人形令嬢と半妖のあやかし祓い屋

太陽の光が本格的に降り注いできた正午、優子は裏庭で洗濯物を干していた。籠からシーツを取り出すと、物干しスタンドに広げて干す。ふと手を止め、洗濯物の間から差し込む光に目を細める。光に導かれるように、物干しスタンドから離れると、両手を広げ、太陽の光を全身で浴びる。光を浴びた優子の白い肌は、発光するかのように輝く。少し前までは、こうして太陽の光を浴びることもなかった。今、生きていることを強く実感できる。これも全て、青紫のおかげだ。
玄関の方から足音が聞こえる。
「黒羽さん……?」
そう思ったが、聞かされていた帰宅時間はまだ随分先だ。多江は夕飯の買い出しに行っていて、屋敷には優子ひとりで誰もいない。来客の予定も聞かされていない。もしかしたら、青紫の仕事が早く終わったのかもしれない。そう思い、玄関へ続く小道を抜けると、玄関前に人が立っていた。
「黒羽さ……」
声をかけようとして止める。
「あんたが優子さん?」
そこにいたのは、青紫ではなく、スーツ姿の体格の良い男だった。男は右頬にある大きな傷をボリボリと掻きながら、優子に近づいてくる。目の前まで来た男は、優子を上から下までじっと見ると、眉を上げ、ニヤリと笑う。
「ふーん……なるほどな」
その意味深な発言と見定めるような視線に、優子は警戒心を強める。
「失礼ですが、どちら様ですか」
優子は毅然とした態度で男に問う。
そんな優子に、男は「ふんっ」と嘲笑うかのような笑みを浮かべる。
「俺は薊。お前の旦那の青紫とは、古い友人でな」
友人……?
「青紫はいるかー?」
考える優子をよそに、薊は勝手に玄関の扉を開ける。
「ちょっと……!」」
優子が止めるも、薊はずかずかと中に入っていく。
「相変わらずしけた屋敷だなここは」
家の中を見回すと、薊は仏頂面でそう言う。
「黒羽さんなら仕事に行っています
「なんだ、タイミングが悪いな」
そう言い、薊は片手で乱雑に自分の頭を掻く。
この男はなんなんだ。いきなり現れたかと思いきや、勝手に人の家に上がり込んで馬鹿にする。失礼極まりない薊に、優子の不信感は増すばかり。
「なあ、あんた。ちょっと面かせよ」
そう言うと、薊は優子に向かって片手を伸ばしてくる。嫌がった優子が咄嗟に、薊の手を払い除けようとした、その時だった__。
後ろからスラリとした片腕が伸びてきて、優子のお腹に片手が回される。体が引き寄せられ、驚いた優子が後ろを見ると、そこには青紫がいた。
「黒羽さん……!」
「ただいま帰りました」
至近距離に迫った青紫の顔に、優子の頬はうっすらと赤く染まる。
「お、おかえりなさい……!」
体を包み込むように両手をお腹に回され、優子の心臓は鼓動を速める。
「フッ…よぉ、青紫。早かったじゃねーの」
「カラスが教えてくれたのですよ。横暴そうな奴が屋敷に接近していると」
「類は友を呼ぶってか? さすがは八咫烏の血を引くお前だ。カラスの言葉が分かるんだな」
この男、青紫が半妖だと知っている。
(というか、黒羽さん……ち、近い……)
耳のすぐ近くで青紫の気高い声が響き、優子の鼓動は自分の耳に聞こえるくらいに高鳴ってしまう。
「突然押しかけるなんて非常識ですよ。薊」
「そうかりかりするなよ。ちょっと挨拶しようとしただけじゃねーか」
薊はからかった笑みを浮かべそう言うと、優子を一瞥する。その視線気に食わなかったのか、じっと薊を見る青紫。わずかにだが、お腹に回された青紫の抱擁がきつくなったのを優子は感じた。
「九条家当主であるあなたが、私たちに何の用ですか」
一門? 当主? この横暴そうな男は、そんなにすごい人なのか。
