昼休みに廊下で捕まえた数人の生徒へのインタビューが終わった。
階段の踊り場で手すりにもたれかかり、ワイヤレスイヤホンを耳につけてスマホをバッグから取り出した。
インタビューはすべてスマホのボイスレコーダーで録音している。
軽く再生をして、きちんと録音できていることを確認し、イヤホンを取り外したときである。
「あの、もしかして古典のやつ書いた人ですか?」
突然声をかけられ振り向くと、女子生徒がうつむきがちに立っている。
最後にインタビューした、一年生の女の子だ。
まだあどけない顔をしたその子は緊張しているのだろうか、制服の裾をぎゅっと握りしめている。
古典のやつとは、以前出した本のことだろう。
知ってくれているということがうれしく、思わず笑顔で頷くと、彼女はほっと息をつき、ぱあっと明るい笑顔を見せた。
「やっぱりそうなんですね。あれ、読みました。私古典が好きで……。A先生と同じ学校を出てるんですよね、K大学。私、そこ行きたいんです」
「もう大学のこと考えてるの、すごいね」
自分が中学生のときなんて、目の前のことしか考えていなかった。高校だってどうするか真剣に考え始めたのは中学三年の夏休み以降だったなと懐かしく思う。
女子生徒ははにかみながら「ありがとうございます」と答える。
「取材ってことは、小説になるんですか? ウチの学校」
「うん。モデルにしてもいいって校長先生が許可を出してくれたから。あ、もちろん、そのままは書かないけれど、参考にさせてもらおうと思っているよ」
「すごいですね。あの、それで……」
生徒は一瞬、左右に視線を滑らせた。垣間見た表情にどきりとする。朗らかな笑顔に少しだけ警戒がまじった目つきだった。
「これ」
手渡されたのはノートの端を破ったような紙きれだ。英語と数字の羅列がちらりと見えた。
「LINEのIDです」
「えっ!?」
「学校では話せないこととかあるんで。ここに連絡してもらっていいですか?」
動揺して顔を上げると、彼女は逃げるように廊下の奥へと駆けていってしまった。
手元には紙だけが残されている。
さすがにこれはダメだ。いくら学生の生の声を聞きたいからといって、個人的な連絡先に直接なんて危険すぎる。
いくら向こうから押し付けてきたといっても、世間的に見ればこちらが後ろ指を指されてしまう事案である。
こんなに簡単に、見知らぬ人に連絡先を渡してはいけないと、
あの子に説教したい気持ちをぐっと抑えて、私はその紙の切れ端をポケットに突っ込んだ。
ずんとポケットが重くなる。早くこのメモを処分したいが、
連絡先が書いてあると思うとそう無下にもできない。
のちほど、Aに相談させてもらおう。それまでは私が厳重に保管しておくほうがいいだろう。
昨今の中学生、大人なようでやはり子どもだ。やらかすことが油断ならない。
けれどその純粋さがどこかうらやましい気もした。
今日は午後に予定がある関係で、取材は昼過ぎには切り上げた。
そのまま学校を出て、駅まで歩き電車に乗る。目指すは都心だ。
吊革につかまって揺られながら、ふと顔の筋肉が強張っていることに気づいた。
元来、人とコミュニケーションをとるのは苦手である。
普段使わない表情筋をここ数日で目いっぱい使ったからかもしれない。
笑うのって疲れるんだよな、となぞの感動を覚えた。
すっかり様変わりした渋谷の駅はまるで迷路のようだった。
学生時代に通った面影を探そうにも見つからず、過ぎた年月を噛みしめる。
今日渋谷に来たのは、十数年ぶりに、大学時代の友人Kと会うためである。
大学を卒業してから、彼女は中部地方で教師になった。
引っ越し後は一度も会わずじまいだったのだが、
