「その件ですが……お父様、そのお金はどこから出たものだったのですか。お父様が継いでから会社は経営不振だと母は言っておりました。当時も今も、清須川家には身請け金を払う余裕などありはしないというのに」
「は……? け、経営不振?」
千代の言葉を聞いた二井子爵の顔から、怒りが抜け落ちた。しかし、目も口も痙攣しており、もはやどのような感情を持てばいいのかわからないのだろう。
「ご存知ありませんでしたか? 今の清須川家は、祖父の代で貯めた資産を食い潰しながら生きながらえている状況ですよ。取引先もどんどんと減っていますからね」
知らなかったかと聞いたものの、父が彼に何も伝えていないのは把握済みだ。
「し、しかし! この豪勢な披露宴は清須川家が――」
「元は、一乗家からのお金です」
空気が凍り付く。
「私が夫に嫁ぐ際にいただいた結納金を、父は私の祝言ではなく妹のために使ったのですよ」
二井子爵が信じられない者を見る目で、顔を背けている父を見ていた。
周囲も「あまりにもひどい」「恥知らず」などと、聞こえよがしな声でざわつく。会場中から父に批難的――いや、軽蔑の目が向けられていた。
父の顔に滲んでいた脂汗が、ダラッと滑り落ちる。
二井子爵は汚いものに触れたかのように、押すようにして父の胸ぐらから手を離した。
崩れた胸元を整える父の手は震えており、実に憐れだ。かといって、同情はまったくしないが。
「清須川の旦那も、よくそんな危ない経営状況でやったよなあ。自分の子かもわからねえってのに。釈迦にでもなろうってのかい?」
桑田の物言いはいちいち皮肉がきいている。
この父が釈迦になれるのなら、今頃世の中は極楽浄土だ。
「なっ、何を言うか! 茜は私と朱蝶の子だ……っ」
「あっはははは、いいねえ! 骨の髄まで娼妓にしゃぶられてらあ。あのなぁ、花街ってのは夢うつつなんだ。そこで交わされた言葉を、お天道(てんと)さんが昇っても胸に抱えてちゃいけねえよ、旦那」
笑いながら言う桑田に比べ、父も茜も顔から血の気が引いて、口を動かす気力もない様子だった。父に至っては目がうつろになってきていた。ふらふらと身体が揺れ、卓の上を迷子のように視線が彷徨っている。
「茜は誰の子かわからねえよ。母親ですらわかってなかったんだからな。あと、その母親だが、どこぞの男と駆け落ちしたぞ。追っ手が掛かったからなあ……今頃どうなってるのやら」
「こ、この娘を……茜を、朱蝶は迎えに来るんじゃ、ないのか……?」
「来るわきゃねーだろ。自分で捨てていったのに」
「捨て……」
どっ、と父が膝を折った。
「私は……いつか連絡が来ると……だから、新聞の通信欄も毎日確認して……」
「ははっ! 八年も!? 健気だねえ」
四肢を床について項垂れる父を心配する声は、ひとつもない。
あれだけ可愛がってきた茜でさえ、立ったまま床で項垂れる父を見下ろしている。
「清須川さん、どういうことなんですか!? 金がないって……それじゃ困るんですよ!」
「そんなはずない……そんなはず……」
二井子爵が父に駆け寄っていたが、掛ける言葉を聞くに、心配からではないのは明確だった。床で膝をつく二家の当主に、皆が可哀想な者を見るような目を向けていた。
今や誰も、今日この場がめでたい披露宴会場だったなど、覚えてはいないだろう。
「二井家は土地を売るほどに窮状が良くないのは知っていましたが……この様子を見るに、結構危ういようですね。清須川家の資産をあてにしていたようですし」
雪人は足元で繰り広げられる醜い言い合いを睥睨し、独り言としてはやや大きすぎる声で、二井家の窮状をツラツラと述べていく。
