最古参リスナーが執着をやめてくれない。

 黒寺に見つかったのが裏門でよかった。じゃなきゃ間違いなく通行人の見世物になってた。
 やっと満足したのか離れていく体温を全身で感じながら、僕はそんなことを考えていた。

「……暑苦しかった」
「俺体温高いからねー。遥真くんは低いよー、冬とか寒くないの?」
「別に」
「まぁ今度からは俺があっためるからいいよねー」

 こいつの頭はどうやら都合のいいようにしか処理しないようだ。
 僕が質問を肯定したかのような発言をする黒寺には呆れるしかなく、大きなため息が零れる。
 そんな僕の顔を黒寺が覗き込んで、気が抜けたようにふっと笑った。

「よかった、もう大丈夫そうだね」
「……大丈夫だってさっき言っただろ」
「遥真くんは無理して言いそうだからね、信用してなくて」
「おい」
「あはは、冗談だよ冗談。でもほんと、いつもの遥真くんに戻ってくれてよかった」

 この優しさは、何が根源なんだろう。
 体裁のためのものか、元々持ち合わせているものか。
 それとも……僕のため、か。
 ……そうだったら――どれだけいいことだろうか。

「遥真くん?」
「……ごめん、帰るから」
「えっ、ちょっと遥真くん! 一人じゃ、さっきみたいに発作出たら危ないよ!」

 最近、僕はこいつに振り回されすぎている。
 血迷ったことを思ったのだってそうだ。こいつといると思考が麻痺してくる。
 僕はどうして、こいつに期待してるんだろう。
 さっきの優しさもその場凌ぎなはずなのに……その優しさを求めるなんて、僕もどうかしてるみたいだ。

「は、離せ」
「嫌だよ、離さない。遥真くんが苦しんでるとこ、見たくないから」

 体温が高いと自称するくらいには、掴んできた手は熱くて少し汗ばんでて。
 離したいのに、離してほしくないって思う気持ちが片隅にあって。

「…………ば」
「ん? なになに、遥真くん」
「……好きにすれば。離したくない、なら」

 自分のことすら分からなくて、気付けばそう口にしていた。



「遥真、おかえり。テストお疲れ様、どうだった?」
「……ただいま」
「……何かあったの? 顔色あんまりよくなさそうだけど……」

 家に帰るとちょうど、二階から洗濯かごを持って降りてきた母さんと目が合った。
 母さんの目に映る僕は浮かない顔のまま入ってしまったみたいで、スリッパの音が目の前で止まる。

「別に、なんかあったわけじゃないけど」
「濁すってことは何かあったのね」
「な、何もないって」
「本当に? 遥真はすぐ我慢するから、嫌なことがあったなら言ってほしいのよ」

 ……嫌なこと、ではないんだけど。
 いや、これまでの僕だったら嫌がっていただろう。黒寺に抱きつかれた瞬間吹き飛ばすくらいには。
 けどさっきはしなかった、できなかった。物理的にもだし、感情的にも。
 それが自分の中で消化しきれなくて、解が出ない問いをずっと抱えている。
 でも、さすがにこれを母さんに言うわけにはいかない。こんな話、されるほうはより理解が追いつかないだろう。
 しかも話すの、だいぶ恥ずかしいし。
 自分から男に抱きつかれたって白状するのは、この問いを抱えたままより辛い。親にならますます言えない。

「……テストは、上手くいったと思う。それじゃ」

 考えた結果、いい感じに凌げそうな言葉を見つけて自室に逃げ込む。
 そしてすぐ内側から鍵をかけ、鞄を放ってベッドに倒れた。
 嘘は吐いてない、強がってもない。テストの出来は冗談抜きに過去最高だと思ってるから。
 だけ、ど……。

「黒寺のせいだ……」

 僕がおかしくなったのは黒寺のせい。黒寺がどこまでもしつこくて、拒否することを諦めているのは事実だ。
 でもそれがどうして、黒寺を好意的に思うことになるんだ。嫌いから無になっただけじゃないのか?

