紙袋兄さんこと叶と今度こそ本当にお別れをし、体育倉庫の扉の奥へと進む。薄暗いが見えないわけでもなく、朔夜と陽はご丁寧に倉庫のど真ん中に置かれている五段ほどしかない跳び箱の前に立った。
「ここから本当に元のセカイに帰れるってことでいいんだよな?」
異界はもうじゅうぶんだ。あれから現実セカイではどのくらい時間が経っているのだろうか。前にここに来た時は夕方で、戻って来た頃にはかなり遅い時間になっていた気がする。しかも連れ去られた場所ではなく、裏山で。朔夜は大勢の大人たちに迷惑をかけた上に、うまく説明もできなくてもどかしい思いをしたのを憶えている。
(あの後は……保護されて病院に連れて行かれて、それから、)
次の日の朝、みのりが一番にやって来て……。
(めちゃくちゃ泣かれたんだよなぁ……みのりのせいじゃないのに、ごめんなさいって何度も泣きながら言われて、釣られて優羽も泣いててさ)
怪我も大したことなかった。自分の中ではちょっとした冒険とさえ思っていた。確かに怖かったし、戻れなかったらどうしようという不安もあったのだが、助けてくれたウサギ頭のお兄さんがクセ強すぎてそれどころではなくなったのだ。
(ほとんど目を閉じていたから、ひんやりと冷たい手の感触しか憶えてなかったし……)
そういえば……。
ちらりと左横を見れば、陽と視線が重なった。
「……なにか言いたいことでも?」
「あ、うん。あるけど、戻ってからゆっくり聞くからいい。それより……この手って、いつ離してくれるのかな〜とか?」
「ああ。もう少し我慢しろ」
「え? あ、うん、はい。すみません……って、違う違う。別に嫌なわけじゃなくてさ」
いや、これもなんか違うな。
色々と語弊がある気が。
「なんて言えばいいのか……ハル先輩はおそらく俺のためにこうしてくれているんだと理解した上で、あえて言わせてもらうんだけど、」
「なら戻ってからで良くないか?」
確かにそうかも。
陽の正論に対して朔夜は素直に「わかった」と頷いた。ということで手繋ぎは継続確定となる。
ふたりでそれぞれ空いている手を使って、跳び箱の一番上の部分から順番に箱の部分を下におろしていく。一番下の枠だけ残して足元を見下ろす。
底の見えない闇。
ここが出口かどうかはわからないが、どこか別の場所に繋がっていることは間違いない。
お互いに確かめ合うように視線だけ重ねて、それから「せーの」で枠に向かってジャンプする。着地する感覚がないまま下へ下へと落ちていく。真っ暗闇の中で意識が薄れていく中、最後まで消えなかったもの。
冷たいその指先が、離れないように離さないようにぎゅっと強く握られる。
陽が何者なのか、正直もうどうでもよくなっていた。ひとではないなにか。でも確かにここに存在しているモノ。怪異なのか幽霊なのか別の何かだったとしても。もう関わってしまったからにはどうしようもない。
今まで遭遇してきたモノたちも。
これから先に遭遇するだろうモノたちも。
視えてしまうから仕方がない。
どんなに無視をしても確かにそこにいるのだから、認めざるを得ないのだ。目を開けたまま、見ないふりをするのはもう止めよう。否定したところでなにも変わらなかっただろう? 目を閉じたところで視えなくなるわけではないのだ。
光。
ゆっくりと。
戻ってくる温度が心地好い。
「……ここ、は」
目を開けた時、狭い空間の中でふたり。
着信音がズボンのポケットから聴こえてくる。現実セカイに戻って来れたのだ。音は止まない。きっとみのりが心配してかけてくれているのだろう。
だがしかし、朔夜は身動きが取れずスマホを手に取ることができなかった。着信音はずっと鳴り続けている。いや、そんなことよりも。
(ちょっ····この体勢、やばくないか?)
ぼんやりとしていた視界がはっきりとし始めた頃、朔夜と陽は自分たちの置かれている状況に対して思考が追いつがず、お互いに困惑しながら視線を重ねて固まってしまう。そんな中、遠くで重たい扉が開く音が響いた。


