その夜、薊は青紫の書斎を訪れた。月明かりと小さなランプの灯りしかない薄暗い書斎の中で、青紫は本棚の前に立ち、手に持っている書物を読んでいた。
「まだ居たんですか」
「居たら悪いかよ」
薊は青紫の手に持つ書物に視線を向ける。
「妖怪嫌いのお前がそんなもの見るなんて、らしくないな。あの嫁の影響か?」
「そんなんじゃありませんよ」
素っ気ない青紫。薊は腕を組み、本棚に寄りかかる。
「あの嫁、頑固で無鉄砲だが、なかなか良い根性してる」
青紫のことを悪く言われたとなれば、あんなに分かりやすく思っていることを顔に出すとは、素直と言えばそうだが、あれは本気で惚れている証拠だと、薊は思った。
「最初はただのお飾りかと思ったが、気にいったぜ」
ニヤリとした笑みを浮かべそう言った薊に、青紫は何も言わずに書物に視線を落としたままページを捲る。
「妖怪も見えることだし、合理的なお前のことだから、仕事を手伝わせると思っていたが……なんでだ?」
優子の青紫への気持ちはさておき、今までの青紫の仕事の仕方からして、青紫は優子のことを都合のいい存在として扱うと思っていた。
青紫は読んでいた書物を閉じると本棚に戻す。
「薊、私はずるいんです」
青紫は自分の両手の平に視線を落とす。
「私は、妖怪の血が流れる自分を、ずっと憎らしく思ってきた。自分の中から妖怪の存在を消し去りたくて、残虐に妖怪を祓ってきました。そんなことをしても、己に流れる妖怪の血は消えないというのに……」
出会った時から、今まで幾度となく見てきた、青紫が無慈悲に妖怪を祓う姿。
祓い屋が妖怪に情けをかけることはない。情けをかけてしまえば、自分の命を危険に晒すことになるからだ。青紫のやり方がどうであれ、それは祓い屋として間違っていることではない。しかし、青紫にとって妖怪を祓うこと、それには、他の祓い屋のように、仕事だからという単純な理由があるだけではない。
__憎い。だから祓う。
「……この手は、彼女が思う以上に汚れている。本当は触れることだって許されないはずなんです。なのに、彼女には、冷酷無慈悲な自分を知られたくないと思ったんです」
優子はいつも青紫から目を逸さない。真っ直ぐに、青紫を見つめる。
(ああそうか……そういうことだったのか)
青紫へ不可解だと思っていた謎の正体が解けた。
「なんだって、あの嫁のことを箱入り娘のように扱ってんだと思ったが……お前、あいつに本気で惚れてんだな」
理由はシンプルなことだったのに、難しく考えていたのだと、薊は気づいた。
「自分でも驚いています。私のような者が、誰かをこんな風に想うなんて……」
青紫にとって、そういった感情はないはずだった。いや、違う。持ってはならないと、思っていたのだろう。この誰もが不慣れになってしまう感情に、青紫は戸惑い、恐れている。青紫が誰かを愛すことも難しいが、誰かが青紫を愛することも、また難しい。
「まあ……そうだ、あれだ。俺にできることがあれば言ってくれ。少しくらいは力になってやるよ」
薊はバツが悪そうに片手で頭を掻きながらそう言うと、足早に書斎を出ていく。
一人になった青紫は再び書物を手に取るが、開くことはしない。
「……」
書物を本棚に戻すと、青紫は椅子に深く腰掛ける。天井を見上げ、大きく息をつく。
まさか、あんな風に自分を肯定してくれるなんて、思いもしなかった。
昼間、廊下を歩いていると、裏庭の方から優子と薊の声が聞こえきて、青紫は足を止めた。
『青紫さんは異端なんかじゃありません。彼は私の良き夫です』
優子のその言葉に、青紫は思わずその場に立ち尽くした。妖怪に優しさを持つ優子が、自分の妖怪に対する冷酷な一面を知れば、嫌われるだろうと思っていた。実際、悲しませたし、優子は自分に怒っている。
(なのに……それでも彼女は、私に背を向けない)
椅子を回転させ、窓辺を向く。月明かりが照らす窓ガラスには、醜く思う自分の姿が映っている。青紫は片手で前髪を上げ、赤い瞳を見つめる。この瞳を見るたびに、自分が忌々しい半妖であることを思い知らされるようで嫌だった。だから前髪を伸ばし、ずっと隠してきた。なのに、優子はこの瞳を綺麗だと言った。