私の小説家デビューが決まったときに連絡をし、交流が復活したのだ。今では頻繁に連絡を取り合う仲である。
その彼女から『東京に戻る』と連絡があったのは数週間前。
こちらでもう一度教員採用試験を受け、来年の春からは東京都の教師になるのだとか。
もう引っ越しも済ませているということであるし、二人とも東京にいるならせっかくだから会おうかという話になったのである。
「全然変わってないじゃん」
昔ながらのハチ公前での待ち合わせで、開口一番に彼女、友人Kはそう言った。
「いや、変わったか。前はもっとヤバかったもんね。髪、赤メッシュだったし、厚底履いてたし」
「いつの話だよ」
そういう自分だって、大学時代は金髪ロリータだったくせになにを言っているのだろう。
お互い重ねた年齢なりに落ち着いてきたものの、口調だけは当時と変わらない。
学生時代に戻ったかのような錯覚を覚え、自然と笑みが零れた。
二人で手ごろなカフェに入り、コーヒーを飲みながら近況を報告し合う。
「最近、仕事のほうはどう?」
向かいの席で、Kは身を乗り出して囁いた。
彼女は大学時代、小説を書く仲間だった。
お互い小説家になりたいねなどと話していたことを懐かしく思い出しながら、私も小声で囁く。
「おかげさまで、なんとかしがみついてる感じ」
「何年目だっけ?」
「今年で三年目」
「ああ、じゃあ今が正念場ってやつか」
話が早い。昔同じ道を目指していたこともあり、小説の話はKが一番よくわかってくれる。
「こないだの本もS社だよね?」
「そう」
「青春モノは出さないの?」
さすがである。S社と言えば青春小説だとわかっているからこその発言に、
私は説明の手間が省けたことをひそかに喜ぶ。すでに青春小説のオファーをいただいていることは公式発表まで口外禁止だ。
だから、当たり障りのない返しをする。
「出したいんだよね。だから、今取材してる」
「取材?」
「うん。Aっていたじゃん。覚えてる? あの子も今教師でさ。Aが今勤めてる学校を紹介してもらったんだ」
すると、Kの表情が変わった。
「A? Aって、あのAだよね? M教授のゼミにいた」
「そうだけど……」
「連絡取れたの!?」
前のめりになったKの手元で、ガタン、とマグカップが揺れた。
隣のサラリーマンからやや白い目を向けられたからだろうか、あわてた顔をしたKは、一層声を潜めて囁いた。
「Aさ、大丈夫だった?」
「え? なに急に」
Kは目をかすかに伏せ、左斜め下を見る。
「音信不通だったんよ」
「は?」
聞けば、AとKは卒業後も定期的に連絡を取り合う仲だったという。お互い教職に進んだこともあり、情報共有し合っていたとのことだった。
「Aの学校って朝日ヶ森だよね?」
「うん」
「……Aさ、一年前くらいにそこに異動になってから、ちょっと様子がおかしかったんよ」
「おかしいって、どういうこと?」
「〝先生辞めたい〟って言ってて。鬱っぽい感じっていうか。なに話しても上の空で、変なことばっかり言っててさあ」
Kは眉を顰める。
「ちょっと心配だったから、ちょいちょいLINE入れてたんだけど既読スルーで全然返ってこなかったんだよね」
「そうなんだ……」
「じゃあ、無事に慣れたのかな。いや、だとしたら連絡くらい返せっつーの」
Kは本当に心配していたようで、ほっとした表情を見せたあとに怒り始めた。
私は苦笑する。そういえば、Kは学生時代もお人好しで、いっつもこうして誰かのフォローをしたり、心配をしたりしていたっけ。
「まあまあ、便りの無いのは良い便りっていうじゃん。A、元気そうだったよ」
「だとしてもムカつくわ」
