も留守にしていた。
来る途中、偶然会った薊も一緒に連れてきたが、二人のいどころに関して、薊も何も知らないようだった。
多江によると、二人は昨日から黒羽家の本家を訪れているらしいく、今日の夕方頃には帰ると優子から連絡があったが、まだ帰って来ていないという。
突如、稲妻が落ちたかのような邪悪な妖気を察知する。薊も同じ妖気を察知したのか、二人同時に、扉を開けた薊と紅葉は、空に見えた光景に目を疑った。
「おい……」
「ええ……とても嫌な感じだわ」
灰色の空、遠くから得体の知れない何かが、こちらに迫っている。
何かが起こっている。紅葉はそう思った。
薊と一旦、別れ、屋敷に戻った紅葉は、自室で支度を整えると足早に玄関へと向かっていた。
屋敷の中は邪悪な妖気のことで、一門が騒がしくしている。
「どこへ行く」
紅葉の父が進路を塞ぐように、紅葉の目の前に立つ。
紅葉は足を止めた。
「まさか、この邪悪な妖気を追おうとしているのではないだろうな。危険だ、やめろ」
「友人が自宅に戻っていないようなので、探しに行ってきます」
そう言うと、紅葉は父の横を通り過ぎる。
「友人とは、黒羽ではないだろうな」
足を止め、振り向く紅葉。
「ええ、そうです」
「あの見合いで、奴に何を言われたのか知らないが、お前は奴の肩を持ちすぎだ」
父の言う通り、自分は青紫を贔屓している。それは紅葉自身、自覚がある。
「私はただ、友人が心配なだけです」
自分自身を偽って生きてしまいそうになっていた自分を、青紫が背中を押してくれた。おかげで、紅葉は自分が正しいと思える道を選ぶ事ができた。
青紫に、ただ、恩返しのような事がしたいだけなのかも知れない。それに、いじっぱりで、頑固で可愛らしい、あの何かしたくなってしまう愛らしさのある青紫の妻が困っているのなら、助けてあげたいと思ったのだ。
「それに、黒羽が困っていれば、助けるのが同じ祓い屋の務めでは?」
「黒羽のことなど知ったことではない。黒羽が滅びれば、我ら漆原家が祓い屋のトップとなるのだ」
「お父様は、ご自分が何をおしゃっているのか、分かっていられるのですか?」
父が権力と実力主義者であることは昔から変わらない。高貴な身分、純血。強いものは良い。弱いものは悪い。そんな父の考えは、昔から好かなかった。それでも、紅葉がこの漆原一門に居続けるのは、風早のためでもある。だが、理由はそれだけではない。幼い頃から本当の家族のように自分を大切に想い、傍で支えてくれた一門のみんなの元を離れがたかったからだ。
「無論、人々は助ける。お前も一門の者として、力を貸せ」
「人々のことは私も守ります。それが古くからこの地を治る私たちの勤め。ですが、私は私のやり方で守ります」
そう言うと、紅葉は歩き出す。
「紅葉……!!」
父は怒り叫ぶ。
「これ以上、勝手な真似をすれば、風早がどうなってもしらんぞ」
振り向いた紅葉は、怒りをあらわにする。
「そうやって私を脅せば、言いなりになるとでも思っているのですか? 私はもう子供じゃないの。自分のことは自分で決めるわ!」
「待て!」
紅葉を追いかける父親。肩を乱暴に掴むが、そこで唐突に強い風が吹く。
「風早……!」
風と共に現れた風早は、紅葉の肩に置かれた父の手を掴むと、鋭い瞳で睨みつける。
「貴様、頭首に向かってこんなことをしていいと思っているのか」
「我が主人はお前じゃない。言うことを聞く義理もなければ、俺の女に手を出すことも許さん」
風早は紅葉の目掛けて翼を羽ばたかせ風を吹かせると、紅葉を横抱きにして、雨が降る空に飛び立つ。
