誰にも内緒の観察日記


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 一時間目が移動教室で、誰にも気づかれずに教室に入れたらよかったのに。絶賛、教室では日本史の授業中。淡々とした眠気を誘う声が聞こえてくる。いつ入ろうかなと様子を伺って数分経つけれど、ドアの音で一斉に数十人分の目がこちらを向くと思うと、なかなか踏ん切りがつかない。

 これまで目立たずにひっそりと真面目に生きてきたのに。入学して一ヶ月も経っていないというのに、不良生徒のレッテルを貼られるのがあまりに早すぎるだろう。平穏な高校生活とおさらばしたくない。

 だけど、この授業が終わるまであと二十分はかかる。こうして廊下で挙動不審になっているところを、通りがかった先生に見つかるのも嫌だ。注目されたくなくて教室に入れませんでした。なんて、そんな言い分、高校生にもなって許してもらえない。

 思えば楽な方に逃げてばかりの人生だった。だけど大人になるにつれて、嫌なことに直面しても自分の感情だけで投げ出せないことが増えていく。今、僕の殻をひとつ破るとき。何度も引っ込めた手を伸ばし、ドアの取っ手に触れる。何事もないですよという表情を取り繕いながら、手に力を込めた。スーッと音もなく開いてくれたらいいのに、思いの外大きな音を立てたせいで想像通りクラス中の目がこちらを向く。その威圧感に内心ビビって固まれば、黒板の方を向いていた先生がくるりと振り返った。

「ああ、綿谷。体調は大丈夫なのか?」
「えっ、はい、すみません、遅れて……」
「無理だけはしないように。はい、授業に戻るからみんなも前向いて」

 お母さんが遅刻の電話をしたときにうまいこと言っていてくれたらしい。叱られなくてよかったと胸を撫で下ろしながら、自分の席へ向かう。早々に僕に興味をなくしたクラスメイトの大半は先生に言われた通り、板書された内容を再びノートに書き始めたけれど、椅子を引いた瞬間にまだこちらを向いていたらしい間宮くんとバチッと目が合ってしまった。だけど昨日の出来事をまだ引きずっているせいで、どんな顔をして顔を合わせればいいのか分からなくて、パッと視線を逸らすことしかできない。

「体調は?」
「え?」
「今まで侑が遅刻とかしたことなかったから、事故にでもあったのかと思って心配した」
「ごめん、全然大丈夫だから」
「そ、なんでもないならいいや」

 一時間目の授業が終わって、しかめっ面の隅田がやってくる。ぶっきらぼうに体調の確認をされて、心配させてしまったことを申し訳なく思う。だけど遅刻した理由は隅田にだって言えないから、曖昧に笑って誤魔化すことしかできなかった。