「なぜ、維持が大変な別邸にわざわざ勇一郎様ひとりを住まわせ、残されているか不思議だったのですが……売るに売れなかったんですね。確かに、売ったら金がないと言っているようなものですし。だけど……清須川家に勇一郎様が入れば、別邸に住む者がいないという売る理由ができる。なるほど、清須川家にこだわっていた理由に納得しましたよ」
「――っ黙れよ、平民風情が! お前らに華族の何がわかる!」
このような父親の情けない姿や、今や妻となった茜が娼妓の娘で、しかも清須川家の血を引いてるのかも怪しいといった、理想がすべて瓦解した状況に、勇一郎は声に震わせ、目に涙を浮かべ喚いた。
完全なる八つ当たりだと、誰の目にも明らかだ。
「勇一郎様、その言葉は悪手ですよ。この場には、今は爵位をお持ちの方もいますが、平民の実業家の方々もたくさんいらっしゃるのですから」
「ぁ……っ」
ハッとして顔を青くした勇一郎は、慌てて会場を見回した。
向けられる目は槍よりも鋭く、ギラリと鈍色に光っている。
華族の次男坊といっても、内外の文化や産業が混じりはじめた混沌とした黎明社会を生き抜いてきた猛者達に比べれば、大した格もなければ度胸もなかった。
腰が抜けたのだろう、勇一郎は父親達と同じように床にへたり込んでしまった。
「さて、茜さん」
そして、とうとう雪人の矛先が茜へと向き、ビクッと彼女は肩を跳ねさせた。
「私の妻をいわれのない噂で貶め、彼女を苦しませ続けた責任は取ってもらいましょうか」
茜はゆるゆると顔を上げた。顔面蒼白で唇を噛みしめている。
しかし、意気消沈したようには見えない。
「ここで妻に謝ってください。そして、作り話を流したのも、融資を妨害したのも、すべて自分だと認めてください」
「ゎ……あ、あたしじゃないもん……しょ、証拠は!?」
「この期に及んで……」
苛立たしそうに雪人が舌打ちをした。
「噂の犯人は、そのほくろが何よりの証拠でしょう。融資妨害も、副頭取や土井侯爵を脅迫した話も、花街にいた時に聞いたのでしょう。お二人の証言がなによりの証拠ですよ」
「やめてよッ! 違う違うちがうっ! あたしじゃないっ! あんな女に似てなんかな――っ!」
「は……? け、経営不振?」
千代の言葉を聞いた二井子爵の顔から、怒りが抜け落ちた。しかし、目も口も痙攣しており、もはやどのような感情を持てばいいのかわからないのだろう。
「ご存知ありませんでしたか? 今の清須川家は、祖父の代で貯めた資産を食い潰しながら生きながらえている状況ですよ。取引先もどんどんと減っていますからね」
知らなかったかと聞いたものの、父が彼に何も伝えていないのは把握済みだ。
「し、しかし! この豪勢な披露宴は清須川家が――」
「元は、一乗家からのお金です」
空気が凍り付く。
「私が夫に嫁ぐ際にいただいた結納金を、父は私の祝言ではなく妹のために使ったのですよ」
二井子爵が信じられない者を見る目で、顔を背けている父を見ていた。
周囲も「あまりにもひどい」「恥知らず」などと、聞こえよがしな声でざわつく。会場中から父に批難的――いや、軽蔑の目が向けられていた。
父の顔に滲んでいた脂汗が、ダラッと滑り落ちる。
二井子爵は汚いものに触れたかのように、押すようにして父の胸ぐらから手を離した。
崩れた胸元を整える父の手は震えており、実に憐れだ。かといって、同情はまったくしないが。
「清須川の旦那も、よくそんな危ない経営状況でやったよなあ。自分の子かもわからねえってのに。釈迦にでもなろうってのかい?」
桑田の物言いはいちいち皮肉がきいている。
この父が釈迦になれるのなら、今頃世の中は極楽浄土だ。
「なっ、何を言うか! 茜は私と朱蝶の子だ……っ」
「あっはははは、いいねえ! 骨の髄まで娼妓にしゃぶられてらあ。あのなぁ、花街ってのは夢うつつなんだ。そこで交わされた言葉を、お天道(てんと)さんが昇っても胸に抱えてちゃいけねえよ、旦那」