このムカつく、はKのパフォーマンスだ。本当は胸をなでおろしているのだとわかっているので、微笑ましい気分になる。
「あ、そうだ」
私はスマホを取り出した。
「取材でAのインタビューもしたんだよね。それ、一緒に聞いてみる?」
Aの声を聞けば、Kはより安心するだろう。Kが頷くのを見て、スマホを操作した。
「あ」
ホーム画面に通知が来ている。SNSだ。Kに断ってからSNSを開くと、先日の謎のアカウントから、またDMが来ているようだった。
「うわ」
「どした?」
「前、このアカウントから変な画像送られてきたんだよね。また来た……」
「あー、スパムとかそれ系? そういうの増えたよね最近」
「そうだね」
と、言いながらも、私は勢いでDMを開いてしまった。
……ひどく後悔した。
先日はモザイクがかかっていた画像の、モザイク部分が消えている。
白い服を着た人が二人。向かい合っており、一人がもう一人にメイクを施しているような写真だった。
向かい合った人の肌は黒く塗りつぶされている。そのため、なにが行われているのかの詳細まではわからない。
二人の背後の壁には、たくさんの人形が吊るされていた。
尋常ではない量の人形がひしめき合っているその様子は、不気味を通り越して不吉である。
――気持ち悪い。
すごく嫌な気持ちになる。なんだろう、この言い知れない気持ち悪さは。
怪訝そうな顔のKに問題の画像を見せた。Kは顔をしかめて「悪趣味」と呟く。
「なにこれ、嫌がらせ? 気持ち悪いんだけど」
「最悪だよマジで……」
二人でしげしげと画像を眺めて、ふっと視線を合わせた。
Kはきっと同じことを考えているのだろうとなんとなくわかって、思わず苦笑いする。
「悪い虫がうずいてるでしょ」
「正解。これ、ちょっと気になるよね」
「うん、気味悪いとは思うんだけど」
私には悪癖があった。こういった〝いわくありげ〟なものに興味を持つという癖である。
呪術、まじない、神話、信仰、昔話に妖怪、幽霊などが、幼い頃から好きで好きでたまらなかった。
好きが高じてK大学では日本文学科の中でも口承文芸――いわゆる民俗学を勉強するコースを選択したのだ。
当然、同じ学科の人間も同じようなものが好きである。
Kもその例に漏れず、心なしか目を輝かせながらさらに身を乗り出し、口を開いた。
「後ろの人形はヒトガタかな」
ヒトガタとは、人間の身代わりにするために作られた〝人の形を模した物〟のことである。
紙や藁で人の形を作り、それで自分の体を撫でてから息を吹きかけ、
川に流すことで自身の罪や病気、厄を流すことができると信じられていた。
現代でも、『流し雛』や『形代流し』として、風習が残っているところがある。
「でも川に流すんじゃなくて吊るしてるの、おかしくない?」
「呪いのほうってこと?」
ヒトガタは呪いにも使われることがある。だからこその発言だろう。
私は画像をじっくり見た。
「呪いだとしてもものすごい量だけど」
「丑の刻参りじゃんね」
「じゃあ、この向かい合ってる二人はなんだろう」
「順当に行けば祭祀(さい し)者なんだろうけど……」
ふむ、とKは机に肘をつき、顎を手の甲に乗せて考えている。
「向かい合って化粧? する? そんな祭祀あったっけ」
「化粧はもともとまじないだから、あるんじゃないのそういう祭祀も」
もっとよく見たくなって、私は画像をクリックし、二本の指で画面をつまんで広げ――。
「うわっ!」
スマホを落としそうになる。隣のサラリーマンが舌打ちをして席を立った。
心の中で謝罪しながら、私はスマートフォンを握りなおした。
