世紀の失態から一週間経つけれど、あの帰り道のことは間宮くんからも夏川くんからも触れられていない。……というよりかは、それはきっと僕が彼らを避けに避けて避けまくっているからで、挨拶すらしていないのだから当たり前だ。
僕が一方的にこっそりと視線を送っている日常に変わりはない。……いや、気づいたら勝手に目が間宮くんを追ってしまうから、本能ってこわいのだけれど、一旦それはそれとして。密かな推し活は今なお続いている。
一週間という短納期なのに、僕にはいつの間にか間宮くんレーダーなるものが搭載されていたらしく、間宮くんが僕を視界に入れようとした瞬間、バッと隠れるのが特技になりつつある今日この頃。まだ完璧な出来ではないけど、順調にその精度は上がっている。不審者だと笑われたっていい。一週間かかってやっと増えてきた友達がいなくなるのは嫌だけど、僕には隅田がいる。隅田がいれば、大抵のことはどうにかなるだろう。脱・隅田を掲げた記憶には蓋をして、うんうんと頷いていれば、隅田が僕の席にやってきた。
「侑、次体育だけど」
「あっ、今行く」
お世話係の隅田くん、なんて噂されていることをつゆ知らず、迎えに来た隅田の声にハッと我に返って体操服の入ったかばんを掴んで立ち上がる。
「やだなぁ、体力テスト……」
「お前はもっと筋肉つけろ。貧弱なんだから」
「うげー、隅田みたいにムキムキマッチョにはなりたくないもん」
改めて横に並んで歩く隅田を見る。毎日見てるから気づかなかったけど、中学の頃と比べてまたちょっと筋肉がついた気がする。筋トレとか、絶対しんどいからやりたくない。そう思ってぶつくさ言いながらツンツンと二の腕をつつけば、引き締まった筋肉に指が押し返される。おお、と素直に感動して、今度はがしっと掴んでみたら「こら」と驚いた隅田に頭を軽く叩かれた。
「何やってんだよ」
「触ってみたら思ってた以上にすごかったから、つい」
「侑も野球部入ったら鍛えられるのに」
「無理無理。僕、球技全般苦手だから」
「ふはっ、中学の時も酷かったもんな。あさっての方向に飛んでいくボールを何回取りに行かされたことか……」
「あー! そうやってすぐ人のことバカにして!」
「バカにはしてねぇよ、懐かしんでるだけだろ」
「いいもん、隅田なんてしーらない」
「ハイハイ……で、この手は何?」
ぷいっと横を向くけれど、手は隅田を掴んだまま。だって隅田がいなかったら、僕、体育でペアを作るときに余っちゃうもん。そんなの、困る。先生と組んでる生徒なんて注目度抜群。間宮くんにそんなところを見られたくない。アイツ、クラスに馴染めてないんだ。そんな視線を送られたらと考えただけで吐いてしまいそう。隅田離れしたいのに、実際問題難しい現状に頭を抱えたくなる。
何も言わずに恨みがましく睨みつけるけれど、隅田はもう話題に飽きたのか、その視線を無視して「あ、ウグイスだ」と呑気に鳥を観察している。その姿を見ていると、こんなことで簡単に張り合ってしまう自分がなんだかちっぽけに思えて、途端に馬鹿馬鹿しくなってきた。はぁ……とため息を吐き出したところで足の長い二人組が僕らを追い抜いていく。それが誰なのか分かった瞬間、僕はハッと息を飲み込んだ。
間宮くんと夏川くん。彼らが近づいていたことに気づかなかったなんて、一生の不覚。だがしかし、そんな後悔をしている暇なんてない。僕は追い抜いていった瞬間の間宮くんの全てを脳裏に焼き付けることに集中する。少し伏せられた目、影ができるほど長いまつ毛、美しいフェイスライン、とにかく美しい横顔。柔らかな髪が風に少し遊ばれているのも絵になっている。春の妖精に祝福された王子様だ。憂いを帯びた表情もまた麗しい。いつも笑顔のイメージだから、こんな表情の間宮くんを初めて見る。心の中のシャッターが止まらない。まるでそこにだけスポットライトが当てられているかのように、無数の煌めきが彼らを包んでいる。なんだか変態くさいけど、花の香りのようないい匂いまでした気がする。神々しすぎて、ほんの数秒の出来事なのにスローモーションに見えた。うっとり、惚れ惚れ、まさにそんな状態。はぁ……と先程とは意味の違うため息を吐き出していれば、隅田が口を開いた。
