◇◇
一日中、廊下や教室のどこかに間宮くん観察日記が落ちていないかとこっそり探してみたものの、やっぱり見つからない。そりゃあ、そうだ。学校には何百人もの生徒がいるんだ。僕より先に見つけた人がいるのだろう。
先生に落としものとして届けられているかを確認するには、詳らかにノートの内容を説明する必要があるわけで。届いているかどうかも定かではないのに、わざわざストーカーのように間宮くんの観察日記を書いているなんて白状する気にはなれなかった。入学早々に要注意人物のレッテルを貼られたくない。目立たずに、こっそりと推し活をしたいだけだったのに……。
「はぁ……」
隅田は今日もSHRが終わるやいなや、ダッシュで部活に向かった。残された帰宅部の僕はだらだらと帰る準備を始める。僕を気にかけるクラスメイトなんて当然のようにいなくて、気づいたら教室には僕ひとり。誰にも聞かれていないからいいだろうと吐き出したため息の重さにまた気分が沈んだ。
主に机に入りきらない教科書やノート、滅多に使わない体育館シューズを置いておくために使用されている生徒会館の個人ロッカー。とぼとぼと歩いていたせいか、いつもなら自分のロッカーを開けるのも譲り合わないといけないほどの混雑なのに、みんな部活に行ったり、既に帰宅したせいか、人っ子ひとりいない。
「はぁ……」
ここでもまた、ため息をひとつ。シーンとした空間に虚しく響いた。何度見たって、変わらないロッカーの中。僕が見落としていただけで、やっぱり観察日記はロッカーの中にありましたっていう結末ならよかったのに。
「はぁ……」
最悪な気分を引きずったまま、どうやったら心にかかったモヤが晴れるのか、自分のことなのに答えを導き出せない。なくしたものはもう取り戻せないのかな。こみ上げてくるものを抑えるために大袈裟に息を吐き出す。いいじゃん、誰にも聞かれていないんだから。そんな風に言い訳して、ロッカーをパタンと閉じる。そんなときだった。
「ねぇ」
「ひっ……」
不意に声をかけられて大袈裟なまでにビクッと震える。自分の世界に浸りすぎていたせいで、誰かが隣に来ていたことに気づかなかった。同じ場所ということはクラスメイト? 何の心構えもせず、呑気に隣を見て、まるでオバケにでも遭遇したかのように息を飲んだ。
まままま、間宮くん!?
今日も変わらず麗しいご尊顔に天使の微笑みを浮かべて、僕を見つめている。マズイ、こんな絶不調のメンタルで間宮くんを前にしたら、僕なんてキラキラオーラにやられて消滅してしまう。
慌てて会釈だけしてその横を通り過ぎようと試みるけれど、間宮くんはそんな僕の行動をお見通しなのか、スッと手を伸ばして通せんぼをする。
あの……? これは一体どういう状況?
あなたのような王子様は僕のようなちっぽけな存在を相手する必要ないでしょう。
たらーっと冷や汗が流れているのを感じながら、びくびくと震えて縮こまることしかできなくなっていると、間宮くんが口を開く。
「綿谷くん」
「は、はい」
「これ、知ってる?」
そう言って間宮くんが一冊のノートを僕に見せてきた。その瞬間、サァッと血の気が引く。あまりにも見慣れた、心当たりしかないノート。それは僕の悩みのタネ、昨日からずっと探していた間宮くん観察日記だった。
終わった……。
綿谷侑、人生終了のお知らせ。
体中の血液が絶望に染まっていく。誰かが拾ったのだろうと思ってはいたけれど、まさか推し本人だとは想像もしていなかった。この様子だと、「僕は知らない」としらばっくれたところで嘘をついていると見透かされてしまうだろう。
「綿谷くん……って、え」
うんともすんとも言わない僕に焦れたのか、間宮くんが再び名前を呼ぶ。いつもなら特別な響きに聞こえて両手を上げて喜んだだろうけど、今は死刑宣告をされているみたい。ポロリと零れ落ちた涙が音もなく頬を伝う。情けなくて、悔しくて。涙を止めたくて瞬きを繰り返すけど、意味はない。ポタポタと床を濡らす涙を目にした間宮くんが動揺しているのが分かる。何もかも全部、どうしてこんなにうまくいかないのだろう。僕は推しを困らせてばかりだ。
「ごめん、急に。泣かせたいわけじゃなかったんだ」
「っ……」
「駄目だね、俺は」
自嘲するように笑う間宮くん。間宮くんは何も悪くないのに。優しい彼を傷付けている事実にきゅうっと胸が苦しくなって、制服の袖でゴシゴシと涙を拭った。
「っ、違うよ」
「……綿谷くん」