「まあ、こんなところで立ち話もなんだし、茶でも飲みながらにしようぜ」
言いながら、薊はさも自分の家かのように屋敷に上がる。ため息をついた青紫は、やれやれというように優子への抱擁を解くと、薊の後に続いた。
「ふぅ……」
青紫が離れ、優子はようやく一息つけた。
胸に片手を置く。まだ心臓がバクバクしてる。あれで吐息でも吐かれてしまったら、自分はどうなっていたことか。ミステリアスな雰囲気を持つ青紫だが、その核には儚げな妖艶さがある。それは妖怪特有なのか、生まれ持ったものなのかは分からないが、本人に自覚はないようだ。
異性にこんな風に翻弄されるにも、優子は初めてだった。
「優子さん」
廊下の角を曲がろうとしていた青紫が優子に振り向く。
「あっ、は、はい……!」
返事をすると、優子は足早に青紫の後を追う。
客間に入ると、薊はどかっとソファに腰を下ろし、背もたれに両腕を伸ばしながら足を組み偉そうにする。
「おい女、茶を淹れろ」
優子が薊を見ると、目が合う。
「……それ、私に言ってます?」
「お前以外に女がどこにいるんだよ」
召使いとでも思っているのか。客人のおもてなしはちゃんとしたいが、相手がこれではやる気にならない。
優子は不満げな顔で薊を睨んだ。
「すいません、私の分もお願いできますか」
そんな優子の気持ちを察したのか、青紫は申し訳なさそうにそうに言う。
(これは彼のためよ)
優子は自分にそう言い聞かせると、客間を出て台所へ向かう。
台所でやかんに水を入れ火にかけると、お湯が沸くのを待つ間に、棚から急須と茶葉を取り出す。お湯が沸騰すると、急須に茶葉を入れお湯を注ぐ。茶葉は煎茶にした。青紫は煎茶が好きなのか、よくこのお茶を飲んでいるのだ。
おぼんに急須と湯呑みを二つ乗せると、客間に戻る。扉の前に来て足を止めると、扉を三回叩いた。
「失礼します」
優子は床に両膝をつくと、テーブルの上におぼんを置く。湯呑みにお茶を淹れると薊の正面のソファに腰を下ろしていた青紫の前に湯呑みを置いた。
「おいおい、まずは客人からだろうが。そんなことも知らないのか?」
薊の馬鹿にするような言い方に、優子は腹が立ったが堪える。
(彼のため……彼のため)
「申し訳ありません」
優子は淡々とそう言うと、薊の前に湯呑みを置いた。薊は湯呑みを持つと、満足げにお茶を口にする。
(……ほんと嫌な人)
おぼんを持つと、優子はそのまま客間を出ようするが。
「優子さんにも、彼を紹介しておきます」
青紫に隣に座るように手で促され、優子は青紫の隣に腰を下ろした。
「改めて、彼は九条薊。これでも一応、旧家の九条家の当主です」
「一応ってな……」
青紫の言葉に、気に食わなさそうに顔を顰める薊。
「こちらは、私の妻の優子さんです」
優子は薊に会釈をする。
(今、妻って言った……)
夫婦なのだから当たり前だが、改めて口にされると、なんだか恥ずかしいものだ。
(でも、嬉しい、かも……)
思わず、口元に笑みを浮かべる優子。そんな優子の心を見透かしてか、薊は口の端を上げ、ニヤニヤとした顔で優子を見る。その視線に気づいた優子は小さく咳払いをすると、スッと笑顔を引っ込めた。
「まさか、お前が妻を娶るとはな。風の噂で聞いていたが、本当だったとは……しかも、見える側だ」
その言葉に、優子はドキッとする。
「私が見えること、どうして分かるんですか」
何も言ってないし、薊の前で、妖怪を見たわけでもない。
「はっ、馬鹿にするなよな、俺だって祓い屋だ」
「えっ……祓い屋って、あやかし祓いですか?」
「そうだ」
