僕の厄介ファンな黒王子

《気のせいだったら申し訳ないけど、今日のはるしろさん元気ない感じします。何かありましたか?》
「えっ……そ、そうですかね……自分ではそんなつもりないんですけどね。お気遣いありがとうございます」

 スパチャもありがとうございます、とお礼をしてから口角が引きつった。
 この雑談配信が始まってからというもの、声に張りがないのは自分が一番分かっている。
 久々の雑談配信だから、という理由もあるにはあると思う。
 だけど本当の理由は……黒寺のせい、だ。

『嘘じゃないって、本当のことだって言ったよね。だって俺、はるしろさんより先に遥真くんを好きになったんだから』

 つい数時間前の出来事は、僕を動揺させるのには十分すぎるものだった。
 あんなことを言われてなんでもなかったように振る舞えるほど、僕は出来た人間じゃない。
 結局ASMRで僕と同じように耳が肥えているであろうリスナーを欺けられず、苦笑を零して対応することしかできなかった。

《最近暑くなってきたから体調気をつけてね〜》
《はるしろさんいつも頑張ってるから休める時に休んでください》
《無理せずに、はるしろさんのペースでやってほしいです……!》

 つくづく、僕は人に恵まれていると思う。
 誰も僕を責めない。それどころか、今の僕を肯定してくれている人のほうが多い。
 これだから、ネットも活動もやめられない。
 ……でも、この配信を聞いているリスナーの中に黒寺もいるんだろうか。
 まだMoonNightからのコメントはないけど、どうしても黒寺の存在がよぎってしまう。
 元はといえば黒寺のせいだから、気にするのは仕方ないんだろうけど。

《今配信見てるけど、はる元気なくない? だいじょぶ〜?》

 リスナーに聞こえない程度の息を吐き出した直後、スマホに通知が表示される。
 通話アプリからの通知で、一緒に表示されていたのは《ほしみや》の文字。
 あの鈍感ほしみやにも分かるくらいなのか……もしかしたら、自分が思っている以上に今の声は気落ちしているのかもしれない。
 とりあえず返信は後だ。そしたらいつもみたいに通話をねだられるかもだけど、今日はそんな気分になれない。
 今は、黒寺の存在があまりにも大きすぎる。



「はい、これ今週の単位分のプリントと……あとテスト範囲も貰ったよ、ほら」

 担任の代わりに黒寺がプリントを届けに来て、そのまま居座る光景が当たり前になりつつある夕方のこと。今日は思わず顔をしかめてしまいそうになった。
 中間テスト、か……めんどくさ。
 勉強が嫌いなわけじゃないけど、できれば極力受けたくないのが本音。
 でもテストは受けないと本当にやばいし、いくら学校に行きたくないとはいえこの日ばかりは行かなければならない。

「……遥真くん、テストの日教室来れそう?」
「別室で受けるから行かない。受けるのも部活動がないテスト期間の放課後だし、他の生徒と一緒に受けることはない」

 以前、担任からこう言われたと母さんが教えてくれた。
 テスト期間は部活がない分生徒の帰宅が早まり、先生以外は学校からいなくなる。
 だからその時間帯でテストを受けよう、って話らしい。
 放課後のみの短時間だから、他の生徒よりも日数は多くなるけど。

「そっかー、来てくれると思ったんだけどなー」

 僕の説明に落胆した黒寺は、軽い口調のままそうぼやいた。
 そんなに僕が学校に行くのを期待してたのか、はたまた他の意図があるのか。
 それを知る由はないけど、僕が学校に行くことは世界がひっくり返ってもあり得ない。
 好き好んであんな場所に行くなんて、どうかしてるから。

『白綾くんも運が悪かったよねー。靴紐解けなかったら一位だったのに』

 笑い者にされた、あんな場所なんかに誰が行くかよ。

「……ねぇ遥真くん、俺と勝負しようよ」
「しない」
「つれないなぁ。遥真くんにも得がある勝負なのに」
「やらないって」
「いいじゃんやろうよー。だってこの勝負、負けたほうが勝ったほうの言うこと何でも聞くってやつだし。それでもやらない?」
「……仮に僕が勝ったとして、お前に『もう来るな』って行ったら来なくなるんだな?」
「もちろん、俺的には結構悲しいけど負けたら従うよ。仰せのままにーって」

 本当かよ。
 今までの言動から疑り深くなるのはおそらく必然で、にわかに信じられない話すぎる。
 けど本当に、こいつが勝負をちゃんと遂行してくれるのなら……乗らない手は、ないか。
 ……なんか、最近はこいつに乗せられてばっかな気がしてきた。僕がチョロいだけか?

