襖から心地良い風が入ってくる。身を委ねるように目を瞑ると、鼻から空気を吸い込み、息を吐いた。
……まさか、こんなことになっているとは。
手に持っている新聞には、帝都で起きた大火災について書かれている。
前園家で起きた、あの夜のことだ。
前園家は全焼、被害は近隣の家まで及んだが、幸いにも死者は出なかった。
そして、信じがたい事実が明らかになった。前園家は多額の借金を抱えており、銀行は経営難に陥っていたのだ。
前園家は没落したも同然。
自分を早く嫁がせようとしたこと、相手が成金の高場であったこと、その全てが腑に落ちた。何よりも一番の問題は、放火の犯人がまだ捕まっていないこと。犯行現場となった前園家は人通りの多い帝都にある。だが、放火の前後、誰も不審な者の姿を見ていないという。
……奇妙なことだ。
スズメの鳴き声に、視線を手元の新聞から裏庭にある木に向ける。並んでいる二羽のスズメが、首を傾げながら歌うように鳴いている。愛らしい姿に、優子の口元には自然と笑みが浮かぶ。
(……あれ。あの右のスズメ……)
右側にいるスズメの影が、薄く見える。
「あらあら、優子さん、起きてて大丈夫なんですか?」
入ってきたのは、青紫の屋敷の使用人、多江だ。六十代半ばで笑った時に両頬にえくぼがあるのが可愛らしい女性。この屋敷に世話になってから、多江が優子の看病をしてくれていた。
「平気です。寝てばかりいたら、体も鈍ってしまいますから」
多江はおぼんを畳の上に置くと、布団の上で上体を起こしている優子に湯呑みを渡す。
「怪我の具合はどうですか?」
「まだ痛みますが、大したことありません」
体にはあちこちに包帯が巻かれている。見た目は良くないが、体はかなり回復している。額の傷はかさぶたができるまでに良くなった。頬も腫れは引き、笑っても痛くない。手の甲の傷も深くなく、傷跡も残らないはずだ。
「多江さん、あそこの木の上に止まっている、二羽のスズメなのですが、右側のズズメ、影が薄くありませんか?」
「え?」
優子が指差した先を見て、多江は不思議そうに首を傾げる。
「ズズメなら、一羽しかいませんよ?」
「え……」
多江には見えていない。つまり、あのスズメはもう……。
影の薄いスズメは、隣にいるスズメに寄り添うようにしている。
家族……友人…いや、あれは。
その慈しむような寄り添いに、優子は二羽のスズメの深い結びつきを感じ取った。
「さ、冷めないうちに」
多江に促され、優子はお茶を一口飲む。
「美味しい……」
「桜茶です。若様が帝都に行った時に、お見上げで買ってきてくださいました」
多江はここに来て間もないらしく、自宅に住み着く妖怪に悩まされていたところを、青紫が祓ってくれたことがきっかけで、この屋敷に住み込みで働くことになったという。
多江には妖怪は見えていない。ただ、気配を感じることがあるそうだ。
「若様、もう少しでお帰りになりそうですね」
ここ数日、青紫は忙しそうにどこかに出かけていた。早朝や深夜に荷物を抱え屋敷を出て行ったかと思えば、すぐに帰ってきたり、何日も屋敷を空けることもあった。その毎日は、多忙を極めているようだ。
うる覚えだが、青紫は夜中に様子を見に来てくれていた。傷のせいで熱を出し、寝込んでしまった時は、額に置かれた手拭いを変えてくれたり、悪夢にうなされている時には、頭を優しく撫で安心させてくれていた。
優子は無意識に片手で額に触れる。
あのひんやりとした冷たい手には、温もりを感じる。
「あ、若様」
優子が多江の視線の先を追うと、いつの間にか、襖のところに青紫が立っている。
「おかえりなさいませ」
「ただいま帰りました」
屈託ない笑みで、優子に微笑む青紫。その笑みは、もう長い間、張り付いた仮面のようだ。
なぜ温もりを感じるのか。こんなにも、得体の知れない男だというのに。
「お疲れでしょう、お茶を淹れて参ります」
「ありがとうございます」
多江は優子と青紫に一礼すると、部屋を出ていく。
「だいぶ調子が良くなったようですね」
青紫は優子の顔色を確認しながらそう言うと、目の前に腰を下ろした。
「おかげさまで、もう大丈夫です」
