僕の厄介ファンな黒王子

 ……現在時刻午後3時。テストを受ける当日、家を出た僕を待っていた奴がいた。僕の家の前で。

「おい、何でいるんだよ」
「何でってそりゃあ、遥真くんと一緒に学校行くからだよ」

 当然だよね、と言いたそうな顔で立っていたのは三週間ぶりに見る黒寺。
 何も変わっておらず、いつも通り変人な黒寺に何故だか安心感を覚えた。
 ……本当に何でだよ。

「いい、さっさと帰れ」
「今日ばっかりはお断りしまーす。だって遥真くん、分かってる?」
「何を」
「この時間帯は生徒がいーっぱい帰ってるよ? また発作起きちゃったらどうするの?」
「っ……」

 ごもっともなことを言われた。言われたくない相手第一位の黒寺に。
 またあの醜態を晒すわけにはいかない、二度もこいつの手を借りるなんて癪だ。これ以上ない屈辱だ。
 ……いや待て、何でこいつが僕の発作の条件を知ってるんだ。あいつが僕に手を差し伸べてきたのは発作が起きた後だったろ。
 …………考えるの、怖くなってきたな。黒寺は僕のことをどこまで知ってるんだよ。

「俺がいたら遥真くんも安心でしょ? だから行こっ」
「手、どさくさに紛れて繋ぐな。離せ」
「やだね」
「ていうかお前のほうが嫌だろ。知り合いに会ったらどうするんだよ」
「別にどうも? むしろ見せつけたいかも」
「きっっっ……」

 きしょい、気色悪すぎる。もうこいつ変態以上の何かだろ。最後まで言わなかったのを褒めてほしいくらいだ。
 王子のような微笑みで激ヤバ発言をする黒寺の手を振り払い、さっさと学校に向かう。こんなのに付き合ってられない。
 耐え難い現実から目を背けようと、黒寺に触られた左手が若干熱を帯びていることを無視して歩き始めた。
 ……のに。

「遥真くん、そっちは危険だよ。こっちから行こうねー」
「え、おいちょっと……!」

 再び取られた手によって、見事に遮られ180度別の方向に歩を進めさせられる。
 こいつっ……前も思ったけど力強すぎるだろ……細身なのにどこにそんな力あるんだよ!

「離せ……!」
「無理かなー」

 力とは対照的な爽やかな声で断られ、ズルズルと引きずられていく。
 これは、手を繋いでいるというよりかは一方的に引っ張られていると表現したほうが正しいかもしれない。
 こいつはどこに向かってんだ……?なんて疑問と同列によぎったのは、至極どうでもいい現状だった。



「ね? こっちからの道のほうが人少なかったでしょ?」
「……まぁ」
「この時間は逆に大通りのほうがいないんだよね、学生って。図書館とかカフェがたくさんある別の道使うから」

 学校に着く最後まで僕を引きずった黒寺は、裏門の前でようやく足を止めた。
 成す術を封じられていた僕の手もそこで解放され、すぐに制服の裾で拭う。
 黒寺のおかげで発作のトリガーとなる学生と全然会わなかったから、一方的に咎められないのが癪だけど。

「それじゃ、頑張ってね遥真くん。俺は近くのカフェで勉強でもして待ってるから」
「待つな、普通に帰れよ」
「やだよー、遥真くん一人にしたら知らない内に倒れてそうだし。だから……あーそっか、連絡先まだ交換してなかったね。今しちゃおっか」

 事あるごとにこいつは、僕を気に掛ける風なことを口にする。それが当たり前だと言うように。
 ……こんな無償の気遣いこそ、恐ろしいものはない。
 しかも依然としてこいつの思考が分からない今は、連絡先を渡す勇気は僕にはない。
 優しさを感じるのが、逃げ出したくなるほどに怖い。

「……」
「……分かった。じゃあえっと……これ渡しとくね。この番号にかけたら俺に繋がるから。だから終わったらかけてきてね」

 何も言えない僕の何かを感じ取ったらしい黒寺が、千切ったメモ用紙にササッと番号を書き記す。
 そのメモを四つ折りにして僕に握らせると、そのまま頭を撫でてきた。

「ちょ、おい黒寺! 何してん、だよ」
「頭撫でてるだけだよー。遥真くんがテスト頑張れるように、って」
「……勝負してること、忘れたのかよ」
「あはは、そうかも」

 そうかも、じゃないだろ。ていうかこいつに限って「忘れてた」はないか、さすがに。
 自分とそう背丈の変わらない野郎に撫でられているのは変な感じで、誰かに見られたら一生外に出られる気がしない。
 だけど、不思議だ。嫌な気は……ちょっとはするけど、あんまり感じない。
 撫でている手つきが妙に慣れているように思うからか、普通に気のせいだろうか。

「……もう行くから」
「うん、頑張ってね」
「お前には負けないからな」

 負けたらおそらくこいつから今後逃げ切る術はない。
 そんなのが現実になったら色んな意味で終わるだろうから、絶対に勝たないといけない。
 黒寺にこれ以上、振り回されないためにも。