心臓がバクバクと鳴っている。今見たものはなんだろう。もう一度確かめたほうがいいのだろうけど……。
「なに、どしたん」
Kが興味津々といった風情で首を傾げる。私は口に出す気も起きず、黙ってスマホをKに渡した。
「なに?」
「拡大」
「え?」
「拡大して、画像」
「……うっわ」
Kが唇を歪めた。
化粧している、だなんてとんでもない。そんな生易しいものではない。
グロ画像だ。……人が、口を、縫われている。
嫌な沈黙が下りた。
ややあって、Kが口を開く。
「……通報して、ブロックしたら?」
「そうするわ」
ちょっとでも面白がってしまった自分を反省し、重いため息をついた。
通報しようと画像を閉じた瞬間。ぽこん、と音が聞こえた。吹き出しがひとつ増えている。またDMだ。今度は画像ではなく、メッセージのようだった。
〝えひこ〟
えひこ……? どういう意味だろう。いや、嫌がらせのDMに意味なんてないはずだ。Kの言う通り、通報してブロックしよう。
指を通報ボタンに滑らせようとした、そのとき。
「ちょっとまって」
一緒に画面をのぞき込んでいたKが私の腕をつかんだ。
「それ、聞いたことある」
「えっ!?」
「えひこ」
Kは視線を彷徨(さまよ)わせる。記憶を探っているのだろう。しばらく悩んでいたが、やがて振り切ったように顔を上げた。
「だめだ、思い出せない」
「ええ、なにそれ」
「あーだめだ、完全に忘れてる。気持ちわりー。……ちょっと家に帰ってから調べてみてもいい?」
「まじで」
「まじ。その画像送ってくれる?」
Kの目がらんらんと光っている。
「このままだと気になって眠れんわ。解決してすっきりしたい」
「……わかった」
こういう好奇心の強いところは相変わらずだ。
私も気にならないと言えば嘘になるし、Kが調べてくれるのなら正直ありがたい。
すっきりしたいというのも同じ気持ちだ。
KにLINEで画像を送る。
「なんかわかったら連絡するわ」
「うん、よろしく」
「いい感じにネタになりそうだったら、久しぶりにホラー小説でも書いてみようかな。今流行りのモキュメンタリーとか行けそうじゃん?」
そう言って、Kはくすっと笑った。つられて笑い、そのまま最近読んだ面白いホラー小説の話などをして、その日は解散となった。
帰宅すると、もう夜の八時近くになっていた。都心から離れた場所に住んでいると、移動距離が長いのがネックである。
ジャケットを脱ぎ、コートかけにかけようとしてふとポケットに違和を感じた。
探ってみると、メモが出てきた。今日生徒さんから手渡された連絡先だ。
しまった、忘れていた。帰る前に職員室に寄ってAに相談しようと思っていたのに。
捨てるのも忍びない。明日こそAに相談しよう。
その紙きれをもう一度ジャケットのポケットに突っ込みなおして、私は三和土(たたき)に足を下ろした。
仕事部屋に直行し、パソコンをつける。スマホとパソコンを有線でつないでひと息ついた。
録音データをコピーするためだ。
もっと効率のいい方法があるのかもしれないが、アナログ人間の私にはこれが精いっぱいである。
パソコンにデータを移行し、念のため再生をする。安いパソコンの質の悪い音が今日のインタビューを再生し始める。
――最初は不安でしたが、先輩たちがみんなすごく素敵で、あんしんしました。みんなニコニコしてて、ふふっとっても素敵なんです。自分も笑顔が増えたと思います。この学校に通って本当によかった! ははっ。
――ありません! ははは。この学校に来てからすべてがうまく行っているんです。みんな優しいし、笑顔だし、あははは。マジ最高です。いわゆる青春ってやつ、送ってると思います。ひいーっ。朝中、最高! いぇーい!
