ほどけて、混ざって、濁るまで。

横田みかさん。私の上司。
まあ正確には私の上司の同期。美人で完璧主義。

そして私は
「横田さん昨日頼んだ資料できた?」
「え?あ、まだです」
「また?それ、今日の昼までだからね?」
「すいません」
仕事のできないポンコツ社員。
「高野さん、あの」
「なに?緊急?」
「・・・その」
「モジモジしてたらわかんないよ?」
あぁ、また。この資料より急ぎの仕事、部長から受けてるからできないって言わなきゃいけないのに。なのに、もうあと3時間で完成しなくちゃいけないのに。

「高野。その資料私がやるよ」
「え?でもさっき別の仕事振られてなかった?」
「急ぎじゃないし、どうせ私が使うから。自分でやったほうがいいでしょ」
「じゃあ頼むわ。横田さん、別の仕事おねがいしていい?」
「あの、」
「ん?」
「なつきさん。昨日部長に頼まれてたやつ終わった?あれ急ぎでしょ」
「え、なんかやってる作業あったの?ごめん、知らなくて」
「高野。ちゃんと見てあげないと可哀想よ」
呆れたように言って私の手から書類を攫っていく横田さんはかっこいいと思う。
あぁ、私もあんな風になれたらいいのに。


なんとか部長に頼まれた仕事を終わらせて、かと思えば明日の朝の会議で使う資料を作ってほしいなんて言われてその瞬間に残業が決まった。
申し訳ないことに私は仕事ができないのだ。
「・・・っおわったぁ」
時計を見れば23時。終電ないじゃん。
泣きそうになって少し目を閉じた。
ゴロゴロゴロ、ドーン。
突然なった雷に帰り支度をする手が止まる。
続いてまた鳴る雷の音のあと、「きゃっ」って声がした。

「誰か、居ますか?」
もうみんな帰ったと思っていたフロアに響いた悲鳴に恐る恐る問いかけた。
「え?あ、なつきさん」
「横田さん?なんで、え?残業ですか?」
「ちょっとね、なつきさんも?」
「はい。でももう帰ろうと」
ドーン。
この数分で一番大きな雷が落ちて、目の前の横田さんがしゃがみ込んだ。
「・・・雷、苦手ですか?」
「あは、はい。そう、苦手」
「止むまで私もここに居ていいですか?」
「え?」
「あ、烏滸がましいこと言ってすみません。帰ります」
「雨、すごいけど電車あるの?」
「もう時間的に終電過ぎてるんで、歩きます」
「そう」
カバンを掴んで一歩踏み出したところではたと気づく。
あれ、今朝。晴れてなかった???

「なつきさん?どうしたの?」
「そういえば今日傘持ってないなって。近くのコンビニって傘売ってますかね」
「さぁ、知らないわ。ごめんね」

そうだよね、そうですよね。
なんて思って窓を見る。これは、無理だ。傘無しで帰ったら風邪をひく。

「雷、おさまったね」
「え?あ、そうですね」
「家どのへん?贈ろうか」

そう言って立ち上がる横田さんはいつも通りでさっきまでしゃがみ込んで雷に怯えていたひとと同じ人だなんて信じられなかった。
「なつきさん?」
「え、っとあの」
「ゆっくりでいいよ。私怖いでしょ?知ってる、顔がこんなだから」
顔がこんな、そう言って眉を下げる横田さんは淋しげで。
「いつもそう、怖いって。真顔が怖いってさ。高野にも言われたし」

「車、裏に止めてるから乗せてくよ」
「いいんですか?」
「こんな雨の中途方に暮れてる部下おいて帰れないでしょ」
そう言って笑った横田さんにいつものとっつきにくさはなかった。


「車回してくるから、そのへんで待っててくれる?傘貸すから」
エントランスを出て横田さんはそういった。
長くて細いきれいな指が指すのは雨を凌ぐようなものこそないけれど明かりがあって車の乗り降りもしやすそうなスペース。傘まで貸してくれるらしい。
やっぱりデキる上司は朝天気予報も見てくるんだ。
「ごめん、ボロボロで」
そう言って手渡された傘はイメージとは真反対をいく綺麗とは言えないようなビニール傘だった。

「【ヨコ  カ】?」
「名前。学生の時から使ってるから名前シール。なんかはずかしいわ」


バサリ。広げた傘は雨を弾いてポツポツと心地よい音を立てる。
空はこんなに荒れているのに、私と横田さんだけのこの時間はとても穏やかに過ぎていく。

「ねえ、家来る?」
「え?」
「なつきさんの家に送るより私の家に連れて帰ったほうが早くない?」
車に乗り込んですぐ、そう言って首を傾げる横田さんはいつもよりあどけない。
「いいんですか?」
「もちろん。もし明日の予定がないなら泊まっていけばいいし」
「へ?明日?明日って」
「え?土曜日でしょ?」
「あ、そうだ」

明日の朝使う資料、なんて嘘じゃないか。
来週の朝じゃん。なんて部長に言えるわけもない愚痴を胸の中にためてこっそり運転席の横顔に視線を移す。

「ふふっなぁに?」
「横田さんは明日、予定ないですか?」
「ないわ。あなたが泊まっていくなら頑張って起きるけれど」
「泊まっていってもいいですか?雨が止まなかったら」
「そうね~、雨、止むかな」
楽しげに笑いながらも目線はずっと前を向いたままの横田さんがあまりにも綺麗で少し視界がぼやけた。

赤信号で車が静かに停まる。
歩道を歩く女性の傘がきれいな色をしていて、ついさっきの傘を思い出す。

「明日、傘を買いに行きませんか?」
「傘?」
「横田さんには使い古したビニール傘よりああいう、きれいな傘が」
「・・・」
「あっ、ごめんなさい。失礼なこと言って」

「選んでくれる?」

「高野がねくれた傘なの。あれ」
「えっ」
「高校が一緒で、雨が降ってて帰れなかった日にくれたの。ペンで大きく高野って書いてあったから上からシールを貼って。だってあいつあの時から彼女いるのよ?」

自虐するみたいにわらう横田さんの横顔は泣きそうに見えた。
あぁ、きっと好きだったんだ。

「でもねぇ、あたしアイツのことずっと嫌いなの。嫌いだから、ずっと使ってたの」

信号が変わる。車が動く。
目線はふたりとも前。

「でもいいかも」

「横田って名前シール貼ったらさ、どっちの傘かわからなくなっちゃうね」
「ですね」
「明日、なつきさんが選んでね。おそろいにしよう?」




横田みかさん。私の上司。
まあ正確には私の上司の同期。美人で完璧主義。


「山下さん、今手空いてる?」
「あっ高野さん!えっと、あの」
「高野さん!山下さんにちょっかいかけてないで仕事してください!みかさん怒ってましたよ?」
「あー高野!横田姉妹に怒られてやんの!」
「姉妹じゃないわ。ねぇ?」

私は、頑張る社会人。新人教育係初心者マーク付き。