あの夜から、二週間近くが経とうとしているが、青紫は何を語ることなく、優子をこの屋敷において、療養に専念させていた。
何がどうなったのか、目覚めてすぐにでも聞きたかったが、体が本調子ではなかった。何せ、傷を負い、食べ物も飲み物もろくに与えられず、暗闇の中に閉じ込められていたのだから。
「黒羽さん」
優子は布団の上で正座をし、姿勢を正すと青紫を見る。
「改めて、お礼を言わせてください。助けてくださって、本当にありがとうございました。あなたがいなければ、私は死んでいました」
二度も、命を救われた。
「あなたが無事で、何よりです」
屈託のない笑みを浮かべ青紫は言う。
掴みどころがなくて、何が本当で何が嘘なのか分からないけど、この言葉は、嘘ではない。
青紫は優子の懐においてある新聞に目を向けると、優子を見据える。
「色々と気になることが多いでしょうが、まずは放火について分かったことがあるので、それをお話ししてもいいでしょうか?」
青紫の問いに優子は頷く。
「まず始めに言っておかなければならないのは、あの屋敷には、結界が張られていたということです」
「結界……?」
予想もしていなかったことに、優子は眉間に皺を寄せ聞き返す。
「前園家の屋敷が建てられたあの土地には、昔、ある陰陽師の家系が住んでいました。彼らは妖怪や霊を呪い祓っていましたが、力が衰え、見えなくなったことで廃業。以来、妖怪や霊からの報復を恐れ、屋敷に結界を張ったのです」
祓い屋に、妖怪と霊からの報復……。
一気に色々な情報が頭の中に流れ込んでくる。優子は混乱しそうになりながらも、冷静に頭の中を整理し、青紫の話に耳を傾け続ける。
「そのうち子孫も絶え、空き家になったあの家の土地を、あなたの養父が買取り、前園家の屋敷が建てられたのです」
「術者が他界しても、術が残り続けることなんて、あるのですか?」
「稀に。祓い屋をしていた者が見えなくなったり、術を使えなくなったりして廃業することは、よくあることです」
妖怪からすれば、祓い屋は天敵。恨みを買ってしまうことは普通のこと。祓い屋は、命の危険が伴う仕事。
「その張られていた結界ですが、かなり強力なもので、簡単には妖怪が中に入れないようになっていたのですよ」
妖怪に追い回されることはよくあった。だが、不思議とあの屋敷まではついてこなかった。それは、屋敷に結界が張られていたから。不憫なものだ。あの屋敷にいたことで、妖怪から守られていたなんて。
「ですが、あの火事は妖怪の仕業かと」
「妖怪が、屋敷に火を放ったのですか?」
青紫は頷くと、話を続ける。
「鎮火した後、屋敷をくまなく調べましたが、妖怪がいた痕跡がありました」
あの屋敷には、ウサギが出入りしていた。妖怪の痕跡があってもおかしくはない。
「それは、あの屋敷を出入りしていた、他の妖怪のものではないですか?」
優子がそう言うと、青紫は何かを思い出したかのように、「あっ」という顔をすると、クスクスとおかしそうに笑う。
「あのような小物では、放火などとても行えませんよ」
「小物って……もしかして、ウサギに会ったのですか? ウサギは……あの子は無事なのですか!?」
前のめりになり、切羽詰まったように問いただす優子に、青紫は冷静に、にっこりとした笑みを浮かべる。
「ええ、無事ですよ。屋敷の前をうろうろしていたので、何か知っているのかと思い声をかけましたが、私を怖がって逃げてしまいました。でも、すぐに戻ってきて、あなたが無事なのかと聞かれたので、無事だと、伝えましたよ」
「……よかった……」
肩に入っていた力が抜け落ちる。
(本当に良かった……)
ウサギが無事だと聞き、優子は心の底から安堵した。
「それと……」
青紫は着物の懐からハンカチを取り出すと、優子に差し出す。
「中を見て下さい」
ハンカチを受け取り、中を見た優子は驚く。
「これ……どうして……」
黒く焼け焦げていたが、優子にはそれが何かすぐに分かった。ハンカチの中にあったのは、切り刻まれたスカーフの破片。
「その小物が、あなたに渡してほしいと。あなたの大事なものだから……と。鎮火した後、瓦礫の下からこのスカーフの破片を探したらしいです」
