人形令嬢と半妖のあやかし祓い屋

紅葉と青紫が居なくなってから、優子はひとり屋敷を転々としていた。というのも、薊は他の祓い屋に声をかけられ、優子に構う暇などなかった。優子を会話に混ぜてくれる祓い屋もいたが、話についていけず、すぐに蚊帳の外になってしまう。どこか息抜きでもしようと、優子は薊の元を離れ、広い屋敷内を散策していた。
見晴らしの良い長い廊下を歩いていると、窓辺に腰掛け、眠っている人がいた。
女の子……? いや多分、男の子だ。
月光に照らされた少年は、金色の髪と伏せられた長いまつ毛がキラキラと輝いている。独特な雰囲気がある少年は、どこか青紫の面影を感じた。
少年を横目に歩いていると、廊下の角を曲がったところで何かにぶつかってしまう。
「すいません」
謝りながら顔を上げると、そこには祓い屋と思われる男が立っていた。
「こちらこそすまない。おや……お前は、黒羽の小僧と一緒にいたお嬢さんではないか」
言いながら、男は背中を丸め、前のめりになりながら物珍しそうに優子を見る。
「近くで見ると、本当に綺麗な顔をしているな。黒羽の小僧も美人には弱かったか。フッフッフ……」
一人語りをする男の話に耳を傾けつつ、優子は後ろにいる妖怪に目を向けた。
黒いモヤのような小さな妖怪は、男の肩に乗っかるようにくっついている。臆病な妖怪なのか、男の肩で顔の半分を隠し、白いつぶらな両目で様子を伺うように優子を見ている。
「だが、あいつを夫にするのはやめておいた方がよかったな」
男の言葉に、優子は視線を男に戻す。
「どういうことですか」
「お嬢さんは何も知らないみたいだから言うが、祓い屋の世界で小僧は有名なんだ。それは、単に黒羽一門の嫡男だからというわけではない」
「半妖……だからですか」
「それもあるが、あいつは血も涙もない、冷酷無慈悲な獣だ」
(獣……)
「そんな男の嫁を前にしてか、俺の使役する妖怪もこの通り、怯えているだろ?」
言いながら、男は面白そうにしながら肩に乗っている妖怪を指差す。どうやらこの妖怪は、優子から感じる青紫の残影に怯えていたようだ。
青紫が男の言っているような人だとは、とても思えない。優子が知っている青紫は、ちょっと不気味で、何を考えているのか分からないところはあるが、物腰が柔らかく、穏やかで優しい人だ。
「いずれこの意味が分かるさ」
顔を顰める優子に、男は不敵な笑みを浮かべそう言った。
「それはそうと……珍しい髪色をしているよな」
男の片手が、優子の黄金色の髪を掬い取る。
「これは何か、特別な力を持っていそうだな」
ニヤリと企みのある顔をした男に、優子は危機感を抱く。優子は髪を掬っている男の手を振り払う。
「失礼いたします……」
そう言い、足早に立ち去ろうとしたが。
「っ……!」
男の力強い手が、優子の腕を掴む。
「いいことを思いついぞ。お前を餌に、黒羽の小僧をゆすってやろう。そしてその力を俺のために使え」
「やめて離して……!!」
優子は腕を振り解き逃げようとするが、反対側から使役している妖怪に立ち回りされ、通路を塞がれる。小さな黒いモヤのようだった妖怪が、壁のように大きく広がり、優子の行く手を阻んだ。このままでは連れて行かれる。焦った優子はあの札の存在を思い出した。胸元に入れてあった札を取り出し、妖怪の前に突き出す。
「近づかないで……!」
札は青い光を放つ。妖怪は放たれた光に怯え、体を小さくし男の後ろにスッと隠れてしまう。
「黒羽の小僧め、こざかしいものを持たせやがって……」
今のうちに逃げよう。
走り出す優子、男はすぐさま優子の後を追ってくる。来た道を戻ると、窓辺で寝ていた少年が廊下の中央に立っていた。
「危ない逃げて!!」
優子が少年にそう叫ぶが、少年は逃げず、優子と男の間に割って入った。
「そこをどけ、ガキ」
男は少年を押し除け、少年の後ろに立つ優子の元へ行こうとするが、少年が乱雑にその肩を掴んだ。
「……誰に向かって口を聞いているのさ」
少年の瞳はギラリと金色に光り、体から金色の妖気が出る。頭からは耳が二つ生える。
「くっ……」
男の肩を掴む少年の片手に力が込められたのか、男は苦痛そうに顔を歪めた。
狐のように鋭くぎらつく少年の金色の瞳。
「っ……お前は……黒羽の小僧のっ……」
「悪いことは言わない。この女には手を出さない方がいい。主人が黙っていない」
睨み合う男と少年。強まる少年の妖気と鋭い瞳に、男は勝てないと悟ったのか、少年から視線を逸らした。
「チッ……」
舌打ちをすると、男は不機嫌そうに、肩に置かれた少年の片手を振り払うと、その場から立ち去った。
少年の頭から、スッと耳が消え、妖気も治る。少年は優子を一瞥すると、何事もなかったようにその場を立ち去ろうとする。
「あ、あの……!」
優子の言葉に、立ち止まる少年。
「助けてくれて、ありがとう」
「……別に。あんたのためじゃないから」
少年は無愛想にそう言うと、優子の横を通り過ぎようとするが、優子は咄嗟に、少年の腕を掴んだ。
「待って……! あなた、怪我をしているじゃない」
自分の腕に向けられた優子の視線に、少年は腕を一瞥する。腕からは血が出ていた。先ほど男に手を振り払われた際に、爪で腕を引っ掻かれたようだ。