笑いながら言う桑田に比べ、父も茜も顔から血の気が引いて、口を動かす気力もない様子だった。父に至っては目がうつろになってきていた。ふらふらと身体が揺れ、卓の上を迷子のように視線が彷徨っている。
「茜は誰の子かわからねえよ。母親ですらわかってなかったんだからな。あと、その母親だが、どこぞの男と駆け落ちしたぞ。追っ手が掛かったからなあ……今頃どうなってるのやら」
「こ、この娘を……茜を、朱蝶は迎えに来るんじゃ、ないのか……?」
「来るわきゃねーだろ。自分で捨てていったのに」
「捨て……」
どっ、と父が膝を折った。
「私は……いつか連絡が来ると……だから、新聞の通信欄も毎日確認して……」
「ははっ! 八年も!? 健気だねえ」
四肢を床について項垂れる父を心配する声は、ひとつもない。
あれだけ可愛がってきた茜でさえ、立ったまま床で項垂れる父を見下ろしている。
「清須川さん、どういうことなんですか!? 金がないって……それじゃ困るんですよ!」
「そんなはずない……そんなはず……」
二井子爵が父に駆け寄っていたが、掛ける言葉を聞くに、心配からではないのは明確だった。床で膝をつく二家の当主に、皆が可哀想な者を見るような目を向けていた。
今や誰も、今日この場がめでたい披露宴会場だったなど、覚えてはいないだろう。
「二井家は土地を売るほどに窮状が良くないのは知っていましたが……この様子を見るに、結構危ういようですね。清須川家の資産をあてにしていたようですし」
雪人は足元で繰り広げられる醜い言い合いを睥睨し、独り言としてはやや大きすぎる声で、二井家の窮状をツラツラと述べていく。
「なぜ、維持が大変な別邸にわざわざ勇一郎様ひとりを住まわせ、残されているか不思議だったのですが……売るに売れなかったんですね。確かに、売ったら金がないと言っているようなものですし。だけど……清須川家に勇一郎様が入れば、別邸に住む者がいないという売る理由ができる。なるほど、清須川家にこだわっていた理由に納得しましたよ」
「――っ黙れよ、平民風情が! お前らに華族の何がわかる!」
このような父親の情けない姿や、今や妻となった茜が娼妓の娘で、しかも清須川家の血を引いてるのかも怪しいといった、理想がすべて瓦解した状況に、勇一郎は声に震わせ、目に涙を浮かべ喚いた。
完全なる八つ当たりだと、誰の目にも明らかだ。
「勇一郎様、その言葉は悪手ですよ。この場には、今は爵位をお持ちの方もいますが、平民の実業家の方々もたくさんいらっしゃるのですから」
「ぁ……っ」
ハッとして顔を青くした勇一郎は、慌てて会場を見回した。
向けられる目は槍よりも鋭く、ギラリと鈍色に光っている。
華族の次男坊といっても、内外の文化や産業が混じりはじめた混沌とした黎明社会を生き抜いてきた猛者達に比べれば、大した格もなければ度胸もなかった。
腰が抜けたのだろう、勇一郎は父親達と同じように床にへたり込んでしまった。
「さて、茜さん」
そして、とうとう雪人の矛先が茜へと向き、ビクッと彼女は肩を跳ねさせた。
「私の妻をいわれのない噂で貶め、彼女を苦しませ続けた責任は取ってもらいましょうか」
茜はゆるゆると顔を上げた。顔面蒼白で唇を噛みしめている。
しかし、意気消沈したようには見えない。
「ここで妻に謝ってください。そして、作り話を流したのも、融資を妨害したのも、すべて自分だと認めてください」
「ゎ……あ、あたしじゃないもん……しょ、証拠は!?」
「この期に及んで……」
苛立たしそうに雪人が舌打ちをした。
「噂の犯人は、そのほくろが何よりの証拠でしょう。融資妨害も、副頭取や土井侯爵を脅迫した話も、花街にいた時に聞いたのでしょう。お二人の証言がなによりの証拠ですよ」
「やめてよッ! 違う違うちがうっ! あたしじゃないっ! あんな女に似てなんかな――っ!」


