あの日、君は黄昏空の下で微笑んだ。



 紙袋兄さん、改め(かなえ)

「教えてなんてあげないけどね?」 

 格好良くキメたあのすぐ後、雨雲の如く黒い影が天井を覆うように集まって来た。

「え……あ、ちょっとま……っ」

 頭上に現れた大きな口がパクッと叶をひと口で食し、一瞬にして跡形もなくなった。わらわらと徘徊していた禍人(まがびと)たちは数秒立ち止まったかと思えば、急に我に返ったように各々散っていく。主である禍神(まがかみ)の呪縛が解かれたようにも思える。全員、自分たちがいつもいる場所に戻って行くようだ。

 大きな影は廊下の天井を這っていたかと思えば、呑み込んだものを「ぺっ」と吐き出す。吐き出され廊下に落ちていったのは、茶色い紙袋の残骸。

 ずず……ずず……ず……。

 天井を這う大きな影はまるで赤ん坊のよう。

 のそのそと這うたびに引きずるような音が響く。頭上を四つん這いで這っていく大きな黒い塊に対して、禍人たちは興味がないようだ。

 空間を移動でもするかのように、黒い塊は体育館の天井からあるものを観察していたのだが、カラダの内側で暴れ出したモノに邪魔をされる。そしてそれがあまりにも鬱陶しかったせいで苛立ち、身を潜めていたというのにもぞもぞと身じろいだ結果、不覚にも地面に落ちてしまったというわけだ。

「もしかして、それに食べられちゃったの⁉︎」
「違うよ〜。わざとだよ、わ、ざ、と。この僕がそんなヘマするわけないでしょ?」

 ホントかな……、と朔夜は眉を顰める。心なしか声が上擦っている気も?

「せっかくだし、紹介してあげようと思ってさ」

 いやいや。今から僕の友だち紹介します、じゃないのよ……。さっきの作戦と真逆なんですけど?

「必要ない」
「いやぁ〜、まったくその通りなんだけどね。どうせならお見送りしようと思って」
「だとしても禍神(それ)は要らん。さっさと捨ててこい」

 陽は表情を変えずに淡々と答える。

「……うぅ。やっぱちょっと無理かも、」

 うぷっと朔夜は口を押さえたまま頬を膨らませる。見た目は慣れてきたが、やはりこの気持ち悪さはどうにもならない。しかもそこに叶の声が混ざってくるのでますます意味がわからなくなる。

「見つかったら面倒とか言ってたの、あれはなんだったんだ?」
「ああ、僕のこと好きすぎて毎回パクってしてくるんだよ〜。というのは冗談で。僕を禍人にしようと直接的に染めようとしてくるんだよね。そんなことしたってムダなの、わかってるのにね〜」
「だから変人なんだ、これは」
「まあ、取り込まれている内は僕が禍神(これ)を少しの間制御できるから、ある意味作戦成功?」

 叶の声はどこまでものんびりとしていて、どこか楽しげだった。

「僕を食べても無意味なんだってこと、なかなか理解してもらえないんだよ。ということで当分はこれを抑えておけるから、今の内に出口に行って? あそこもいつ閉じられるかわからないし。今度こそ、本当にさよならだよ」

 その言い方だと、さっきの「またね」はこの早すぎる再会のことだったのだろうか。

「一緒に行かないの? その感じだと叶さんならいつでも出られるんじゃ……」

 朔夜の言葉に、叶はくすくすと笑った。禍神の大きな口はいつの間にか閉じられている。なんとなく、だが。そう思ったのだ。では留まる理由はなんなのだろう。こんな場所に留まり、たまに呑み込まれた人間を逃して。

「行かない。というか、まだ行けない、かな。理由は言えないし、言うつもりもないよ」
「だそうだ。もういいだろう。俺たちもあまり長居しすぎると、あいつらみたいにならない保証はない。そいつが禍神(これ)を抑えていられる内に、出るぞ」

 うん、と朔夜は頷くしかない。名残惜しいが、ここでお別れだ。

「じゃあ、またどこかで!」
「うん、またね」

 またね、と叶は同じように言って。

 陽は朔夜の手を引いて体育倉庫へと足を向ける。静止している禍神の隙間をすり抜け、振り向くことなくふたりはその奥の扉を開けた。