優子が確認するように青紫を見ると、青紫は黙ったままお茶を飲んでいる。
「では、その傷は……」
シャツを捲った腕には、頬の傷と同様、刀で切られたよう傷がいくつもある。
「これは妖怪を祓う際についた、勝利の勲章だ」
そう言い、薊は二ヒッと歯を出して笑い、誇らしそうに優子に傷を見せてくる。てっきり、喧嘩でもして負った傷だと思っていた。
「九条家は、元は地主の役割を担っていたが、俺の曽祖父が見える側の人間でな、祓い屋を生業としはじめたのさ」
あやかし祓いということは、青紫と同業者ということになる。薊も妖怪を見ることができる一人なのだ。
人生とはおかしなものだ。少し前までは妖怪を見ることで厄介者扱いされていたのに、今では見える人がいることが普通で、それを祓う人間にまで出会っているのだから。
この世に世界は一つだけ……なんてことはないのかもしれない。
「それで、話とはなんですか」
テーブルに湯呑みを置いた青紫は薊に問う。
「明日の正子、夜会が開かれる。お前も出席しろとのお達しだ」
「私は結構です」
青紫は缶発いれず言う。
「主催者は、漆原一門だ」
その言葉に、伏せられていた青紫の視線が薊に向けられる。
「漆原一門からの誘いとなれば、お前も断れんだろ」
夜会……? 漆原一門とは、また祓い屋のことを言っているのだろうか。二人の会話についていけず、優子は困惑した表情を浮かべる。
「あの、夜会って……それに、漆原一門って」
優子の控えめな問いに、薊は目を点にする。
「お前……そんなことも知らないでこいつの嫁やってんのかよ」
薊は呆れたように大きなため息をつく。
「おい、青紫。こいつに一族のこととか祓い屋のこととか、ちゃんと話してんのか?」
「……必要なことは」
「まったく、どいつもこいつも……」
薊は無造作に頭を掻くと、めんどくさそうに優子に向き直り説明をする。
「いいか、祓い屋の夜会ってのは、真夜中に開催される秘密の集いだ。まぁ、簡単に言うと交流会みたいなものだな」
「……なるほど」
祓い屋の世界にも、そういうコミュニケーションを取る場があるらしい。
「んで、漆原一門ってのが、黒羽に次いで二番目に権力のある一門で、異能が大好きでな。これがまた厄介な話で、使役している妖怪のほとんどが異能もちだ」
「異能……それって、何か特殊な術を使うということですか?」
「ああ、系統はさまざまで、強い妖怪ほど異能を持つと言われている。ちなみに、青紫も異能もちなんだぜ」
自慢げな薊の視線が青紫に向けられる。
「え、そうなのですか?」
薊の言葉に、優子は思わず青紫を見る。
「もういいでしょう」
聞かれたくないのか、話を終わらそうとする青紫。そんな青紫を見た薊は真剣な面持ちで言う。
「お前も祓い屋でいたいなら、漆原一門を敵に回すようなことはしない方がいい。お前が祓い屋連中をよく思っていないように、連中もお前をよく思っていないんだ」
「……分かっています」
顔を俯け、ぶっきらぼうにそう言った青紫。その横顔は大きな重圧に耐えているようだ。
「夜会にはお前も来い」
そう、薊は優子に目を向け言う。
「え? 私もですか」
「優子さんは関係ありません」
「いいや、漆原家の頭首に結婚の挨拶くらいはした方がいいだろ。何せ、お前は頭首の娘との婚約を破棄しているんだからな」
(えっ……)
婚約__。薊のその言葉に、優子の心はざわついた。
(黒羽さん、婚約してたんだ……それも、漆原一門の娘さんと……)
青紫に婚約者いたことは初耳だった。契約結婚の相手にわざわざ言うことでもないだろう。だが、気になってしまった。青紫がどんな相手と共に過ごしてきたのかを。