紅葉の父親は悔しそうに顔を顰めると、空を見上げた。
雨が降る中、風早は紅葉を抱え、空を飛び続けた。
頭首が追ってきては面倒だ。できるだけ遠くに行かなくては。
抱き抱えられた紅葉は険しい顔をしていた。
「そんな顔をしていると、シワが増えるぞ」
風早の言葉に、紅葉はムッとする。
「失礼ね、まだシワなんてないわよ」
「そうか。それは悪かった」
申し訳なさという感情がまったく込められていない風早の謝罪に、紅葉は呆れたような顔をすると、その眉間には、また皺が寄せられる。
初めて会った時も、ああやって、頭首と言い合いをしたのだろう。
険しい顔の紅葉を見て、風早は紅葉と出会った時のことを思い出していた。
紅葉と風早が出会ったのは、まだ紅葉が七つと幼い頃だった。風早が木の上でごろ寝をしていると、めそめそとした泣き声が聞こえていた。
下を見ると、そこには人間の子供がいた。
(なんだ、人間か……)
「うっ……っ…ううっ」
膝を抱え、めそめそと泣き続ける人間に子供に、昼寝を邪魔されて嫌気は差したが、ほっとけばそのうちにすぐにいなくなるだろうと思っていた。
だが、いつになってもその子供は泣き止まず、あまりにも泣いているものだから、つい、声をかけてしまった。
「おい、そこの人間」
風早は木の上に立つと、下にいる子供に向かってそう言う。
「うるさくて、昼寝に集中できん。泣くならどこか他の所に行って泣け」
(あっ……何をしているんだ俺は。人の子などに、俺の声が聞こえるはずもないのに)
風早の声に、その子供はゆっくりと顔を上げる。
緩やかな風が吹き、木の葉が二人の間を舞う。
子供は泣いていたのが嘘のようにぴたりと泣き止むと、じっと風早を見つめた。
(この子供……妖怪である俺が見えている。……というか、なぜ、そんなにじっと俺を見る)
「ううっ……」
と思えば、顔をぐしゃりとさせ、また泣き始める。風早が怒ったせいでなのか、先ほどよりももっと大きな声で泣きはじめてしまった。
「え……」
そんな子供に慌てた風早は、木から飛び降りた。
「おい泣くなって」
隣に立った風早に、子供は抱きつき、声を上げて泣く続ける。
(なんでそんなに泣くんだよ……)
めんどくさい。そう思っても、自分の膝に縋り付くこの人間の子供を、突き放すことができなかった。
「……」
かがみ込んだ風早は、子供の背中に腕を回すと、ぎこちなくも、その小さな背中を撫でた。
人間とはおかしなものだ。
「もう泣くのはやめろ、お前は男なんだろ? 人間の男は泣かないんだろ?」
風早がそう言うと、めそめそと泣いていた子供が鼻を啜りながら、顔を上げる。
「紅葉、女の子だもん」
「髪が短いから、男かと思った」
「これは、お父さんがしろって言うから……長いと邪魔だし、か弱く見えるって」
「紅葉が男の子だったら、お父さんは、喜んでくれたのに……」
男とか女とか、そんなものはさほど大事なことではないだろうに。人間はなぜそんなことを気にするのか。
「お前が男でも女でも、髪が短くても長くても、俺は良いと思うけどな」
それから、嫌なことがあって泣きたくなると、紅葉は決まって風早の元へ来た。
人の子の成長は早いもので、何度か季節が巡ると、紅葉は少女へと成長し、あっという間に、大人になった。
そうして、いつしか風早と紅葉は、互いを大切に想うようになった。
「私の家、祓い屋を生業としているの」
木の上、隣に座る風早の肩に頭を寄りかからせていた紅葉はそう言った。
「ああ」
肩から頭を上げ、風早を見る紅葉。