――友だちとケンカしても、先生とちょっと言い争いとかしても、いつの間にか仲直りしちゃうんですよねふふふふふ。仲がいいほどって言うのかなっはは。ウチ、恥ずかしいけどふふっ、この学校結構好きなんですよ。っくくっはははははは。どこがって言われても……うん、ぜんぶあははは。
例えばまったく意識していなかったことでも、ひとつ気になると永遠にそれが気になり続けるということがあると思う。
親しい人の口癖だったり、街中で聞こえる横断歩道のぴよぴよという音だったり。
気にならなければなんてことないはずのものが、やたら耳に障るようになる。
インタビューしていた子たちは、こんなに笑っていただろうか。
確かにずっと笑顔だったが、笑い声を上げていただろうか。それとも私が今、気になってしまったから耳に残るだけなのだろうか。
疲労を覚えて、再生をストップする。
普段インドアな人間が二日続けて外出したからだろう。体がだるくて重かった。
愛想笑いをしすぎたせいか、頬の筋肉もやたらと痛い。
明日も取材で学校へと行かなければならない。
自分の体力のなさに情けなさを感じながらも、今日は早く寝ることにした。
階段の踊り場で手すりにもたれかかり、ワイヤレスイヤホンを耳につけてスマホをバッグから取り出した。
インタビューはすべてスマホのボイスレコーダーで録音している。
軽く再生をして、きちんと録音できていることを確認し、イヤホンを取り外したときである。
「あの、もしかして古典のやつ書いた人ですか?」
突然声をかけられ振り向くと、女子生徒がうつむきがちに立っている。
最後にインタビューした、一年生の女の子だ。
まだあどけない顔をしたその子は緊張しているのだろうか、制服の裾をぎゅっと握りしめている。
古典のやつとは、以前出した本のことだろう。
知ってくれているということがうれしく、思わず笑顔で頷くと、彼女はほっと息をつき、ぱあっと明るい笑顔を見せた。
「やっぱりそうなんですね。あれ、読みました。私古典が好きで……。A先生と同じ学校を出てるんですよね、K大学。私、そこ行きたいんです」
「もう大学のこと考えてるの、すごいね」
自分が中学生のときなんて、目の前のことしか考えていなかった。高校だってどうするか真剣に考え始めたのは中学三年の夏休み以降だったなと懐かしく思う。
女子生徒ははにかみながら「ありがとうございます」と答える。
「取材ってことは、小説になるんですか? ウチの学校」
「うん。モデルにしてもいいって校長先生が許可を出してくれたから。あ、もちろん、そのままは書かないけれど、参考にさせてもらおうと思っているよ」
「すごいですね。あの、それで……」
生徒は一瞬、左右に視線を滑らせた。垣間見た表情にどきりとする。朗らかな笑顔に少しだけ警戒がまじった目つきだった。
「これ」
手渡されたのはノートの端を破ったような紙きれだ。英語と数字の羅列がちらりと見えた。
「LINEのIDです」
「えっ!?」
「学校では話せないこととかあるんで。ここに連絡してもらっていいですか?」
動揺して顔を上げると、彼女は逃げるように廊下の奥へと駆けていってしまった。
手元には紙だけが残されている。
さすがにこれはダメだ。いくら学生の生の声を聞きたいからといって、個人的な連絡先に直接なんて危険すぎる。
いくら向こうから押し付けてきたといっても、世間的に見ればこちらが後ろ指を指されてしまう事案である。
こんなに簡単に、見知らぬ人に連絡先を渡してはいけないと、
あの子に説教したい気持ちをぐっと抑えて、私はその紙の切れ端をポケットに突っ込んだ。
ずんとポケットが重くなる。早くこのメモを処分したいが、
連絡先が書いてあると思うとそう無下にもできない。
のちほど、Aに相談させてもらおう。それまでは私が厳重に保管しておくほうがいいだろう。
昨今の中学生、大人なようでやはり子どもだ。やらかすことが油断ならない。
けれどその純粋さがどこかうらやましい気もした。
今日は午後に予定がある関係で、取材は昼過ぎには切り上げた。
そのまま学校を出て、駅まで歩き電車に乗る。目指すは都心だ。
吊革につかまって揺られながら、ふと顔の筋肉が強張っていることに気づいた。