優子は震えた両手で、スカーフの破片を見つめる。
(ウサギ……)
「そのスカーフ、あの時、探したものですか?」
「……はい。これは、亡くなった母の形見なんです」
あの火事で、全て燃えてしまったと思っていた。もう二度と、戻ることはないと思っていた。だがこうして、手元に戻ってきてくれた。
「っ……」
優子は涙ぐみながら、両手でそっとハンカチを握りしめると、俯けていた顔を上げる。
「ウサギは今どこに」
「さぁ……? ああいう小物は、季節がめぐるたびに、住処を変えますから」
押し込めるようにして、胸にハンカチを抱く優子。
(ウサギ……もう、会えないの? 木を埋める約束も果たせなかった。私こそ、あなたにもらってばかりなのよ)
肩を落とし悲しむ優子を見つめると、青紫は木の上にいるスズメに目を向ける。
「……そのうち、また会えるでしょう。あなたの目には、見えているのだから」
青紫のその言葉に、優子は気付かされる。散々、妖怪に頭を悩まされ続けてきた優子にとって、見えることを良いことだと思えるはずがない。それでも、青紫の言う通り、またウサギに会える。そう考えると、嫌なことばかりではないと。
「そう……ですね」
いつか、もう一度会えたなら、今度はたわいもない話をして笑い合おう。
「では、そうなると、妖怪の痕跡というのは……別の?」
「ええ」
なぜ妖怪が前園家に火を放ったのか。見える自分への嫌がらせとも思えるが、それは考えにくい。妖怪はしつこく絡んできても、襲ってくることはなかった。
__あの妖怪を除いては。
(あの妖怪……?)
ハッとした顔をして自分を見た優子に、青紫はおもしろげにニヤリと笑う。
「お気づきになりましたか?」
「……まさかとは思いますが、あの妖怪なのですか?」
あの老婆の姿をした妖怪は、他の妖怪と違い、優子を食べようとした。
「あの妖怪はヒトツメ鬼と言い、力の強さを求める妖怪です。そしてこれが厄介なことで、ヒトツメ鬼は人間の姿に化けることができる妖怪で、妖力もかなり強い」
「力の強さを求める……それって、私の妖力が強いからですか?」
「私にも、まだ見当がついたわけではありませが、あなたには、何か特別な力があるのかもしれません」
「特別な、力……?」
「その髪色のことなのですが」
青紫の視線は、優子の黄金色の髪に移る。髪を結っていない今は、より輝きが増しているように見える。
「古の時代、黄金色に輝く髪を持つものは、神々を映す鏡だと言われています」
「神々……ですか……。でも、私は普通の人間です。妖怪が、見えますが……」
妖怪が見えること以外、変わったところはない。
「先祖に、同じ髪色を持つ方はいませんでしたか?」
「……分かりません。母はすでに他界していますし、私は父を知らずに育ちました」
昔、一度だけ、小百合に両親のことを聞いたことがあったが、母は一人で優子を産み育てていたということ以外、何も聞かされなかった。もっと血縁関係の近い親戚であれば、何か知っているかもしれないが、どこに住んでいるのかも分からない。
「そうですか……。話がそれましたが、おそらく、あなたのその力を狙って、ヒトツメ鬼はあなたを追い回し、屋敷に火を放った。おおかた、自分はあの屋敷に入れないから、あなたにあの屋敷から出て来てもらおうと火を放ったのでしょう」
ヒトツメ鬼がしきりによこせと言っていたのは、その神々の力。そんな力が自分にあるとは思えないが、青紫の言っていることが本当なら、ヒトツメ鬼はこれからも優子を襲ってくる。
「ですが、あの火事の日、どうして私を襲ってこなかったのでしょうか」
青紫の話だと、ヒトツメ鬼は屋敷の外で優子を待っていたはず。それなのに、どうして襲ってこなかったのか。
「黒羽さん……?」
突然、黙り込む青紫に、優子は首を傾げる。
「それを話すには、私の身の上話を聞いていただかなくてはなりません」
どこか深刻な顔をした青紫。立ち上がり寝室を出て行こうとする青紫と入れ違いで、おぼんに湯呑みを乗せた多江が入ってくる。
「どうかされましたか?」
多江は不思議そうに青紫と優子を見て言う。
優子は布団から出ると、羽織を着る。
「散歩に出かけてきます」
