妖気に当てられた誠一郎は、今も気を失ったままだった。
(誠一郎さん……)
青紫の羽織を枕にし、地面に横になっている誠一郎の側に座る優子。
誠一郎が自分を守ろうとしてくれるとは、思いもしなかった。
優子は不安になりながら、その目覚めを待っていた。
「大丈夫ですよ。そのうち目が覚めます」
「青紫さん」
青紫は優子の隣に立ち、誠一郎の様子を見守る。
「妖力のない人間が、術をかけた陣に入れば、気を失って当然です」
「まさか、飛び込んでくるなんて……」
「あなたの危機を見過ごせなかったのでしょう」
青紫は納得したようにそう言う。
「それより、さっきのって……」
「ああ……」
青紫は思い出したかのようにそう言うと、優子の目の前に片膝を立て、かがみ込むと、胸の前に片手を出す。片手から冷気が出たかと思うと、ピキピキと音を立て、氷が膜を張るように片手を覆っていく。
「私は氷を自由自在に操ることができます。体内で上手く妖力を練り上げれば、造形もできます」
見入っていると、手のひらに氷の花びらが造られる。さっきの剣も、こうして妖力を練り上げて造られたものだったのだ。
「すごい……本物の氷ですね。もしかして、いつも体温が冷たいのは、この異能が関係があるんですか?」
「私の場合は、妖怪の血が混ざっていることもでしょうが、異能も関係あります。何せ、体の中に氷を飼っているようなものですから」
青紫が手の平を握ると、氷は結晶となり光り消えた。
「以前、九条さんが青紫さんの異能のことを話そうとしていましたが、止めたのはなぜですか」
薊が話を持ち出したあの時も、優子は気になっていたが、それを聞くことを青紫自身が拒んでいたような気がして聞けなかった。だが、この異能を知った以上、聞かざるを得ない。
青紫は少しの間を空けると、口を開く。
「私は妖怪であると同時に、人間でもある。異能を使いすぎるのは、あまり体に良いことではない」
彷玉を払う際、異能を使った青紫は肩で息をし、辛そうにしていた。あれは、体に負担がかかっている表れだったのか。
「それに……こういった能力を妖怪に使うのは、あなたは嫌がると思いまして」
「それって……」
(私のために……)
「しかし、今回は緊急でしたので、使ったことを許してくださいね」
「そんな……! 青紫さんを責めるつもりなんて、少しもありません。……むしろ、私がもっと何かできていれば……」
優子は膝の上に置かれた両手をぎゅっと握る。自分の弱さと未熟さを痛感し、悔しかった。いつもそうだ。こうやって、誰かに守られたばかり。足を引っ張ることしかできない。誠一郎も、青紫も、命がけで守ってくれているのに、自分は一体、何をしているのか。
酷く思い詰めた顔をする優子の頬に、青紫の冷えた片手が添えられる。
「自分ばかりを責めるのは、あなたの悪いところです。今日はお手柄だったじゃありませんか」
青紫は優子を励ますように、明るくそう言う。
「体は、大丈夫なんですか」
異能を使ったのだ。青紫の体は、今も辛いはず。
「平気です。これくらい、どうってことありません」
気丈に振る舞う青紫に、優子は胸が痛んだ。
もっと、自分が力になれれば……。
大丈夫だと優子に言い聞かせるように、優子の頬を撫で、笑みを浮かべる青紫。青紫の片手をそっと掴み握ると、その手はいつも以上に冷たい。
青紫のために強くなりたい。そう願うのに、願えば願うほど、上手くいかない。そんな自分が嫌になるが、その度に、この優しさに救われる。
「んっ……」
誠一郎の目が開かれる。誠一郎は何度か瞬きをすると、隣に座る優子と青紫に気づく。
「誠一郎さん!?」
優子が誠一郎の顔を覗き込むと、誠一郎は辺りを見回した。
「優子さん……あの妖怪は……?」
「無事に祓い終えましたよ。思ったより手強かったですが、皆さんのおかげです」
青紫がそう言うと、誠一郎は安堵の表情を浮かべた。
「そうですか……。よかった」
「よくない!」
大きな声で怒った優子に、誠一郎は心底驚いた顔をする。
「死んでしまったらどうするんですか!」
「ご、ごめん……」
眉間に皺を寄せ自分を睨む優子に、萎縮した誠一郎は、小さく謝る。
「……罪滅ぼしってわけじゃないんだ。ただ最後に、君にとって、良い人でありたかった」
良い人でありたかった。誠一郎のその言葉に、優子はなぜ誠一郎だけが自分の婚約者であったのか、その本当の理由がはっきりとした。
「あなたは臆病だけど、思いやりのある人だと思う」
強く惹かれていたわけではない。だが、誠一郎の優しく気遣いのできる人柄に、この人だったら、良い夫婦になれるかもしれない。優子はそう思い、誠一郎と結婚することを決めたのだ。
「優子さん……」
上体を起こした誠一郎は、精一杯の笑みを優子に見せる。
「また君に会えて、嬉しかった。……今日は、来てくれてありがとう」