元来、人とコミュニケーションをとるのは苦手である。
普段使わない表情筋をここ数日で目いっぱい使ったからかもしれない。
笑うのって疲れるんだよな、となぞの感動を覚えた。
すっかり様変わりした渋谷の駅はまるで迷路のようだった。
学生時代に通った面影を探そうにも見つからず、過ぎた年月を噛みしめる。
今日渋谷に来たのは、十数年ぶりに、大学時代の友人Kと会うためである。
大学を卒業してから、彼女は中部地方で教師になった。
引っ越し後は一度も会わずじまいだったのだが、
私の小説家デビューが決まったときに連絡をし、交流が復活したのだ。今では頻繁に連絡を取り合う仲である。
その彼女から『東京に戻る』と連絡があったのは数週間前。
こちらでもう一度教員採用試験を受け、来年の春からは東京都の教師になるのだとか。
もう引っ越しも済ませているということであるし、二人とも東京にいるならせっかくだから会おうかという話になったのである。
「全然変わってないじゃん」
昔ながらのハチ公前での待ち合わせで、開口一番に彼女、友人Kはそう言った。
「いや、変わったか。前はもっとヤバかったもんね。髪、赤メッシュだったし、厚底履いてたし」
「いつの話だよ」
そういう自分だって、大学時代は金髪ロリータだったくせになにを言っているのだろう。
お互い重ねた年齢なりに落ち着いてきたものの、口調だけは当時と変わらない。
学生時代に戻ったかのような錯覚を覚え、自然と笑みが零れた。
二人で手ごろなカフェに入り、コーヒーを飲みながら近況を報告し合う。
「最近、仕事のほうはどう?」
向かいの席で、Kは身を乗り出して囁いた。
彼女は大学時代、小説を書く仲間だった。
お互い小説家になりたいねなどと話していたことを懐かしく思い出しながら、私も小声で囁く。
「おかげさまで、なんとかしがみついてる感じ」
「何年目だっけ?」
「今年で三年目」
「ああ、じゃあ今が正念場ってやつか」
話が早い。昔同じ道を目指していたこともあり、小説の話はKが一番よくわかってくれる。
「こないだの本もS社だよね?」
「そう」
「青春モノは出さないの?」
さすがである。S社と言えば青春小説だとわかっているからこその発言に、
私は説明の手間が省けたことをひそかに喜ぶ。すでに青春小説のオファーをいただいていることは公式発表まで口外禁止だ。
だから、当たり障りのない返しをする。
「出したいんだよね。だから、今取材してる」
「取材?」
「うん。Aっていたじゃん。覚えてる? あの子も今教師でさ。Aが今勤めてる学校を紹介してもらったんだ」
すると、Kの表情が変わった。
「A? Aって、あのAだよね? M教授のゼミにいた」
「そうだけど……」
「連絡取れたの!?」
前のめりになったKの手元で、ガタン、とマグカップが揺れた。
隣のサラリーマンからやや白い目を向けられたからだろうか、あわてた顔をしたKは、一層声を潜めて囁いた。
「Aさ、大丈夫だった?」
「え? なに急に」
Kは目をかすかに伏せ、左斜め下を見る。
「音信不通だったんよ」
「は?」
聞けば、AとKは卒業後も定期的に連絡を取り合う仲だったという。お互い教職に進んだこともあり、情報共有し合っていたとのことだった。
「Aの学校って朝日ヶ森だよね?」
「うん」
「……Aさ、一年前くらいにそこに異動になってから、ちょっと様子がおかしかったんよ」
「おかしいって、どういうこと?」
「〝先生辞めたい〟って言ってて。鬱っぽい感じっていうか。なに話しても上の空で、変なことばっかり言っててさあ」
Kは眉を顰める。
「ちょっと心配だったから、ちょいちょいLINE入れてたんだけど既読スルーで全然返ってこなかったんだよね」
「そうなんだ……」
「じゃあ、無事に慣れたのかな。いや、だとしたら連絡くらい返せっつーの」
Kは本当に心配していたようで、ほっとした表情を見せたあとに怒り始めた。
私は苦笑する。そういえば、Kは学生時代もお人好しで、いっつもこうして誰かのフォローをしたり、心配をしたりしていたっけ。
「まあまあ、便りの無いのは良い便りっていうじゃん。A、元気そうだったよ」
「だとしてもムカつくわ」
