人形令嬢と半妖のあやかし祓い屋

外の騒がしさに、優子は目を覚ました。
(またいつの間にか、眠ってしまっていたんだわ……)
目を擦りながらゆっくりと上体を起こす。
(もう朝になったのかしら)
そう思ったが、何やら様子がおかしい。
何かを叫んでいる人の声と、ドタバタと慌てているような人の足音。
一体、何の騒ぎだろうか。
「__優子!」
扉の外からか声が聞こえ、優子は暗闇の中、手探りで扉の前に辿り着く。
両膝をつきながら扉に片耳をつけ耳を澄ますと、聞き覚えのある声が自分を呼んでいた。
「優子! 優子!」
(ウサギ……?)
「ウサギ、あなたなの?」
「優子、おいらだ!」
「外が騒がしいけど、何かあったの?」
「落ち着いて聞いてくれ、何者の仕業か分からないが、屋敷に火が放たれた」
屋敷に、火……。
「なんですって?」
耳を疑うかのような話に、反応が遅れた。
屋敷に火だなんて、どうしてそんなことに。
「じきにここも火の海だ。その前に、早くここを出るんだ!」
信じがたいが、ウサギの焦りようと屋敷の騒がしさから本当のことのようだ。なんとかして逃げなければ。だが、一体どうやって。
扉は外から鍵がかけられていて、中から開けることはできない。
両手で扉を叩いてみるが、蔵の扉は重厚でとても開けられるような作りはしていない。
蔵に何か道具はないかと、優子は暗闇の中壁を伝いながら歩き道具を探すが、使えそうなものは何もない。
(どうすれば……)
こうしているうちにも、屋敷は火に飲み込まれていく。
早くしなければ、このまま焼け死んでしまう。
優子が焦っていると、外から扉を叩くような微弱な音が聞こえた。
「ウサギ……?」
ウサギは扉を蹴ったり殴ったりして、優子を外に出そうとしてくれていた。だが、小さく力もない貧弱なウサギでは、重厚な蔵の扉がびくともするはずがない。
しかし、ウサギは諦めなかった。
「っ……!」
「大丈夫どうしたの?」
ウサギの苦痛そうな声に、優子は扉にしがみつくようにしてウサギに問う。
「心配ない。少し腕を擦りむいただけだ」
ウサギは気丈にそう言うと、もう一度、扉を蹴ったり殴ったりする。
「ウサギ、やめて! あなたが怪我をしてしまうわ! 私のことはいいから、早く逃げて!」
優子がそう叫ぶと、ウサギは悔しそうに歯を食いしばる。
「……おいらにだって、できることがあるはずだ。優子がおいらを助けてくれたように……!!」
「ウサギ……」
「おいら、嬉しかったんだ……。いつも小さいって他の妖怪たちにいじめられて、自分が嫌いになりそうだったけど、優子が、おいらに優しく手を差し伸べてくれたから、だから自分を嫌いにならずにいられた」
今まで、妖怪に頭を悩まされて、苦しめられてきた。だけど今は、その妖怪が自分のことを救おうとしている。
自分の身を顧みず、あんな小さな体で……。
「分かったわ。じゃあ一緒にやりましょう」
優子とウサギは息を合わせ、扉に体当たりをする。
「「せーの……!!」」
何度も何度も、体が痛くなってもやり続けた。そのうち身が崩れそうになり、互いに力尽きてきて、呼吸が荒くなる。
建物が崩れ落ちる音が聞こえた。
扉の僅かな隙間から灰色の煙が潜り込み、優子の身体を蝕んでいく。
「ゴホッゴホッ……」
「大丈夫か……!?」
「平気よ」
優子はウサギを心配させまいと、笑みを浮かべ明るくそう答える。
(……さすがにまずいわ)
火はすぐそこまできている。あと数分もすれば、この蔵は焼け落ちるだろう。
体力も、もうもたない。
蔵の外からは微弱な音が聞こえ続ける。
その音に耳を澄ませながら、優子は目を閉じると、ぎゅっと両手を握りしめる。
(……悔しいけど、私はここで……)
目を開けると、優子は静かにウサギに言う。
「ウサギ、扉を開けるのをやめて」
「何言ってるんだ、そんなことしたら」
「聞いてほしいの」
優子の真剣な声色に、ウサギは手を止める。