多江にそう言うと、優子は青紫の後を追った。
……まさか、こんなことになっているとは。
手に持っている新聞には、帝都で起きた大火災について書かれている。
前園家で起きた、あの夜のことだ。
前園家は全焼、被害は近隣の家まで及んだが、幸いにも死者は出なかった。
そして、信じがたい事実が明らかになった。前園家は多額の借金を抱えており、銀行は経営難に陥っていたのだ。
前園家は没落したも同然。
自分を早く嫁がせようとしたこと、相手が成金の高場であったこと、その全てが腑に落ちた。何よりも一番の問題は、放火の犯人がまだ捕まっていないこと。犯行現場となった前園家は人通りの多い帝都にある。だが、放火の前後、誰も不審な者の姿を見ていないという。
……奇妙なことだ。
スズメの鳴き声に、視線を手元の新聞から裏庭にある木に向ける。並んでいる二羽のスズメが、首を傾げながら歌うように鳴いている。愛らしい姿に、優子の口元には自然と笑みが浮かぶ。
(……あれ。あの右のスズメ……)
右側にいるスズメの影が、薄く見える。
「あらあら、優子さん、起きてて大丈夫なんですか?」
入ってきたのは、青紫の屋敷の使用人、多江だ。六十代半ばで笑った時に両頬にえくぼがあるのが可愛らしい女性。この屋敷に世話になってから、多江が優子の看病をしてくれていた。
「平気です。寝てばかりいたら、体も鈍ってしまいますから」
多江はおぼんを畳の上に置くと、布団の上で上体を起こしている優子に湯呑みを渡す。
「怪我の具合はどうですか?」
「まだ痛みますが、大したことありません」
体にはあちこちに包帯が巻かれている。見た目は良くないが、体はかなり回復している。額の傷はかさぶたができるまでに良くなった。頬も腫れは引き、笑っても痛くない。手の甲の傷も深くなく、傷跡も残らないはずだ。
「多江さん、あそこの木の上に止まっている、二羽のスズメなのですが、右側のズズメ、影が薄くありませんか?」
「え?」
優子が指差した先を見て、多江は不思議そうに首を傾げる。
「ズズメなら、一羽しかいませんよ?」
「え……」
多江には見えていない。つまり、あのスズメはもう……。
影の薄いスズメは、隣にいるスズメに寄り添うようにしている。
家族……友人…いや、あれは。
その慈しむような寄り添いに、優子は二羽のスズメの深い結びつきを感じ取った。
「さ、冷めないうちに」
多江に促され、優子はお茶を一口飲む。
「美味しい……」
「桜茶です。若様が帝都に行った時に、お見上げで買ってきてくださいました」
多江はここに来て間もないらしく、自宅に住み着く妖怪に悩まされていたところを、青紫が祓ってくれたことがきっかけで、この屋敷に住み込みで働くことになったという。
多江には妖怪は見えていない。ただ、気配を感じることがあるそうだ。
「若様、もう少しでお帰りになりそうですね」
ここ数日、青紫は忙しそうにどこかに出かけていた。早朝や深夜に荷物を抱え屋敷を出て行ったかと思えば、すぐに帰ってきたり、何日も屋敷を空けることもあった。その毎日は、多忙を極めているようだ。
うる覚えだが、青紫は夜中に様子を見に来てくれていた。傷のせいで熱を出し、寝込んでしまった時は、額に置かれた手拭いを変えてくれたり、悪夢にうなされている時には、頭を優しく撫で安心させてくれていた。
優子は無意識に片手で額に触れる。
あのひんやりとした冷たい手には、温もりを感じる。
「あ、若様」
優子が多江の視線の先を追うと、いつの間にか、襖のところに青紫が立っている。
「おかえりなさいませ」
「ただいま帰りました」
屈託ない笑みで、優子に微笑む青紫。その笑みは、もう長い間、張り付いた仮面のようだ。
なぜ温もりを感じるのか。こんなにも、得体の知れない男だというのに。
「お疲れでしょう、お茶を淹れて参ります」
「ありがとうございます」
多江は優子と青紫に一礼すると、部屋を出ていく。
「だいぶ調子が良くなったようですね」
青紫は優子の顔色を確認しながらそう言うと、目の前に腰を下ろした。
「おかげさまで、もう大丈夫です」
あの夜から、二週間近くが経とうとしているが、青紫は何を語ることなく、優子をこの屋敷において、療養に専念させていた。