「……もしかして、知ってたの? なんで聞かないのよ」
「別に、お前が祓い屋でも、俺にとっては重要なことでない」
「漆原一門」
「漆原……ああー、あの異能好きで有名な一門か。使役される妖怪の気が知れないな。俺は、自由を奪われるのはごめんだ」
「そうよね……」
紅葉は落ち込んだように黙る。
「でも」
風早は紅葉の腕を取り、自分に引き寄せる。
至近距離で見つめ合う二人。
「お前に使役されるなら、悪くないな」
そう言って、風早は不敵に笑った。
誰にも束縛されず、森で自由気ままに生きていた風早が、宿敵である祓い屋の式神になったのは、紅葉のため。紅葉と、ずっと一緒にいたかったから。
妖怪である自分が、人間と共に生きることを選んだ。その時から覚悟はできているつもりだ。だが、いざ何かを選択しなければいけないとなると、その覚悟が揺らいでしまう。
愛しているから、こそ……。
人間の肉体は弱く脆い。別れは、妖怪が思うより早く訪れる。
(こいつが居なくなることなんて、考えたくもないが……)
しばらく飛び続けると、風早は東屋の椅子に紅葉を下ろした。
「……ありがとう、風早」
紅葉は、静かに微笑み言う。
「濡れさせて悪かった」
そう言うと、紅葉の前にしゃがみ込んだ風早は、着物の袖で紅葉の頬を伝う雨を拭い取る。
「フフッ……あなたもね」
紅葉も自分の着物の袖で、風早の頬を伝う雨を拭い取ってあげた。
(俺はこうして、お前とのたわいもない時間が好きだ)
「黒羽の元へ行く気か」
「あなたも感じるでしょう、この邪悪な妖気。青紫さんたちが屋敷に戻らないことが偶然と思えない。きっと巻き込まれているんだわ」
紅葉の膝の上に置かれていた風早の両手が、
(分かっている。こいつは、紅葉はこういう奴だ。人一倍正義感が強い、だが無鉄砲な奴だ)
「九条さんが先に向かってる。私たちも早く行きましょう」
そう言うと、紅葉は腰を上げ、風邪も立ち上がる。
「それは危険だ。それに、黒羽の奴らを助ける義理なんてない」
「青紫さんたちのためだけじゃないわ。これは一門のみんなも危険に晒すのよ」
(そう言うと思った)
家族を大切にする紅葉の一面も、風早は理解している。
東屋を出ようとする紅葉。
「行くな紅葉」
風早が止めるも、紅葉は足を止めない。
「っ……」
風早は歯を食いしばると、紅葉の背中を追いかけた。
紅葉が東屋を出ると、後ろから力強い腕に抱き寄せられる。
「風早……?」
肩とお腹に回された両手。
「行くなっ……!!」
風早は無意識に抱擁を強めた。
初めて見た風早の必死な姿に、紅葉は驚いた。
「家を出て、俺と二人で生きよう」
「私に、一門を捨てろと言うの?」
顔だけ振り向かせる紅葉。その瞳には、小さな怒りが宿っている。
「一門は私の家族よ。家族を捨てることなんてできないわ」
風早は思った。もうこの際だから、自分の本心を言ってしまおう。
「っどうでもいい……!!」
強さを増す雨の音をかき消してしまうほどの腹の底から出た叫び声に、紅葉は更に驚いた。
「黒羽と漆原がどうなろうと、お前が頭首にならなかろうと、俺はお前がいればそれでいい。……お前を失うことなど、耐えられない……」
(お前と出会ってから、俺はよく胸が苦しくなるんだ)
「頼むから、行かないと言ってくれ……」
「風早……」
このまま、崩れ落ちてしまうかと思うほどの弱々しい風早の声に、紅葉はそれ以上、足を前に踏み出すことが出来なかった。
冷たい雨が、二人の頬を伝い続ける。
玄関先、多江は申し訳なさそうに、紅葉と薊に頭を下げた。
紅葉は隣立ってる薊と顔を見合わせた。
