この学校では笑顔が絶えません

翌日。再び朝日ヶ森中学校へと向かう。
今日も電車は満員だ。
当然座れるわけもなく、車内に体を無理やりねじ込んで比較的スペースの空いている中央まで行き、吊革の下を陣取った。
手をえいやと伸ばして吊革をつかむ。背が低いと、吊革につかまるのもひと苦労だった。
大学生だろうか、隣でひそひそと若者たちが話している。
サークルのあとに飲み会があるから、という言葉で今日が金曜日だということを認識する。
体がひどく重かった。心なしか、口の横が痛いような気がして自由なほうの手で頬を触った。
ぷつりと手に触れる感覚に眉をしかめる。できものができている。もうニキビだなんていう年齢ではない。
吹き出物だ。憂鬱な気持ちで電車に揺られているときであった。

あはははは。

びくっと体が反応する。
なんのことはない。誰かの笑い声だ。
こんな満員電車の中で迷惑だなと思いながらも、ひどく耳障りな嬌声が脳裏にこびりついて離れない。

あはは。ははははは。
なにをそんなに笑うことがあるのだろうか。
ははは。あははは。ひひっふふふふ。
ひひひぃ、ひぃーっ。
うるさいなあ。顔をしかめると、すっと頭の中に誰かの声が聞こえた。

――あんしんしてください。

幻聴だ。
どこかで聞いたことがあると思ったが、昨日、取材時に校長先生が口にしていた言葉だと気づいた。
こういったことはよくある。
印象に残っている言葉や、耳にした単語などが勝手に頭の中で再生されるのだ。
まるで誰かに囁かれているかのように聞こえるが、これは脳の誤作動である。
疲れていると起こりやすいので、やっぱりいろいろと溜まっているのだろう。
なんとか今週を乗り切って、土日は少しゆっくりしたほうがいいかもしれない。
ぴりっと頬が痛んだ。
吹き出物が痛い。帰りにビタミン剤でも買って帰ろう、と胸に誓った。

「おはようございます。今日もよろしくお願いします」

学校に着くと、校門に校長先生が立っていた。にこやかな笑顔で会釈をされ、やや驚く。

「もしかして、待っていてくださったんですか」

「はい。今日はどうしても見ていただきたいイベントがあるんです」

満面の笑みで校長先生が頷く。

「小説の題材にもピッタリだと思いまして、行き違いにならないようにここで待たせていただいていたんですよ」

「助かります。ありがとうございます」

本当にありがたい。こういった学校特有のイベントごとは、内部に入らない限りなかなか見られないものだ。
スピーカーがガギッザザッと鳴った。

校内アナウンス
おはようございます。これから金曜日の朝礼を行います。
全校生徒のみなさんは、速やかに体育館へ集合してください。
今週もやってきました! 週に一度のお楽しみ!
ついに、みなさんが気になっていたランキング結果の発表があります!
誰が上位に入るのか、楽しみにしていてくださいね!

校長先生とともに体育館へと向かうと、楽しそうな顔をした生徒たちとすれ違った。
クラスごとに移動をしているらしい。
だいたいこういうイベントは面倒くさそうな顔をしている人が出るものだが、どの子もみなニコニコ笑っている。
いったいなにが行われるのだろうと期待で私もソワソワしてくる。
ふと、学生だった頃の文化祭前の空気を思い出し、眦(まなじり)が緩む。
期待と緊張と、非日常のドキドキ感。学生にしか出せない輝きというものがある。
今このときを一生懸命楽しんでいる生徒たちがうらやましく、胸がぎゅっと締め付けられた。

そうか、これがエモいということか。概念ではわかっていたが、実感したのは初めてだ。
取材してよかった。今の私の企画に足りないのはこの切ないような高揚感なのかもしれない。
体育館には、すでにたくさんの生徒がいた。先生たちもみな壁際に勢ぞろいしており、楽しそうに笑い合っている。
その中にAの姿を見つけた。
目が合ったので軽く手を振ると、驚いたのだろうか息を呑み、ややあってにこっと笑い、手を振りかえしてくれた。
顔色が悪いように見えるが、気のせいだろうか。先生というのは大変だと聞くし、Kの話のこともある。
少しだけ心配になったが、今はとても話しかけられる空気ではない。

私は校長先生に促されて、やや前寄りの壁側へと移動する。ここからは壇上がよく見えた。
プロジェクターを使うイベントなのだろう、壇上には白い幕が下りている。
スタンドマイクの前に立っているのは、生徒会という腕章をつけた生徒たちだった。