「勝負の内容、言えよ」
「やったー、やってくれる気になったんだね」
「内容次第だ」
「大丈夫だって、普通にテストの点競うだけだから。合計点が高かったほうが勝ちで」
「……言質取ったからな」
「そんな警戒しないでよー」

 一応、スマホの録音アプリで取っておいて正解かもしれない。こいつ真顔で嘘吐きそうだし。
 思っていた以上にシンプルな内容に裏があるのかとも思ったけど、何故か楽しそうに目を輝かせている黒寺に疑うのも面倒になってきた。
 ……絶対勝ってやる。
 黒寺の頭がどれくらいいいのかは知らない。でも僕に有利な勝負なのは間違いなくて、今からガッツポーズをしたくなった。
 弱点とケアレスミスさえ気をつければ負けることはほぼないだろう、ってくらいには頭に自信はある。黒寺が満点を取ってきたら話はだいぶ変わるけど。

「じゃあ黒寺、手始めに明日からは来るな。誰かといたら勉強に身が入らないから」
「仕方ないなぁ。ま、俺も勉強は一人でやったほうが捗るし、遥真くんに言うこと聞かせられるなら我慢するよ」

 ……意外とあっさりだな、もう少し駄々をこねるかと思ってた。
 でもそれなら、明日から三週間は黒寺の相手をせずに済むってことだ。こんなに嬉しいことはない。
 正直、今でも黒寺といると落ち着かなくて仕方ない。何がどう落ち着かないのかはよく分からないけど、なんか落ち着かないからよかった。
 多分これも、この間の様子のおかしい黒寺のせいだ。
 黒寺を有無を言わせずに追い出せるように、しっかり詰めないと。



 そう勝負を始めた日から、嘘のように黒寺が来なくなった。
 2日に一回来るようなイカれた奴だったのに、それがぱたりとなくなった。
 そのせいか母さんからは「黒寺くんと喧嘩したの?」って聞かれるし、僕からしたらこれ以上ないほどに幸せなことだ。

「……はぁ」

 黒寺に勝つために活動の頻度も少し減らして、勉強に没頭するようになった。
 余計なことは考えず、構わず、黒寺にうちの玄関を潜らせないという目標を燃料にして、久しぶりにシャー芯のストックがなくなるまで。
 なのに、何故なんだろうか。

『遥真くん』

 自室に響く紙の音、シャーペンを走らせる音が止む度に黒寺の声が聞こえる気がしてならない。
 当たり前に気のせいなんだけど、頭を休ませるとどうしても聞こえてくる。聞きたくないはずの、ヘラっとした声が。
 いくら頭を振ってもエナドリを体内に入れても、呼吸以外の全ての音がなくなる度に囁かれているような気分になる。
 ……呪われてんのかな、黒寺に。
 ここまで来るとそうとしか考えられなくて、一週間後にはテストなのに知識がなかなか身につかない。
 本読もうとしても黒寺が知らない内に置いていった小説があるせいで、嫌なのに思い出すし。

「この時間ならいいか……」

 空は真っ黒。きっと誰も出歩いてない時間帯に、僕は少しだけ風に身を委ねたくなった。



 母さんにバレたら面倒だから、抜き足差し足忍び足を心がけて外に出る。
 普通に夜中だし、やばい奴とかいたら洒落にならないからちょっと歩くだけにしとこう。
 そう決めた矢先に、そいつはいた。

「うわ最悪、おにぃにバレた……どうしよ、とりま公園の土管に隠れとこうかな」
「…………あの」
「え? あぁ、ここの家の人? ねぇねぇ、よかったらちょっとだけ匿ってよ」
「いや、無理ですけど……」
「ほんとにちょっとだけだから! 庭でもいいからさ!」

