僕の厄介ファンな黒王子

 母さんの急用とやらはどうやら夜までかかるらしい。つい数分前にその連絡が来た。
 いつもなら大して気にしない連絡に、今日ばかりは心の底から安堵する。
 何せ今、僕の目の前にいるのは……どう考えても不審すぎる男だから。

「なーに、はるしろさん。俺のことじーっと見ちゃって」

 常に弧を描いている薄い唇から紡がれる言葉は、どれも面白がっているよう。
 こんな奴と母さんと会わせることにならなくてよかった、と噛み締めるように何度も思った。
 だけど、こいつに長く時間を割いている暇はない。一刻も早くこいつの正体を知らないと。

「お前は、誰なんだよ」
「誰って……さっき言ったじゃん、はるしろさんと同じクラスの一般高校生だって」
「名乗れって言ってんだよ。あと活動名で呼ぶのはやめろ」
「やだよー、俺はるしろさんのこと大好きなのに」

 大好きなんだったら僕の気持ちを汲んでくれてもいいじゃないか。
 喋れば喋るほど不審さが目立つそいつを力強く睨んで、視界に入れまいと視線を外す。
 そんな僕が気に入らなかったのか、そいつは急にしおらしい声音で名乗り始めた。

「……名前は黒寺月騎(くろでらつき)。はるしろさ……じゃなくて、遥真くんとは今年から同じクラスになったんだよ。今日はさっきも言った通り、先生から直々にプリント配達を頼まれて来たって感じ」

 ほぼ初対面でいきなり名前呼びかよ……まぁ、はるしろって呼ばれるよりはマシか。
 それでもこいつ、黒寺がどんな奴でどうして僕がはるしろだって事実を知っているかはまるで分からない。
 ……それがすごく、気持ち悪い。
 配信者をしている以上こういうことは避けられないだろうけど、自分の知らないところで素性が知られているのは気分が良くない。
 黒寺も、黙っておけばいいものを。

「どこから、僕がはるしろだって知った?」
「単純な話だよ。俺がはるしろさんの大ファンだから」
「いつからだよ」
「ファン歴ってこと? はるしろさんのことは最初期から追ってるよ、“MoonNight”としてね」
「…………そうかよ」

 口先では、随分冷静に言えたと思う。
 けどさすがにこればかりは……動揺を隠せない。
 MoonNightさん。本当の本当の初期からいた、最古参ファンの名前。
 そのMoonNightさんが……こいつだって言うのかよ。

「証拠は?」
「証拠かぁ……俺のチャンネルの編集画面と、呟き用のアカウント見せたらいい?」

 「はいっ」と自信がある様子で見せられた画面の奥には、確かに本人しか操作できないものが表示されていた。
 アカウントも、僕がいつしか見慣れてしまったMoonNightさんのもの。
 信じられなくて証拠を求めたのはこっちなのに、信じたくなくて目を背けたくなった。
 ファンに家凸されたって……こんな不甲斐ない配信者がいるかよ。
 しかも、信じていたMoonNightさんに。
 ……なんて、勝手に期待してたのはこっちか。

「俺がファンってこと、信じてくれた?」
「……裏切られた気分だよ」
「え?」

 分かりやすく困惑している黒寺のこの顔も、今は信じられない。
 やっぱり、いい人には裏がある。MoonNightさんの丁寧なコメントにも、僕に寄り添って助けてくれた姿にも、こんな裏があった。
 根っからの善人なんていないって、思い知らされた。
 まだ、何で白綾遥真という人間とはるしろという配信者が同一人物だって特定したのかは謎だ。
 でももう、何も聞きたくない。何も知りたくない、知らないままでいたかった。

「っ、はるしろさん!?」
「今すぐ帰れ。もう一秒たりともお前の顔なんて見たくない」

 劣等感やら現実逃避やらに苛まれ、ほとんど衝動的に黒寺の腕を引っ張っていた。
 顔を見ることもなく勢い任せに玄関まで連れて、先に靴を履いて扉を開ける。
 一刻も早くこいつと離れたくて、こいつが何もかもを知っているかもと考えたくなくて。

「お前なんて、きら――」
「遥真? 玄関で何してるの?」

 だけど、予想だにしてなかった人に見られてしまった。

「そっちの子は……遥真のお友達?」
「かあ、さん……」

 この世には、神も仏もいないらしい。もっとも、いたとして僕の味方をしてくれるとは到底思えないけど。



「母さん、今日夜までかかるって言ってたじゃん」
「それがね、やっぱり大丈夫って言われたのよ。それで遥真に連絡入れたけど、全然既読つかなかったから何かあったんじゃないかって思って急いで帰ってきたの」

 タイミング悪く母さんに現場を見られたことで、再び黒寺を家に招き入れることになってしまった。
 黒寺が僕の通う高校と同じ制服を着ていたせいで母さんに友達と思われ……と、散々な状況に。

