誰にも内緒の観察日記


 ◇◇

 今日渡すと言われた交換日記。ふたりきりの秘密だって約束してくれたから、クラスメイトがいるところでは渡されないんだろうなとは思っているけれど、四限目が終わって昼休みに突入しても渡そうとしてくる素振りすら見せない。

 やっぱり、交換日記しようっていうのは冗談だったのかな。ネガティブで疑り深いところは僕の欠点だけど、相手がみんなの王子様なんだ。いちいち僕のようなモブを相手している暇ないだろう。今だって、学年一の美人と噂される同じクラスの花本さんが一緒にお昼ごはんを食べようと誘っている。ヒエラルキーの頂点同士、お似合いだ。

「また暗い顔してんな」
「いたい」

 当たり前の光景のはずなのに、なぜか気分が落ち込んでお弁当に手がつけられない。もう見ていられなくて視線を外した僕の頬を隅田が軽くつまんでむいむい動かす。力は加減されているから本当は痛くはないけれど、文句を言って睨みつければパッと手を離される。

「そんなにあっちが気になるなら俺らも行くか?」
「やめて、絶対行かないから。行くなら隅田ひとりで行って」
「ったく、お前は本当に難儀なヤツだなぁ……」

 視線だけで間宮くんたちの方を示した隅田が立ち上がろうとするから、断固として僕は動かないと訴える。本当に隅田が行ってしまったらぼっち飯確定だっていうのに、こんなときでも隅田は僕を見限らないと甘えているんだ。僕の目論見通り、ため息と一緒にぼやきながら隅田は大人しくお弁当を食べ始めた。そのことにホッとして箸を手に持とうとしたところで、影ができる。

「おー、どうした?」
「俺らも混ぜてもらおうかなって」
「ここ、いい?」
「っ!?」

 隅田の問いかけに返事をしたのは、まさかの間宮くんと夏川くん。動揺して落とした箸を間宮くんがさっとキャッチしてくれて、手渡してくれる。そのときに少し触れた間宮くんの熱を逃したくなくて、箸をぎゅっと握りしめた。

「あ、ありがとう」
「どういたしまして」

 にっこりと微笑む間宮くんが僕を見つめる傍ら、隅田が声を潜めながら聞きにくいことをストレートに尋ねる。

「お前ら、女子に誘われてなかった?」
「うん、そうだよ」
「そうだよって……」
「しかたないじゃん、颯斗が目で訴えてくるんだから」
「あー……、うん、それはお疲れさま」

 夏川くんの返答を聞いた隅田は遠い目をして、それ以上聞くのをやめることにしたらしい。おにぎりを頬張って、食事に集中している。前の席から椅子を拝借したふたりがコンビニのレジ袋を机に置いて、パンを取り出した。

「わたちゃんはお弁当なんだ」
「今日はほとんどお姉ちゃんが作ってくれて……、あ、隅田、これあげる」
「サンキュ」

 次女の伊都(いと)ちゃんが作った唐揚げ。隅田の好物だからって、多めに詰めてくれている。「(けい)が食べたいってうるさいんだよなぁ」って揚げながらぼやいていたけど、うちの姉ちゃんたちは何だかんだ隅田に甘い。それを二つ、隅田の弁当の蓋におけば、目を輝かせながら箸で掴んで食べ始めた。

「いいなぁ……」
「えっ?」
「わたちゃんが作ったのはないの?」
「卵焼きは僕が作ったけど……」

 でも、間宮くんのことを考えてうわの空で作ったせいで今日のは失敗作。ちょっと焦がしちゃった。間宮くんに見られるなら完璧なものを見せたかったなぁ、なんて思っていたら……。

「俺のサンドイッチと交換しない?」
「うっ、あの、間宮くんの口に合うようにできていなくて……」
「えー、侑の卵焼き美味いけどな」
「へぇ、隅田には食べさせたことあるんだ」

 等価交換と呼ぶにはあまりにもな提案に首を横に振る。市販のサンドイッチと失敗作の卵焼き、どちらの方が美味しくて価値があるかなんて明白だ。だけど必死に並べた言い訳も、横から口を挟む隅田が台無しにする。隅田が僕の卵焼きを食べたことがあると知った間宮くんの笑顔が怖い。顔は笑っているのに、目の奥が笑っていない。