弱々しく笑う誠一郎に、優子は少し胸が痛んだが、毅然とした態度を見せる。
「今日、私がここに来たのは、あなたに会いに来たわけではありません。過去を乗り越えるためです。私が、前に進めるように」
信頼を寄せていた誠一郎に裏切られ、優子の心は引き裂かれる思いだった。だが、青紫のおかげで立ち上がることでき、今日、ここに来て過去と向き合うことができた。
「でも……。私も、会えてよかったです」
誠一郎に優しく微笑む優子。初めて見た優子の笑みに、誠一郎は流れ星を見たかのように、目を輝かせた。立ち上がった優子は誠一郎の元を離れ、跡片付けをしてくれていた庵の元へ行く。
優子の姿を誠一郎の真摯な眼差しが見つめる。
「……知らなかったな。彼女、あんなふうに笑うんですね」
きっと、この男が引き出したのだろう。誠一郎は隣に立つ青紫を見て思った。
「よく怒りますし、泣くこともあります」
言いながら立ち上がった青紫は、腕を組むと、目を伏せ楽しそうにする。その頭の中には、優子の喜怒哀楽のある表情が浮かんでいるのだろう。
「美人で聡明で、心優しい彼女は、僕の前では笑わなかった」
誠一郎が知る優子は、品位と節度を持った、生粋の華族令嬢。あんなふうに感情を表に出し、無邪気に笑う姿など、見たことは一度もない。自分は優子の何を見てきたのかと、この目は節穴だったのかと、誠一郎は思った。
「……僕、ずっと自信がなかったんです。彼女に愛されている自信が」
愛している。その言葉を口にされたこともなかったし、甘えられることも、頼られることもなかった。
「彼女は、あなたを愛していましたよ。あなたと同じように、心から。私が嫉妬してしまうくらいにね」
闇を映すかのような右目の奥に見える、青紫の闘志に、誠一郎は自嘲気な笑みを浮かべた。言葉がなくとも、甘えられずとも、頼られずとも、今の誠一郎には分かる。優子がいつも自分を見てくれていたということを。なぜなら、ふと見た先にいた優子の瞳は、とても優しそうに、自分を見つめてくれていたのだから。それを、今になって気づいたのだ。
「僕は大馬鹿者です」
ガックリと肩を落とす誠一郎。気づくのが遅かった。だが、気づかないよりは良い。どんなに時間が掛かっても、いつか、優子と笑い合える日々がきてくれたらと思う。
「これから僕にできることは、彼女の幸せを心から、願うことです」
キラキラと輝く夕暮れ時の太陽を背に、優子を見つめる誠一郎。その目には、光るものがあった。
(誠一郎さん……)
青紫の羽織を枕にし、地面に横になっている誠一郎の側に座る優子。
誠一郎が自分を守ろうとしてくれるとは、思いもしなかった。
優子は不安になりながら、その目覚めを待っていた。
「大丈夫ですよ。そのうち目が覚めます」
「青紫さん」
青紫は優子の隣に立ち、誠一郎の様子を見守る。
「妖力のない人間が、術をかけた陣に入れば、気を失って当然です」
「まさか、飛び込んでくるなんて……」
「あなたの危機を見過ごせなかったのでしょう」
青紫は納得したようにそう言う。
「それより、さっきのって……」
「ああ……」
青紫は思い出したかのようにそう言うと、優子の目の前に片膝を立て、かがみ込むと、胸の前に片手を出す。片手から冷気が出たかと思うと、ピキピキと音を立て、氷が膜を張るように片手を覆っていく。
「私は氷を自由自在に操ることができます。体内で上手く妖力を練り上げれば、造形もできます」
見入っていると、手のひらに氷の花びらが造られる。さっきの剣も、こうして妖力を練り上げて造られたものだったのだ。
「すごい……本物の氷ですね。もしかして、いつも体温が冷たいのは、この異能が関係があるんですか?」
「私の場合は、妖怪の血が混ざっていることもでしょうが、異能も関係あります。何せ、体の中に氷を飼っているようなものですから」
青紫が手の平を握ると、氷は結晶となり光り消えた。
「以前、九条さんが青紫さんの異能のことを話そうとしていましたが、止めたのはなぜですか」
薊が話を持ち出したあの時も、優子は気になっていたが、それを聞くことを青紫自身が拒んでいたような気がして聞けなかった。だが、この異能を知った以上、聞かざるを得ない。
青紫は少しの間を空けると、口を開く。
「私は妖怪であると同時に、人間でもある。異能を使いすぎるのは、あまり体に良いことではない」
彷玉を払う際、異能を使った青紫は肩で息をし、辛そうにしていた。あれは、体に負担がかかっている表れだったのか。
「それに……こういった能力を妖怪に使うのは、あなたは嫌がると思いまして」
「それって……」
(私のために……)
「しかし、今回は緊急でしたので、使ったことを許してくださいね」
「そんな……! 青紫さんを責めるつもりなんて、少しもありません。……むしろ、私がもっと何かできていれば……」