一緒にお茶でもしよう。そんな軽い気持ちで、二人の屋敷を訪れたが、まさかの青紫だけではなく、優子も留守にしていた。
来る途中、偶然会った薊も一緒に連れてきたが、二人のいどころに関して、薊も何も知らないようだった。
多江によると、二人は昨日から黒羽家の本家を訪れているらしいく、今日の夕方頃には帰ると優子から連絡があったが、まだ帰って来ていないという。
突如、稲妻が落ちたかのような邪悪な妖気を察知する。薊も同じ妖気を察知したのか、二人同時に、扉を開けた薊と紅葉は、空に見えた光景に目を疑った。
「おい……」
「ええ……とても嫌な感じだわ」
灰色の空、遠くから得体の知れない何かが、こちらに迫っている。
何かが起こっている。紅葉はそう思った。
薊と一旦、別れ、屋敷に戻った紅葉は、自室で支度を整えると足早に玄関へと向かっていた。
屋敷の中は邪悪な妖気のことで、一門が騒がしくしている。
「どこへ行く」
紅葉の父が進路を塞ぐように、紅葉の目の前に立つ。
紅葉は足を止めた。
「まさか、この邪悪な妖気を追おうとしているのではないだろうな。危険だ、やめろ」
「友人が自宅に戻っていないようなので、探しに行ってきます」
そう言うと、紅葉は父の横を通り過ぎる。
「友人とは、黒羽ではないだろうな」
足を止め、振り向く紅葉。
「ええ、そうです」
「あの見合いで、奴に何を言われたのか知らないが、お前は奴の肩を持ちすぎだ」
父の言う通り、自分は青紫を贔屓している。それは紅葉自身、自覚がある。
「私はただ、友人が心配なだけです」
自分自身を偽って生きてしまいそうになっていた自分を、青紫が背中を押してくれた。おかげで、紅葉は自分が正しいと思える道を選ぶ事ができた。
青紫に、ただ、恩返しのような事がしたいだけなのかも知れない。それに、いじっぱりで、頑固で可愛らしい、あの何かしたくなってしまう愛らしさのある青紫の妻が困っているのなら、助けてあげたいと思ったのだ。
「それに、黒羽が困っていれば、助けるのが同じ祓い屋の務めでは?」
「黒羽のことなど知ったことではない。黒羽が滅びれば、我ら漆原家が祓い屋のトップとなるのだ」
「お父様は、ご自分が何をおしゃっているのか、分かっていられるのですか?」
父が権力と実力主義者であることは昔から変わらない。高貴な身分、純血。強いものは良い。弱いものは悪い。そんな父の考えは、昔から好かなかった。それでも、紅葉がこの漆原一門に居続けるのは、風早のためでもある。だが、理由はそれだけではない。幼い頃から本当の家族のように自分を大切に想い、傍で支えてくれた一門のみんなの元を離れがたかったからだ。
「無論、人々は助ける。お前も一門の者として、力を貸せ」
「人々のことは私も守ります。それが古くからこの地を治る私たちの勤め。ですが、私は私のやり方で守ります」
そう言うと、紅葉は歩き出す。
「紅葉……!!」
父は怒り叫ぶ。
「これ以上、勝手な真似をすれば、風早がどうなってもしらんぞ」
振り向いた紅葉は、怒りをあらわにする。
「そうやって私を脅せば、言いなりになるとでも思っているのですか? 私はもう子供じゃないの。自分のことは自分で決めるわ!」
「待て!」
紅葉を追いかける父親。肩を乱暴に掴むが、そこで唐突に強い風が吹く。
「風早……!」
風と共に現れた風早は、紅葉の肩に置かれた父の手を掴むと、鋭い瞳で睨みつける。
「貴様、頭首に向かってこんなことをしていいと思っているのか」
「我が主人はお前じゃない。言うことを聞く義理もなければ、俺の女に手を出すことも許さん」
