人形令嬢と半妖のあやかし祓い屋

買い物をしに帝都を訪れていた優子は、多江を待つのに近くにあった茶屋のベンチに一人腰を下ろしていた。
空は青く澄み渡っている。風は冷たいが、それが心地良く感じる気温だ。
目の前に、杖をついた老紳士が通り過ぎようとしていた。老紳士は小さな歩幅で前に進んでいたが、小石に躓き、前を歩いていた男にそのまま地面に座り込んでしまう。
「爺さん、何してくれてるんだよ」
仕立ての良いスーツに身を包み込み、一等品の腕時計を身につけた男は、苛立った様子で老紳士を見下ろす。
「申し訳ない。足が悪いもので」
老紳士は地面に両手をついたまま謝る。下手に出た老紳士に気分を良くしたのか、身分が高そうな男はさらに横柄な態度を取り始めた。
「たくっ……最近の老人は、年寄りだからってなんでも許されると思って。長生きしているだけで偉いと思えるなんて、いいご身分だな」
(何なのあの人……)
手もかさず、大丈夫かの一声もかけないその無礼さ。優子は居ても立ってもいられず、ベンチから腰を上げると、急いで老紳士に駆け寄る。
「お爺さん、大丈夫ですか」
優子は老紳士を支えながら、一緒に立ち上がる。
「お怪我はありませんか?」
「ああ、大丈夫だ」
「おいおい。爺さんの心配より、俺の心配をしてくれよ、ぶつかられたんだよ」
優子はキッとした目で、身分の高い男を睨む。
「もう謝ったではありませんか」
優子の強気な態度が気に食わなかったのか、身分の高い男は顔を顰め、さらに苛立ちを露わにする。
「ちょっと顔が良いからって、調子に乗りやがって。女のくせに生意気な」
「っ……!」
身分の高い男は優子に詰め寄ると、乱暴に優子の片腕を掴む。周りには何事かと人が集まってくる。力強く腕を掴まれ、優子は顔を歪めるが、気丈な態度を見せる。
「これ以上、事を荒立てるのは、あなたの品格を下げるだけかと」
おそらく華族であるこの男、品格とプライドは、上流階級の人間が一番気にすることだと、優子はよく分かっている。優子の言葉に、身分の高い男は周りを見回し、自分が軽蔑の眼差しを向けられていることに気づく。
「……チッ」
舌打ちをすると、身分の高い男は乱暴に優子の腕を離し、人混みの中に消えていった。
「ふぅ……」
胸に片手を当て、深呼吸をした優子は、老紳士に向き直る。
「もう大丈夫ですよ」
「ありがとう。お嬢さん、かっこいいいね。あっ、女性にかっこいいは、良くないのかな?」
「いえ、そんなことありません。嬉しいです」
「そうか、なら良かった」
老紳士は優しげな笑みを浮かべる。
(この笑み……すごく青紫さんに似ている)
二人でベンチに並んで座ると、老紳士は帝都を訪れた経緯を話してくれた。
「そうでしたか、お孫さんい会いに行く途中だったんですね」
「うん、そうだなんだ。実は、孫とはもう随分会ってなくてね、一目でいいから顔を見たいと手紙を送っているんだけど、いつも返事がないんだ」
「それは、寂しいですね……」
「でも、最近、結婚したと聞いてね。相手の人がどんな方なのか気になっていたんだ」
「もしかして、会いに来られたのですか?」
老紳士は頷く。
(お孫さんのことが、心配なのね)
老紳士の視線は、優子の肩にかけられた紫色のスカーフに向く。
「良いスカーフだね。すごく綺麗だ」
「ありがとうございます。……夫に、プレゼントしてもらったんです」
嬉しそうに微笑み、片手でそっとスカーフに触れる優子。青紫からこのスカーフをもらった日から、出かける時は必ず身につけている。最初は大事すぎて使えないと思ったが、せっかくくれたのだからと、箱から取り出した。触れるたびに、目に映るたびに、このスカーフは優子に幸せを与えてくれる。
「優しいご主人なんだね」
「はい、とっても」
幸せそうな優子の無邪気な笑みに、老紳士の瞳の奥が、僅かに見開かれる。
「よろしければ、道案内をさせてください。帝都は人が多いですし、電車も多くて分かりずらいでしょう」
「ありがとう。でももういいんだ。知りたかったことが知れたから」
「え……?」
そう言って、老紳士は優子を見てにっこりと笑う。そんな老紳士に、優子は首を傾げながらも笑みを返す。
そこに、買い物を終えた多江が戻って来た。
「お待たせしました」
「多江さん」
「一人にしてしまってすいません。大丈夫でしたか?」
「平気です。この方が、お話相手になってくださいましたから」
そう言い、老紳士に振り向く優子。しかし、そこに老紳士の姿はなかった。辺りを見回しても、どこにもいない。
(どこに行ったのかしら……)
突然消えてしまった老紳士のことが気になったが、帰り時を急ぐことにした。
屋敷に戻ると、玄関の前に、気だるそうに壁に寄りかかっている薊がいた。
「まだいらっしゃったんですか」
そう言う優子に、薊はいつものように言い返してこない。どうしたのかと思っていると、薊はいつになく真剣な顔をして、優子を見据えた。
「頼みがあんだ」
「頼み?」
頷いた薊は、多江を一瞥する。どうやら、多江には頼めない用事らしい。
「先に入っていてください」
「分かりました」
多江が玄関に入ると、優子は問う。
「それで、頼みとは?」