『嫌だよ、離さない。遥真くんが苦しんでるとこ、見たくないから』

 あんなのただの社交辞令でしかない。あの変態が厚意で言うはずがない、考えられない。
 ……その社交辞令に振り回されてるなんて、バカな話だ。
 なのに、何でだよ。黒寺の言葉全部が、頭のこびりついて離れてくれやしない。
 違う、そんなことない、絶対に。僕があいつをプラスに思うことは、ないはずだ。
 だってあいつはどうしようもないやばい奴で、変態でサディストで、僕をおもちゃとしてしか見てない。
 そうじゃなかったら僕なんかに関わるはず、ないんだ。

「……あいつは、僕みたいなのを相手にしない」

 僕と黒寺は、どうあがいたって交わらないはずの人間。可能性なんて、端からない。
 だから……友達だと思ったら、ダメだろ。



 けれどその張本人、黒寺はやはり気にしない質らしい。今日もやって来ては、両手にお菓子類が覗くエコバッグを持っていた。

「何、それ」
「これはねー、俺もテスト終わったから打ち上げしようと思って。遥真くんアレルギーなかったよね?」
「ないけど……そのためだけにこんな買ってきたのかよ」
「俺にとって遥真くんと打ち上げできるのは超嬉しいからこれくらいはするよー」

 お邪魔しまーすと言いながらも、すっかり慣れたように靴を脱ぐ黒寺。
 その隣に置かれた袋のひとつを出来心で持ってみると、ダイレクトにずっしりと重みを感じた。
 何入ってんだ、これ……。
 しかもこれがもうひとつ。黒寺が買ってきたものだから気にする必要ないだろうけど、どれだけ金かけてんだ。

「重いでしょ」
「こんなに何買ってきたんだよ」
「うーんとね、ポテチとかチョコとか、500mlのジュースとかかなー。あとボードゲームも持ってきたから一緒に遊ぼうね」

 こいつ、ガチで楽しむ気満々だ。こっちはそんな乗り気になれないって言うのに。

「……先に上がれ。コップ持ってくるから」
「はーい」

 しっしと追い払うように先に部屋に行かせ、目当てのコップを戸棚から取り出す。
 予備で置いていたはずの、この紺色のマグカップはいつの間にか黒寺専用になってしまった。
 ……こんなことを思うってことは、黒寺がいるのが当たり前だと思ってるんだろうな。
 最初は黒寺と顔を合わせるのすら苦痛だった。
 “だった”……そう思う時点で、僕は黒寺を認めてしまっている。
 だから今更、あいつがいない生活は……考えたくないってのが本音。

『お母さんには遥真が楽しそうに見えたの』

 黒寺が初めてうちに来た時、母さんは言っていた。
 その時は僕自身楽しさが分かっていなくて、ましてや急に凸ってきた奴によって楽しんでいただなんて信じられなかった。
 けどもしあの時から、黒寺のことを自分にとってのプラスだと思っていたのなら――。

「遥真くんおかえり。お菓子どれから食べる? あ、先にジュース選んだほうがいっか」
「……子供かよ」
「えー、どこがー?」
「はしゃいでるとこだよ。うるさいから静かにしろ」
「そりゃはしゃぐでしょ、テスト終わったんだし。遥真くんこそ落ち着きすぎ」

 僕にはない無邪気さを見せるこいつが面白くて、1ミリくらい頬が緩む。
 ……僕は、案外絆されやすいらしい。
 そう悟られないように黒寺の座っている場所から距離のあるゲーミングチェアに腰掛け、ふーっと息を吐いた。

「遥真くん何飲む? オレンジジュースとカフェオレと、メロンソーダとスポドリあるけど」
「カフェオレで」
「りょーかい。俺どうしよっかなー、スポドリにしよっかな」

 エコバッグから出てくるものは予想よりも多く、四次元ポケットかってほどのお菓子やジュースが広げられる。
 一瞬でテーブルが埋まった……言うほど狭くないのにお菓子でスペースが消えた。
 こんな量どうするんだよ、と呆れる僕の気も知らず黒寺が「はいっ」とコップを手渡してくる。
 ……変なもんとか、はさすがにないか。いくら変態だからって犯罪紛いなことには手を出さないだろう。
 普段のやばい言動からつい疑うも、特に変なところはなく慎重に口付ける。
 飲み慣れた味がじんわり広がり、いつも飲んでるやつだとまず安心する。
 ……いつも?

「黒寺」
「なーに?」
「僕がこのカフェオレ好きってどこで知った?」
「忘れたのー? 半年前に呟いてたじゃん、ご丁寧に写真付きで」
「……ストーカーかよ」
「まぁね」

 まぁね、じゃないが。ネトスト……ではないけど、ストーカーなのは認めてるし。
 いつか本当に犯罪するんじゃないかと引いていると、今度はお菓子を差し出してきた。

「ねぇねぇ遥真くん、ポッキーゲームしない?」
「は!? やるわけないだろ、キモいこと言うな。ていうかいきなりすぎだろ」
「ほら、こういうの鉄板じゃん? 二人だけだけどっ」