そうこうしているうちに全校生徒が集まったらしい。
ぱっと体育館の電気が消えて、プロジェクターが起動するブウンという音が響いた。

「みなさん揃いましたか? おはようございます! 今日の司会は生徒会代表、Mがお送りいたします」

マイクを通して、若々しい声が体育館いっぱいに広がった。拍手を受け、Mと名乗った女子生徒がはにかんだ。

「それでは、さっそく今週の発表です!」

生徒が朗々と声を上げ、ぱっとプロジェクターに画像が映し出される。

「えっ」

赤や黄色、オレンジなどの色合いでポップな印象に仕上がっているその画像。そこに映し出された文字を見て、すっと冷たい氷が喉元を落ちていくような感覚を覚えた。

『朝日ヶ森中学校 笑顔ランキング発表』

ランキング発表
生徒M:さて、今週もやってきました、週に一度のお楽しみタイム! 全学年、全クラスの〝笑顔ポイント〟を集計し、最も素敵な笑顔を見せてくれた生徒を発表します!
(拍手喝采)
生徒M:ではさっそく、発表に参りましょう! 今週の笑顔ランキング第一位は……三年二組、Eさん!
(拍手喝采)
生徒M:Eさんはなんと今週だけで360ポイントも獲得しました。素晴らしいですね! ではEさん、壇上へどうぞ……!
生徒E:あっ……(ハウリング)すみません、ははっ。なんだか恥ずかしいですね。Eです。まさか一位が取れる日が来るなんて思わなかったです! ありがとうございます!
(一部女子からヤジが飛ぶ)
生徒E:ちょっとやめてよふふっ。
生徒M:クラスのみなさん、仲がいいんですね!
生徒E:はい! 仲良しです。みんなー! 大好きーっ!
(わっと歓声が上がる)
生徒M:みんな、Eさんに拍手~っ!
(拍手喝采。E、壇上から降りる)
生徒M:さて。残念ながら、今週の最下位の生徒を発表いたします。笑顔ランキング、最下位は……一年四組、Wさん! Wさん、壇上へ来てください。……Wさん! Wさん、どこに行くんですか? 壇上に来てください。Wさーん! クラスのみなさん、Wさんを捕まえてください。
生徒W:や、やだ! 嫌です! やめて! 離して!
生徒M:みなさん、Wさんをこちらまで連れてきてくださーい!
(拍手喝采。Wが数人の生徒に無理やり引きずられ、壇上へと連れてこられる)
生徒M:それでは、校長先生からここでお言葉をいただきます。お願いします。
(校長先生、壇上へ)
校長:えー、まずは笑顔ランキング一位になったEさん! おめでとうございます。なんと彼女は生徒からの投票のみならず、部活動や委員会活動でもポイントを獲得しております。とても素晴らしいですね! みなさんもEさんを見習って、毎日ニッコリ、元気な笑顔を見せてください!
そして……残念ながら笑顔ランキング最下位になったWさん、まだ一年生なんですね。きっと緊張しているのでしょう。大丈夫です、ここにいるみなさんはあなたの味方ですからね! あんしんしてください。今すぐ笑顔になれますよ。
さあ、みんなでWさんを励まそう! さん、はい! え・が・お! え・が・お!
生徒・生徒たち:え・が・お! え・が・お!
(Wさん、号泣する)
校長:Wさん、顔を上げて!
(首を振るWさんを生徒会の生徒たちが押さえつけ、無理やり顔を上げさせる)
校長:さあニッコリ笑って!
生徒・生徒たち:え・が・お! え・が・お! え・が・お! え・が・お! え・が・お! え・が・お! え・が・お! え・が・お! え・が・お! え・が――……
先生A:やめてください!

私は今なにを見ているのだろう。
目の前の出来事が非現実的すぎて、まるで映画のワンシーンを見ているかのようだった。

壇上に引き上げられたWさんという生徒は、昨日私に連絡先を渡してきた生徒だった。
涙でぐちゃぐちゃになりながら必死に抵抗するWさんを、数人の生徒が押さえつけている。
無理やり顔を上げさせられ、全校生徒――文字通り、全クラス、先生たちからもいっせいに謎のコールを浴びせられている。

とっさにやめさせなければと思った。しかし、体が動かない。
]頭の先からつま先までがまるで凍ってしまったかのように冷え切っている。
声を出そうとして、自分が息を止めていたことに気がついた。
自覚すれば、今度は異常なまでに呼吸が苦しい。何度も何度も息を吸い続け、それでも苦しさは収まらない。
笑顔コールは続いている。頭の中まで響くような大音声が、体育館に木霊(こ だま)する。

え・が・お! 
え・が・お!
え・が・お!
え・が・お!

