翌日の正子、薊の運転で、会場となっている漆原一門の別荘に向かっていた。
道中、襲ってくる眠気に耐えるのが大変だったが、優子の心は晴れやかだった。
隣に座る青紫を見ると、青紫は涼しい笑みを浮かべ、窓の外を見ている。青紫のおかげで、前園家との縁が完全に切れた。もうあの場所に戻らなくていい、優子は長い呪縛から解き放たれたかのようだった。
優子の視線は、青紫の側にある白い包みに移り変わる。
(今日も持っている……)
弓は祓い屋が使う術の一つらしい。青紫もこの弓を使って、妖怪を祓っているのだろう。だが、今日は夜会に参加するだけで、妖怪を祓いに行くわけではない。御信用? というようなものだろうか。どうして弓を持っているのか、優子は疑問に思っていた。
「そういえば、今日は洋装なんですね」
今日の青紫は黒いスーツに身を包んでいる。いつもの着物姿も絵になるが、洋装姿も絵になる。
優子の問いに、青紫は優子を見る。
「ええ、頭首への挨拶もありますし、一応は正装を」
思えば、今日は薊がきちんと身なりを整えている。シャツも出ていないし、ネクタイも首の上まで締め、ジャケットも着ていて、昨日とは大違いだ。
それなりに身なりを整えれば、薊は確かに旧家の当主に見えた。
そんな二人を見て、優子は自分の身なりが気になり出す。もう少し綺麗な身なりをしてきた方が良かったのではないか。髪も目立たないように、何かで隠したほうが良かったのではないだろうか。
「夜会と言っても名ばかりなものですから、そんなに気を張らないで大丈夫ですよ。それに……」
青紫は片手でするりと優子の髪を掬うと、目を閉じ、掬った髪にキスを落とす。
「そのままのあなたが、美しい」
真っ直ぐに見つめられながらそう言われ、優子の心臓は大きく高鳴った。頬を赤く染め、落ち着きなくソワソワとしてしまう。
「あ、ありがとうございます……」
青紫はニコッと微笑むと、優子の髪から手を離し前を見る。
自分でも分かるくらいに頬が熱い。
恥ずかしさで顔を赤くし身を縮める優子と、涼しい顔のままの青紫。そんな二人の様子に、薊はきまづそうに咳払いをする。
「ほら、もうすぐつくぜ」
こうしてはいられない。今日は胸をときめかせている場合ではないのだから。
優子は気を引き締めようと、両手で頬を軽く叩いた。
車は洋屋敷の前に停車した。闇にひっそりと佇む洋屋敷は、未知の世界に誘おうとしているかのようだ。優子が車から降りようとすると、先に降りた青紫がそっと片手を差し出してくれる。優子はその手を取り車を降りた。歩き出す薊に続こうとすると、目の前に青紫が立ち塞がる。
「渡した札は?」
「ここに」
優子は着物の胸元に入れてあった札を半分ほど取り出し見せる。青紫は満足そうな笑みを浮かべ頷くと歩きだす。
中に入ると、広い玄関ホールに多くの祓い屋がいた。天井には金色の大きなシャンデリがぶら下がっていて、屋敷内を豪華に照らしていた。クロスが敷かれた丸いテーブル上には、食べ物や飲み物が置かれていて、祓い屋たちは飲食をして談笑を楽しんでいる。
(あれは、妖怪……)
祓い屋のすぐ隣には、寄り添うようにして妖怪がいる。おそらく、式神だろう。祓い屋の中には、妖怪と契約を交わし仕事をしている者もいるという。祓い屋に使役されている妖怪のことを式神と言うのだ。
お面をつけて顔を隠している妖怪、尻尾や耳が生えている妖怪、長い髪をゆらゆらとさせ着物に身を包む妖怪、もやもやとした影のような妖怪、姿形はそれぞれで一貫性はない。
明らかに姿形が人間とは異なる存在が多いが、中には人間のような姿形をしている妖怪や、ヒトツメ鬼のように人間に化けることができる妖怪もいる。妖怪と人間の区別がつかない優子にとって、ここは見極める力をつけるためのいい練習場にもなりそうだ。
祓い屋たちは入ってきた青紫に気づくと、口々にこそこそと何かを話し始める。
「おい見ろ、黒羽の青紫だ」
「本当だ。今日は漆原一門の夜会だからさすがに来たか」
「相変わらず食えなそうな男だな。あんな奴が我ら祓い屋の頂点に君臨する一門の嫡男とは、黒羽の頭首も苦労が絶えないだろうに」
ああやって、こそこそと人のこと悪く言うのは、本当にたちが悪い。苛立ちを感じる優子とは対照的に、青紫は気にせず屋敷内を進む。
「気をつけろ、そんなことを言ったら、食われるぞ」
「フハハッ……確かにそうだな。半妖など恐ろしいったらありゃしない。紅葉さんもあんな男との縁談が破談になって、かえって良かっただろうに」
(紅葉さん……?)