風早は紅葉の目掛けて翼を羽ばたかせ風を吹かせると、紅葉を横抱きにして、雨が降る空に飛び立つ。
紅葉の父親は悔しそうに顔を顰めると、空を見上げた。
雨が降る中、風早は紅葉を抱え、空を飛び続けた。
頭首が追ってきては面倒だ。できるだけ遠くに行かなくては。
抱き抱えられた紅葉は険しい顔をしていた。
「そんな顔をしていると、シワが増えるぞ」
風早の言葉に、紅葉はムッとする。
「失礼ね、まだシワなんてないわよ」
「そうか。それは悪かった」
申し訳なさという感情がまったく込められていない風早の謝罪に、紅葉は呆れたような顔をすると、その眉間には、また皺が寄せられる。
初めて会った時も、ああやって、頭首と言い合いをしたのだろう。
険しい顔の紅葉を見て、風早は紅葉と出会った時のことを思い出していた。
紅葉と風早が出会ったのは、まだ紅葉が七つと幼い頃だった。風早が木の上でごろ寝をしていると、めそめそとした泣き声が聞こえていた。
下を見ると、そこには人間の子供がいた。
(なんだ、人間か……)
「うっ……っ…ううっ」
膝を抱え、めそめそと泣き続ける人間に子供に、昼寝を邪魔されて嫌気は差したが、ほっとけばそのうちにすぐにいなくなるだろうと思っていた。
だが、いつになってもその子供は泣き止まず、あまりにも泣いているものだから、つい、声をかけてしまった。
「おい、そこの人間」
風早は木の上に立つと、下にいる子供に向かってそう言う。
「うるさくて、昼寝に集中できん。泣くならどこか他の所に行って泣け」
(あっ……何をしているんだ俺は。人の子などに、俺の声が聞こえるはずもないのに)
風早の声に、その子供はゆっくりと顔を上げる。
緩やかな風が吹き、木の葉が二人の間を舞う。
子供は泣いていたのが嘘のようにぴたりと泣き止むと、じっと風早を見つめた。
(この子供……妖怪である俺が見えている。……というか、なぜ、そんなにじっと俺を見る)
「ううっ……」
と思えば、顔をぐしゃりとさせ、また泣き始める。風早が怒ったせいでなのか、先ほどよりももっと大きな声で泣きはじめてしまった。
「え……」
そんな子供に慌てた風早は、木から飛び降りた。
「おい泣くなって」
隣に立った風早に、子供は抱きつき、声を上げて泣く続ける。
(なんでそんなに泣くんだよ……)
めんどくさい。そう思っても、自分の膝に縋り付くこの人間の子供を、突き放すことができなかった。
「……」
かがみ込んだ風早は、子供の背中に腕を回すと、ぎこちなくも、その小さな背中を撫でた。
人間とはおかしなものだ。
「もう泣くのはやめろ、お前は男なんだろ? 人間の男は泣かないんだろ?」
風早がそう言うと、めそめそと泣いていた子供が鼻を啜りながら、顔を上げる。
「紅葉、女の子だもん」
「髪が短いから、男かと思った」
「これは、お父さんがしろって言うから……長いと邪魔だし、か弱く見えるって」
「紅葉が男の子だったら、お父さんは、喜んでくれたのに……」
男とか女とか、そんなものはさほど大事なことではないだろうに。人間はなぜそんなことを気にするのか。
「お前が男でも女でも、髪が短くても長くても、俺は良いと思うけどな」
それから、嫌なことがあって泣きたくなると、紅葉は決まって風早の元へ来た。
人の子の成長は早いもので、何度か季節が巡ると、紅葉は少女へと成長し、あっという間に、大人になった。
そうして、いつしか風早と紅葉は、互いを大切に想うようになった。
「私の家、祓い屋を生業としているの」
木の上、隣に座る風早の肩に頭を寄りかからせていた紅葉はそう言った。
