非道な殺し屋頭領は、甘美な毒で花を欺く


『黒羽の赤鴉は現在、西雲寺家の統治する城下町の団子屋に潜伏している』
 父からその情報を得た椛は、日が落ちる直前に城下町に侵入した。
 不知火で諜報担当をする者の調査によれば、赤鴉はここ一ヶ月ほど、団子屋の店主を装って生活しているらしい。
 任務のためか、庶民を装い身を隠しているつもりなのか。理由には興味はない。
 いずれにしても、椛の作戦は一択だった。夕刻の団子屋が店を閉める頃に旅の者を装って店に立ち寄り、向こうが普通の客だと油断しているところを一撃で仕留める。
 優秀な殺し屋なら人目につかない場所で隠密に事を運ぶのだろうが、なにせ椛は不知火家始まって以来の出来損ない。
 どれほど鍛錬しても、物音立てずに移動できるようにならないし、剣術を含めて武術はほぼ落第点。唯一任されるのが見張りだったが、それもこの度しくじった。
 だから、他の客に混ざって堂々と店を訪れたほうが、かえって警戒されにくいのではないか。椛はそう考えていた。
 任務には七日の猶予があるが、おそらく椛の場合、時間をかければかけるほどボロが出る。
 早い段階で行動に出て、必ず一撃で赤鴉の命を奪う。それができなければ、椛のほうが危ない状況になる。
 相手は黒羽の赤鴉。彼の異能で、一瞬にして跡形もなく消されてしまうだろう。
 緊張のせいか、いつかのように、鮮血の散るような紅い残像が眼前でチカチカと飛ぶ。少し息苦しくなり、椛は菅笠を目深にして胸を押さえた。

「どうかされましたか? そこの方」
 立ち止まる椛の耳に、少し低めの穏やかな声が響いた。
 ドキッとして笠のふちをあげると、団子屋の暖簾から濃紺の着物の赤髪の男が顔を覗かせていた。
 おそらく、年は椛よりも少し上の二十歳頃。
 夕闇に映える赤髪と切れ長の目に宿る強い眼光。地味な装いでうまく庶民に紛れているつもりだろうが、異質な存在感が静かに滲み出ている。
 一目で、その男の正体がわかった。
(あれが黒羽の赤鴉――)
 男の視線に囚われて、椛の身がすくむ。
 先に踏み込むのは椛のはずだったのに、その前に標的のほうから声をかけられてしまった。
 鋭い殺し屋は、同業者の気配に敏感だ。まだ殺気すら出していない椛の気配に、店の中にいて気付いたのだろうか。
 予定が狂い、動揺した。
(どうしよう……いっそのこと、このままひと息に襲いかかってしまおうか……)
 冷静な判断ができなくなり、隠した懐刀を手で探る。それを引き抜こうとしたその瞬間、
「どうかされたの? 暁さん」
 暖簾の奥から若い女が姿を見せた。上質そうな着物を纏った綺麗な人だ。唇に乗った、やけに鮮やかな紅の色が、椛の記憶を刺激した。
 赤は苦手だ。特に、血の赤は――
 不知火家に生まれた者として致命的だが、鮮血のような赤色を目にするとどうしてもあのときの恐怖が蘇る。
 六年前、目の前で母を奪われたときの記憶が――
 懐刀を抜こうとした手が震え、うまく息ができなくなる。吸っても吸っても満たされない。冷や汗と激しい動悸で、周囲の音も聞こえない。
 胸を押さえて蹲ったとき、何かざらっとした感触のものが口元にあたった。
「大丈夫。すぐに治る。まずは落ち着いて、ゆっくりと息を吐け」
 耳元で穏やかな低い声が響く。
「吐いて、吐いて……そう、上手だ」
 声に導かれるままに、椛は意識して少しずつ息を吐いた。誰ともわからない大きな手が、椛の背中をさすってくれる。そうしているうちに、次第に呼吸がラクになっていった。
「落ち着いたか?」
 口元に当てられていたのは麻袋。それを握りしめて顔を上げると、心配そうに目を細めた赤髪の男と目が合った。
「あっ、く……あっ……」
 黒羽の赤鴉――
 驚きのあまりに言葉が詰まり、無様にも後ろのひっくり返る。それを見た赤髪の男は、ほんの一瞬目を瞠り、それからふっと息を零した。
 ――笑った、のだと思う。男の眼光がわずかにやわらぐのがわかった。
「次々とせわしないな。大丈夫か」
 男の手が椛の手をつかみ、助け起こしてくれる。団子屋の店主にしては、ずいぶんと固い手のひら。その感触に、どぎまぎとした。
「あ、ありがとうございます……」
 口の中でモゴモゴとお礼を言う椛の頭の中で、いくつもの思考が浮かんでは消えていく。
 標的に助けられるなんて、不知火の恥。父や兄姉(きょうだい)たちに知れたらどれほど呆れられるか。
 最初に考えていた作戦はもう使えない。一度引いて、作戦を練ってから出直した方がいいだろうか。
 けれど、黒羽の赤鴉に顔を知られた。
 それなら、今ここで、一気に刀を抜いて喉を掻っ切れば——
 決断がつかないままに懐刀に手を伸ばす。
 そのとき、
「暁さん、いつまでその方をかまうおつもりですか? もう具合も良くなっているのでは?」
 鮮やかな(べに)を引いた女が寄ってきて、赤髪の男の肩に手をのせた。
 椛は、澄まして微笑む女の唇から視線をはずすように菅笠を目深にした。また、彼女の赤に惑わされてはたまらない。
 椛がそのまま後ずさるように離れようとすると、
「あんたこそ、まだここにいたのか」
 声をかけてきた女を振り向いた男が、無機質な声でそう言った。
「い、居てはなりませんでしたか……」
 男の冷たい声音に、女が怯えたように唇を震わせる。
「注文の団子は渡しただろう。用が済んだらとっとと帰れ」
「でも私、まだ暁さんとお話がしたくて……」
「あいにく、俺はあんたと話すことなどひとつもない。店を閉めると言うのに無理やり中まで押し入ってきて、迷惑極まりないんだが。俺がおまえのような女に気を寄せるわけがないだろう。その手を離せ」
 男が嘲るように鼻で笑って、肩に置かれた女の手を乱暴に振り払う。
「ひどい……」
 冷たくあしらわれた彼女が、涙目で唇を噛む。それから手に持っていた団子の包みを男に投げつけると、走り去った。
「ああ、ひっでえ。あの女、覚えてろよ」
 男が低い声でぼそっとつぶやく。男の『覚えてろよ』に、おもわずゾワッと鳥肌がたった。
 見れば、男の着物は包みから漏れた団子のみたらしでベタベタに汚れている。
 さっきの女が、ひどい復讐をされないといいが。
 要らぬ心配をしていると、男がふいに椛をジロリと見てきた。
 今から懐刀を抜いて標的をひと突き――とはいけそうもなく、椛は一旦引こうと決めた。
 どこか宿でもとって、作戦を練り直さなければならない。
「そ、それでは、わたしもそろそろ失礼いたしますね……」
 椛がひきつり笑いで去ろうとすると、
「いや。あんたはもう少しここに居たほうがいい」
 まさかの、男に引き止められた。
「今倒れたばかりだろう。発つにしても、少し休んでからにしろ。うちの団子でも食べていきな。ついでにお茶も出してやる」
「え、でも……店を閉めるところだったのでは……?」
「そうだが、特別に便宜をはかってやる。だが、暗くなるのに外の席もなんだな。中に入れ」
 男はそう言うと、椛を店の中へと引き入れた。