すると、突然ホール内が騒がしくなる。入り口付近に、紅葉柄の着物を着たショートカットの女性がいた。
「おお、紅葉さんだ」
「本当だ、挨拶に行こう」
女性の周りには一気に人が群がり、祓い屋達はみな我先にと媚を売り出す。女性は群がる祓い屋達の話に静かに耳を傾けている。
ふと、女性の視線がこちらに向く。
「青紫さん……?」
女性は他の祓い屋達に断りを入れると、こちらにやってくる。
「……紅葉さん」
「お越しになっているとは思わなかったです」
赤い口紅が塗られた唇には、品の良い笑みが浮かぶ。他の祓い屋たちは青紫と紅葉の会話に耳を傾け、二人は注目の的となる。
「私を連れてくるよう薊に頼んだのは、あなたでしょうに」
呆れた様子の青紫に、紅葉は片手で口元を隠し笑みをこぼす。
「ふふっ……ええ、そうです。あなたにお会いしたくて。何せ、婚約式のとき以来、お顔も見られてませんでしたから」
婚約式……ということは、この人が青紫の婚約者であり、漆原一門頭首の娘である、漆原紅葉。
紅葉の視線は、青紫の隣に立つ優子に向けられる。筆で線を描いたような綺麗な一重の目は、聡明さを感じさせる。
「こちらが……」
「私の妻の優子さんです」
「お初にお目にかかります。黒羽優子と申します」
丁寧に腰を折り曲げ挨拶をする優子に、紅葉は優しく微笑む。
「はじめまして優子さん。漆原紅葉と申します」
挨拶を返すと、紅葉はじっと優子を見る。
「ご結婚されたと聞いていましたが、こんなお綺麗な方とは」
「恐縮です」
「せっかく来ていただいて申し訳ないですが、頭首は体調を崩しておりまして、今日の夜会は欠席となります」
頭首への挨拶を目的としてきたが、体調を崩しているのなら仕方がない。
「そうですか。お大事になさってくださいと、お伝えください」
「ありがとうございます。優子さんのお心遣い、頭首も嬉しく思われるでしょう。慣れない場で気疲れすると思いますけど、今日はよろしくお願いしますね」
「はい、よろしくお願いします」
(良かった、邪険には思われてないみたい)
そう、優子がほっとしたのも束の間、紅葉の優しい視線は青紫に向けられる。
「青紫さん、少し二人きりでお話しよろしいかしら?」
紅葉の問いに、青紫は優子の腰を抱くと引き寄せる。
(青紫さん……?)