何がどうなったのか、目覚めてすぐにでも聞きたかったが、体が本調子ではなかった。何せ、傷を負い、食べ物も飲み物もろくに与えられず、暗闇の中に閉じ込められていたのだから。
「黒羽さん」
優子は布団の上で正座をし、姿勢を正すと青紫を見る。
「改めて、お礼を言わせてください。助けてくださって、本当にありがとうございました。あなたがいなければ、私は死んでいました」
二度も、命を救われた。
「あなたが無事で、何よりです」
屈託のない笑みを浮かべ青紫は言う。
掴みどころがなくて、何が本当で何が嘘なのか分からないけど、この言葉は、嘘ではない。
青紫は優子の懐においてある新聞に目を向けると、優子を見据える。
「色々と気になることが多いでしょうが、まずは放火について分かったことがあるので、それをお話ししてもいいでしょうか?」
青紫の問いに優子は頷く。
「まず始めに言っておかなければならないのは、あの屋敷には、結界が張られていたということです」
「結界……?」
予想もしていなかったことに、優子は眉間に皺を寄せ聞き返す。
「前園家の屋敷が建てられたあの土地には、昔、ある陰陽師の家系が住んでいました。彼らは妖怪や霊を呪い祓っていましたが、力が衰え、見えなくなったことで廃業。以来、妖怪や霊からの報復を恐れ、屋敷に結界を張ったのです」
祓い屋に、妖怪と霊からの報復……。
一気に色々な情報が頭の中に流れ込んでくる。優子は混乱しそうになりながらも、冷静に頭の中を整理し、青紫の話に耳を傾け続ける。
「そのうち子孫も絶え、空き家になったあの家の土地を、あなたの養父が買取り、前園家の屋敷が建てられたのです」
「術者が他界しても、術が残り続けることなんて、あるのですか?」
「稀に。祓い屋をしていた者が見えなくなったり、術を使えなくなったりして廃業することは、よくあることです」
妖怪からすれば、祓い屋は天敵。恨みを買ってしまうことは普通のこと。祓い屋は、命の危険が伴う仕事。
「その張られていた結界ですが、かなり強力なもので、簡単には妖怪が中に入れないようになっていたのですよ」
妖怪に追い回されることはよくあった。だが、不思議とあの屋敷まではついてこなかった。それは、屋敷に結界が張られていたから。不憫なものだ。あの屋敷にいたことで、妖怪から守られていたなんて。
「ですが、あの火事は妖怪の仕業かと」
「妖怪が、屋敷に火を放ったのですか?」
青紫は頷くと、話を続ける。
「鎮火した後、屋敷をくまなく調べましたが、妖怪がいた痕跡がありました」
あの屋敷には、ウサギが出入りしていた。妖怪の痕跡があってもおかしくはない。
「それは、あの屋敷を出入りしていた、他の妖怪のものではないですか?」
優子がそう言うと、青紫は何かを思い出したかのように、「あっ」という顔をすると、クスクスとおかしそうに笑う。
「あのような小物では、放火などとても行えませんよ」
「小物って……もしかして、ウサギに会ったのですか? ウサギは……あの子は無事なのですか!?」
前のめりになり、切羽詰まったように問いただす優子に、青紫は冷静に、にっこりとした笑みを浮かべる。
「ええ、無事ですよ。屋敷の前をうろうろしていたので、何か知っているのかと思い声をかけましたが、私を怖がって逃げてしまいました。でも、すぐに戻ってきて、あなたが無事なのかと聞かれたので、無事だと、伝えましたよ」
「……よかった……」
肩に入っていた力が抜け落ちる。
(本当に良かった……)
ウサギが無事だと聞き、優子は心の底から安堵した。
「それと……」
青紫は着物の懐からハンカチを取り出すと、優子に差し出す。
「中を見て下さい」
ハンカチを受け取り、中を見た優子は驚く。
「これ……どうして……」
黒く焼け焦げていたが、優子にはそれが何かすぐに分かった。ハンカチの中にあったのは、切り刻まれたスカーフの破片。
「その小物が、あなたに渡してほしいと。あなたの大事なものだから……と。鎮火した後、瓦礫の下からこのスカーフの破片を探したらしいです」
優子は震えた両手で、スカーフの破片を見つめる。