「ああ」
肩から頭を上げ、風早を見る紅葉。
「……もしかして、知ってたの? なんで聞かないのよ」
「別に、お前が祓い屋でも、俺にとっては重要なことでない」
「漆原一門」
「漆原……ああー、あの異能好きで有名な一門か。使役される妖怪の気が知れないな。俺は、自由を奪われるのはごめんだ」
「そうよね……」
紅葉は落ち込んだように黙る。
「でも」
風早は紅葉の腕を取り、自分に引き寄せる。
至近距離で見つめ合う二人。
「お前に使役されるなら、悪くないな」
そう言って、風早は不敵に笑った。
誰にも束縛されず、森で自由気ままに生きていた風早が、宿敵である祓い屋の式神になったのは、紅葉のため。紅葉と、ずっと一緒にいたかったから。
妖怪である自分が、人間と共に生きることを選んだ。その時から覚悟はできているつもりだ。だが、いざ何かを選択しなければいけないとなると、その覚悟が揺らいでしまう。
愛しているから、こそ……。
人間の肉体は弱く脆い。別れは、妖怪が思うより早く訪れる。
(こいつが居なくなることなんて、考えたくもないが……)
しばらく飛び続けると、風早は東屋の椅子に紅葉を下ろした。
「……ありがとう、風早」
紅葉は、静かに微笑み言う。
「濡れさせて悪かった」
そう言うと、紅葉の前にしゃがみ込んだ風早は、着物の袖で紅葉の頬を伝う雨を拭い取る。
「フフッ……あなたもね」
紅葉も自分の着物の袖で、風早の頬を伝う雨を拭い取ってあげた。
(俺はこうして、お前とのたわいもない時間が好きだ)
「黒羽の元へ行く気か」
「あなたも感じるでしょう、この邪悪な妖気。青紫さんたちが屋敷に戻らないことが偶然と思えない。きっと巻き込まれているんだわ」
紅葉の膝の上に置かれていた風早の両手が、
(分かっている。こいつは、紅葉はこういう奴だ。人一倍正義感が強い、だが無鉄砲な奴だ)
「九条さんが先に向かってる。私たちも早く行きましょう」
そう言うと、紅葉は腰を上げ、風邪も立ち上がる。
「それは危険だ。それに、黒羽の奴らを助ける義理なんてない」
「青紫さんたちのためだけじゃないわ。これは一門のみんなも危険に晒すのよ」
(そう言うと思った)
家族を大切にする紅葉の一面も、風早は理解している。
東屋を出ようとする紅葉。
「行くな紅葉」
風早が止めるも、紅葉は足を止めない。
「っ……」
風早は歯を食いしばると、紅葉の背中を追いかけた。
紅葉が東屋を出ると、後ろから力強い腕に抱き寄せられる。
「風早……?」
肩とお腹に回された両手。
「行くなっ……!!」
風早は無意識に抱擁を強めた。
初めて見た風早の必死な姿に、紅葉は驚いた。
「家を出て、俺と二人で生きよう」
「私に、一門を捨てろと言うの?」
顔だけ振り向かせる紅葉。その瞳には、小さな怒りが宿っている。
「一門は私の家族よ。家族を捨てることなんてできないわ」
風早は思った。もうこの際だから、自分の本心を言ってしまおう。
「っどうでもいい……!!」
強さを増す雨の音をかき消してしまうほどの腹の底から出た叫び声に、紅葉は更に驚いた。
「黒羽と漆原がどうなろうと、お前が頭首にならなかろうと、俺はお前がいればそれでいい。……お前を失うことなど、耐えられない……」
(お前と出会ってから、俺はよく胸が苦しくなるんだ)
「頼むから、行かないと言ってくれ……」
「風早……」
このまま、崩れ落ちてしまうかと思うほどの弱々しい風早の声に、紅葉はそれ以上、足を前に踏み出すことが出来なかった。
冷たい雨が、二人の頬を伝い続ける。
