◇◇
「放課後、あそこで勉強する?」
「いつもの?」
「そ」
「了解。……あー、でも俺ちょっと用事あるから、先行っといて」
「別に待っててもいいけど」
「いや、絶対混むから席確保しておいてくれた方が助かる」
僕と隅田が中学生だった頃、受験前は特に毎日のように通った近所の市民センター。図書館が併設されており、自習スペースも確保されていることから、学生から老人まで幅広い世代の人に人気のスポットだ。
学校の図書館でテスト勉強するのかと思っていたけれど、市民センターには高校生になってから一度も行っていないからいい機会かもしれない。あそこがなければ、僕らはきっと合格していなかった。
放課後、いつも隅田と並んで歩いた道。懐かしい光景を思い出しながら、ひとりで自転車を漕いでいく。ずらっと並ぶ自転車の列に同じように停めて、自然と足が向かう先は二階の自習スペース。エスカレーターを上って見えたのは、真っ白の柱に寄りかかって立つ見慣れた姿。見間違いか、他人の空似かと思って瞬きをしてみるけれど、あんなイケメン、滅多にいない。声をかけるべきか悩んで立ち尽くしていると、スマホを見ていた間宮くんがパッと顔を上げた。
「あっちに席取ってるから行こっか」
「えっと、隅田と約束してて……」
「知ってる、その隅田からわたちゃんのことを託されたから」
「え……」
ひとりで行けっていうのはそういうこと? 間宮くんと鉢合わせるためだった? 隅田に一言言ってやろうと思ってスマホを取り出すと、タイミングよく通知が飛んでくる。
『いい加減、素直になれよ。だめだったときは慰めてやる』
これは僕へのエールなのか、当たって砕けろというメッセージなのか。間宮くんを待たせている焦りもあって、うまい返信が浮かんでこない。「バカ!」とだけ送ったら、ふざけたスタンプだけ返ってきて、これ以上は不毛だとスマホをしまった。
「わたちゃんはよく来るの?」
「受験のときによく使ってたかな」
「そうなんだ」
人の往来があるから、シーンと静まり返った空間ではない。それが逆に集中しやすくて、小さめの声なら話していても問題ないから、この場所が好きだった。
「勉強付き合わせちゃってごめんね」
「全然。むしろ隅田に感謝してるぐらい」
「…………」
「ふふ、照れてる」
間宮くんが笑いながら取り出したのは、数学の問題集。パラパラと捲って、テスト範囲の問題を解いていく。長考することなく、さらさらとペンが動いているのが視界に入る。さすが得意科目というだけある。僕なんて、応用問題の一問目から心が折れそうになっているというのに。分からない問題を考え込んでも時間の無駄だし、解説を見た方がいいかなと諦めようとしたときだった。
「わたちゃん、分かんないとこあった?」
「これ……」
「ああ、これはね、」
ぐいと顔を近づけて、僕の問題集を覗き込む。どこでつまづいているのかを一瞬で理解した間宮くんは、授業を聞いてもよく理解できなかった解き方を僕でも分かるように噛み砕いて説明してくれた。
そういえば、この男、首席で進学校に入学した天才だった。隣にいるのが隅田だったら、きっと今頃ふたりで頭を抱えていた。僕が手を止める度に分かりやすく解説してくれて、勉強の邪魔をしているんじゃないかと不安になるほど親切だった。
勉強を開始して、一時間。正直ちょっと飽きてきた。集中力が低下するのに比例して、ここ最近ずっと気になっていたことを間宮くんに聞きたい気持ちが増えていく。
チラリ、横を見れば間宮くんは集中して問題を解き続けている。かばんの中には、今日渡された交換日記が入っている。なるべく音を立てないようにしながら少し草臥れてきたノートを取り出して、新しいページに書いていく。
『間宮くんと僕が初めて会ったのは、入学式だよね?』