 二人でやるのはただの拷問すぎる。そもそも、リアルでポッキーゲームする奴なんかいないだろ。
 何が悲しくて拷問を受けなきゃならないんだと、足で黒寺の長い足を蹴る。
 これは流されたらダメだ、マジでダメなやつだ。

「やらないの?」
「お前酒飲んだ?」
「やだなー、未成年だよ? 飲むわけないじゃん、ちゃんと素面」
「あそ。やらないから自分で食べろ」
「一回だけ」
「やらない」
「ちょびっとも?」
「お前がその気ならポッキー全部折るけど」
「ざんねーん。ポッキーゲームは短くてもできるよー」
「諦めろよ」
「やだね」

 嫌とかじゃなくて、尊厳がやばいからやめろって言ってんだよ。
 女子とやるのもきついのに男同士でやるのは終わってるとしか言いようがない。僕はそこまで堕ちてはいない。
 黒寺の体裁のためにも言ってるのに、何一つ分かってくれやしないし。

「やりたきゃクラスメイトの女子とやれよ。お前の顔ならいくらでも釣れるだろ?」
「分かってないなぁ遥真くんは。俺は遥真くんとやりたいの、他の子とやっても楽しくないし」
「何で僕なんだよ」
「好きだから、じゃダメなの?」
「友達としての好きじゃダメに決まってんだろ。恋愛的に好きとかなら、まだしも」
「……あぁ、やっと分かった。遥真くんって、ずっと勘違いしてたんだね」

 鳩が豆鉄砲を食らったような表情から一変、何かを企んでいるように目を細めた黒寺。
 ……地雷でも踏んだか?
 これから起こる何かが想像できなくて、恐ろしくて目線を下げる。
 けれども黒寺は許してくれず、顎を掴んで上げさせたかと思うと自分と目を合わせてきた。

「っ……黒寺。お前何考えてんだ」
「まだ分からないんだね、遥真くん。俺、焦らしプレイは嫌いじゃないけどこれ以上は怒っちゃうよ」
「な、何の話だよ」
「もう分かるでしょ? 俺は、キミが好きなんだよ。はるしろとして活動してるキミじゃない、白綾遥真が好き。もちろん恋愛感情の好きだよ? 下心もちゃーんとあるし」

 ……僕は、同性愛を否定はしない。今のご時世そういう人は多いだろうし、こいつがそれでも僕には関係ない。
 でも、自分がその相手ならどうだ。関係ないとか言ってられる次元じゃない。
 黒寺が、僕を、好き……? はるしろじゃない僕が好き、だって?

「意味、分かんねぇ……お前みたいな奴が僕を好きになるなんてあり得ないだろ!?」
「それを決めるのは遥真くんじゃない、俺だよ。俺が遥真くんを好きって言ってるんだから、ちゃんと分かって」
「いきなり言われても、分かるわけないだろ……!」
「いきなりじゃないよ。もう何回も言ってる、好きだって」

『俺は遥真くんがだーい好きだから、全部知ってるよ』
『前も言ったよね、俺。遥真くんが大好きだって』
『だって俺、はるしろさんより先に遥真くんを好きになったんだから』

 確かに……言われた、何回も。
 だけど、だったら……っ。

『白綾って変だよね、ズレてるっていうかさ』
『空気読めないのもあるよな。いっつも普通に話すの疲れんだよな』
『あーあと、声もちょっとね……あの声、正直すっごい嫌いなんよね』

 ――……黒寺に嫌われたら、もう立ち上がれない。

「やめて、くれ……好きなんて言うな!!」
「っ! 遥真、くん……!?」
「僕を好きになるな、言うな……っ! お前なんて嫌いだ!」

 嫌い。そう、僕はこいつが嫌いだ。
 遠慮がないところ、変に優しいところ、僕に執着してくるところ、僕と違うところ。
 その全部が、嫌いなんだ。

「帰れ。頼むから、もう会いに来るな」
「……分かったよ。ごめんね、遥真くん」

 そういう、物分かりがいいところも嫌いだ。
 さっさと片付けて部屋を後にした黒寺は、一度も振り返らなかった。
 だから改めて思う。僕はあいつの全部が本当に嫌いで。
 ……どうしようもなく、惹かれてしまっているんだ。
 友達の好きより、恋愛の好きは重い。それが修復不可能になった場合、友達のままのほうがまだ傷は浅い。

「っ……ともだち、か」

 あいつは、もう友達とも思ってくれないかもしれないのに。
 やっと認めた黒寺の好意の正体に、僕は静かになった部屋の真ん中で項垂れるしかなかった。