驚いた優子は青紫を見上げる。
「申し訳ありませんが、今日は妻が一緒ですから」
青紫と優子の急接近に、紅葉はわずかに目を見開くが、すぐに品の良い笑みを浮かべた。
「仲が良くて羨ましいです。私もできれば、お二人の時間を邪魔したくないのですが……」
紅葉が意味あり上げな視線で、優子を一瞥する。何なのだろうかと不安がる優子。青紫は仕方がなさそうに、小さくため息をついた。
「薊」
少し離れて他の祓い屋と談笑していた薊がこちらにやって来る。
「私が戻るまで、優子さんをお願いします」
そう言うと、青紫は優子から手を離す。
「いや、お願いされてもな……」
薊は仏頂面でそう言うと、めんどくさそうにして、片手で無造作に頭を掻いた。
「黒羽さん」
不安気にする優子に、青紫は優子の目線に合わせ腰を折り曲げると、優しい笑みを浮かべる。優子の頭に、ポンっと片手を置く。
「すぐに戻ります」
青紫は紅葉の後に続き、奥の扉の中へと消えていく。野次馬をしていた他の祓い屋たちも各々に散っていく。優子は青紫の後ろ姿を不安な気持ちで見つめるしかなかった。
道中、襲ってくる眠気に耐えるのが大変だったが、優子の心は晴れやかだった。
隣に座る青紫を見ると、青紫は涼しい笑みを浮かべ、窓の外を見ている。青紫のおかげで、前園家との縁が完全に切れた。もうあの場所に戻らなくていい、優子は長い呪縛から解き放たれたかのようだった。
優子の視線は、青紫の側にある白い包みに移り変わる。
(今日も持っている……)
弓は祓い屋が使う術の一つらしい。青紫もこの弓を使って、妖怪を祓っているのだろう。だが、今日は夜会に参加するだけで、妖怪を祓いに行くわけではない。御信用? というようなものだろうか。どうして弓を持っているのか、優子は疑問に思っていた。
「そういえば、今日は洋装なんですね」
今日の青紫は黒いスーツに身を包んでいる。いつもの着物姿も絵になるが、洋装姿も絵になる。
優子の問いに、青紫は優子を見る。
「ええ、頭首への挨拶もありますし、一応は正装を」
思えば、今日は薊がきちんと身なりを整えている。シャツも出ていないし、ネクタイも首の上まで締め、ジャケットも着ていて、昨日とは大違いだ。
それなりに身なりを整えれば、薊は確かに旧家の当主に見えた。
そんな二人を見て、優子は自分の身なりが気になり出す。もう少し綺麗な身なりをしてきた方が良かったのではないか。髪も目立たないように、何かで隠したほうが良かったのではないだろうか。
「夜会と言っても名ばかりなものですから、そんなに気を張らないで大丈夫ですよ。それに……」
青紫は片手でするりと優子の髪を掬うと、目を閉じ、掬った髪にキスを落とす。
「そのままのあなたが、美しい」
真っ直ぐに見つめられながらそう言われ、優子の心臓は大きく高鳴った。頬を赤く染め、落ち着きなくソワソワとしてしまう。
「あ、ありがとうございます……」
青紫はニコッと微笑むと、優子の髪から手を離し前を見る。
自分でも分かるくらいに頬が熱い。
恥ずかしさで顔を赤くし身を縮める優子と、涼しい顔のままの青紫。そんな二人の様子に、薊はきまづそうに咳払いをする。
「ほら、もうすぐつくぜ」
こうしてはいられない。今日は胸をときめかせている場合ではないのだから。
優子は気を引き締めようと、両手で頬を軽く叩いた。
車は洋屋敷の前に停車した。闇にひっそりと佇む洋屋敷は、未知の世界に誘おうとしているかのようだ。優子が車から降りようとすると、先に降りた青紫がそっと片手を差し出してくれる。優子はその手を取り車を降りた。歩き出す薊に続こうとすると、目の前に青紫が立ち塞がる。
「渡した札は?」
「ここに」
優子は着物の胸元に入れてあった札を半分ほど取り出し見せる。青紫は満足そうな笑みを浮かべ頷くと歩きだす。
中に入ると、広い玄関ホールに多くの祓い屋がいた。天井には金色の大きなシャンデリがぶら下がっていて、屋敷内を豪華に照らしていた。クロスが敷かれた丸いテーブル上には、食べ物や飲み物が置かれていて、祓い屋たちは飲食をして談笑を楽しんでいる。
(あれは、妖怪……)
祓い屋のすぐ隣には、寄り添うようにして妖怪がいる。おそらく、式神だろう。祓い屋の中には、妖怪と契約を交わし仕事をしている者もいるという。祓い屋に使役されている妖怪のことを式神と言うのだ。
お面をつけて顔を隠している妖怪、尻尾や耳が生えている妖怪、長い髪をゆらゆらとさせ着物に身を包む妖怪、もやもやとした影のような妖怪、姿形はそれぞれで一貫性はない。
明らかに姿形が人間とは異なる存在が多いが、中には人間のような姿形をしている妖怪や、ヒトツメ鬼のように人間に化けることができる妖怪もいる。妖怪と人間の区別がつかない優子にとって、ここは見極める力をつけるためのいい練習場にもなりそうだ。
祓い屋たちは入ってきた青紫に気づくと、口々にこそこそと何かを話し始める。
「おい見ろ、黒羽の青紫だ」
「本当だ。今日は漆原一門の夜会だからさすがに来たか」
「相変わらず食えなそうな男だな。あんな奴が我ら祓い屋の頂点に君臨する一門の嫡男とは、黒羽の頭首も苦労が絶えないだろうに」
ああやって、こそこそと人のこと悪く言うのは、本当にたちが悪い。苛立ちを感じる優子とは対照的に、青紫は気にせず屋敷内を進む。
「気をつけろ、そんなことを言ったら、食われるぞ」
「フハハッ……確かにそうだな。半妖など恐ろしいったらありゃしない。紅葉さんもあんな男との縁談が破談になって、かえって良かっただろうに」
(紅葉さん……?)
