僕の厄介ファンな黒王子

『白綾くんのせいで負けたよね、リレー。別に勝ち負けとかどうでもよかったけど、どうせならリレーも一位でゴールしてほしかったな~』
『まぁ確かにな……白綾があそこでこけなかったら完全勝利だったわけだし』
『だから別の人にしよって言ったのに。ただ足が速かったってだけで選ばれて、鈍臭いのにみんな悪ノリして。白綾、ある意味かわいそー』

 二年前、中学二年生の時にそのトラウマはできた。
 学生生活を送る奴なら誰でも胸が高鳴るであろう体育祭。僕はそれを最後の最後で台無しにした。
 それだけであれこれ文句を言われ、笑われ、触れる空気は最悪に濁って。
 日を追うごとに学校への足取りは重くなり、校舎を見ただけで過呼吸になり。
 ついには、学校に行かなくなった。俗に言う不登校の完成。
 そして今、どうしているのかというと。

「今日は前々からリクエストされていた、後輩ものの台本を書いたり集めたりしてきたので……ひだまりの皆さん、覚悟しててくださいね?」

 ……――僕は、ASMR配信者になっていた。



「今日の配信はこれでおしまいです。来てくれてありがとうございました」
《えー、もう終わりー?》
《今日もサイコーでした! もうはるしろさんがいないと安眠できません!》
《無理しない程度に毎秒配信してほしい》
「あはは、また来週配信するので安心してください。僕も皆さんとお話できるの、いつも楽しみにしているんですから」

 暗い部屋の中に間接照明が一つだけ。目の前にはバイノーラル用のマイクがあって、コメントを拾いながら撫でる。
 この時間はみんなが僕のことを認めてくれる瞬間だから好き。僕しか見てなくて、たくさん僕を求めてくれるから好き。
 だからいつも、ヘッドホンを外すのが惜しくなる。

「では……おやすみなさい、いい夢を」

 恒例の挨拶を口にしてから、一時間半の配信を終える。
 そしてすぐ部屋の電気を灯し、スマホに手を伸ばした。
 配信直後のエゴサーチは必須。僕に対しての賞賛ばかりで埋め尽くされる画面を眺めるのは、実に気持ちがいい。

《今日の台本、はるしろさんの自作だったらしいけどまっっっじでよかった。臨場感ぱない》
《俺、来世でははるしろの部屋の壁になりてぇ。あの声一生聴いてたい、社会に揉まれた俺の唯一の癒し》
《はるしろさんやっぱり後輩系上手いよねぇ。リアルにあんな後輩いたら心臓足りないわ》

 【#はるしろおやすみ】でヒットした呟きに一つずついいねを付けていくと、満ち足りた気分に陥る。
 叶うならば一生、配信業だけやって生きていきたい。ガチ陰キャだからネットの海でしか息できないし。

《相変わらずはるしろさんの声、一級品でした。でも頑張りすぎて体を壊さないでほしいです。はるしろさんは俺の希望なので》

「あ、Moonnight(ムーンナイト)さん今日もいたんだ」

 コメント、今日はしてなかったから分からなかった。
 Moonnightさん。この人は、僕がASMR配信を始めた頃から応援してくれている最古参のリスナーの一人。
 配信すらよく分かってなかった頃のリスナーだから覚えてしまっていて、自然と頬が緩む。
 たまに古参を盾に繋がろうとDMしてくるリスナーがいるけど、Moonnightさんはそういうことを一切してこない。
 むしろ配信コメントも呟きも一貫して敬語だし、ちゃんと距離感を守ってくれていて保護者のように感じている節がある。
 最古参はもうMoonnightさんしか残ってないから、逃げられないように大事にしないと。
 もちろん、他のリスナーも逃がすものかとは思ってる。
 この人たちがいなくなったら……なんて、考えるのはよそう。

「……勉強、するか」



 白綾遥真(しらあやはるま)、高校一年生。好きなもの嫌いなもの特になしの、圧倒的陰キャ。
 けどネットでは“はるしろ”って名前で好きなようにやってる、社会不適合者でもある。
 配信は元々仲の良かったネッ友の提案でやり始めて、謎に上手くいって収益化までしている。

 学校には行っていないし行く気もない。勉強だけは将来の為だけに独学でしているけど、つまらなくて放り出しそうだ。
 ……いや、いっそやめてしまおうか。行くだけで拒否反応が出る場所には、どんな状況になっても行きたくないし。
 現代は通信制だとかもあるから、単位も終わってるだろうから……考えるべきだな。
 そのほうが親も安心する、と思うし。



「……っ、いてて……」

 体痛い……最悪、勉強の途中で寝落ちしたのか……。
 随分深く眠っていたのか、深夜二時だった真っ暗な空はすっかり明るくなっていた。雨降ってるから言うて明るくはないけど。
 
 とりあえず顔洗って、歯磨いて、母さんに挨拶しないと。
 スマホで時間を確認してため息を吐いてから、自室の扉を開ける。
 その直後に階下から、足を止める会話が聞こえてきた。

「遥真くんの様子はどうですか?」
「……元気にしています。ただやっぱり、学校に行くのはまだ難しそうで……いつも浮かない顔をしています」
「そうですか。それが分かっただけでもありがたいです。僕も遥真くんを無理に学校に通わせようとは思っていませんし、何かあればまた教えてください」
「はい、ありがとうございます」