おぞましい。あまりのことに吐き気がする。なぜそこまで笑顔に固執するのだろう。
笑顔ポイントだなんて、しかも最下位を決めて、壇上に呼び出して、見せしめのように……。
目が回る。息がうまく吸えない。喉が引きつり、声が出ない。そのときだった。

「やめてください!」

Aの鋭い声が体育館に響き渡る。瞬間、しんっとみながいっせいに黙った。
にこやかな笑顔が、笑顔の群れが、壇上からAへと移される。
Aは今にも倒れそうなくらい青ざめた顔をしていた。
しかし、彼女は歯を食いしばり、一歩一歩、壇上に近づいていく。
不自然に静まり返った体育館に、Aの足音だけが響く。
やがてAは壇上に登ると、押さえつけられていたWさんを生徒たちの手から解放し、彼女の肩を抱いた。

「大丈夫、大丈夫だから。一度ここから離れよう。ね?」

Aは泣きじゃくるWさんを優しく促し、ゆっくりと壇上から降りる。
その二人を、笑顔の群れが笑顔を一切崩さずに、じっと見つめている。
全校生徒の視線を受けながら、AとWさんは体育館の外へと出ていった。
私は、その様子を見ていることしかできなかった。

先生のインタビュー(校長)
いかがでしたか、イベントは。素晴らしかったでしょう! 
え? いやいや、やりすぎって、なんのことですか? ええ、もちろん、毎週ですよ。
これがウチの学校の伝統なんです。素敵ですよねえ!
笑顔ランキングはですね、みなが幸せに学校生活を送るためにできたシステムなんですよ。
笑顔は、人と人とをつなぐ最高の架け橋です。
どんなに成績がよくても、どんなに運動ができても、笑顔のない人は本当の意味で豊かではありません。
笑顔は礼儀であり、思いやりの証です! 笑顔の数が、その人の価値を決めるのです!
ランキング一位の生徒、素晴らしかったでしょう! 
あのはちきれんばかりの笑顔、青春ですよねえ。笑顔でいればあんしんなんですよ。
ぜひ、小説にこのイベントのことを出してください。そのまま書いてくださって大丈夫ですから、ね?
A先生と、最下位の生徒ですか。あんしんしてください。
今は混乱しているだけでしょうから、すぐに笑顔になりますよ。
だから、あなたも笑いましょう。ね?

先生のインタビュー(数学教師Y)
やりすぎって、ねえ、ははは。だって、笑顔こそが人間の本来の姿でしょう。
笑顔は信頼の証であり、誠実さの形でもありますからね。
笑えないというのは、つまり、まだ心が育ちきっていないということです。
でもあんしんしてください。
この学校には、ちゃんと笑顔を育てる環境があります。
A先生は、まだ赴任してきて一年ですから、戸惑うのも無理はないでしょう。
ちゃんとフォローするので、あんしんしてください。最下位の子も、カウンセリングを受ければね、きっとすぐに気づきますよ。
自分の中に眠る、ほんとうの笑顔。笑顔の素晴らしさに気づき、あっという間にあんしんになりますから。
みんなで笑っていれば、怖いことなんてないんですよ。だから、あなたも笑ったほうがいいですよ。
なぜ、笑っていないんですか?

生徒のインタビュー(一年女子)
笑顔ポイントですか? そんなの当たり前にためてますふふふ。
えっとお、笑顔が素晴らしいなって思う人に毎日投票するんですよ。
一人十票あって、学年とか関係なく投票できるんです。私はいっつも部活の先輩に投票してるんですよふふっ。
普通にやってたら最下位にはならないのに、あの人、よっぽど笑ってなかったんですね。
でも、これであんしんですね。え? 一度最下位になった人って、すごく笑顔が素敵になるんです!
 だから逆にうらやましいよねって友だちとよく話してるんですよ。
今の生徒会長も最下位だったことあるみたいですよ。だから、ほっぺたにえくぼができてるでしょ?
イジメ? ふふふっふふ、ふふふふふ、ごめんなさい、おもしろ……くてっ……ふふ。だって最下位の人、幸せじゃないですか。
笑顔にしてもらえるのに、イジメなわけないですもん。てか、さっきから気になってたんですけど。
なんで笑ってないんですか?

生徒のインタビュー(三年男子)
今日の笑顔ランキング、めっちゃよかったですよね。Eさんやるなあ。
二年生なのに、あんなに笑顔で。僕も負けてらんないですよね~! 
最終学年の意地をみせてやらないとははっ。次こそ一位狙っていきます!
やっぱり、笑顔って大事だと思いますよ。
だって、みんな笑ってると雰囲気も明るくなるし、先生たちも優しくなるし、いいことだらけっていうか。
実を言うと、最下位の子がうらやましいんですよははっ。僕なんて頑張っても最下位にはなれないから。
あ、最下位になるとカウンセリング受けられるんですよ。
だから逆にラッキーじゃんって、思っちゃいますけどねへへへ。
ウチの学校って本当、フォロー体制ばっちりですよね。そういうところがあんしんだと思います。
A先生も、最下位の子も次は絶対素敵な笑顔になれますよ、ひぃっ……くくっ。
あれ、なんで笑ってないんですか?

生徒のインタビュー(二年女子)
なんで笑ってないんですか?