あの日、君は黄昏空の下で微笑んだ。



 保健室で右足を冷やした後、応急処置ではあったがテーピングを巻いてもらった。コーチは「家に帰ったら親御さんに病院に連れてってもらうんだぞ」と言った。たとえ捻挫だとしてもすぐに強化合宿もあるし、念には念をという感じだろうか。

「まあ、数日は休んだ方がいいだろう。医者の診断次第だな」
「けっこう腫れてるみたいだし、安静にしといた方がいいぜ」

 二年生で背も高く体格も良い井上(いのうえ)将生(まさき)がうんうんと横で同意して頷く。優羽(ゆう)は右足に巻かれたテーピングを見つめ、人知れず眉を顰める。一瞬の出来事で記憶が曖昧だったが、冷静になったおかげでだんだんと戻ってくる。

(あの時、俺の周りには誰もいなかった。けどあれ(・・)はいったいなんだったんだ?)

 突然、Tシャツの襟首を引っ張られて床に落とされた感覚。もちろん、後ろには誰もいなかった。視界がぐらりと揺らいで、気付いたら変な着地をしてしまい、先に着いた右足がぐにゃりとなってそのまま横に倒れ込んだのだ。

「失礼しま〜す」

 保健室の扉が開く。入って来たのは鞄をふたつ肩に下げた直だった。更衣室から持って来てくれたのだろう。彼自身はすでに着替えていて、帰る気満々のようだ。

「おう、悪いな相澤」
「もう練習も終わりますし、このまま一緒に帰ろうと思ってるんですけど、」
「そうしてくれると助かるよ。いいか、三枝。ちゃんと病院行けよ?」

 はい、と優羽は笑顔を浮かべて答えるが、コーチと先輩が出て行ってすぐに表情を曇らせた。直は優羽が座っている黒い長椅子に荷物を置き、自分もその横に座った。

「大丈夫か? なんか浮かない顔だな」
「ん? まあ、ちょっと腑に落ちないっていうか」
「にしても、最近ツイてないよな〜」

 夏休みに入る少し前から、優羽が災難に遭っているところを何度か見ていた。それはちょっとした不運に始まり、今回のこの怪我だ。

 直が知っている優羽は、顔も頭も性格も申し分なく、なんでもできちゃう自慢の友だち。悪い噂を一回も聞いたことがないし、彼の口から誰かの悪口を聞いたこともない。十人いたら十人が好感しか持たないだろうイケメンだ。

「大会前に不調になって、俺たち全然上手くいかなかったもんな。いつも通りだったら、あの試合、絶対勝てたのにな〜」
「それはマジでごめん……」
「あ、っと……じゃなくて、その前くらいからじゃん? なんかこう、運が悪いっていうか。いつもとなんか違う感じ。なにか原因があるのかなって」
「……って、言われてもな。正直、夏休み前に起きたことって言ったら、」

 あ、とふたりはお互いに視線を合わせて、それから優羽は大きく嘆息した。

「いや、あれは別に優羽は悪くないだろ! 本人がそもそもその原因を作ったわけで、優羽は佐々木さんを庇っただけ……だけど、なんか余計に拗れたんだよなぁ」

 結果、悪いことをした方がみんなに詰められるという当然の報いを受けたわけだが。

「あの日から石井さん、学校来てないけど。夏休みが終わったらまた来るよな?」
「さあ……どうだろう。彼女たちが仲直りしてくれたら、俺を悪者にしてくれても全然良いんだけど。女の友情ってどうなんだろ? けっこう簡単に壊れちゃうのかな」

 その横顔はどこか大人びていて、直は不覚にもどきっとしてしまった。

「お、俺たちは、なにがあってもずっと友だちだからな! もしそんなことになっても、優羽が良いヤツだって証明してやるし! 味方になる!」
「うん、ありがとな」

 帰ろっか、と優羽はゆっくりと立ち上がるが、痛みからか目を細める。大丈夫か? と直は腕を抱えて支えてやるが、あんまり大丈夫そうではなかった。もしかしたらただの捻挫ではないのかもしれない。直はふたり分の鞄を持ち、優羽に手を貸してあげながら帰ることを決める。

 外に出ると眩しすぎる太陽が肌を焼いた。この暑いのに男ふたり密着しながら歩くハメになるとは……と、直は苦笑するが、

(まあ、優羽なら別に嫌じゃないし。長い付き合いだし。俺の中では親友ポジだし……)

 直は自分に言い聞かせるように納得する。自称、親友。優羽が同じ気持ちかはこの際関係ない。あっちがどう思おうが、こっちはそのつもりでいつも接しているのだ。

 優羽の家の近くまでやって来た時、見慣れた後ろ姿に思わず大きな声で叫ぶ。

「優羽の姉ちゃん! あと、朔夜先輩!」

 おーい! と直はこちらに気付いて振り向いたふたりに手を振った。みのりも朔夜も小学校の時から知っていて、優羽の家に遊びに行った時に遭遇する確率が高かった。

 そして優羽が自分では上手く隠しているつもりでいる、先輩への"トクベツな感情"に気付いてしまった直としては、応援したい気持ちが強かった。

「優羽が部活中に怪我しちゃって。ってことで朔夜先輩、あとは頼みました! はい、これ荷物!」

 優羽と優羽の荷物を朔夜に押し付け、直は挨拶もそこそこにさっさと去って行く。背中に優羽の無言の訴えを感じたが無視し、全力で逃げることを決める。親友であり好敵手である優羽。可愛い女子に告白されても、お付き合いを断り続ける理由。

 彼の『好きなひと』であり『片想い』の相手である、皆藤朔夜の存在が大きすぎる件。

「健闘を祈る!」

 親友の恋を応援するのは、当然だ。

 雲ひとつない青空の下、直は清々しい表情で道路を駆けて行くのだった。