非道な殺し屋頭領は、甘美な毒で花を欺く


「六年前の夜、俺に与えられた任務は不知火 椛の暗殺だった。俺の獲物を他のやつに渡すわけにはいかない。だが、まだ幼いおまえは自分の命を狙いにきた俺を睨んで母を庇おうとした。おまえの母はもう息絶えているのに『これ以上、お母様を傷付けないで』と母親の短刀を向けてきた。そのとき俺は驚いて、おまえを殺せなかった。今までの標的は、自分が助かるなら他人の命を簡単に犠牲にする者ばかりだったのに。この子どもはなぜ、逃げもせずに死んだ母親のそばにいるのか。そう思ったら生まれて初めて殺すのが惜しくなって、おまえを異能で眠らせるにとどめて去った。けれど、毒の作用で記憶が少し歪んだのだな。それが俺の人生で唯一、遂行できなかった任務だ」
 いつかと同じように、暁の赤い髪が夜の闇の中で燃える炎のように見える。それを呆然と見つめていると、暁が椛のほうに一歩踏み込んできた。
 不意打ちを受け、椛の左胸がドクンと大きく脈打つ。
 次の瞬間、暁に手首をグイッと引かれて唇を奪われた。
 甘い花の蜜のような味が椛の舌を流れ、記憶が揺さぶられる。
 閉じた瞼の裏に過ぎるのは、見知らぬ大人の男に切られる母と飛び散る鮮血の赤。
 夜中に突然侵入してきた男は、息絶えた母の身体を乱暴に蹴ると、次に長い銀の刀を椛に向けた。刀の先から母から流れた赤が滴る。その向こうで、男が震える椛を見てニヤリと顔を歪める。
『次はおまえだ』
 ざらついた低い声に椛が耳を塞いだとき、目の前に赤い火の玉が勢いよく飛び込んできた。なにかと思えばそれは華奢な着物の少年で、火の玉に見えたのは彼の赤い髪だった。
『手をひけ。こいつは俺のモノだ』
 少年が刀を一振りすると、男が呻き声をあげて目を押さえた。何が起きたのか、男は怯えたように逃げていく。
 椛が茫然としていると、少年がゆっくりと振り向いた。
 倒れたの母の向こうに立った少年の髪は、夜の闇の中で燃える炎のように赤かった。
 恐ろしい鮮血の赤とは違う。椛を救ったやさしい赤。
 思い出したのは、母が殺された日の鮮明な記憶だった。
 なぜ今、突然にそんな記憶が蘇ったのだろう。
「これで解毒になるといいが」
 暁のつぶやく声に目を開ける。
「解毒……?」
 暁は六年前に椛を異能で眠らせたと言っていたが、椛が記憶を忘れていたのはそのせいだったのだろうか。
「あらためて聞くが、おまえはどうする? その刀を振り下ろすか、もしくはこのまま俺のそばにとどまるか……?」
 問い返す椛に、口元にうっすらと笑みを浮かべた暁が挑発するように問いかけてきた。
「とどまる……? でも、あなたは姉を殺すつもりなのでしょう」
「それが任務だからな。だが、俺のそばに留まれば、いつでも止められるぞ。そばにいて、いざと言うとき椛が俺を止めればいい」
「そんな、いつ裏切るかもわからない者をそばに置いていいんですか?」
 加えられた新たな選択肢に、短刀を握る椛の手が汗ばむ。震える声で訊ねる椛に、暁は無邪気に笑った。
「ああ。それを承知で、俺は六年前に標的だった椛を生かした。初めにも言っただろう。俺のそばに留まる限り、おまえを全力で守ってやると」
 短刀は、すぐには振り下ろせなかった。
 六年前の夜のことを思い出して、赤が苦手な椛が暁の髪の色だけは怖いと思わなかった理由に気付いてしまったから。
 黒羽の赤鴉は、同業者たちの間で冷酷非道と知られる殺し屋。けれど、椛にとっては初めからずっと、やさしいひとりの男だった。
 単独任務の標的にも関わらず、冷酷さとやさしさを合わせ持つ暁に心惹かれた。
「春の約束も、守ってくれますか?」
 つぶやくように訊ねる椛に、
「春……? ああ、椛のな」
 暁は少し首をかしげてから、ふっと目を細めた。
『俺は春に咲く椛が好きだ』
『春になったら見せてやろう』
 団子屋の裏庭で暁がくれた『好き』の言葉が、椛の耳に蘇る。それだけで胸がきゅっと苦しくなって、短刀が手から離れて落ちた。
「暁さん、これからもわたしをそばに置いていただけますか」
「承知した」
 少し自信なげに瞳を揺らす椛に、暁がにこっと笑って腕を開いた。
「これからはかりそめの妻ではなく、俺だけの椛だな」
 機嫌良さそうな声でそう言って、暁が椛を抱きしめる。ひさしぶりに触れる他人の体温に、椛の鼓動が速くなった。
 静かに流れてきた夜の風が、暁の髪を揺らす。その赤に手で触れながら、椛はこの男が必要なのだと強く思った。
(わたしは、暁さんが好き――)
 たしかになった気持ちごと、椛も暁をそっと抱きしめた。
 
 
Fin.