「やっぱりあの二人は絵になるなぁ。顔の造形はともかく、なんかオーラあるよな。同い年とは思えないわ」
「やめて、隅田が間宮くんを語らないで」
「夏川はいいのかよ」
「……夏川くんは、ちょっとまた別、だから」
正直なところ、夏川くんはちょっとこわい。切れ長の目だからか、クールな表情の似合う美人だからか、とにかく近寄りがたいオーラがぷんぷん漂っている。キャーキャー騒がれるのが苦手そうだし、眉を顰めているところをよく見かける。あの目に射抜かれたら少なくとも数秒は固まってしまうだろう。もちろん間宮くんも近寄りがたいんだけど、ベクトルが違うというか。春の陽気な雰囲気を纏っている光属性の間宮くんに対して、夏川くんは名前とは正反対の絶対零度の氷の女王という言葉が似合う。自分からは絶対に話しかけられない人ナンバーワン、それが夏川くん。
それに何が一番の問題かって、僕が間宮くんを推しているのが夏川くんにはバレている気がするということだ。たまに睨まれているような視線を感じるときがあるし。でも、夏川くんは悪くない。モブが親友に変な熱視線を送っていたら不審に思うのは当然だ。僕がやめればいいのに、夏川くんに警戒されていると分かっていても、体が勝手に間宮くんに反応してしまうのだからどうしようもない。一応同じクラスだけど、このまま一言も言葉を交わさずに一年が過ぎたっておかしくはないと思っている。そんな夏川くんだからこそ、彼の名前を出すのも気が引ける。口に出したら使用料とか取られないかな。
夏川くんの話になった途端、明らかに挙動不審になった僕を見て隅田はそれ以上の追及をやめたらしい。
「間宮にしか興味ないってか。そんなに好きなら話しかければいいのに」
「僕に『死ね』って言いたいの?」
「そうじゃねぇだろ。ったく、お前ってやつは……」
「なに?」
「はぁ……、拗らせてんなぁ」
隅田にバカにされたような気がして腹が立つ。引き締まったお腹にパンチをお見舞いするけれど、平然とした隅田には効果なし。猫パンチのように扱われているみたいで僕のイライラが増すだけだった。
「今の僕なら握力で九点は取れそう」
「そこは十点って嘘でも言っとけよ」
「ゴリラと一緒にしないで」
「それ、間宮にも言える?」
「え?」
「アイツ、バスケ部だから握力強いんじゃねぇかな」
「えっ」
「まぁ、実力は知らねぇけど」
「えぇ……、間宮くん、かっこいい……」
「おい、自分の発言を今すぐ思い出せ。妄想でメロつくな」
脳内でゴリラと化した隅田なんて、バスケをしている間宮くんの姿にあっという間に塗り替えられていく。やばい、スポーツ万能なんだろうなとは思っていたけれど、まさかのバスケ部。なんだろう、バスケ部ってだけでうまく言葉にできないけどサッカー部や野球部にはないメロさがある。うう、見たすぎる。バスケしている間宮くんを応援したい。……でも、それはできない。なんの関わりも持たない僕が応援しに行ったところで「何だ、アイツ」って気味悪がられて終わりだ。胸の奥がギュッと締め付けられる。
「体育でバスケやるかな……」
「何やるかは選択式だから、バスケがあっても選ぶかどうかは間宮次第じゃね?」
「そんなぁ……」
「まぁ、普通は自分の得意なやつ選ぶだろうから、そこまで落ち込まなくてもどうせ間宮もバスケにするだろ。アイツは何でもできそうだけど」
そう、そこなんだよね。首席で合格するほど頭が良くて、運動神経も良くて、顔も性格も良いなんて……。間宮くんの欠点はどこ? 粗探ししたって、きっと見つからない。人の悪いところを探そうとする自分が惨めになるだけだ。
「ほら、間宮のことばっか考えてないで、手動かせ。授業始まるぞ」
「あっ、待って」
「ああもう、焦んなって。待ってるから」
同じように話してたのに、隅田はもう体操服に着替え終わっている。間宮くんへのメロつきモードから切り替えて、置いて行かれないように僕は慌てて制服を脱いだ。



