誰にも内緒の観察日記


 ■交換日記 担当:綿谷
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 間宮くんへ
 僕なんかのことをたくさん褒めてくれてありがとう。嬉しかったです。

 どうしてこんなに間宮くんが僕のことを気にかけてくれるのか分かりません……と書いて、すぐに消しゴムでその一文を消す。だめだ、こんなの間宮くんに見せられない。何を書いてもキモい文章になってしまうから、ここから先の文章がなかなか書けない。

 間宮くんから渡されたノートには、僕への褒め言葉が羅列されていて、誰もいない部屋で赤面してしまった。そのことに対する返答をしようにも、うまい言葉が思いつかない。ドロドロに煮詰めた間宮くんへの感情を滲ませるようなことはしたくない。だって、間宮くんは健全に僕と仲良くなりたいと思ってくれているのだから。

「あーあ、何を書けばいいんだろう……」
「侑ちゃん、悩み事?」
「まさか恋煩い?」
「紗和姉と伊都ちゃん……。ドア開けるときはノックしてっていつも言ってるじゃん」
「したよね、紗和姉」
「うん、すっごい集中してるから気づかなかったんでしょ」

 ドアから顔を覗かせるのは、好奇心旺盛なふたりの姉。マズイ、間宮くんとの交換日記がバレたら面倒なことになる。慌ててノートをパタンと閉じるけれど、瞬間移動のようにいつの間にか僕の後ろに立っていた伊都ちゃんがそれを取り上げた。

「やめて、伊都ちゃん。返して」
「うーん……」
「中見たら一生口きかないからね」
「ごめん、お姉ちゃんが調子に乗った。返すからそんなこと言わないで」
「……ありがと」

 頬を膨らませて渋々返してくれたお礼を言えば、伊都ちゃんがわしゃわしゃと僕の頭を撫でまくる。すると、その様子を見守っていた紗和姉が口を開く。

「好きな子と交換日記でもすることになったの?」
「は!? えっ、違うし!」
「(分かりやすすぎるよ、侑ちゃん……)」

 紗和姉、大当たり。バレたくなくて必死に否定するも、姉ふたりからの生暖かい視線を感じる。

「もし、もしもだよ、ふたりが推しと交換日記するなら、何を書く?」
「推し、ねぇ……」
「私は素直に推してるところを書くかな。あとは日頃の感謝とか、あなたのおかげで毎日楽しいですって」
「私も同じかな。その人と仲良くなりたいなら、自分のことを知ってもらうために自己紹介とか書いてみるのもいいんじゃない?」
「なるほど……、うん、勉強になったよ。ありがとう」
「いいえ、お姉ちゃんたちはいつでも侑ちゃんの味方だからね」
「その推しとの関係に悩んだらいつでも相談しなさい」
「っ、だから僕の話じゃないって!」

 鋭い姉ふたりは必死の反論に耳を貸さず、ニヤニヤしながら部屋を出て行った。全て見透かされて恥ずかしい気持ちと、いいアドバイスをもらったことに感謝したい気持ちが入り混じって、感情がぐちゃぐちゃだ。

 自分の気持ちをリセットするためにふぅと息を吐き出した。このまま交換日記を間宮くんに渡すには、さすがに今のままだと短すぎる。僕はノートを開いて、ペンを取った。

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 間宮くんへ
 僕なんかのことをたくさん褒めてくれてありがとう。嬉しかったです。

 僕も初回だし、簡単に自己紹介するね。間宮くんも気になるところがあったら、気軽に質問してください。

 名前:綿谷侑(わたやゆう)
 あだ名:苗字で呼ばれることが多いかも。
 誕生日:2/22
 得意科目:英語 苦手科目:体育
 趣味、特技:最近姉に料理を教わってます。間宮くんは料理得意なんだね。間宮くんの腕には遠く及ばないのに、失敗作の卵焼きを食べさせてしまってごめんなさい。

 正直に言うと、間宮くんが入学式で挨拶をしているところを見てからずっとかっこいいなと思っていたから、こんなことになるなんて今でも信じられないぐらいです。

 間宮くんの負担にはなりたくないので、もしこれが迷惑だったり、やめたくなったりしたらいつでも言ってください。
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 ◇◇

 今日は僕から間宮くんにノートを渡すんだと思ったら、ソワソワして落ち着かなくていつもよりも早く家を出てきてしまった。まだあまり人がいない教室。本を読んでいるような真面目な生徒が数人で、噂話が好きな女子たちはまだ来ていない。これぐらいの人数なら、間宮くんにパッと交換日記を渡しちゃうのに。まだ来ないかな、と自分の席に座ってぼーっとしていたら、建て付けの悪いドアの音が教室中に響く。

「あれ、おはよ、わたちゃん。今日早いね」
「ふたりともおはよう」
「おはよー」

 入ってきたのは相変わらず爽やかな間宮くんと、ふぁあと大きなあくびをしている夏川くん。珍しい、今朝は部活がなかったのかな。僕の視線に気づいた間宮くんが話しかけてくる。