「こんなのどうってことない」
「ダメよ、ちゃんと手当しないと。傷からばい菌が入って、感染症を起こすかもしれないわ」
心配する優子に、少年は鬱陶しそうに優子を睨む。
「俺、妖怪だよ」
「そんなこと分かってる。妖怪でも人でも、怪我をしたなら手当した方がいいことに変わりないわ」
優子のその言葉に、少年の金色の瞳が、大きく見開かれた。
「……あんたには、人も妖怪も同じに思えているんだな」
少年は優子には聞こえない声で、ボソッとそう呟く。そして、じっと優子を見ると、ため息をついた。
「若の奥さんが、こんなに面倒な人とは思わなかったな」
「えっ……若って……」
そこに、薊がやって来る。
薊は優子を見つけると、荒々しくとこちら歩み寄ってくる。
「お前、どこをほっつき歩いて……って、庵じゃねーか。なんだ、お前も来てたのか」
「九条さん、この子とお知り合いですか?」
「知り合いも何も、こいつは青紫の密偵だよ」
「密偵? そうなの?」
優子の問いに、庵は特に頷くこともせず、めんどくさそうにしている。人間でいうと、十代半ばの少年に見える庵は、小柄で細く、綺麗な男の子というよりかは、ボーイッシュな女の子というような見た目をしている。
とても密偵をしているようには見えない。
使用人に声をかけ、救急箱を借りると、空いている客間に入った。ソファに座った優子は救急箱を開くと、突っ立っていた庵に隣に座るように視線を促す。
庵は諦めたように小さくため息をつくと、優子の隣に腰を下ろした。
優子に片手を差し出され、庵は仕方がなさそうに優子の片手に腕を乗せる。優子は傷口を消毒すると、包帯を巻いていく。
「随分と慣れているんだな」
包帯を巻く優子の手元に、視線を落としながら庵は言う。
「いつも怪我をしたら、自分で手当てをしていたから」
「あんた、お嬢様だったんじゃないの? こういうのも、使用人とがやってくれるものだろ」
庵のその言葉に、優子の手がぴたりと止まる。
「……妖怪を見る私は気味が悪い子だからって、みんな触りたがらなかったのよ」
妖怪から追いかけ回されてついた傷は、妖怪が見えない者にとっては、忌々しい呪いのように思えたのだろう。痛々しい傷をどれだけ負っても、幼い優子に手を差し伸べてくれる大人などいなかった。
ただ一人、青紫を除いては。
「でも、青紫さんは私に触れて手当てをしてくれたわ」
心から嬉しそうにそう言った優子は、再び手を動かし包帯を巻く。
誰かからの手当てなんて、あのとき受けたのが初めてだった。怪我をした優子に触れる青紫の手つきは繊細で優しく、まるで宝物を扱うかのようだった。今でも、その触れられた時の温もりが、優子の中に残っている。
庵は何を聞き返すことなく、黙って優子の手当てを受けた。
「ただのかすり傷でよかったわ」
「だから言っただろ、大したことないって」
ぶっきらぼうな庵に、優子は微笑む。
「来てたなら、俺にも連絡よこせよな。青紫のやつも何も言わないで」
ソファの後ろに立っていた薊は拗ねたようにそう言うと、ニヤリと笑い、嬉しそうな笑みを浮かべながら、雑な手つきで庵の頭を撫でる。庵は鬱陶しそうに片手で薊の手を払う。
「はい、これで終わりよ」
包帯を巻き終えた優子は、庵の腕からパッと手を離す。
「……ありがとう」
口を尖らせ、少し恥ずかしそうに言う庵。
「どういたしまして」
無愛想でぶっきらぼうな庵だが、なんだか可愛らしい。
「さっきの札、若がくれたの?」
「え? ああ……ええ、そうよ」
優子は着物の懐から札を取り出し、庵に見せる。
「それがどんな術か知ってる?」
「いいえ……黒羽さんは、自分の血で作ったって言ってたわ」
「__守術。その名の通り、守るための術。術者は命を削ってその術を施している」
命……。
「誰にでもできることじゃない。強い妖力と素質がいる。若はそこらの祓い屋と違って、優秀なんだ。でも、体に悪影響があることに変わりない」
「そう、なの……」
自分の血を使っていたから、大きな術なのだろうとは思っていたが、命を削っていたとは、全く知らなかった。
深刻そうな顔をする優子に、深くため息をつく庵。
「若はなんでそこまでして、あんたを守るんだか……」
優子は椅子から立ち上がると、救急箱を棚に戻す。
「でも、お前が来るなんて、青紫のやつに何か頼まれたのか?」
「……それは言えない。秘密事項だ」
二人の会話をよそに、窓辺に近寄る優子。窓の外を眺めていると、屋敷の影から人が出てくる。
あれは……。
そこにいたのは青紫だった。青紫は一人屋敷の裏手側に歩いていく。
(どこへ行こうと……)
窓の外を見入る優子。庵は横目でその様子を伺っていた。
青紫の手元には、あの弓があった。
嫌な予感がした。
優子は足早に客間を出ていく。それを見ていた庵はサッと椅子から立ち上がると、優子の後を追い客間を出ていく。
「あ、おい! お前ら……!」
突然客間を出て行った二人を薊は慌てて追う。廊下に出ると優子は走り出し、階段を降りすぐに屋敷の玄関までたどりつく。意外にも足の早い優子に、油断していた庵はスピードを上げ離れないように優子についていく。
「お前ら待ってって……!」
その後ろを何がなんやら分からない薊が追う。