誰にも内緒の観察日記


 ない! 間宮くん観察日記がないっ!
 あれ、僕、どこにやったんだっけ。
 どうしよう……という言葉だけがパンクした頭の中でぐるぐる回る。

 今日も授業を終えて、部活に向かう隅田を見送ってからひとりで家に帰ってきたところまではよかった。日課になっている間宮くん観察日記を書こうとして、そのノートが見つからないことに気がついた。こういうときこそ冷静にならないといけないのに、動揺は治まらない。サァッと血の気が引いて、心臓がバクバクと嫌な音を立てている。

 最悪だ。数学と同じ色のノートにしていたせいで、今日間違えて学校に持って行っちゃったんだ。机の中に教科書やノートをしまっているときに見つけて「やらかした」と焦ったところまでは覚えている。そのときにちゃんとかばんの中にしまっておいたはずなんだけど、一体どこに行ってしまったのだろう。

 校内の駐輪場で自転車の鍵を取り出すときに落とした?
 もしくは、生徒会館にある個人ロッカーに置き勉する教科書をしまったとき?
 それとも、教室で荷物を整理していたときだろうか。

 思い当たる場所はいくつかあるけれど、今から学校にもう一度向かうか? 今日持って行った荷物を繰り返し順番に見ていくけれど、見落としているわけではなさそう。ということは、家にはないという事実しか残らないわけで。

 ……よし、学校に戻ろう。家にないのなら、きっと学校か通学路にあるに違いない。ポジティブにそう考えないと、正常なメンタルを保てそうになかった。親切な誰かに拾われる前に、絶対に僕が見つけなきゃ。もし、誰かに拾われたら……。想像しただけでぶるりと震える。あの陰キャが王子様のことを推してるんだって、学校中で噂される。いや、僕の名前はどこにも書いていないはずだから、筆跡で特定されない限り、誰が持ち主かは分からないか。でも、間違いなく間宮くんの迷惑になることに変わりはない。好感度はもうとっくに下がりきっているだろうけれど、僕だってバレたら汚物を見るような目で見られて終わりだ。

 近寄りたいと思ってはいないけれど、嫌われたくもない。いつまでも同じ教科書たちを並び替えてみたって、状況は変わらない。迷った時は行動あるのみ。よし、と立ち上がってすぐに階段をドタドタと駆け下りていけば、その音に気づいたお母さんがリビングから顔を出す。

 「侑ちゃん、どこ行くの?」
 「ちょっと忘れ物!」
 「そう、慌てすぎて事故しないようにね」
 「うん、行ってきます」

 のんびりと下校している生徒を横目にびゅんと全速力で通り過ぎる。遅刻しそうなときだって、こんなに必死にペダルを漕いだことはない。見慣れたノートが落ちていないか視線をさまよわせながら、いつもよりもずっと早く学校に着いた。ここに来るまでに見つかっていたらよかったのに。さすがにちゃんと閉めていたかばんからノートサイズのものが勝手に落ちるはずがなかった。

 まずは一番可能性のある教室から捜索開始。すっかり生徒が下校してがらんとした校内は、数日前に見たホラゲーの実況動画を思い出して少し怖い。綺麗なメロディーのはずの吹奏楽部の演奏もどこか不気味なものに思えてくる。早歩きで階段を上り、教室に着いた。誰もいない教室は、こんなに広かったんだと実感する。

 わざと間宮くんの席の前を通って自分の席に向かう。普段は絶対に近寄らない場所。今日ぐらい、誰も見ていないのだからいいじゃないか。観察日記をなくした不運な僕にほんの少しだけ幸せをください。なんて、誰にともなく言い訳をしながら机の中の荷物を全て出す。教科書や資料集、ノートを机上に並べてみるけれど、そこに間宮くん観察日記はなかった。その事実にまたひとつ、胃の中に絶望という名の黒い塊が落ちてくる。

 大丈夫、落ち着け、まだあてはある。どうしようどうしようと焦る気持ちをなんとか必死に宥めながら、泣きそうになるのを堪える。誰にも頼れない状況がこんなに苦しいとは思わなかった。外からは元気な野球部の声が聞こえてくる。隅田もそこにいるだろうけど、レギュラーになるために頑張っている彼の邪魔をするわけにはいかない。

 とぼとぼと足取り重く、今度は生徒会館に向かう。ふぅ、と深呼吸をひとつ。カチャリという個人ロッカーの鍵の音が、僕にとっては裁判官が判決を言い渡すガベルの音に聞こえた。置きっぱなしにしている教科書たちを全て出してひとつずつ見ていくけれど、観察日記はここにも紛れ込んでいなかった。

 ねぇ、間宮くん。どこに行っちゃったんだろう。やっぱり誰かに拾われたのかな。悪意を持った人に中を見られて、学校中に広められることはもちろん怖い。だけどそれ以上に、大切に綴ってきた間宮くんへの気持ちをなくしてしまったみたいで、こんなんじゃファン失格だというショックが大きい。「世界史」と書かれた文字がぼやけていく。遂にぽたぽたと零れ落ちた雫が新品同然の教科書を汚していた。

 推しの観察日記を書こうと思いついたのが間違いだった。憧れの同級生に近寄ろうともせず、絡まれてもコミュ障全開で困らせることしかできないから罰が当たったんだ。高校生にもなって、僕は何をやっているんだろう。こんな自分が情けなくて、不甲斐なくて、その日は全然眠れなかった。