猫かぶり君の、愛しい沼男君

 双葉祭の季節。体育祭は例年通り、佐伯君の活躍のおかげで順調に得点を稼いだ。高校最後の体育祭だ、つい応援にも熱が入った。
 今年は、また僕も応援合戦に入ることになった。リズム感のない僕は今年も全力で旗を振った。結果、体育祭では学年一位を獲得することができた。
 そして文化祭。三年生は合唱だった。うちのクラスの伴奏は佐伯君だ。僕は隅っこでアルトを担当した。
 ホームルームで佐伯君が伴奏を始めると、もう、うちのクラスはこの歌を歌うって決まった。いまどきの歌には疎いけど、歌うことになった歌の歌詞を読んだとき少し震えた。とても素敵な歌だった。

 そして本番。
 佐伯君が伴奏を弾き始めた。しんと静まり返る体育館に、きれいなピアノの音が響いた。

 この歌は誰かを好きで伝えられない恋の歌であり、自分を肯定できない人のための応援歌だ。うつむく人に寄り添うような。すごい人になれなくても、胸を張れるようなことがなくても、僕は僕だと前を向く歌。誰かを好きになるって、そうやって自分と向き合うことなんだなって教えてくれる。
 僕は僕にしかなれないけど、僕は君が好きなんだって。
 何度も歌ったせいか。歌詞が自分の中にしみこむような気がした。最後の愛を告げる部分を歌うと、佐伯君がとてもきれいな顔で笑った。まるで僕が佐伯君を好きだと言ったみたいに。音が鳴りやむと、たくさん拍手がもらえた。佐伯君の笑顔を見ていると、その音が遠く感じた。なんでだろう。
 舞台裏で感極まった佐伯君に抱きしめられて、僕は何とか受け止めて背中を撫でる。
 合唱の熱がまだ体に残っていて、拍手の音が遠くで続いている。佐伯君の腕は思ったより強くて、なんだか苦しい。タップすると、はっとしたように離れた。
 「……ごめん、つい」
 そう言って照れたように笑う佐伯君に、僕は首を振った。
 うまく言葉が見つからなくて、「ピアノすごくよかったよ」と、それだけ伝える。
 佐伯君は少しだけ照れくさそうに視線を逸らして、「藤野の声も、ちゃんと聞こえた」と言った。その瞬間、体の中の熱という熱が、全部いっぺんに顔に集まった。


 双葉祭を終えると、受験は本格的に動き出す。
 クラスでは、推薦で一足早く進路が確定した人も出てきている。
 僕は進路をH大学の教育学部に変えた。偏差値を少し上げないと厳しい大学だけれど、国立で教育学部があること、そして隣の県にあることが決め手だった。なにより、佐伯君も同じ大学を受験予定なのが心強い。僕が教師になりたいと思ったことで、志望校が一緒になった。どうなりたいかって説教した口で、僕は佐伯君と同じ進路を選んでいた。
 一番不安だった生活費については、佐伯君がルームシェアにすれば、家賃や、光熱費が半分になるからと、誘ってくれて少し安心した。おばあちゃんも「二人なら心配いらないわね」と笑ってくれた。おばあちゃんも僕が一人暮らしなんてって、ちょっと不安だったらしい。お互い心配しあってた。「似た者家族だ」って佐伯君が笑った。

 不安が消えればできることをするのみである。



 そして、あれだけ鳴いていた蝉は、虫の声に変わり。今は木枯らしが葉を巻き上げる音に変わる。風に冷たさを感じるころ、おばあちゃんが僕と、佐伯君の分のマフラーを編んでくれた。街中がクリスマスに染まり始めても、僕らは相変わらず、ひたすら模擬問題を解く。

 冬休みに入って、もっぱら勉強は僕の部屋ですることになった。三好君たちも冬期講習とか、ゼミとかがない時間は合流することもある。

 だけど、今日は佐伯君と二人だった。
 「今日クリスマスって知ってた?」
 唐突に佐伯君が僕のほうを見ていった。カレンダーを見ると確かに十二月二十五日だ。ちなみに次の日が冬模試
 「受験生でもクリスマスって祝ってもいいと思うな」
 佐伯君の目が少しきらっと光っている。受験のことを考えると罪悪感も湧くけれど、根を詰めすぎてもパフォーマンスが落ちるし。
 「うん、じゃあちょっと何かする?」
 「やった!しようしよう」
 佐伯君がうれしそうに僕にハイタッチしてくる。

 「何する?」僕が訊くと、佐伯君は少し考えてからにやりと笑った。
 「簡単なことでもいいんだ。ホットチョコ作るとか、ケーキを食べるとか」
 「……それ、結局食べるだけじゃない?」
 「そう! でも二人でやるのが大事なんだよ」
 なんだかその言い方が楽しそうで、僕も自然と笑みが出た。
 「……そっか」
 僕らはキッチンに移動して、棚の中を捜索した。
 いつもおばあちゃんが、重曹まんじゅうを作ってくれるから、小麦粉とか、重曹はある。
 佐伯はそれをスマホで検索して、「これ作ろう」と見せてきたのはホットケーキだ。佐伯にはおばあちゃんの割烹着、僕は僕のエプロンをつけて、とりかかった。
 できたのはぺったんこのホットケーキだったけど、佐伯君は満足そうに。
 「俺らの愛の共同作業だ!」
 愛のって、大げさだなって笑った。
 間にあんこをはさんでそれなりの高さを出した。
 「クリスマスケーキになったね。思ったより楽しかった」
 「だな」
 二人で並んでホットケーキを頬張る。
 「藤野、あーん」
 って、真顔でホットケーキを一口分切り分けて、僕に押し付けてくる。パクっと食いつくと、「メダカみたい」だと笑われた。
 「あんことホットケーキって合うね」
 とびぬけておいしいわけじゃないけど、この味は忘れないだろうなと思った。
 「うん、おいしい。なんかこの味はきっと忘れないだろうな」
 佐伯君は僕と同じことを思っているようだ。
 「僕も思った」
 「そっか」
 たぶん、味だけじゃない。二人でこうやって作ったこともきっと、忘れないだろうな。
 食べ終えて片付けていると、隣でお皿を拭いていた佐伯君が僕の顔を覗き込む。
 「藤野、またこういうのやろうな」
 「うん、いいね」
 そのまま少し沈黙が続いたけど、肩が触れ合う距離感が心地よくて、自然に笑みがこぼれる。そういえば、佐伯君と初めてクリスマスを過ごしているなと思った。つい、その横顔をじっと見つめてみる。急に目が合ってそらした。
 「なに?」
 「うん、クリスマスだね」
 じんわりと胸に暖かさが広がった。
 そういえば、もし志望校に受かってルームシェアが始まったら、こんな機会もたくさんあるかもしれないな……なんて楽しそうなんだろう。
 僕は来年も、佐伯君の近くにいるのかな……いたいな。