このムカつく、はKのパフォーマンスだ。本当は胸をなでおろしているのだとわかっているので、微笑ましい気分になる。
「あ、そうだ」
私はスマホを取り出した。
「取材でAのインタビューもしたんだよね。それ、一緒に聞いてみる?」
Aの声を聞けば、Kはより安心するだろう。Kが頷くのを見て、スマホを操作した。
「あ」
ホーム画面に通知が来ている。SNSだ。Kに断ってからSNSを開くと、先日の謎のアカウントから、またDMが来ているようだった。
「うわ」
「どした?」
「前、このアカウントから変な画像送られてきたんだよね。また来た……」
「あー、スパムとかそれ系? そういうの増えたよね最近」
「そうだね」
と、言いながらも、私は勢いでDMを開いてしまった。
……ひどく後悔した。
先日はモザイクがかかっていた画像の、モザイク部分が消えている。
白い服を着た人が二人。向かい合っており、一人がもう一人にメイクを施しているような写真だった。
向かい合った人の肌は黒く塗りつぶされている。そのため、なにが行われているのかの詳細まではわからない。
二人の背後の壁には、たくさんの人形が吊るされていた。
尋常ではない量の人形がひしめき合っているその様子は、不気味を通り越して不吉である。
――気持ち悪い。
すごく嫌な気持ちになる。なんだろう、この言い知れない気持ち悪さは。
怪訝そうな顔のKに問題の画像を見せた。Kは顔をしかめて「悪趣味」と呟く。
「なにこれ、嫌がらせ? 気持ち悪いんだけど」
「最悪だよマジで……」
二人でしげしげと画像を眺めて、ふっと視線を合わせた。
Kはきっと同じことを考えているのだろうとなんとなくわかって、思わず苦笑いする。
「悪い虫がうずいてるでしょ」
「正解。これ、ちょっと気になるよね」
「うん、気味悪いとは思うんだけど」
私には悪癖があった。こういった〝いわくありげ〟なものに興味を持つという癖である。
呪術、まじない、神話、信仰、昔話に妖怪、幽霊などが、幼い頃から好きで好きでたまらなかった。
好きが高じてK大学では日本文学科の中でも口承文芸――いわゆる民俗学を勉強するコースを選択したのだ。
当然、同じ学科の人間も同じようなものが好きである。
Kもその例に漏れず、心なしか目を輝かせながらさらに身を乗り出し、口を開いた。
「後ろの人形はヒトガタかな」
ヒトガタとは、人間の身代わりにするために作られた〝人の形を模した物〟のことである。
紙や藁で人の形を作り、それで自分の体を撫でてから息を吹きかけ、
川に流すことで自身の罪や病気、厄を流すことができると信じられていた。
現代でも、『流し雛』や『形代流し』として、風習が残っているところがある。
「でも川に流すんじゃなくて吊るしてるの、おかしくない?」
「呪いのほうってこと?」
ヒトガタは呪いにも使われることがある。だからこその発言だろう。
私は画像をじっくり見た。
「呪いだとしてもものすごい量だけど」
「丑の刻参りじゃんね」
「じゃあ、この向かい合ってる二人はなんだろう」
「順当に行けば祭祀(さい し)者なんだろうけど……」
ふむ、とKは机に肘をつき、顎を手の甲に乗せて考えている。
「向かい合って化粧? する? そんな祭祀あったっけ」
「化粧はもともとまじないだから、あるんじゃないのそういう祭祀も」
もっとよく見たくなって、私は画像をクリックし、二本の指で画面をつまんで広げ――。
「うわっ!」
スマホを落としそうになる。隣のサラリーマンが舌打ちをして席を立った。
心の中で謝罪しながら、私はスマートフォンを握りなおした。
心臓がバクバクと鳴っている。今見たものはなんだろう。もう一度確かめたほうがいいのだろうけど……。
「なに、どしたん」
Kが興味津々といった風情で首を傾げる。私は口に出す気も起きず、黙ってスマホをKに渡した。
「なに?」
「拡大」
「え?」
「拡大して、画像」
「……うっわ」
Kが唇を歪めた。
化粧している、だなんてとんでもない。そんな生易しいものではない。
グロ画像だ。……人が、口を、縫われている。
嫌な沈黙が下りた。
ややあって、Kが口を開く。
「……通報して、ブロックしたら?」
「そうするわ」
ちょっとでも面白がってしまった自分を反省し、重いため息をついた。
