あの日、君は黄昏空の下で微笑んだ。



 音楽室が見える廊下の前。

 気付いたらそこにいた。どうやって家からここまでやって来たのか、まったく憶えていない。賑やかしい団体が音楽室の前でなにやら会話を交わしている。その中に三枝《さえぐさ》優羽《ゆう》の姿を見つける。

(……やっぱり、怪我してる)

 みんなが呟いていた通りだった。

(一緒に写ってたひとだ。綺麗な顔……)

 じっと廊下の陰から様子を窺っていたが、見すぎていたせいだろう、綺麗な顔の男子生徒と目が合った。冷ややかな視線。ぞくり、と身体が震えた。すべてを見透かされているかのようなそんな目に、石にでもなったかのように固まってしまう。

 少しして、みんなが音楽室へと入って行った。扉越しに中の様子を探る。

(あの子、もしかしてわざと……?)

 SNSを監視してると知って、自分がチヤホヤされているところを見せつけようとした?

 なぜかあの四人が集合している。三枝優羽、相澤直、鳥海真白、五十嵐拓海。聞けば、オカルト部と科学部が合同で七不思議を検証しているらしい。

(……どっちが性悪よ。なんなの、あの子。勘違いもあそこまでいくとキモいよ)

 大人しいふりをして、油断させて。

(音楽室の噂? ちょうどいいじゃん。本当にそんなことが起こったら、二度とあの子の顔を見なくて済むのに)

 ゆらり。

 足もとの影が再び歪《ひず》む。一瞬、ノイズが入るかのように途切れた黒い影は、奈々の感情に反応するかのように背後で大きく育っていく。

(あいつらみんな、消えちゃえばいい)

 怒りの矛先は自身の過ちにではなく、すべて他人のせいにすることで解消される。

 ノイズが耳元で鳴った。

 雑音が途切れるような、そんなノイズ。
 暗い影が辺りを包み込み、まるで一瞬で夜になったかのようだ。

 ピアノの音が鳴った。

 それは楽しげな音色を奏で始め、やがて乱暴な音に変化していく。不協和音を聴きながら、ぼんやりと立ち尽くす。

「……ぜんブ、消えてシマエ」

 音がぴたりと鳴り止む。

「……願いとハ、代償がトモナウもの。この身をモッテそれを可能トすル」

 低い声音。にやりと口元が緩んだ。
 闇がすべてを呑み込んでいく。
 願いの代償。
 視界から黒以外の色が消えた。


■■■■


 どれだけ時間が経ったのか。気付いたら、暗い校舎の廊下に倒れていた。ゆっくりと起き上がり、周りの状況を確認する。途中から記憶がない。急に怖くなった石井奈々は、一刻も早くここから出ようと決意する。

 足がだんだん重く感じてきて、歩くのが億劫になった。校舎の中は薄暗く、自分の姿がぼんやりと見えるくらいの明るさしかない。

 夜の学校なんて、はじめてだった。日中はあんなにも明るく賑やかな場所なのに、こんなに不気味だなんて思いもしなかった。

「だ、誰か……、いますか?」

 思わず、虚空に声をかけていた。もしかしたら、誰かいるかもしれない。こんな時間に? そもそもどうして部屋にいたはずの自分が、制服を着て学校にいるのか。全然思い出せない。

 カタン、と廊下の先で物音がした。
 思わず足を止める。
 目を凝らしても暗闇しか見えない不安。

 足音がゆっくりとこちらに近づいてくるのがわかった。少しずつ影が近づいてくる。やがて、それがなんであるかを認識できた。

「……奈々ちゃん?」
「椎菜? なんで……?」

 目の前に現れたのは、佐々木椎菜だった。