以前、交換日記に書かれていた言葉。妙に引っかかる言い方をしたのに、あれ以来、間宮くんがそのことに触れることはなかった。今渡すのは良くないよなぁと思って隣を見れば、たまたまパチンと目が合った。
「どうしたの?」
「…………」
「もう書いたの? 見ていい?」
「うん」
黙ってノートを差し出せば、シャーペンを置いた間宮くんが受け取って読み始める。すぐに読み終えて真相を教えてくれるのかと思ったら、間宮くんは再びシャーペンを手に持ち、何かを書き足している。そして、それを同じように黙って渡してきた。
『ヒント①俺は西中出身です』
そうなんだ……じゃなくて。僕は南中出身だから、同じ中学校出身というわけではない。西中の友だちなんて、ひとりもいないし。
『西中に友だちいないよ』
『ほんとに? 顔見知りも?』
『たまに席が隣になる人はいたけど、名前も知らないし』
確かその人が着ていた制服は西中だったような気がするけれど、あまりはっきりとは覚えていない。
もう、勉強どころじゃなかった。肩を寄せ合いながら、同じノートに書き込んでいくのが楽しい。私語が禁止されていないとはいえ、周りへの配慮は必要だし、こういう場所ならではの文字でのやりとりも新鮮で、なんだかくすぐったい。
とはいえ、間宮くんのヒントはよく分からなくて。首を傾げて分からないとアピールすれば、しょうがないなぁと間宮くんは新たなヒントを書き出した。
『ヒント②俺の好きなお菓子はクッキーです』
『それ、初めて会ったときに関係してる?』
『もちろん』
『難しいヒントだ』
『わたちゃんは作ったことないの?』
『あるよ』
受験勉強の息抜きをしようと、クリスマス前に紗和姉と伊都ちゃんに誘われて三人でクッキーを作ったことがある。たくさん作ったから隅田にもあげたし、その西中の子にも分けてあげた気がする。
『もしかして、その西中の子から僕の話を聞いてたの?』
『残念、不正解』
『えー』
やっぱり入学式で間違いないんじゃないか。誰もが振り向く絶世の美男子、一度見たら忘れないだろう。これは数学よりも難しい問題なのかもしれない。
『じゃあ、最後のヒント』
そう書いて、かばんから取り出したものを僕の前に置く。ごく普通の黒縁メガネだ。
「……ん?」
どこにでも売っているような、誰でもかけていそうな、何の変哲もない黒縁メガネだというのに、どこか懐かしさを感じる。でもこれを間宮くんが持っていたということは、間宮くんの私物? 最後のヒントだというのに、答えは導き出せない。
「このままだとちょっと難しかったかな」
「間宮くんってメガネかけるんだね……っえ!?」
驚きのあまり、思わず大きな声を出してしまって、慌てて自分の口を抑える。斜め前の席からごほんと咳払いが聞こえて、心の中で「ごめんなさい」と謝ったけれど、それどころじゃない。
ここじゃ、ちゃんと話ができない。間宮くんの腕を引っ張って、人通りのない廊下に連れて行く。
「思い出した?」
「……忘れたわけじゃないよ」
「うん」
「間宮くんがあの子だって結びつかなかったから、びっくりして……」
「ふふ、高校デビューは大成功ってことかな」
市民センターの勉強仲間と一方的に思っていた西中の男の子。黒縁メガネをかけて、長い前髪で目元はいつも隠れていた。物静かで少し大人びていたけど、僕のどうでもいい話を最後まで聞いてくれる優しい子だった。まさか、その子が間宮くんだったなんて。前髪を切って、メガネを外したら、こんなに雰囲気が変わるなんて。
「わたちゃんがまだ一ヶ月しか経ってないのに好きになるはずないって言ってるって、隅田から聞いた」
「だって、それは……」
「うん、わたちゃんの言いたいことはよく分かるよ。全然知らない子から告白されても『誰?』って思うのが普通だし、全然知らないくせに『どこが好きなの?』って聞きたくなるし」