「それにしても、黒寺くんって優しいのね。プリント持ってきてくれただけじゃなくてお菓子まで貰っちゃったわ。遥真にあんないい友達がいたなんてね」
「だから友達じゃないって。あいつとは今日初めて話したし、先生に頼まれたって言っただろ」
「それでも優しい子なのには変わりないじゃない。黒寺くんのこと、大事にしなさいよ」

 誰があいつを大事にするかよ。
 言葉にはしないものの、そう悪態を吐かずにはいられなかった。
 頼まれ事だとは突然家に押しかけてきて、無遠慮に活動名を出してきて、挙げ句僕の部屋にまで上がり込んできて。そんな奴を優しいなんて、母さんの感性は少しおかしいと思う。

「黒寺くんの口に合うか分からないけど、これ持って上がりなさい」
「……これ、母さんが大事に取ってた茶葉じゃん。別にあいつには麦茶でいいのに」
「ダメよそんなの。遥真の友達なんだからもてなしたいの」

 だから友達じゃない……そう否定するのも疲れてきた。
 はい、と渡されたお盆の上には僕と母さんの好きな紅茶が入ったカップが二つと、仕事先に配って余ったクッキーが乗っている。
 本当は今すぐにでもあいつを追い返したいけど、母さんがこんなにも声を弾ませているのは初めて。さすがに気が引けて、下唇を噛んでその気持ちは押し殺した。

「あっ、遥真くんおかえり」
「……何勝手に見てんだよ」
「見つけちゃったから見てただけだよ、はるしろさんにとって大事な台本には触ってないから安心してほしいな」

 お前がいること自体が安心できないんだが。
 一度は落ち着いていた苛立ちがまた増していくのを感じつつ、お盆を近くのテーブルに置く。
 そして黒寺の目の前にあった散乱している台本を、奪うように自分の腕に収めた。
 こいつって本当に遠慮を知らないんだろうな……知人と思うのも嫌になってくる。

「そこの紅茶飲んだら帰れ」
「分かったよ。遥真くんに嫌われちゃったら嫌だし」
「もう嫌ってる」
「そんなー」

 紅茶の置いてあるテーブルの前で足を崩し座った黒寺は、大人しくカップを持ち上げた。
 その姿はさながらヨーロッパ辺りにいそうな王族で、おかげで劣等感がより強くなった。

「ねぇ、遥真くん」
「何だよ」
「何で学校来ないの? 単位とか危なくないの?」

 よくもまぁ直球に言えたもんだ。こいつの頭は一体どうなってんだよ。
 そんなこと聞かれて素直に答える馬鹿はいないだろ、とため息を吐く。

「……言う義理ないだろ」
「俺に関係ないことだから?」
「分かってるならわざわざ言うな」
「わー冷たい。でもそういう遥真くんも嫌いじゃないよ」

 紅茶を嗜みながら、にこっと笑いかけて言う黒寺。
 何だこいつ、遠慮がない上にかなり気持ち悪い奴になってきてないか。
 嫌いじゃない……って知ったような口を利くなよ。
 本当に、どれだけ気分を逆撫ですれば気が済むんだ。

「僕のことなんか何も知らないだろ」
「……」
「お前が何様でいるのか知りたくないけど、僕のファンだっていうなら節度を持って――」
「何も知らないことないよ。俺は遥真くんがだーい好きだから、全部知ってるよ」

 ……ダメだ、こいつの言うこと全てに耳を貸していたらおかしくなる。
 イケメンは変人が多いってほしみやが言ってたけど、まさか痛感するとは思ってなかった。
 やっぱりさっさと帰らせよう。これ以上こいつの戯言には付き合いきれない。

「飲んだんなら帰れ、早急に」
「嘘だと思ってるでしょ」
「そりゃ」
「酷いなー、本当のこと言ってるのに」
「そう聞こえないから嘘だって思ってるんだよ」
「じゃあどうしたら信じてくれるの?」
「どう言われたって信じないって」

 遠慮がない上に諦めもないのか、こいつは。
 自室の扉を開けてからうだうだ言っている黒寺を無理やり立たせ、強制的に階段を降りさせる。
 こうでもしないと、こいつ夜まで居座りそうだし。

「黒寺くん、もう帰るの?」
「僕が帰らせたいんだよ。こいつ話通じないから」
「こら遥真、そんなこと言わないの」

 黒寺に靴を履くよう促していると、晩ご飯の準備をしていた母さんがやってきた。
 母さんは僕を軽く叱った後、案外素直に靴を履き終えた黒寺に視線を移す。

「今日は来てくれてありがとうね、黒寺くん。あと、遥真が失礼な態度ばかり取ってごめんね」
「いえいえ、気にしないでください。いきなり来た俺も悪いので、遥真くんを怒らないであげてください」
「……そうね。遥真も楽しそうだったし、黒寺くんが良ければまた来て遥真の話し相手になってくれないかしら?」
「え、ちょっと母さん何言ってんだよ……!」

 黒寺がまた来る……こんなやばい奴とまた話さなきゃならないのはもう嫌だ、こりごりだ。
 今だって嫌だから帰らせようとしてるのに、母さんは何を考えてるんだ。
 苛立ちをぶつけるように母さんを見ると、母さんは何故か微笑んだ。