 ……この声、担任か。単位のための今週分の課題を持ってきたのか。
 遅れて母さんの声も届いて、行き場のない不安を隠しきれていない声音だった。
 そりゃあそうだ。一人息子がこんなになって、迷惑だと思わない親はいないだろう。
 今の僕は、随分なお荷物だ。

「母さん……おはよ」
「っ! は、遥真おはよう。さっき先生が来てて……これ、課題だって」
「ありがと。あと、いつもごめん。担任の相手、させて」
「いいのよ。……遥真に無理させたくないもの」

 課題を僕に渡した母さんは会話を終えてすぐ、気まずいような表情でキッチンに戻っていく。
 その背中を見つめながら、ぐっと下唇を噛み締める。
 僕は弱い。惨めで未熟で自分の世話すらできずに、親の脛を齧っている。
 でも誰も、僕を責めたりはしない。それが益々惨めに感じて、進退どちらもできていない。
 ……こんなの、他責でしかないけど。

 ――ブーッ、ブーッ

「うわっ、びっくりした……って、あー……そういや今日だったなぁ……」

 すっかり忘れていた。今日がメンタルクリニックの受診日なことを。
 あらかじめ設定していた予定表の通知の音がでかくて、すぐ現実に引き戻される。
 面倒だけど行かないと父さんに怒られるし、歩いてちょっとだし……。
 はぁ……と再びため息を吐き出した僕は、さっさと準備をして家を出ることにした。



 夏間近の6月中旬の今日の気温は、比較的涼しいと思う。
 久々に外に出たからこの感覚が合ってるのかは……正直、分からない。

「次どこ行くー? あたしお腹空いたー」
「確かに。麻辣湯食べいこ」
「えー、だいぶ歩かなきゃじゃん。行くけどっ」

 曇っている空をぼんやり見上げながら、路地から交差点に踏み出しかけた瞬間。
 人通りがさほどない道を選んだのに、どこからか甲高い会話がした。

「っ……う、はぁ……は、ぁ……」
『白綾くんのせいで』
『可哀想な白綾』

 それがトリガーとなって、反射的に口を押さえる。
 息がしづらい。何も考えられない。足が、手が、意味もなく動く。
 やばい。どうしよう。誰もいない。誰も助けてくれない。とにかく落ち着け。
 ……そう思うのに焦りとトラウマだけが、脳内を埋め尽くしていく。

 違う、違う。さっきの人たちは全然知らない人だ。僕を知ってるはずない人たちだ。
 なのにやっぱり、声が似てるだけで……ダメだ。

「はぁ、はぁ……っ、きもちわる……」
「――キミ、大丈夫?」

 パニックに加え自己嫌悪に陥ったところで、真正面からそよ風に似ている声色がした。
 どうすればいいか分からない、一人ぼっちで死にかけの僕。
 そんな僕の視界に入ろうとしゃがんだ声の主は、声通りの人物で。

「呼吸、落ち着けよっか。ほら吸ってー……吐いてー……」
「むり……でき、ない……っ、はぁ……っ」
「大丈夫だよ、落ち着くまで俺がいるから。ふーって、ゆっくり吐いてみて」
「はぁ、はー……うっ」
「そうそう上手、焦らなくていいからね」

 ぐちゃぐちゃな思考の中に、少しずつ彼の声が届く。
 一人じゃない。焦らなくてもいい。他人からそう言ってもらえるだけでも、こんなに安心できるのか。
 心地よくて、青空が広がっていそうだと錯覚するほどの、澄んだ声。
 あと……好きな声だな、って思った。

「……すみま、せん。迷惑かけ、て」
「ううん、気にしないで。少しは落ち着いた?」
「おかげさまで……ほんと、ありがとうございます」
「どういたしまして」

 額から伝った汗を袖で拭いつつ、助けてくれた彼に頭を下げる。
 その時に顔が見えたけど、なんかすごい……イケメンだった。
 イラストがまんま三次元に投影されましたよと言われても違和感ないイケメン。本当にこの世の人間か?と疑いたくなるほどのイケメン。
 ……こういう人は、僕みたいに堕ちないんだろうな。
 そう感じてほんの少しだけ、羨ましくなった。

「あの、お礼したいんで連絡先とか、教えてもらっていいですか?」
「ん? お礼なんていらないよ、俺が勝手にやったことだし」
「いや、でもそれは……」
「えー……本当に大丈夫なんだけどなー」

 うーんと困ったように顎に手を乗せたイケメンを見ていると、罪悪感が更に膨れ上がった。
 いいって言ってるんだからしないほうがいいのか……?
 けど相当迷惑かけたし、何もしないってのはなし……だよな、流石に。
 そうだとしてもこっちから押しまくるのって、大丈夫なのか……分かんなくなってきた。
 
「じゃあ今度、どっかで会った時にお礼してよ」
「え?」
「あ、ごめん。そろそろ行かないとだから、じゃあねっ」

 唐突に言われた、今度という提案。
 それだけ言った当の本人は微笑んだかと思うと、急いだ様子で行ってしまった。
 ……なんか、ずっといい人だった。
 ああいう人に限って腹黒いとか、トンデモ要求をしてくると思ってたけど……ただの酷い偏見だった。
 いやまぁ、もしかしたらそういう人なのかもしれないけど。

「今度、か」

 こんな広い世界だ。今度なんて、きっとないだろう。
 彼のおかげですっかり落ち着いた僕は、また発作が起こらないように早足で病院へ向かった。