あの日、君は黄昏空の下で微笑んだ。



 朔夜(さくや)(はる)は体育館に辿り着いた。追ってくる禍人(まがびと)たちを撒いて、体育館の重たい扉を閉めて鍵をかけた。まさか鍵がついているとは思わなかったが、扉を破られない限りはもう大丈夫と思いたい。体育倉庫は奥の方にあるようで、陽に手を引かれながら朔夜はふと辺りを見回す。

 入ってきたところ以外は大きな窓に囲まれていて、差し込んでくる外からの赤い光は相変わらずで。晴れることなどないどんよりと曇った空はどこまでも続いている。夕方でもなく明け方でもない異様な色合いに、体育館全体が染まっていた。

「なんか出て来そうな雰囲気……ハル先輩、俺たち無事に帰れると思う?」

 現実セカイの体育館は二面あって建物も比較的新しいのだが、この体育館はだいぶ前にこちらに呑み込まれたのだろう。一面だけの体育館はこぢんまりとしていて、底の抜けた床が目立つ。

「まずいな」
「は? えっと、なにがまずいの?」

 陽の足が止まる。当然、朔夜の足も止まった。体育倉庫まであと数メートル、あと数歩の距離。

「奴が来た」

 奴? と朔夜が言葉を口にする直前に、突然目の前に現れたモノ。

 どすん! という音と共に、地震でも起きたかのような揺れが起きる。よろけそうになった朔夜の腕を掴んで陽は自分の方へ引き寄せると、一旦来た道を戻る。いったいなにが起きたのか。朔夜は混乱する頭の中で、先程目にした出来事を整理する。

 巨大な黒い塊がふたりの前に落ちて来た。幅が五、六メートル、高さ三メートルくらいの大きな赤ん坊に見えなくもない、四つん這いで地を這うような姿で降ってきたそれは、あろうことか体育倉庫の扉の前を陣取ってしまったのだ。

「な、なんか気持ち悪い……見た目もだけど、こう、胸焼けがするっていうか」

 吐きそう……、と朔夜は空いている方の手で口元を覆った。

「大丈夫か? 今は我慢しろ。あいつ、自分が引きつけるとか言っていたくせになにをしているんだ……、」

 やろうと思えば、黒い塊の隙間から奥の扉の方に抜け出せそうだが、下手に動くのは良くない気がする。影と同じ色の物体。塊。こちらの様子を観察でもしているかのように、静止したままピクリとも動かないせいで余計に不気味だった。

「それも気になるけど……あの塊って、」

 ものすごく吐きそうなくらい気持ち悪いのも、そのせいかもしれない。

「ああ……あれ(・・)が、禍神(まがかみ)だ」

 やっぱり……と朔夜は内心そうだろうと思っていたことが、陽のひと言で確信に変わる。自分たちを呑み込んだあの大きな影の正体。それこそが(わざわい)、もとい禍神だったのだ。神と名がつくわりに見た目がグロデスクというか、まるで恐ろしい怪異のようだ。神になど遭ったこともないし、もちろん視たこともないが。

「人々の負から生まれし神。悲しき存在。怪異や悪霊、良くないモノの集合体。それが禍神という禍なのさ」

 姿はない。声のした方を探る。まさか、と朔夜は正面を見据える。にたり、とでも笑うかのように大きな口のような場所がゆっくりと横に広がっていき、漆黒の中に剥き出しになった白い歯が不自然に浮かんで見えた。

 禍神の内側(・・)から聴こえてきた、穏やかな口調なのにどこか寂しげなその声に、朔夜は愕然とした。