「今朝は自主練だったんだけどね、洸が英語の予習を忘れたっていうから早めに切り上げたんだよ」
「そうなんだ」
「いつもなら気にしないんだけどさ、俺、今日当てられるじゃん。さすがにやっておくか〜って」

 英語の先生は出席番号順に当てていくことで有名だ。昨日の授業で戸山さんまで当てられているから、先生の気まぐれが発生しない限り、次の夏川くんは今日ほとんどの確率で当たるだろう。めんどくさそうに席に着いた夏川くんは「颯斗」と間宮くんを呼ぶ。

「なに?」
「ノート貸して」
「お前、自分でやるって言ったじゃん」
「綿谷くん見たらなんか気抜けた。眠いし、頭回んない」
「ごめん、合ってるか分かんないけど、僕のノート見せよっか?」
「わたちゃん、コイツのこと甘やかさなくていいから。やめて、絶対見せないで」

 なんだかよく分からないけど、困っているなら僕でも力になれるかな。勇気を出して声をかけてみると、いつも穏やかな間宮くんにしては珍しく語気の強い言葉で制止される。

「あ、出しゃばってごめん……」
「ちが、違うんだよ、わたちゃん」

 ふたりの間に入っていけるはずがないのに、最近話しかけてくれるから勘違いして出しゃばりすぎた。こんなことで落ち込んでいたらめんどくさいと思われるだろうに、自分でも思った以上に沈んだ声が出て、更に自己嫌悪する。困らせたいわけじゃないのに。僕が邪魔しただけなのに。

「洸、さっさとこれ写せ」
「サンキュ。綿谷くん、お気遣いありがとね。今度、颯斗がいないときにこっそり教えて」
「うん……」
「お前なぁ……。わたちゃん、アイツが困っていても何も手貸さなくていいからね」

 ガサゴソとかばんの中を漁って、英語のノートを取り出した間宮くんは夏川くんへ適当に放り投げる。さすがバスケ部、コントロールがばっちり。そして、立ち上がった間宮くんはなぜかそのまま僕の方にやってきた。

「えっ……」
「声を荒らげてごめんね。仲間外れにしたいとかじゃなくて、君が俺以外に優しくするのが嫌なんだよ」
「っ、」

 僕の前の席に座って、小さな声でそう白状する。少し赤くなった耳。恥ずかしそうにしながらも、僕をとらえて離さない瞳。拗ねているみたいに尖らせた唇。ずるいよ、間宮くん。そんな顔でそんなことを言われたら、僕は君の特別なんじゃないかって勘違いしてしまいそうになる。

 「わたちゃんのことになるとなりふり構ってられないっていうか、余裕ぶってもっとかっこいいところを見せたいのに、なかなかうまくいかないね」
 「間宮くんは、ずっとかっこいいよ」

 落ち込んでいる間宮くんが自嘲気味に笑うから、条件反射みたいに声が出た。間宮くんは僕の推しだもん。どんなところもかっこいいよ。この思いが伝われと念じながら、まっすぐに見つめて言うと、間宮くんは表情を崩して頭を抱えた。

「はぁ……、わたちゃん、やっぱりそういうのは俺だけにしてね」
「うん……?」
「ふふ、分かってない顔してる。……いいよ、俺が傍で守ることにしたから」

 それってどんな顔だろう。ぺたぺたと頬を触るけれど、鏡もないのだから自分じゃどうも分からない。何かを付け加えていた気がするけれど、うまく聞き取れなかった。きょとんとしている僕を見つめて、とびっきり甘く微笑んだ間宮くんが手を伸ばして頭を撫でた。

「ま、間宮くん……?」
「最初の頃は飛び跳ねて逃げる勢いだったのに、大分俺にも慣れてくれたんだね」
「それはその……」
「分かってるよ、俺が強引に距離を縮めているって。でもわたちゃんがちゃんと話してくれるようになって、すごく嬉しいんだ」

 間宮くんの姿を見つけたら逃げ出していた頃を考えると、随分慣れたなと自分でも思う。間宮くんと話すときにドキドキするのは変わらないけれど、最初と比べると意味の違うものになっている気がする。

 少し前までは距離を取って見ているだけでいいやと思っていた。でもその考えは、間宮くんの嬉しそうな顔を見ていたら間違いだったんだと気づいた。推しを悲しませてまで避けるのは違う。ドキドキしすぎる僕の心臓が犠牲になるだけ、安いものだ。もうあからさまに避けたりはしないと決めたんだ。

「あの、ノート渡してもいい……?」
「うん、もちろん」

 まだ人が疎らだし、躊躇っているうちに渡しづらくなることが目に見えて分かっているから、今のうちに交換日記を渡しちゃおう。そう決心して、キョロキョロと教室内を確認しながらかばんからノートを取り出す。そのままの勢いで差し出せば、間宮くんはサッとそれを手に取って中を開いた。

「間宮くん!?」
「ん?」

 まさか今読むとは思ってもいなくて、予想以上に大きな声が出た。それはもちろん夏川くんの元にも届いたようで、何かあったのかと確認しようと書き写していた英語のノートからパッと顔を上げる。その目は完全に交換日記を捉えていた。