 最後の長文の解答欄まで埋まっていることを確認したと同時、ピピピピッとタイマーの音が小さな教室に鳴り響いた。

「そこまで。……5日間お疲れ様です、白綾くん」
「……ありがとうございます」
「解答用紙回収しますね。結果は二週間後くらいになると思うので、またお家に持っていきますね」
「いつも、すみません。迷惑かけて」
「いえ、そんなこと思ってませんよ。白綾くんの気持ちが一番大切ですし、最近は黒寺くんが配布物を持っていってくれていますし」

 担任である灰渕(はいぶち)先生は、人の良さそうな笑顔で手際よく解答用紙をまとめていく。
 その様子を何をするでもなく見ていると、先生が「あ」と思い出したように僕に向き直った。

「白綾くん、少し僕の話に付き合ってくれませんか? すぐに終わるので」
「……いいですけど」
「ありがとうございます。話というのは黒寺くんのことなんですが……黒寺くん、白綾くんのお家にプリント一枚だけを届けに行った日から雰囲気が柔らかくなったんです。前までは、なんだか楽しくなさそうにしていたんですよ」
「それが、どうかしたんですか」
「はい、どうかしたんです。僕、白綾くんが黒寺くんを楽しくさせているんだと考えてるんです」
「はぁ……」

 一ヶ月だけ教室に通っていた頃から、この先生は少しズレているなと感じていた。
 でも今それが確信に変わって、さっさと帰ってしまいたくなった。
 僕があいつを楽しくさせている……楽しくというか、あいつは僕で遊んでいるだけだと思う。
 放課後にそんな楽しみができたから、先生にはそう見えたんだろう。
 うん、あまりにも理に適っている。

「僕はキミたちの担任なので、生徒が楽しいと嬉しいんです。だから白綾くん、ありがとうございます」
「……そう、ですか」

 何がありがとうなのかは全く分かってないけど、純粋な先生の気持ちを無下にはできない。
 けど、だからこそ……気付いてしまう。
 『キミたち』『生徒が楽しいと』
 これらの言葉の裏にある、意味に。

「すみません、もう帰ります」
「わ、分かりました。白綾くん、気を付けて帰ってくださいね」

 先生の言葉はまっすぐで、綺麗で、最悪なほどに正直で。

『僕は、白綾くんに学校に来てもらえたらもっと嬉しいです』

 一言も掠ってはないのに、“それ”は鮮明に聞こえてしまった。



 また、他責思考になる。そんな自分が穢れているようで、先生と比べて嫌になる。
 違う、先生はそんなこと言ってない。勝手に僕が憶測で語って、決めつけて、先生を責めて。
 ……だから、先生とは話したくなかったんだ。

『白綾くんはいつも頑張っていてすごいですね。でも無理はダメですよ?』
『大丈夫ですか!? 白綾くんっ、怪我の具合はどうですか!?』
『好きなものとかってありますか? 僕は甘いものがすごく好きで……白綾くんも好きなんですか! ふふ、同士ですね』

 顔を合わせればいつも穏やかに、子守唄のように話しかけてくる先生。
 僕よりも歳上なのにまだ生まれたばかりの子供のように純粋で、憧れにも妬みにもなる存在。
 僕は……どっちもだった。先生に純粋さに憧れて、その純粋さを妬んだ。
 対となり得る存在の先生と会話をするのは、少し苦痛だった。
 僕はこうはなれない。優しくもない、純粋でもない、まっすぐに物も言えない。

『白綾くんは強い人ですね。先生は、白綾くんみたいに頑張れないです』

 なのにそう言った先生が、今でも引っかかっている。
 だけど先生は悪くない、僕が思い込んでるだけだとも分かっていた。だから徹底的に、先生とは会わないようにしていた。
 先生を、責めたくなくて。
 ……でも僕は、やってしまった。先生に責任を押し付けようとした。
 一番、やっちゃダメなことを――。

「遥真くん……!!」
「っ!?」

 いつも飄々としている声が、今だけは必死だった。
 いつもうざったいと思っている声が、今だけは安心した。
 いつも、何を考えているのか分からない男の考えが。

「大丈夫、大丈夫だから……俺がいるから」

 今だけは、分かる気がした。

「くろ、でら……」
「よかった、先に着いておいて……っ、発作出ちゃいそうなの見えて……遥真くん、大丈夫?」
「あ、あぁ……だい、じょうぶだ、けど……」

 これは……どういう状況だ?
 過呼吸になりかけた僕に黒寺が駆けつけてきて、勢いのまま腕を回してきて……って。

「っ、黒寺っ……は、離せ……! もう大丈夫、だからっ……!」

 抱きしめられている。そう理解するまでに、10秒はかかった。
 いやいやいやっ、どうして抱きしめるって発想になってるんだこいつは……!
 発作を落ち着けようとしてくれたのは分かるけど、だからって抱きしめなくてもよくないか……!?

「黒寺……!」
「ごめん、もうちょっとだけ。落ち着いたのは分かってるから」

 分かってるなら離せ!
 言葉の代わりに腕に力を入れてみるも、回された腕の力が尋常じゃないほどに強くて、自分の腕は黒寺と自分の胴体の間に挟まっていて動かせない。
 ……やっぱり、分からない。こいつの考えてることは。

「今だけ、だからな」
「やった。……ありがと、遥真くん」
「……っ」

 こいつから名前を呼ばれるのも、嫌だった。呼ぶ声はいつも優しくて、自分との差に劣等感を覚えるから。
 でも今だけは、ほんの少しだけ……優しさ以外も混じっていたように思う。