すると、突然ホール内が騒がしくなる。入り口付近に、紅葉柄の着物を着たショートカットの女性がいた。
「おお、紅葉さんだ」
「本当だ、挨拶に行こう」
女性の周りには一気に人が群がり、祓い屋達はみな我先にと媚を売り出す。女性は群がる祓い屋達の話に静かに耳を傾けている。
ふと、女性の視線がこちらに向く。
「青紫さん……?」
女性は他の祓い屋達に断りを入れると、こちらにやってくる。
「……紅葉さん」
「お越しになっているとは思わなかったです」
赤い口紅が塗られた唇には、品の良い笑みが浮かぶ。他の祓い屋たちは青紫と紅葉の会話に耳を傾け、二人は注目の的となる。
「私を連れてくるよう薊に頼んだのは、あなたでしょうに」
呆れた様子の青紫に、紅葉は片手で口元を隠し笑みをこぼす。
「ふふっ……ええ、そうです。あなたにお会いしたくて。何せ、婚約式のとき以来、お顔も見られてませんでしたから」
婚約式……ということは、この人が青紫の婚約者であり、漆原一門頭首の娘である、漆原紅葉。
紅葉の視線は、青紫の隣に立つ優子に向けられる。筆で線を描いたような綺麗な一重の目は、聡明さを感じさせる。
「こちらが……」
「私の妻の優子さんです」
「お初にお目にかかります。黒羽優子と申します」
丁寧に腰を折り曲げ挨拶をする優子に、紅葉は優しく微笑む。
「はじめまして優子さん。漆原紅葉と申します」
挨拶を返すと、紅葉はじっと優子を見る。
「ご結婚されたと聞いていましたが、こんなお綺麗な方とは」
「恐縮です」
「せっかく来ていただいて申し訳ないですが、頭首は体調を崩しておりまして、今日の夜会は欠席となります」
頭首への挨拶を目的としてきたが、体調を崩しているのなら仕方がない。
「そうですか。お大事になさってくださいと、お伝えください」
「ありがとうございます。優子さんのお心遣い、頭首も嬉しく思われるでしょう。慣れない場で気疲れすると思いますけど、今日はよろしくお願いしますね」
「はい、よろしくお願いします」
(良かった、邪険には思われてないみたい)
そう、優子がほっとしたのも束の間、紅葉の優しい視線は青紫に向けられる。
「青紫さん、少し二人きりでお話しよろしいかしら?」
紅葉の問いに、青紫は優子の腰を抱くと引き寄せる。
(青紫さん……?)
驚いた優子は青紫を見上げる。
「申し訳ありませんが、今日は妻が一緒ですから」
青紫と優子の急接近に、紅葉はわずかに目を見開くが、すぐに品の良い笑みを浮かべた。
「仲が良くて羨ましいです。私もできれば、お二人の時間を邪魔したくないのですが……」
紅葉が意味あり上げな視線で、優子を一瞥する。何なのだろうかと不安がる優子。青紫は仕方がなさそうに、小さくため息をついた。
「薊」
少し離れて他の祓い屋と談笑していた薊がこちらにやって来る。
「私が戻るまで、優子さんをお願いします」
そう言うと、青紫は優子から手を離す。
「いや、お願いされてもな……」
薊は仏頂面でそう言うと、めんどくさそうにして、片手で無造作に頭を掻いた。
「黒羽さん」
不安気にする優子に、青紫は優子の目線に合わせ腰を折り曲げると、優しい笑みを浮かべる。優子の頭に、ポンっと片手を置く。
「すぐに戻ります」
青紫は紅葉の後に続き、奥の扉の中へと消えていく。野次馬をしていた他の祓い屋たちも各々に散っていく。優子は青紫の後ろ姿を不安な気持ちで見つめるしかなかった。
