誰にも内緒の観察日記


 ◇◇

 体育館で行われた体力テストを終えて、さぁ着替えるかと立ち上がる。隅田の言っていた通り、間宮くんは握力で十点を叩き出したし、上体起こしも反復横跳びも満点だった。長座体前屈だけは苦手なのか、八点を取って悔しがっていたけれど、そんな姿もかわいかったからプラマイプラス。さすが王子様、女子全員にキャーキャー言われていたし、何なら僕も気持ちだけはそこに参加していた。

 体育は嫌だけど、運動している間宮くんを見れるのは嬉しい。爽やか度が五割増。僕自身のテストの結果は相変わらず散々だったけど、落ち込んではいない。むしろ、間宮くんの新たな一面を見れて上機嫌で歩き出そうとしたときだった。

 「やっべー、間宮。ガチの完璧人間じゃん」
 「いや、よく言うよ。隅田も似たような点数取ってるくせに」
 「そんなそんな、クラストップの間宮サンほどじゃねぇっすよ」
 「ふっ、やめてよ、何そのキャラ」

 ねぇ、待って。目の前で隅田が間宮くんと話してるんだけど。普通に仲良さそうに会話して、間宮くんが笑ってるんだけど。え、これは何が起きてるの? 天変地異の前触れですか? 目の前の光景についていけなくて、一切の感情がなくなったまま思考は停止している。そんなときだった。

 「綿谷くんはどうだったの?」
 「……え」

 真顔でフリーズしていた僕に突然静かな声が降ってきた。予想もしていなかった声掛けにはっと我に返ってその相手を見る。

 「体育は好き?」
 「えっ、あっ、いや、そこまで、かな……」

 話を聞いていなかった僕に、表情ひとつ変えず更に問いかけてきたのはまさかのお相手、夏川くんだった。やばい、やばいよ。間宮くんと隅田が仲良くなってるのも意味わかんないし、夏川くんがなぜか僕に話しかけてくるし。何この状況。夢? 僕、運動音痴すぎて気絶でもした?

 一生会話することなんてないと思っていた相手に話しかけられて再びフリーズしそうになるけど、自分が何を口に出しているのか追いつかないまま、とりあえず首を横に振る。吃りすぎて、絶対キモイって思われた。最悪だ。だけど、そんなコミュ障丸出しの答えを聞いた夏川くんはニィッと目を細める。

 「俺と一緒だ。疲れるし、汗かくし、着替えんのも面倒だし、体育って嫌だよね」
 「そ……ですね……」

 もう放っておいてくれたらいいのに……。なんて、失礼なことをクラスのヒエラルキーの頂点に君臨する相手に言えるはずもなく。目を合わせないように俯きながら、僕は曖昧に相槌を打つ。

 同級生とうまく会話もできないようなヤツと話していたって何もおもしろくないだろうから、間宮くんたちの方に戻ればいいのに。悔しさと虚しさと情けなさが入り交じって、きゅっと唇を噛み締める。けれど、夏川くんはそんな僕に一歩近づいて、顔を覗き込んできた。

 「……綿谷くんってさ、」
 「は、はい……」
 「俺らのこと、苦手?」
 「っ、」

 首元にナイフを突きつけられているような感覚がして、ヒュッと息が漏れた。決して僕を責めるでもなく、淡々とした落ち着いた声なのに威圧感がある。あまりにもストレートに答えづらいことを聞いてくるものだから、まじまじと夏川くんの顔を凝視してしまった。わぁ、綺麗なお顔……じゃなくて。

 「俺ら……」
 「ん、颯斗と俺」

 まだ隅田と盛り上がっている間宮くんと、僕の回答を待っている夏川くんを交互に見る。確かに夏川くんのことをこわいと感じることはあるけれど、それはあまりの美しさに恐れをなしているのと、僕の秘密を見透かされそうで勝手に怯えているだけだ。高嶺の花に恐れ多いなとは思うけど、それとはまた別だ。だって、苦手になれるほど僕は二人のことをよく知らないし、何よりも顔が好きだし。

 「あの、僕、そう思わせるようなことしましたか……?」
 「いつも俺らを見て逃げていくから、避けられてるのかなって。入学してから一言も話してないのは綿谷くんぐらいだから気になっちゃってさ。……俺らのこと苦手なのに、絡んじゃってごめんね」
 「ちが、苦手、とかじゃないんです」

 眉を下げた夏川くんが両手を合わせて謝ってくる。全てが悪い方向に進んでいる現状に青ざめながら首を横に振って否定するけれど、そんな必死な姿も夏川くんからしたら無理に言わせているみたいになったようで。いいんだよ、無理しなくて。そう言いたげな苦い微笑みが胸に突き刺さってズキズキと痛む。

 「あの、本当に苦手とかそんな風に思っていなくて。ただ、僕なんかが恐れ多くて……」
 「うん」
 「うう、ごめんなさい……」

 何と言って弁明すればいいのか、脳内で最適な言葉を探すことに必死になる。けれど、何を考えているのか分からない瞳でまっすぐ見つめられると蛇に睨まれた蛙のように思考が停止して、キャパオーバーしてしまう。

 最後に口にできたのは、謝罪の言葉。「えっ」と驚く夏川くんを残して、僕は脱兎のごとくその場から逃げ出した。僕ってどうしてこうなんだろう。この失態は夏川くんから間宮くんに伝えられるはず。灰色の雲に覆われた空は今にも泣き出しそう。あーあ、上手な生き方がわかんないや。