 暗いからよく分からないけど、口調からギャルを感じる。多分ギャルだろう。
 身長は僕より低く、荷物らしい荷物を持っていない彼女は許可なしに庭に滑り込む。遠慮という言葉を知らないのか。
 まぁ「家に入れて」と言われないだけマシかと思うようにして、僕も動揺に庭に入ることにした。
 好き勝手されても困るし、風に当たることが目的だったからちょうどいい。

「十二時までいていい? いいよね!」
「……あんた、何歳だよ」
「中二、14だよ」
「中学生がこんな夜中にほっつき歩くなよ」
「でもあんただってさっき外出ようとしてたじゃん。あたしと同類〜」
「同類じゃない、僕は高校生だし」
「年は?」
「……15」
「やっぱ同類じゃん」

 ああ言えばこう言うを体現している彼女は、何が面白いのかあははっと笑う。
 ……そういえば、発作出てないな。同年代だと言うのに発作が出ないなんて珍しい。
 それに内心驚きながら、母さんに気付かれない程度の声で尋ねた。

「名前は?」
「あたし? あたしは夜那(よな)。苗字は特定されそうだから言わなーい。あんたは?」
「……遥真」
「ふーん、いい名前じゃん。遥真って呼んでいい?」
「呼びたければ」
「やったー! 連絡先交換しよ!」
「嫌だけど」
「何でよ」
「初対面だからだよ」
「それが何か? いいじゃん減るもんじゃないんだし」

 確かに減るもんじゃないけど……って、何で流されそうになってんだよ僕は。
 黒寺よりもグイグイ来るこいつは、おそらく黒寺以上に無遠慮だ。何がどうなったらこんな無遠慮な奴ができるんだよ。

「あ、今ため息吐いた。あたしのことウザッて思ったでしょ!」
「自覚あるなら静かにしろよ」

 心の中で吐いたつもりだったため息は、どうやらしっかりと出ていたらしい。
 ただでさえ釣り気味な眉毛をより釣り上げたそいつに、ハッと煽るように返す。
 だけどそいつ……夜那は急に眉根を下げ、正座から三角座りに座り直した。

「あたし、今学校行ってないんだ。不登校ってやつ」
「……いきなり何だよ」
「ただ愚痴りたいだけだから遥真は何も言わないでいーよ。それでね、無理やりぺかーってうるさくしてないと泣いちゃいそうなの」

 ほら、と言うように夜那の語尾は微かに震えている。
 何で僕にそんな話をするんだろう。何で見ず知らずの僕に、そんな身の上話をしたんだろう。
 言うの、辛くないのかよ。
 ぎゅっと口を噤んでいないと、そう言いそうになった。

「……こんな話、家族以外に初めてした。何でだろうね〜」
「お前が知らないんだったら僕が知るはずないだろ」
「確かに〜。でも多分なんだけど、遥真もあたしと同類だと思うんだよね。あ、夜中にほっつき歩いてることじゃないよ?」

 同類、か……ある意味、そうかもしれない。
 僕とこいつの性格は真反対だ、言動だって。けど“不登校”においては、同類だ。
 不登校の者同士だから、こいつと話していても発作が起きないのかも。

「……どうだか」

 だとしても、正直に答えたくはない。同類だったとしても。
 “認めてくれるかも”。そんなことを、期待したくないから。



「じゃ、いい加減帰るよ! また遊びに来ていい?」
「来るな、お断りだ」
「ちぇー。まーあたしあんま外出ないから来ないと思うけどっ」
「何なんだよ」
「でも今度会った時には連絡先教えてよねー!」

 嫌だ、夜那はその返事を待たずに夜闇に消えていってしまった。
 ……嵐のような奴だったな。ていうか補導されないのか、あいつ。
 夜那は一般的な女子中学生よりは細く小さく、変な奴に絡まれたら逃げ切れなさそう。
 って、いやいや、何心配してんだ。行きが来れたんなら帰りも大丈夫だろ。
 なんかあってもあの図太さで何とかしそうだし……寝るか。
 こんな都会の真ん中じゃ微かにしか見えない星空を見上げてから、母さんにバレないようこっそり部屋まで戻った。