「……」
窓ガラスに映る赤い瞳を、青紫は見つめ続けた。
「まだ居たんですか」
「居たら悪いかよ」
薊は青紫の手に持つ書物に視線を向ける。
「妖怪嫌いのお前がそんなもの見るなんて、らしくないな。あの嫁の影響か?」
「そんなんじゃありませんよ」
素っ気ない青紫。薊は腕を組み、本棚に寄りかかる。
「あの嫁、頑固で無鉄砲だが、なかなか良い根性してる」
青紫のことを悪く言われたとなれば、あんなに分かりやすく思っていることを顔に出すとは、素直と言えばそうだが、あれは本気で惚れている証拠だと、薊は思った。
「最初はただのお飾りかと思ったが、気にいったぜ」
ニヤリとした笑みを浮かべそう言った薊に、青紫は何も言わずに書物に視線を落としたままページを捲る。
「妖怪も見えることだし、合理的なお前のことだから、仕事を手伝わせると思っていたが……なんでだ?」
優子の青紫への気持ちはさておき、今までの青紫の仕事の仕方からして、青紫は優子のことを都合のいい存在として扱うと思っていた。
青紫は読んでいた書物を閉じると本棚に戻す。
「薊、私はずるいんです」
青紫は自分の両手の平に視線を落とす。
「私は、妖怪の血が流れる自分を、ずっと憎らしく思ってきた。自分の中から妖怪の存在を消し去りたくて、残虐に妖怪を祓ってきました。そんなことをしても、己に流れる妖怪の血は消えないというのに……」
出会った時から、今まで幾度となく見てきた、青紫が無慈悲に妖怪を祓う姿。
祓い屋が妖怪に情けをかけることはない。情けをかけてしまえば、自分の命を危険に晒すことになるからだ。青紫のやり方がどうであれ、それは祓い屋として間違っていることではない。しかし、青紫にとって妖怪を祓うこと、それには、他の祓い屋のように、仕事だからという単純な理由があるだけではない。
__憎い。だから祓う。
「……この手は、彼女が思う以上に汚れている。本当は触れることだって許されないはずなんです。なのに、彼女には、冷酷無慈悲な自分を知られたくないと思ったんです」
優子はいつも青紫から目を逸さない。真っ直ぐに、青紫を見つめる。
(ああそうか……そういうことだったのか)
青紫へ不可解だと思っていた謎の正体が解けた。
「なんだって、あの嫁のことを箱入り娘のように扱ってんだと思ったが……お前、あいつに本気で惚れてんだな」
理由はシンプルなことだったのに、難しく考えていたのだと、薊は気づいた。
「自分でも驚いています。私のような者が、誰かをこんな風に想うなんて……」
青紫にとって、そういった感情はないはずだった。いや、違う。持ってはならないと、思っていたのだろう。この誰もが不慣れになってしまう感情に、青紫は戸惑い、恐れている。青紫が誰かを愛すことも難しいが、誰かが青紫を愛することも、また難しい。
「まあ……そうだ、あれだ。俺にできることがあれば言ってくれ。少しくらいは力になってやるよ」
薊はバツが悪そうに片手で頭を掻きながらそう言うと、足早に書斎を出ていく。
一人になった青紫は再び書物を手に取るが、開くことはしない。
「……」
書物を本棚に戻すと、青紫は椅子に深く腰掛ける。天井を見上げ、大きく息をつく。
まさか、あんな風に自分を肯定してくれるなんて、思いもしなかった。
昼間、廊下を歩いていると、裏庭の方から優子と薊の声が聞こえきて、青紫は足を止めた。
『青紫さんは異端なんかじゃありません。彼は私の良き夫です』
優子のその言葉に、青紫は思わずその場に立ち尽くした。妖怪に優しさを持つ優子が、自分の妖怪に対する冷酷な一面を知れば、嫌われるだろうと思っていた。実際、悲しませたし、優子は自分に怒っている。
(なのに……それでも彼女は、私に背を向けない)
椅子を回転させ、窓辺を向く。月明かりが照らす窓ガラスには、醜く思う自分の姿が映っている。青紫は片手で前髪を上げ、赤い瞳を見つめる。この瞳を見るたびに、自分が忌々しい半妖であることを思い知らされるようで嫌だった。だから前髪を伸ばし、ずっと隠してきた。なのに、優子はこの瞳を綺麗だと言った。
「……」
窓ガラスに映る赤い瞳を、青紫は見つめ続けた。