「その、今日のは焦げてるから、美味しくないと思います……」
「そんなの気にしないよ。わたちゃんが作ったってだけで価値があるんだから」
「でも……」
「いいじゃん、一切れぐらい。美味いんだから」

 正直に焦がしたことを白状したって、間宮くんの卵焼きへの熱意は収まらない。そんなに卵焼きが好きなんて知らなかった。なんとかして断ろうとするけれど、僕が言葉を並べる前に隅田がさらっと間宮くんに加勢する。助けを求めて夏川くんをチラリと見たって、綺麗な微笑みを返されるだけでどうやら僕の味方にはなってくれないらしい。

「……お口に合わなかったら、捨ててください」
「そんなこと絶対しないからね」
 
 これ以上の抵抗は時間の無駄と察して、自分の弁当の蓋に卵焼きを乗せる。手が震えて、うまく掴めなかったのは見なかったことにしてほしい。どうぞ、と差し出せば、間宮くんがお礼を言って瞳をキラキラと輝かせる。隅田のせいで、間宮くんの中の期待値が跳ね上がっているんじゃないかな。最悪だ、しばらく唐揚げは譲ってやらない。間宮くんの前で隅田を睨みつけることはできないから、文句は後でぶつけよう。

 そういえばコンビニのパンがお昼ごはんとなると、お箸とか持ってないよなということに後から気づいて、アスパラベーコンに刺さっていたピックを渡そうとするけれど、間宮くんはその前にひょいと卵焼きを手で掴んで口の中に放り込んだ。

「あ、このピック……」
「うっま、めっちゃ美味いじゃん。わたちゃん、天才?」

 ドキドキしながら反応を待っていれば、大袈裟なほどのリアクションが返ってくる。よかった、喜んでもらえて。優しい間宮くんなら、たとえ口に合わなくても不味いとは決して言わなかっただろうけど、本当に美味しそうに食べてくれるから心の中が喜びでじんわりとあたたかくなる。

「そんなに美味しいなら俺も気になるなぁ」
「は? だめだから、何言ってんの」
「分かってるよ、ほんと綿谷くんのことになったら必死なんだから」

 間宮くんに褒めてもらえたことが嬉しくて、目の前で繰り広げられるやりとりは頭の中には入ってこなかった。

「そういえば、次体育だっけ」
「食後に運動ってちょっとなぁ」
「体重いよね」
「着替える時間で休み時間減るし」

 僕とは違ってスポーツ万能な三人でも、お昼ごはんを食べた後の運動は少し嫌らしい。僕はいつだって嫌だけどね。でも、前回で体力テストは終わったから気は楽だ。

「隅田と綿谷くんって何選んだんだっけ?」
「サッカーとソフトボールとバスケ。こいつも一緒」
「へぇ、仲良しだね」

 夏川くんが目を細めて僕を見るから、作り笑いで誤魔化した。本当は卓球とか選びたかったけど、もっと体を動かしたいから無しって隅田に言われたんだった。隅田と一緒じゃない種目にしたら、ペアを組む人がいなくてぼっち確定だから合わせるしかなかったんだけど、それにしたって少しは僕の意見も聞いてくれたらよかったのに。

 そんなことを考えながらチラリと横を見て、隅田がとっくにお弁当を食べ終えていることに気づく。えっと焦って前を向くと、間宮くんも夏川くんも食べ終わっている。緊張してご飯が喉の奥になかなか進んでいかないから、僕待ちの状態になってしまっていた。

「ごめん、先に着替えに行っていいよ」
「いいって、待ってるから。お前ら、先行けよ」
「ううん、洸と隅田が先に行きなよ」
「は? お前はどうするんだよ」
「俺がわたちゃんと一緒に行くから安心して」
「うーん、一番安心できない人物だと思うけど、保護者の隅田さんどうするの?」

 当事者の僕を置いて、間宮くんと隅田がなぜかバチバチしている。いつもの笑顔を浮かべた間宮くんは、隅田に睨まれても表情ひとつ変えない。夏川くんの問いかけにチッと舌打ちした隅田が立ち上がる。

