僕の厄介ファンな黒王子

《いいないいないいな~~~!!! 滅多に人に興味示さないはるがイケメンって言うくらいのイケメン、私も会ってみたかったぁ~~~!!!》

 時刻は午前5時。目に見えて夜が明けていくこの時間帯に、僕はある奴の叫びを聞きながらASMR用の台本をせっせと書いている。
 さっきから放ってるってのに、何回同じことを言ってんだろうこいつ。
 いい加減飽き飽きしてきたそいつの態度を制するように、数分ぶりに声を発した。

「ほしみや、何回同じこと言えば気が済むんだよ」
《あーっ! 薄情はるしろ出た~! ほんっと猫被りなんだからっ》
「話逸らすなよ。それに僕も会えないだろう奴に、いくらほしみやが言っても会えるわけないし」
《夢がないなぁはるは! ていうか、元はと言えばはるが話してきたのが悪いよ! そんな運命的な出会い、私がいじらないとでも思ってるの?》
「そのまた元を辿れば、ほしみやが面白い話しろって言ったから悪い」
《責任転嫁だぁ~!》

 さっきから……いや、通話初めからずっとこのテンションでうるさいこいつは、唯一のネッ友のほしみや。
 同い年で不登校だったけど今は通信制に通っていて、絶賛オタクライフを満喫中らしい。
 ちなみにASMRを勧めてきたのも、こいつ。

『はる、声良いからASMRやってみたら?』

 それを聞いた時、何言ってんだこいつとしか思わなかった。
 ほしみやとは不登校になる前からの仲で元々ぶっ飛んだ奴だとは思ってたけど、ここまでだったとはって感じで。
 機材もなければ意欲も技術もない。こいつは僕の何を見て、ASMRなんてものを提案したんだろうという不信感しか抱かなかった。

『はるは可愛い系の声だから、年上をターゲットにした後輩系のセリフが映えると思う!』
『機材がない? そんなの最初はやっすいのでいいよ! 私が言うのもあれだけど、高いのだともしファンがつかなかった時にもったいないじゃん。パソコンあるんだったらマイクだけ買お!』
『動画なら私作るよ! よく推しの非公式のMVとか作ってるし! 言い出しっぺは私だしむしろ作らせて!』

 だけど、勢いに押されてほとんどほしみやに流されてセリフを録った。
 それが運よくたくさんの人に見つけてもらえて、ないと思っていた承認欲求が満たされて、声とセリフを褒められる度に次もやりたいって思って……ASMR配信者“はるしろ”が誕生した。
 はるしろとして活動している時はリアルへの不満や苛立ち、情けなさを感じなくて済む。現実を見なくても生きていられる。
 だからほしみやには多少なりとも感謝はしてる……けど、このうるささはもう少しどうにかしてほしい。

《ねぇねぇはるってば~! ちょっと聞いてる~⁉》
「……」
《え、無視⁉ やっぱりはるは薄情だぁ~!》



 結局、ほしみやとの通話を終えたのは完全に太陽が昇りきった7時。
 しかも散々喚いたくせに、《眠たくなったから切るね~バイバイ!》ってあっけなくあっちから切ったし。
 ちなみにほしみやがあれだけうるさかった理由は、僕が昨日会ったイケメンのせい。
 こっちは何となくで話しただけなのに、二時間以上も騒ぐとは……女子の体力ってすごい。
 僕には一瞬でも騒げる体力ないのに、とため息を吐きながらパソコンの電源を落とす。

「遥真、起きてる?」

 直後、軽いノックと共に母さんのくぐもった声が聞こえた。

「お、起きてるけど」
「……ごめんね、こんな朝早くに。ちょっと遥真に頼み事があって」
「何?」

 恐る恐るという様子で顔を見せた母さんの表情は、申し訳なさそうなもの。
 ……母さんは僕と話す時、大抵こんな顔をしている。
 でも本当は、僕がするべき顔だ。申し訳ないのもいたたまれないのも、全部僕なんだから。

「今日の夕方くらいにお母さんが頼んだものが来る予定なんだけど、ちょっと急用が入りそうなのよ。だから代わりに受け取っておいてくれない?」
「……分かった」
「あ、ありがとう遥真! それじゃあお母さん、仕事行ってくるわね」

 いってらっしゃい、そう言葉をかける前にそそくさと扉を閉めた母さん。
 きっと気を遣ってすぐに出て行ったんだろうな、僕が一人でいたいと思ってるだろうからって。
 それはあながち間違いじゃない。なんだかんだ言って、一人でいるほうが楽だし。
 けど……それだけの気持ちを抱えてるわけじゃ、ない。
 僕だって、ちゃんと面と向かって話をしたいのに。

「はぁー……馬鹿かよ」

 どこまで他責思考でいれば気が済むんだろう。母さんが一方的に話を切り上げたから話せなかったとか、申し訳なさそうな母さんの悩み事を増やしたくないとか。
 母さんのせいにしたいわけじゃないし、自分が馬鹿なのも分かってる。
 馬鹿すぎて……消えてしまいたい。