(ウサギ……)
「そのスカーフ、あの時、探したものですか?」
「……はい。これは、亡くなった母の形見なんです」
あの火事で、全て燃えてしまったと思っていた。もう二度と、戻ることはないと思っていた。だがこうして、手元に戻ってきてくれた。
「っ……」
優子は涙ぐみながら、両手でそっとハンカチを握りしめると、俯けていた顔を上げる。
「ウサギは今どこに」
「さぁ……? ああいう小物は、季節がめぐるたびに、住処を変えますから」
押し込めるようにして、胸にハンカチを抱く優子。
(ウサギ……もう、会えないの? 木を埋める約束も果たせなかった。私こそ、あなたにもらってばかりなのよ)
肩を落とし悲しむ優子を見つめると、青紫は木の上にいるスズメに目を向ける。
「……そのうち、また会えるでしょう。あなたの目には、見えているのだから」
青紫のその言葉に、優子は気付かされる。散々、妖怪に頭を悩まされ続けてきた優子にとって、見えることを良いことだと思えるはずがない。それでも、青紫の言う通り、またウサギに会える。そう考えると、嫌なことばかりではないと。
「そう……ですね」
いつか、もう一度会えたなら、今度はたわいもない話をして笑い合おう。
「では、そうなると、妖怪の痕跡というのは……別の?」
「ええ」
なぜ妖怪が前園家に火を放ったのか。見える自分への嫌がらせとも思えるが、それは考えにくい。妖怪はしつこく絡んできても、襲ってくることはなかった。
__あの妖怪を除いては。
(あの妖怪……?)
ハッとした顔をして自分を見た優子に、青紫はおもしろげにニヤリと笑う。
「お気づきになりましたか?」
「……まさかとは思いますが、あの妖怪なのですか?」
あの老婆の姿をした妖怪は、他の妖怪と違い、優子を食べようとした。
「あの妖怪はヒトツメ鬼と言い、力の強さを求める妖怪です。そしてこれが厄介なことで、ヒトツメ鬼は人間の姿に化けることができる妖怪で、妖力もかなり強い」
「力の強さを求める……それって、私の妖力が強いからですか?」
「私にも、まだ見当がついたわけではありませが、あなたには、何か特別な力があるのかもしれません」
「特別な、力……?」
「その髪色のことなのですが」
青紫の視線は、優子の黄金色の髪に移る。髪を結っていない今は、より輝きが増しているように見える。
「古の時代、黄金色に輝く髪を持つものは、神々を映す鏡だと言われています」
「神々……ですか……。でも、私は普通の人間です。妖怪が、見えますが……」
妖怪が見えること以外、変わったところはない。
「先祖に、同じ髪色を持つ方はいませんでしたか?」
「……分かりません。母はすでに他界していますし、私は父を知らずに育ちました」
昔、一度だけ、小百合に両親のことを聞いたことがあったが、母は一人で優子を産み育てていたということ以外、何も聞かされなかった。もっと血縁関係の近い親戚であれば、何か知っているかもしれないが、どこに住んでいるのかも分からない。
「そうですか……。話がそれましたが、おそらく、あなたのその力を狙って、ヒトツメ鬼はあなたを追い回し、屋敷に火を放った。おおかた、自分はあの屋敷に入れないから、あなたにあの屋敷から出て来てもらおうと火を放ったのでしょう」
ヒトツメ鬼がしきりによこせと言っていたのは、その神々の力。そんな力が自分にあるとは思えないが、青紫の言っていることが本当なら、ヒトツメ鬼はこれからも優子を襲ってくる。
「ですが、あの火事の日、どうして私を襲ってこなかったのでしょうか」
青紫の話だと、ヒトツメ鬼は屋敷の外で優子を待っていたはず。それなのに、どうして襲ってこなかったのか。
「黒羽さん……?」
突然、黙り込む青紫に、優子は首を傾げる。
「それを話すには、私の身の上話を聞いていただかなくてはなりません」
どこか深刻な顔をした青紫。立ち上がり寝室を出て行こうとする青紫と入れ違いで、おぼんに湯呑みを乗せた多江が入ってくる。
「どうかされましたか?」
多江は不思議そうに青紫と優子を見て言う。
優子は布団から出ると、羽織を着る。
「散歩に出かけてきます」
多江にそう言うと、優子は青紫の後を追った。