 その間にも、間宮くんは気にせずノートを読み進めている。変なことを書かなかったかなっていう緊張。目の前で読まれている羞恥心。夏川くんをはじめクラスメイトにバレたらどうしようという焦燥感。それらが全部混ざって、頭の中でぐるぐるしている。

 あまり長い文章ではなかったから、すぐに読み終えたのだろう。パタンとノートを閉じた間宮くんがじいっと見つめてくる。え、それは一体どういう反応。間宮くんに見つめられると、どうしていいか分からなくなる。

「あの……?」
「今すぐに否定しておきたいことだけ言っておくね」
「う、うん」
「わたちゃんが俺の負担になるなんてこと、この先もずっと絶対にないから」
「っ、」
「それだけは覚えておいて。俺に遠慮しなくていいから」
「……うん」
「一歩下がろうとするんじゃなくて、俺とやりたいことを考えておいてよ。そっちの方が俺も嬉しい」
「……うん、分かった」

 間宮くんの迷惑にならないように。間宮くんの邪魔をしないように。ずっと、僕のようなモブは、主人公の描くストーリーの真ん中に映ってはいけないと思っていた。だから、いつでもフレームアウトできるように、どんなときも無意識に一歩引いて関わっていた。

 僕は間宮くんの隣に映るモブになってもいいのだろうか。友人Aになりたいなんて、望まない。主要な役どころなんて、僕にはもったいない。これは卑下なんかではなく、自分の立ち位置を自覚しているだけ。卑屈なものではない。

 ただ、推しが望むならオタクはそれを叶えるために努力しないと。ただ与えてもらうものを享受するだけではだめだ。推し活とは、推しへの還元も必要なのである。

 僕が頷いたのを見てホッとしたように表情を緩ませた間宮くんの肩にぐるりと手が回る。どうやら僕の大声が気になった夏川くんが様子を見に来たらしい。

「綿谷くん、大丈夫? 無茶振りとかされてない?」
「うん、平気。気にかけてくれてありがとう」
「なら、いいんだけど。颯斗、ノート返すわ。ありがと」
「俺を悪人に仕立て上げようとするなよな」

 眉を下げた夏川くんは本当に僕のことを心配しているようで、気を遣わせてしまったことに申し訳なくなる。僕が大声なんか出すから……と、反省していると、まだ机の上に交換日記が置かれたままになっていることに気づく。やばい、この中を見られたら全部バレる。間宮くんは夏川くんに文句を言っていて、気づいていなさそう。僕がこっそり回収して、後で渡そうかなと手を伸ばしかけたところで、鋭い目がノートを射抜く。ピシッと伸ばしかけた手がそのまま固まった。

「で、そのノートは?」
「え?」
「まさかあれだけ俺に文句言って、颯斗も綿谷くんに見せてもらってるんじゃないよな?」
「そんなわけないじゃん」
「じゃあ、何で綿谷くんが颯斗にノートを渡す必要があるんだよ。代わりにノートを書かせてるんだったら、さすがに友達やめるレベルだぞ」
「んー……」

 初対面のときのことをよく覚えているのだろう。間宮くんが僕の推しということを知らない夏川くんからしてみれば、クラスメイトが脅されているんじゃないかって、親友が間違った方向に進みそうになっているんじゃないかって、どちらも心配なのだろう。優しい人だ。

 だけど、これは勉強には全く関係のないノートなわけで。間宮くんは唸ったまま、返事を濁している。どう答えるのだろう、焦りながらも彼をじっと見つめていると、パチンと目が合った。不安そうな僕を安心させるように笑いかけてくる間宮くんが口を開く。

「これはね、そういうのじゃないから安心してよ」
「…………」
「俺とわたちゃんの秘密だから、内容は言えないけどね」
「……綿谷くん、本当?」
「はい、本当です」
 「はぁ……、じゃあもう気にしない」

 切れ長の目に見つめられると、背筋がピンと伸びる。面接のときのように答えると、夏川くんはめんどくさそうにため息を吐いて髪をかきあげた。その姿が美しくて、思わず目を奪われてしまうと、目の前の間宮くんに手を掴まれた。そのまま、指先で手の甲を擽られる。

「ひぇっ」
「ちょっとわたちゃん、何見惚れてんの」
「いや、あの、これは、その……」
「浮気は許さないよ」
「っ、」

 真剣にそんなことを言われて、声を漏らさなかった僕を褒めてほしい。僕は君の恋人でも何でもないのに。それはまるで嫉妬のような……。そんなのありえないのに、あっという間に間宮くんのことで頭がいっぱいになる。いつだって、僕の心を奪っていくのは間宮くんなんだ。

「これのどこが王子様なんだか……」
「何か言った?」
「なんでもないよ」

 呆れたように笑う夏川くんが僕に向けて同情の笑いを零す。それに気づけないほど、手に重ねられた熱がじわじわと侵食してくるのを感じて、唇を噛み締めながら平静を装うことしかできなかった。