屋敷にいる人たちは、誰も自分を助けに来ない。でも、ウサギは違う。
「ウサギ、あなたは優しく勇敢な妖怪よ。誰に何を言われても、自分を誇って、そしてこれからは、自分を卑下するのではなく認めてあげて」
肺に煙が流れ込んでくる。息をするのが苦しい。煙が喉の奥を刺激し、頭もぼっーとする。
薄れそうになる意識の中、優子は懸命に言葉を紡ぐ。
「ウサギ……今まで、本当にありがとう……。最後に、あなたのような妖怪に出会えて、よかったわ」
優子は精一杯の笑顔を浮かべ言う。
「優子……」
火はついに蔵に到達する。バキッバキっと、火が蔵を飲み込んでいく音が聞こえる。
「優子……っ!」
それでもウサギは優子の元を離れようとしない。
優子は咳き込みながら崩れ落ちる。
「優子……!! 優子っ……!!」
扉に縋り付き、両の目に涙を浮かべ自分の名を呼ぶウサギに、優子は力一杯、声を出す。
「さあ、行って……!」
「嫌だっ……!!」
「行きなさいウサギ……!!」
「っ……!!」
優子の決死の叫びに、ウサギは後退すると背を向け、ボロボロと涙を流しながら走り出す。
扉越しに遠のいていくウサギを感じ、優子は安堵し、横に倒れ込んだ。
(よかった……。これでウサギは無事ね)
こんな最後、想像もしていなかった。だけど、これが自分の最期……。
今までの出来事が、走馬灯のように優子の頭の中を駆け巡る。
(本当……私の人生……流れ星のように一瞬だったわ……)
段々と意識が遠のいていく。
そうして、そのまま気を失おうとした、その時だった__。
バンッと大きな音を立て、扉が開かれた。
誰かが扉を蹴破り、蔵の中に入ってきた。煙の中に黒く長い、影が現れる。優子は朦朧とした意識の中、その影を見ていた。
「蔵を部屋にするとは、変わった趣味をお持ちなんですね?」
気高い声に、穏やかな口調は、どこか面白げにそう言う。黒い影は、煙の中からゆっくりと優子に近づいてくる。
「お久しぶりです。と言っても、三日ぶりですが」
屈託ない笑みを浮かべた青紫が、優子の前にしゃがみ込む。
「えっ……? 黒羽、さん……?」
(これは……幻……?)
こんなところに、青紫がいるはずがない。
「あっ……そっか……。私、死んだんですね……」
気づかないうちに命を落としていた。優子はそう思った。
優子の言葉に、青紫は少し驚いたように目を丸くすると、おかしそうに笑い出す。
「ハハハッ、何を言うのかと思えば」
青紫は優子の片手を掴み取ると、優子の胸に片手を置かせる。
「あなたは生きている。ほら、感じるでしょう? あなたの胸の音を」
ドクンッドクンッと波打つように動く自分の鼓動に、優子は自分が生きているのだと実感する。
「じゃ、じゃあ、今、目の前にいる黒羽さんは……」
「本物ですよ」
「どうして、ここにいるんですか。あなたは牢獄にいたはず……ゴホッ……ゴホッ」
咳き込む優子に、青紫は辺りを見回す。
「色々と説明しなくてはならないことがありますが、ひとまずここを出ましょうか。火がかなり回っている。あ、丸焼きになりたいのであれば別ですが」
笑みを浮かべ憎たらしいことを言うと、青紫は優子の膝裏に両腕を通すと、軽々と抱き上げる。
蔵を出ると、そこはあたり一面、火の海。そんな状況にもかかわらず、青紫は慌てて走ることもなく、まるで散歩でもするかのように、優雅な足取りで歩く。
オレンジ色の炎はどんどん強さを増す。そんな炎に似つかわしくない涼しい笑みを青紫は浮かべている。
聞きたいことは山ほどある。だが今は疲れて目を開けるのもやっとだ。優子は身を預けるように、青紫の胸に頭をくっつける。燃え盛る炎の音の中で聞こえる、青紫の静かな鼓動。その心音に寄り添うように、優子は目を閉じた。
すぐに優子の規則正しい寝息が聞こえはじめる。青紫は眠った優子を一瞥すると、空を見上げた。空には満月が出ている。それはこの火事に相応しくないほどに、恍惚としていた。
「こんな夜だというのに……。__月が綺麗ですね」