「悪いのは全部僕で……ごめんなさい」
「顔を上げて。謝らせたくて声をかけたわけじゃないから」
許されないかもしれないけど、せめて誠心誠意謝ろうと頭を下げる。しかし、間宮くんは謝罪を求めているわけではなかったらしい。ゆっくりと顔を上げれば、ノートを差し出される。
「昨日ここに落ちてたのを拾ってさ、ちょうど綿谷くんが出て行ったところを見かけたから君のかなと思って声をかけたんだ」
「…………」
「日記を書くのが趣味なの?」
「…………うっ」
「これ、ひとりで書いてるの?」
「…………」
推しに観察日記の存在がバレるなんて、これ以上の辱めはないってぐらい居た堪れない。ただでさえ間宮くんと会話している現実が受け入れがたいのに、間宮くんからの攻撃はクリティカルにヒットして、僕は呻き声を上げた。やめて、間宮くん。もうこれに言及しないで。そう願ったって、マイペースな王子様は純粋無垢な瞳で僕の返答を待っている。
まさかちゃんと話したこともないクラスメイトが自分の観察日記を書いているとは思わなかったようで、ただの日記だと思われていることには内心ホッとする。ここで変にはぐらかして、日記の内容にまで言及されたら地面に埋まるしかない。コクンとしかたなく頷けば、間宮くんはうんうんと納得している。
「ひとりで日記書くのもつまんないじゃん」
「へ……?」
「だからさ、俺と交換日記しようよ。ね?」
「は……?」
……はぁっ!?
思いもよらぬ提案にギョッと目を見開いて、ニコニコ笑顔の間宮くんを見つめる。パチパチと瞬きを繰り返したって、その表情は変わらない。
「ごめん、今何て言ったかな……?」
「交換日記しようって」
「それは、誰と誰が……?」
「俺と綿谷くん」
ご丁寧に自分と僕を指差して、名案だと言わんばかりにウキウキで説明する間宮くん。せっかくの指差しファンサも、動揺しすぎてちゃんと堪能できない。
「俺、綿谷くんのことをもっと知りたいって思ってたんだ。……だめ、かな? 急にこんなことを言われても迷惑だよね」
ああああ……、ぺしょぺしょに垂れた犬耳が見える。しょぼんと落ち込んだ間宮くんのレアスチルゲットに僕の中のオタクが拳を突き上げる。って、ダメダメ、今はそんなことをしている場合じゃない。
冷静に考えれば、僕のようなモブに間宮くんが関わろうとしてくる理由が分からない。僕のことを知れば知るほど幻滅されるんじゃないかって、どんどんマイナスの評価になっていくんじゃないかって怖いんだ。
「……間宮くんは、その、僕が気持ち悪くないの?」
「どうして?」
「だって、こんな日記書いているようなヤツ、キモイじゃん。それに、すぐ吃って、目も見れないし……」
「違うよ、綿谷くん」
すると、目線を落とし、自分を卑下する僕の肩に間宮くんが手を置く。え……と思わず顔を上げれば、今までにない至近距離の推しの顔面に卒倒しそうになるのをなんとか耐える。
「こんなことを本人に直接言うのは、さすがに俺もちょっと恥ずかしいんだけど……」
「…………」
「初めて会ったときからずっと、今まで出会った人の中で、綿谷くんが一番かわいいと思ってる」
信じられない。間宮くんが僕のことをそんな風に思っていたなんて、都合のいい夢だ。からかわれているんだって脳内では疑っているのに、はにかんだ表情を浮かべながらも、間宮くんの瞳はすごく真剣で。少し赤く染まった耳が本気だと言っているみたい。
たとえ嘘だとしても、推しから「かわいい」なんて言われたら照れてしまう。血が沸騰して、発火しそうなほどほっぺたが熱い。
「あの帰り道のこと、覚えてる?」
「……うん」
今になって掘り起こされるとは思わなかった、僕にとっての黒歴史。名前を呼んだ張本人に言及されると、気まずくってしかたない。さっきまでの熱が一瞬で引いて、きっと顔色は赤から青に変わっただろう。
「もしかして、綿谷くんも俺に興味持ってくれたのかなって嬉しかったんだ。あの後、バスの中で仲良くなれるかなってそわそわしてたんだよ」
「……え」
「でも、ずっと俺のことを避けてるよね?」
「…………」
「ああ、また責めるような言い方になっちゃった。そうじゃなくて……。あれは俺の勘違いで、好かれてるんじゃなくて嫌われてるってことだったのかなってしばらくショックだったんだ」
「ちが、」
「うん、それも全部違ったんだって昨日やっと分かったよ」
「あっ……」