通報しようと画像を閉じた瞬間。ぽこん、と音が聞こえた。吹き出しがひとつ増えている。またDMだ。今度は画像ではなく、メッセージのようだった。
〝えひこ〟
えひこ……? どういう意味だろう。いや、嫌がらせのDMに意味なんてないはずだ。Kの言う通り、通報してブロックしよう。
指を通報ボタンに滑らせようとした、そのとき。
「ちょっとまって」
一緒に画面をのぞき込んでいたKが私の腕をつかんだ。
「それ、聞いたことある」
「えっ!?」
「えひこ」
Kは視線を彷徨(さまよ)わせる。記憶を探っているのだろう。しばらく悩んでいたが、やがて振り切ったように顔を上げた。
「だめだ、思い出せない」
「ええ、なにそれ」
「あーだめだ、完全に忘れてる。気持ちわりー。……ちょっと家に帰ってから調べてみてもいい?」
「まじで」
「まじ。その画像送ってくれる?」
Kの目がらんらんと光っている。
「このままだと気になって眠れんわ。解決してすっきりしたい」
「……わかった」
こういう好奇心の強いところは相変わらずだ。
私も気にならないと言えば嘘になるし、Kが調べてくれるのなら正直ありがたい。
すっきりしたいというのも同じ気持ちだ。
KにLINEで画像を送る。
「なんかわかったら連絡するわ」
「うん、よろしく」
「いい感じにネタになりそうだったら、久しぶりにホラー小説でも書いてみようかな。今流行りのモキュメンタリーとか行けそうじゃん?」
そう言って、Kはくすっと笑った。つられて笑い、そのまま最近読んだ面白いホラー小説の話などをして、その日は解散となった。
帰宅すると、もう夜の八時近くになっていた。都心から離れた場所に住んでいると、移動距離が長いのがネックである。
ジャケットを脱ぎ、コートかけにかけようとしてふとポケットに違和を感じた。
探ってみると、メモが出てきた。今日生徒さんから手渡された連絡先だ。
しまった、忘れていた。帰る前に職員室に寄ってAに相談しようと思っていたのに。
捨てるのも忍びない。明日こそAに相談しよう。
その紙きれをもう一度ジャケットのポケットに突っ込みなおして、私は三和土(たたき)に足を下ろした。
仕事部屋に直行し、パソコンをつける。スマホとパソコンを有線でつないでひと息ついた。
録音データをコピーするためだ。
もっと効率のいい方法があるのかもしれないが、アナログ人間の私にはこれが精いっぱいである。
パソコンにデータを移行し、念のため再生をする。安いパソコンの質の悪い音が今日のインタビューを再生し始める。
――最初は不安でしたが、先輩たちがみんなすごく素敵で、あんしんしました。みんなニコニコしてて、ふふっとっても素敵なんです。自分も笑顔が増えたと思います。この学校に通って本当によかった! ははっ。
――ありません! ははは。この学校に来てからすべてがうまく行っているんです。みんな優しいし、笑顔だし、あははは。マジ最高です。いわゆる青春ってやつ、送ってると思います。ひいーっ。朝中、最高! いぇーい!
――友だちとケンカしても、先生とちょっと言い争いとかしても、いつの間にか仲直りしちゃうんですよねふふふふふ。仲がいいほどって言うのかなっはは。ウチ、恥ずかしいけどふふっ、この学校結構好きなんですよ。っくくっはははははは。どこがって言われても……うん、ぜんぶあははは。
例えばまったく意識していなかったことでも、ひとつ気になると永遠にそれが気になり続けるということがあると思う。
親しい人の口癖だったり、街中で聞こえる横断歩道のぴよぴよという音だったり。
気にならなければなんてことないはずのものが、やたら耳に障るようになる。
インタビューしていた子たちは、こんなに笑っていただろうか。
確かにずっと笑顔だったが、笑い声を上げていただろうか。それとも私が今、気になってしまったから耳に残るだけなのだろうか。
疲労を覚えて、再生をストップする。
普段インドアな人間が二日続けて外出したからだろう。体がだるくて重かった。
愛想笑いをしすぎたせいか、頬の筋肉もやたらと痛い。
明日も取材で学校へと行かなければならない。
自分の体力のなさに情けなさを感じながらも、今日は早く寝ることにした。