「お母さんには遥真が楽しそうに見えたの。だから……いいかしら、黒寺くん」
「……もちろんです。俺、遥真くんのこと大好きなので毎日でも来たいくらいです」
「あら、毎日来てくれてもいいのよ?」
「ほんとですか? じゃあまた明日来ますね」
「えぇ、遥真と一緒に待ってるわ」

 母さんと黒寺によって勝手に話が進んでいる横で、僕は母さんの言葉の意味の理解に苦しんでいた。
 楽しそう……どこをどう見たらそう見えたんだろうか。一瞬たりともそんな感情は湧いてこなかったのに。

「それじゃあね遥真くん。明日もお邪魔するから待ってて」
「来るな」
「遥真ってば……」

 母さんに認められたのが相当嬉しいのか、満面の笑みで玄関を通って帰った黒寺。
 その背中を呆然と見つめながら思ったのは、ただこれだけ。
 ……――最悪だ。



 そして宣言通り、黒寺はほぼ毎日うちに来るようになってしまった。望んでもないのに。

「遥真くん、これ学校で配られたプリント」
「……いらない」
「じゃあ貰っていい?」
「何でだよ」
「一度遥真くんの手に触れたものだから保管しとく」
「返せ」

 ただのプリント一枚で、とんでもなくキモいことを言ってくる日もあれば。

「今日マフィン持ってきたんだけど食べる?」
「食べない、帰れ」
「えー、せっかく遥真くんが好きなチョコチップいっぱい入れたのになー」
「おい、何で好み把握してるんだよ」
「初期の配信の時に言ってたじゃん、俺記憶力いいんだよね」
「……マフィンだけ貰う」

 自分でも覚えてない発言を掘り起こされ、平然とやばさを見せてくる日もあった。

「遥真くんってゲームする?」
「しない」
「そっかー……じゃあ一緒にしようよ。ほのぼのゲーム持ってきたから」
「お前とはやらない」
「遥真くんに拒否権はありませーん。はい、コントローラー」
「……黒寺、これホラーゲームだろ」

 普通にゲームして終わっただけの日は、終始何考えてるか分からなくて怖かった。

「……飽きないのかよ」
「え? 何に?」
「僕と……話すことだよ。うちは学校から近いわけでもないし、何が楽しくて来てるんだよ」

 今日で二週間。黒寺が放課後うちに来るという恐怖は、何故か二週間も続いている。
 いつしか悪態を吐く気も失せて、今ではなんかもう普通に迎え入れている。
 だから、聞かずにはいられなかった。何で僕と関わりたがるのか。
 僕が、黒寺が好きなはるしろだからって理由が大きいんだろうけど……それだけで二週間も飽きもせず来るのは変態の域まで来てるんじゃないか。
 いやまぁ、最初から変態寄りではあったけど。

「遥真くんと話すのが楽しいから来てるに決まってるじゃん」
「嘘が上手いんだな」
「だーかーらー、嘘じゃないって」
「どうだか。どうせ僕が、“はるしろ”だから好きなんだろ」

 未だに、黒寺がどうして僕とはるしろが同一人物だって知っていたのかは分からないまま。
 それは単純に、ただでさえやばい奴なのにもっとやばい発言が出てきそうだなって怖気づいているから。
 家に押しかけてきたあの日から無遠慮な男だ。そんなのを聞いてしまえば何が返ってくるか分かったもんじゃない。

「……違うよ」

 僕の投げやりな呟きに対して、返されたのはいつもより低い声。
 ほぼ毎日話しているからか、嫌でも黒寺の様子が変なことに気付く。

「黒寺――」
「前も言ったよね、俺。遥真くんが大好きだって」
『何も知らないことないよ。俺は遥真くんがだーい好きだから、全部知ってるよ』

 確かにその言葉は前も聞いた。黒寺が家に押しかけてきた、あの日に。
 けどあれはその場のノリっていうか、おちゃらけてた感じだったし嘘だって信じて疑わなかった。
 それは今でも、なのに。

「嘘じゃないって、本当のことだって言ったよね。だって俺、はるしろさんより先に遥真くんを好きになったんだから」
「…………っ、は?」

 いつもと変わらない自室で、黒寺が押し付けてきたマンガをなんとなく読んでいて、いつの間にか肩を並べて体育座りでいて。
 でもこいつの……黒寺の目だけが、違って。
 本気だって、嘘じゃないって、信じてって訴えてる目をしてて。
 好き、って。

「……嘘、やめろって何回も言ってるだろ。お前の頭には脳みそ詰まってないのかよ」
「遥真くん前より酷くない?」
「事実を言ってるだけだ」

 ……よかった、こいつのペースに流されずに済んだ。
 絞り出したいつもの悪態で難を逃れて、久しぶりにほっと胸を撫で下ろした。
 嘘……というか、ハッタリだろうな。黒寺はきっと、調子のいいことを言ってるだけだ。
 そうに、決まってる。