優子は膝の上に置かれた両手をぎゅっと握る。自分の弱さと未熟さを痛感し、悔しかった。いつもそうだ。こうやって、誰かに守られたばかり。足を引っ張ることしかできない。誠一郎も、青紫も、命がけで守ってくれているのに、自分は一体、何をしているのか。
酷く思い詰めた顔をする優子の頬に、青紫の冷えた片手が添えられる。
「自分ばかりを責めるのは、あなたの悪いところです。今日はお手柄だったじゃありませんか」
青紫は優子を励ますように、明るくそう言う。
「体は、大丈夫なんですか」
異能を使ったのだ。青紫の体は、今も辛いはず。
「平気です。これくらい、どうってことありません」
気丈に振る舞う青紫に、優子は胸が痛んだ。
もっと、自分が力になれれば……。
大丈夫だと優子に言い聞かせるように、優子の頬を撫で、笑みを浮かべる青紫。青紫の片手をそっと掴み握ると、その手はいつも以上に冷たい。
青紫のために強くなりたい。そう願うのに、願えば願うほど、上手くいかない。そんな自分が嫌になるが、その度に、この優しさに救われる。
「んっ……」
誠一郎の目が開かれる。誠一郎は何度か瞬きをすると、隣に座る優子と青紫に気づく。
「誠一郎さん!?」
優子が誠一郎の顔を覗き込むと、誠一郎は辺りを見回した。
「優子さん……あの妖怪は……?」
「無事に祓い終えましたよ。思ったより手強かったですが、皆さんのおかげです」
青紫がそう言うと、誠一郎は安堵の表情を浮かべた。
「そうですか……。よかった」
「よくない!」
大きな声で怒った優子に、誠一郎は心底驚いた顔をする。
「死んでしまったらどうするんですか!」
「ご、ごめん……」
眉間に皺を寄せ自分を睨む優子に、萎縮した誠一郎は、小さく謝る。
「……罪滅ぼしってわけじゃないんだ。ただ最後に、君にとって、良い人でありたかった」
良い人でありたかった。誠一郎のその言葉に、優子はなぜ誠一郎だけが自分の婚約者であったのか、その本当の理由がはっきりとした。
「あなたは臆病だけど、思いやりのある人だと思う」
強く惹かれていたわけではない。だが、誠一郎の優しく気遣いのできる人柄に、この人だったら、良い夫婦になれるかもしれない。優子はそう思い、誠一郎と結婚することを決めたのだ。
「優子さん……」
上体を起こした誠一郎は、精一杯の笑みを優子に見せる。
「また君に会えて、嬉しかった。……今日は、来てくれてありがとう」
弱々しく笑う誠一郎に、優子は少し胸が痛んだが、毅然とした態度を見せる。
「今日、私がここに来たのは、あなたに会いに来たわけではありません。過去を乗り越えるためです。私が、前に進めるように」
信頼を寄せていた誠一郎に裏切られ、優子の心は引き裂かれる思いだった。だが、青紫のおかげで立ち上がることでき、今日、ここに来て過去と向き合うことができた。
「でも……。私も、会えてよかったです」
誠一郎に優しく微笑む優子。初めて見た優子の笑みに、誠一郎は流れ星を見たかのように、目を輝かせた。立ち上がった優子は誠一郎の元を離れ、跡片付けをしてくれていた庵の元へ行く。
優子の姿を誠一郎の真摯な眼差しが見つめる。
「……知らなかったな。彼女、あんなふうに笑うんですね」
きっと、この男が引き出したのだろう。誠一郎は隣に立つ青紫を見て思った。
「よく怒りますし、泣くこともあります」
言いながら立ち上がった青紫は、腕を組むと、目を伏せ楽しそうにする。その頭の中には、優子の喜怒哀楽のある表情が浮かんでいるのだろう。
「美人で聡明で、心優しい彼女は、僕の前では笑わなかった」
誠一郎が知る優子は、品位と節度を持った、生粋の華族令嬢。あんなふうに感情を表に出し、無邪気に笑う姿など、見たことは一度もない。自分は優子の何を見てきたのかと、この目は節穴だったのかと、誠一郎は思った。
「……僕、ずっと自信がなかったんです。彼女に愛されている自信が」
愛している。その言葉を口にされたこともなかったし、甘えられることも、頼られることもなかった。
「彼女は、あなたを愛していましたよ。あなたと同じように、心から。私が嫉妬してしまうくらいにね」
闇を映すかのような右目の奥に見える、青紫の闘志に、誠一郎は自嘲気な笑みを浮かべた。言葉がなくとも、甘えられずとも、頼られずとも、今の誠一郎には分かる。優子がいつも自分を見てくれていたということを。なぜなら、ふと見た先にいた優子の瞳は、とても優しそうに、自分を見つめてくれていたのだから。それを、今になって気づいたのだ。
「僕は大馬鹿者です」
ガックリと肩を落とす誠一郎。気づくのが遅かった。だが、気づかないよりは良い。どんなに時間が掛かっても、いつか、優子と笑い合える日々がきてくれたらと思う。
「これから僕にできることは、彼女の幸せを心から、願うことです」
キラキラと輝く夕暮れ時の太陽を背に、優子を見つめる誠一郎。その目には、光るものがあった。