今までの経験を振り返っているのだろう。苦い顔をした間宮くんは、高校生になってから何度もそんな場面に出会してきたはず。
「でも、俺はそういうヤツらとは違う。俺たちが同じ高校に入学したのは偶然だと思ってるよね?」
「……うん」
「今日ちゃんと全部話すって決めたから引かずに聞いてほしいんだけど、実はわたちゃんの志望校を隅田に教えてもらっていたんだ」
「うそ……」
「最初はもちろん警戒されて、気持ち悪がられたんだけど……。ちょっとずつわたちゃんと仲良くなっていくのを見て、ギリギリになって教えてくれたよ。はぁ、アイツはいい番犬だね」
「隅田とはずっと友だちだったってこと?」
「うん」
「じゃあ、わざわざ僕と同じ高校を第一志望にしたの?」
「うん、この場所だけの顔見知りじゃ足りなかったから。わたちゃんの特別が欲しかったんだ。あの頃の俺、暗かったでしょ。わたちゃんは当時からずっとかわいくて、そんな子に気軽に話しかけられるほど自分に自信が持てなかったから。入学するまでにわたちゃんに釣り合う男になって、誰かに取られる前に告白しようって決めたんだ」
間宮くんと隅田が繋がっていたことも、そんなに前から僕を思っていたことも、全然知らなかった。
「僕、間宮くんにそんなに思ってもらえるほどの人間じゃないよ。間宮くんの前では猫被ってるだけで、本当は性格も口も悪いし、ワガママだし、どこにでもいるような顔だし……」
「ストップ、それ以上俺の好きになった人を悪く言わないで。誰が何と言おうと、わたちゃんは一番かわいいから」
「っ、」
「俺が消しゴムを持ってないことに気づいて、すぐに貸してくれたじゃん。そういう優しいところももちろん好きだけど、それはただのきっかけに過ぎなくて。隅田には素直になれなくて不器用に甘えてるところもかわいいなぁって思うし、俺にもワガママ言ってほしいなって、ふたりを見ながら思ってた」
「…………」
「ずっと言いたくて、言えなかった言葉を聞いてくれる?」
「……はい」
「初めて笑いかけてくれたあの日からずっと、わたちゃんが好きです」
ふわりと間宮くんが笑う。あの子の面影と重なって、胸がキュンと鳴った。僕だって、どうでもいい人に消しゴムを貸したりしないし、クッキーもあげないよ。仲良くなりたいって思ったから、自分から話しかけたんだ。それが恋に変わるまで時間はかかったけれど、同じものを返せるほどには大きくなったと思う。
「……僕だって、一目惚れなんだよ」
「え?」
「間宮くんが嫌悪する人と同じで、僕も顔から好きになったのに、それでもいいの? 嫌にならない?」
「わたちゃんにかっこいいって思ってもらいたくて頑張ったんだよ。あのノートを見つけたとき、どれだけ喜んだか知らないでしょ」
「僕は絶望したんだけどね」
「ふふ、俺の一生の宝物だよ」
何回見ても、新鮮にかっこいいと思う。後にも先にも、僕のことをこんなに愛してくれる人はいないんじゃないかって思うほど、大きな愛を感じている。
「……間宮くんが好きです」
「っ、」
ドキドキしながら言うと、手を掴まれてあっという間に間宮くんの腕の中。ドクドクと、早鐘を打つような心臓の音が聞こえてくる。この温もりを知ってしまったら、もう離れられない。包み込むような優しさと、柔らかなあたたかさで癒してくれる、僕だけの陽だまり。間宮くんは、そんな人だ。
「わたちゃん、もう逃げない?」
「たぶん……?」
「いいよ、逃げても。どこまでも追いかけるから」
「それはちょっと怖いかも」
「ふふ、冗談だよ」
僕の推し活はこれにて終了?
ううん、これからもずっと続いていく。
間宮くん推しは変わらないのだから!
【完】



