あの日、君は黄昏空の下で微笑んだ。



 目を覚ますと、音楽室にいた。ゆっくりと戻ってくる視界。ぼんやりと。

優羽(ゆう)、よかった……じゃなかった、やっと目が覚めたか?」
「……朔、くん?」

 一番初めに目に映った朔夜の姿に、優羽はどこか嬉しそうに笑みを浮かべた。

「憶えてるか? ピアノの音が鳴って、止まったかと思ったらみんなして同時に倒れたんだ。俺と先生とハル先輩はなんともなかったんだけど、他のみんなは寝ちゃったみたいで。ほんと、びっくりしたんだからな?」

 そういえば、そうだったかも。

 優羽は朔夜が差し出した手を借りて、ゆっくりと身体を起こした。なんだか頭がずきずきする。倒れた時に頭でも打ったのだろうか。にしても、なんだか朔夜の様子がよそよそしい気がする。なにか隠し事でもあるのだろう。

「……って、ちょっ、優羽⁉︎」
「ごめん……ちょっとだけ」

 立ち膝をしていた朔夜の腰に抱きついて、優羽は目を閉じる。

 なんだかしんどい。
 こんな複雑な感情ははじめてだった。

「どうした? 悪い夢でもみたのか?」

 そ、と頭を撫でられた。子ども扱い。いつもなら嫌なのに、今はすごく落ち着く。そのぬくもりも、優しさも、今の優羽には必要だった。

 みんなが起きるまでなら、いいよね? 顔を埋めながら、囁いて。そんな風に言えば突き放せないことを知っている朔夜に甘える。

(いっそ夢だったら、よかったんだけどな……)

 あの時、(はる)はなんと言っていたか。

(ちゃんと、憶えてる。ぜんぶ、なくなってない)

 これは軽薄な自分への罰なのかもしれない。他のみんなの反応をみなければ、事実はわからない。わからないが、きっと、そういうことなのだ。

「忘れられたら、よかった」

 口にしたその言葉に、頭を撫でていた朔夜の指が止まる。きっと、朔夜も陽も同じなのだと。なんとなく感じた。だから嘘をついたのだ。悪い夢、だなんて。あれは現実に起こったことなのに。優羽は朔夜に抱きついたまま、それ以上なにかを話す気にはなれなかった。

(……でも、朔くんがあそこからすくい上げてくれたから。絶対に忘れたくないって思った)

 あのぬくもりは、間違いなく朔夜だったと今ならわかる。
 じゃああの黒い翼は?
 いや、それ以上の追求はやめておこう。

「忘れなくていいんじゃないか? 俺にはなんのことかさっぱりだけど、優羽にとってはきっと大切なことだったのかもしれないし。でもだからって、優羽がひとりで背負うものでもないからな? それだけは間違えるなよ?」
「うん、朔くんが言うならそうする」

 忘れない。
 いつかは薄れてしまうかもしれないけれど。
 さっきまで一緒にいたはずの同級生が、この世から消えたという事実を。

 でなければ、報われない。存在を消されてしまうほどの罪を、彼女たちが犯したとも思えない。お呪《まじな》い。それがどんなものかは知らないが、あんな目に遭う必要などなかっただろう。どう考えても理不尽な結末としか言えない。

「俺、朔くんに話したいことがある。今度でいいから、訊いてくれる?」
「話? いつでもいいけど……」

 なにもわかっていない朔夜を見上げ、優羽は仕方ないと回していた腕を解いた。

 気持ちを伝えたいと思った。

 結果はわかりきっているけれども、知ってもらいたいと思った。数年分のこの想いを言葉にして。ありったけの"気持ち"を朔夜に伝えたい。どんな答えが返ってきても、受け止められる自信が今の自分にはあるから。

「青春だね〜」

 言って、久保田は白衣のポケットに手を突っ込んで、大きな窓の外に広がる青空を仰いだ。



■ 第二章 呪い 〜解〜 ■