「えっ、隅田?」
「間宮がいるなら大丈夫だろ」
「でも……」
「間宮、侑に何もすんなよ」
「分かってるよ、隅田の大事な子は俺が責任をもって預かるから安心して」
「はぁ、どうだか……。行くぞ、夏川」
「はいはい、誰かさんと違って隅田は大人だね」

 そそくさと歩き出した隅田の後を「じゃあね」と手を振って去っていく夏川くんが追いかける。隅田は何があっても僕のことを置いていかないと思っていたのに、どんどん遠くなる後ろ姿に感じたことのない焦りと寂しさが湧いてくる。

「わたちゃんは隅田が大事なんだね」
「……うん」
「俺のワガママに付き合わせてごめんね」
「ちが、間宮くんが嫌とかそんなんじゃなくて……ちょっと初めてのことで動揺したっていうか……むしろ僕に付き合わせてごめん。間宮くんもふたりを追いかけてもらっていいよ」
「それだと、せっかくわたちゃんとふたりきりにしてもらったのに意味ないじゃん」
「…………」
「俺とふたりは嫌だった?」

 嫌じゃないと分かっていて聞いているなら、間宮くんは意地悪だ。こてんと首を傾げて僕の返事を待っているから、ぎこちなく首を横に振る。それを見た間宮くんが「よかった」と嬉しそうにするから、僕はどうしていいか分からず、最後に残っていたミニトマトを口に入れた。そんな姿すらニコニコ見守っているから、間宮くんという人が更に分からなくなった。

「ごめんね、待たせて」
「ううん、むしろこのままずっと喋っていたかったぐらいだから」
「なっ、」
「小さい口で必死にご飯食べているわたちゃん、かわいかったなぁ」
「っ、そんなにからかわないで」

 間宮くんはそういうことを言い慣れているのかもしれないけど、僕は全くといっていいほど免疫がないんだ。真に受けたくないのに、顔は赤く染まってしまうし、胸の奥でキュンというときめきの音が鳴る。間宮くんにとっては大勢いる友達のうちのひとりかもしれないけど、僕は違うんだよ。君は唯一無二の推しなんだ。

「からかいたいわけじゃなかったんだけど、そう思わせたなら俺が悪いね。でも、ずっと言い続けているけど、わたちゃんのことを『かわいい』って思っているのは本気だから。こんな歯の浮くような台詞、わたちゃん以外には言わない」
「っ、」
「勘違いしてほしくないんだけど、ちゃんと分かってくれた?」

 真剣な瞳で告げられたら信じるしかない。体に熱がどんどん溜まっていく。これ以上何かされたら圧倒されて気を失ってしまいそうで、慌ててコクコクと頷いた。

「あ、そうだ。交換日記持ってきたからちょっと待ってて」

 僕の反応に気を良くしたのか、間宮くんがよしよしと僕の頭を撫でて自分の席に戻る。そんなさりげない行動にまた大きく胸が鳴るのを感じながら、燃えるように熱い頬に手を当てて少しでも熱が引かないかと試行錯誤してみるけれど、なかなか間宮くんへの熱は冷めそうになかった。

 こんなところを見られたら噂話のネタにされるんじゃないかと思ってハッと教室を見回してみるも、残っているのは僕らだけで、他のクラスメイトはいつの間にか更衣室に移動していたらしい。よかった、みんなの王子様に頭を撫でられているところを目撃されたら一悶着ありそうだ。……いや、全然よくない。教室に推しとふたりきりなんてこの状況、あまりによくない。冷静になるとすぐに熱が引いていく。どうしよう、急に緊張してきた。あわあわしながら体育の準備をしていると、間宮くんが戻ってくる。

「お待たせ、これどうぞ」
「あ、ありがとう」

 見慣れたノートが手元に返ってきた。この中に間宮くんの書いたページがあるんだと思ったら、無意識にノートを掴んだ手に力を込めてしまう。早く読みたいけど、ひとりのときに集中して読もう。

「そろそろ時間やばいな。わたちゃん、俺らも着替えに行こっか」

 間宮くんに倣って時計を見ればもう少しで予鈴が鳴る。今度こそ無くさないようにしっかりとかばんの中にノートを押し込んで、立ち上がる。さらっとふたり分の荷物を間宮くんが持ったまま歩き始めるから、慌ててその後を追いかけた。