そう言って、間宮くんは僕にノートを差し出した。
「ごめんね、勝手に中を見て」
「っ……」
やっぱり、全部読まれていたんだ。羞恥心が限界突破。ひったくるように取ったノートで真っ赤に染まる顔を隠せば、間宮くんがそれを退かそうとしてくる。
「っ、やだ、見ないで……」
「だーめ、全部俺に見せて」
ギュッと掴んでいたのに、スポッといとも簡単に引き抜かれる。酷いと半泣きで見上げれば、対照的に間宮くんはパアッと花が咲くように笑って、僕を抱き寄せた。
「やっぱり綿谷くんが一番かわいい」
「っ!?」
推しとのゼロ距離に指一本動かせなくなっている僕に対し、間宮くんはすごくご機嫌だ。ついさっきまで観察日記をなくしてどん底の気分だったのに、今は推しに交換日記を誘われているなんて、僕の人生はどうなっているんだ? 理解したくたって、できないよ。現実逃避したくなるのを抑えながら、僕はやっと解放してくれた間宮くんに声をかけた。
「間宮くん」
「ん?」
「交換日記は、その、ごめんなさい」
「え……」
「間宮くんはみんなの王子様だから、僕が独占したら悪いよ……」
それはただの建前。間宮くんを遠くから眺めていたいから、近寄りたくはないというのが本音。
「……綿谷くんは俺のことを知りたくない? 輪の外から見ているだけでいいの?」
「それは……その……」
「俺は見ているだけなんて嫌だよ。俺が先に話しかけようと思っていたのに、洸が抜け駆けするし。放っておいたら、他の人に君のことを取られちゃうって痛いほど分かったから、もう遠慮はしないって決めたんだ」
「…………」
「気づいていないかもしれないけど、隅田が牽制しているせいで綿谷くんに声かけたいのにかけられないっていう人、いっぱいいるんだからね」
それは僕のことを買いかぶりすぎだよ、間宮くん……とは、彼の表情を見ていたら言えなかった。だって、隅田がそんな風に動いているなんて知らなかったし、ただ僕がコミュ障なせいで友達ができないのだと思っていたから。
「俺のことを知ってほしいし、綿谷くんのことももっと知りたい。こうして話すのも楽しいけど、綿谷くんが書いてくれたものを見たら交換日記として形に残すのもいいなって思ったんだ。距離を取られるのは寂しいからさ、ちょっとでも俺に慣れる練習としてでもいいから、俺と交換日記しようよ」
「……誰にもバレないようにしてくれる?」
「うん、ふたりだけの秘密ね」
推しにここまで言われて「NO」と言えるわけがない。内緒にする、と唇に人差し指を当ててしーっとする間宮くんにキュンとしながらも「分かった」とコクンと頷けば、間宮くんはホッとした表情を見せた。
「わたちゃん」
「わたちゃん……?」
「ふわふわしていてかわいいから、そう呼びたいなって思ってたんだ。これからそう呼んでいい?」
「っ、好きなように呼んでもらえれば」
「ふふ、照れてるわたちゃん、かわいいなぁ」
「……もう、それ以上『かわいい』って言わないでください」
「どうして?」
「僕の心臓がもたないです……」
きゅうって、心臓がずっと締め付けられている。褒められて嬉しいけれど、間宮くんからの甘い言葉に慣れる気配なんてなくてさっきからずっと心臓がうるさい。両手で火照った頬を冷ましながら要望すれば、間宮くんはそんな僕をつぶさに観察している。その視線から逃れるように目線を下に落とせば、しょうがないなぁと言いたげに間宮くんが小さく息を吐いた。
「わたちゃんは全部甘くておいしそうだね」
「……え?」
「ううん、なんでもない。善処するね」
それはそれは綺麗に微笑んだ間宮くんが観察日記を手に取った。
「交換日記は俺から書くね。わたちゃんに任せたらいつまでも渡してこなさそうだし」
「う……、それならせめてノート新しいのにしようよ」
「やだ。これ、もう俺に見せないつもりでしょ」
「そんなの、当たり前だよ……」
「だめ、俺に全部ちょうだい?」
「っ、ずるい」
首を傾げてあざとく上目遣いでねだられたら、間宮くん推しの僕には効果覿面で、頷くしか道はなくなってしまう。僕が間宮くんの顔に弱いって分かって武器にしてくるんだって理解しているのに、ちょっぴり意地悪なところにもキュンとしてしまっては僕の完全敗北。お手上げだ。
「明日持ってくるね」
「うん……」
楽しみにしているとは間宮くんに言わなかったけれど、何を書いてくるんだろうとそわそわしてしまって昨日とは違う意味でなかなか眠れなかった。