 ――ピンポーン
 そんな、鈍いチャイムの音で目が覚めた。
 っ、やばい、寝落ちしてたのか……。
 母さんと話した後、確か今日の動画投稿の告知とファンアートにいいねしてから、何か食べようと思ってリビングに行って……そこから記憶がない。
 浅い眠りだったのか軽い頭痛と吐き気を催すも、来客を無視することはできない。
 リビングの床からぐっと体を起こして、文字通り頭を抱えつつ玄関の扉を開く。
 あ……ていうか、インターホン確認してなかった。まぁいいか、どうせ母さんの荷物だろうし。
 仮に不審者だったとしても、そこそこ図体でかいから自衛くらい……できるか。

 それが、間違いだった。

「あれ? 危ないじゃん、せっかくモニター付きのインターホンがあるんだから使いなよ」

 どう考えたって宅配業者の言葉じゃない、不敵に口角を上げている男がそこにはいた。
 微かな光も通さないような黒髪、何を考えているか分かったもんじゃない目、僕より背伸び分高い身長。
 こんな奴は……知らない。

「すみません、お引き取りくださ――」
「まだ用件も言ってないのに酷くない? 大丈夫だよ、泥棒じゃないから」

 泥棒じゃない、そう言いながら閉めかけた扉に足を滑らせて阻止してくる奴のそれを信じられるか。
 狭くなった隙間から見える男は僕の動向に一切動じることなく、むしろ楽しんでいるような気さえする。
 ていうか……こいつ力強すぎだろ。足の力だけでこじ開けようとしてきてる。
 僕と図体そんなに変わらないはずなのに、本当に何だこいつは。

「あの、ほんとにやめてください。警察呼びますよ」
「えー、俺そんなやばそうに見える? 一応『優しい人だね』って言われるくらいには優しいんだけど」
「優しいように見えないし普通にやばい人なので帰ってください」
「でも優しくないなら道端で過呼吸になってたキミを助けたりしないよ?」
「……は」

 間抜けな、言葉になっていない言葉が唇の隙間から漏れた。
 まさか、この男。

『じゃあ今度、どっかで会った時にお礼してよ』
「思い出した? あの時言ってた今度、今日だったね」

 意識して聞いてみれば声質が同じだ。ASMRのせいで耳が肥えてしまったから間違ってないはず。
 突然のカミングアウトに動揺して力が抜け、男の力によって再び開かれる扉。
 ……確かに、あのイケメンだ。
 あの時は思考が回らない中でも顔面の強さと声だけは覚えてるから、一度視界に入れてしまえばそれ以上の確認はいらない。
 いやいや、だとしても。

「じゃあ何で家まで来てるんですか。お礼でもせびりに来たんですか?」
「んなヤクザみたいな、違うよー。来たのは“これ”、渡すため」

 これ……男が指すそれは、いつも担任から貰う単位のためのプリントだった。
 たった一枚。でも不登校の僕にとって、その一枚の価値はそこそこ高い。
 来た瞬間から表情が変わらないそいつはプリントをひらひらさせてから、僕の右手首を掴んで強引に渡してくる。

「先生が渡し忘れたーって嘆いてたから俺が届けにきたんだよ。言ったでしょ、泥棒じゃないって」
「……お前、何者だよ」
「え? キミと同じクラスの一般高校生だけど? 俺たちクラスメイトじゃん、忘れちゃったの?」

 さも当たり前かのように答えられたその内容に、眉間に皺が寄っていくのが分かる。
 そんなこと、いちいち覚えてるわけがない。
 僕が高校に通ったのは最初の1カ月だけ。加えて通っていた期間も毎日を生きるのに必死で、クラスメイトを覚える余裕は持ち合わせていなかった。
 だからサラッと言われても、分かるわけない。

「帰れよ。今すぐ、回れ右して帰れ」
「何で? せっかくだしちょっとお話しようよ」
「今まで話したこともないのに、今更話すことなんてない」
「話したことない? あるじゃん、話したこと」
「は?」

 僕とこいつが? 男女から人気ありそうなこいつと、僕が?
 あるわけない。何を寝ぼけたことを言っているんだろうか。
 ……僕を、馬鹿にしてるのか?
 やっとしっかりしてきた頭の中はすぐに苛立ちで埋め尽くされ、扉を閉めてしまおうと再びノブに手を伸ばす。
 そして何食わぬ顔で男が、口にした。

「今日のASMRも楽しみにしてますよ、“はるしろ”さん?」
「…………へ」

 また、間抜けな言葉が出た。まだ二度目だけど、こいつといると間抜けなところしか晒さない気がする。
 親にも必要最低限しか話していないそれを、遠く離れている場所にいるほしみやしか知らないそれを、リアルの誰も知らないそれを。

「はるしろさん、少しお話しません?」

 何でこいつは、知ってるんだ。