「違います……っ、私はそのようなことしておりません。すべて土井侯爵の勘違いです。舞踏会でお会いした際、『出る杭は叩かれると言うし、急いで会社を大きくしようとする義兄が心配』と、軽くお話したのを誤解されたのでしょう。きっと、良かれと思ってやってくださったのです。私の責任などと仰るのなら確かに私の責任です。しかし、脅しだなんて……つい先日までただの女学生だった私が、どうやって華族の方を脅せるような情報を手にできるのですか。荒唐無稽な作り話です」
茜は無実を証明するように、両手を大きく広げ、そして次に両手で顔を隠した。
その度に美しい色打ち掛けの袖がヒラヒラと舞い、ひとつの舞台を見ているかのように、皆が茜に瞳を奪われていた。
美女が華奢な肩をふるわせ、さめざめと泣く姿はそれだけで絵になる。
なんと自分の美しさをわかった妹なのだろうか。
「お姉さま……もう嫉妬はよしてください。私が、勇一郎さんを奪ってしまったからって、侯爵様や伯爵様に嘘を吹き込んで巻き込むのは……」
顔を上げた茜は、誰かに言葉を挟まれる前に、千代へと矛先を向けた。
会場がザワリとした。
「皆さまには黙っておりましたが、本当は勇一郎さまの婚約者は、私ではなく姉だったのです。でも、姉は男遊びがひどく、夜な夜な家を抜け出してはそのような場所へと行っていたようで。それを知ってしまい勇一郎さまに伝えたら婚約者は私に……その時はじめて、私も勇一郎さまも互いに想い合っていたとわかったのです。お互い姉の立場に遠慮して言い出せなかっただけで……」
ここまでくると、拍手を送りたくなってくる。
彼女が土井侯爵を『脅していない』という証拠は何も出していないのに、すっかり自分が悪者のような空気になりつつあった。
いつの間にか話題がすり替わっている。
「そうです、近衛侯爵! 茜さんの話は本当です」と、鼻息を荒くして二井子爵までやって来た。
「品格を疑うような噂がありましたので、息子は一度、千代さんとの婚約破棄をさせていただいたのです。しかしその後、息子と茜さんが想い合っていると聞いて、姉妹ではありましたが、相手を変え清須川家との婚約は継続したのです」
千代が覚えているのは、婚約破棄を言い出されたその日には、互いに身体を寄せ合う仲の良い茜と勇一郎の姿だ。破棄した後に想い合っていたとわかったようには見えなかったのだが。
二井子爵には適当なことを言っていたようだ。
それを鵜呑みにする二井子爵も二井子爵だが。
「子爵の仰るとおりです。茜はそのようなことをする娘ではありません! むしろ情報を得るのであれば、様々な男と夜遊びしていた千代のほうが可能性がありますよ」
援護するように、父まで入ってくる。
(可哀想な人……)
盲目の愛なのか、無知故の思い込みなのか。
父が自分を庇うようなことは言わないだろうと覚悟はしていたが、実際に目の当たりにすると、悲しいのではなく心が冷たくなっていくものだなと知った。怒りすらわかない。
「これが父親とは……いやはや」
「千代さん、今までよく頑張ったな。さぞつらかっただろう」
近衛侯爵も東郷屋伯爵も怒る気すらわかないようで、額を押さえて肺腑の底からのため息を吐いていた。卓の下では、雪人が千代の手を握ってくれ、千代はキュウと眉根を寄せて苦笑しながら「なれました」と肩をすくめた。
そこで、卓がバンッ! と騒がしい音を立てた。
額に青筋を浮かせた二井子爵が、卓を両手で叩いたのだ。
「近衛侯爵、この件はあまりにもではありませんか! 息子のめでたい日に、妻の茜さんに濡れ衣をきせるなんて……いくら侯爵でもこれは宮内省に訴えさせていただきますからね」
「同じく娘を侮辱されたのです。私も訴えさせていただきますよ」
「お父様方ぁ……っ」
二人の父に庇われた茜は瞳を潤ませ、ひしっと清須川の父に抱きついていた。父も感情が昂ぶっているのか「茜……っ」と情緒的な声で名を呼び、彼女を抱き締めていた。
父の陰から覗く茜と目が合った。
潤んだ瞳から涙はこぼれておらず、それどころか『勝った』とばかりに下瞼を持ち上げている。
「……勇一郎様」
「なっ、なんだ、千代」
混乱で意識を霞ませていた勇一郎が、ハッとして意識を現実に戻す。
「勇一郎様は、茜の夫として清須川家に入り、茜を二井家の親族として受け入れるのですね」
「何をわけなわからないことを、結婚したんだから当然じゃないか」
チラ、と向けられた勇一郎の目は『馬鹿なことを』と言っていた。
「今のお言葉お忘れなきよう」
千代がそう告げるとほぼ同時。
披露宴会場の扉が外から勢いよく開けられた。
卓を叩いた音とは比べものにならない爆ぜたような音に、はっきりと会場はざわつき、中には腰を上げている者もいた。
祝いの席には不似合いな格好の者達が、十人ばかりぞろぞろと入ってくる。
「知り合いのめでたい席みたいなんで、俺達もまぜちゃくれませんかねえ」
先頭にいた頬に大きな切り傷のある男は、楽しそうにこちらを見ていた。
◆
男――桑田は、子分に椅子を持って来させ、千代達がいた卓にドッカと腰を下ろした。
一応、祝い事だからだろうか、以前花街で見た着流し姿ではなく、黒の紋付き袴姿だった。格好だけ見れば会場には同じ紋付き袴の招待客もいるのだが、一見してすぐに違う世界を生きる者だとわかるのは、やはり頬の傷跡のせいだろう。
「桑田さん、もう少し丁寧に入ってきてくださらないと……扉が壊れたら弁償ですよ」
「そんなのソッチかソッチが払うだろうよ」
千代がやんわり窘めるが、彼は悪びれた様子もなく、卓を挟んで対面に立つ二井子爵と父とを交互に指さすのみ。
見るからに裏の者と平然として話す千代に、卓を囲んでいた父達や勇一郎、茜は瞠目して言葉を失っていた。
そして、状況理解が追いつかなさすぎた勇一郎が、とうとう爆発した。
「――っな、なんだ、あなた達は! 出て行ってくれ!」
茜は無実を証明するように、両手を大きく広げ、そして次に両手で顔を隠した。
その度に美しい色打ち掛けの袖がヒラヒラと舞い、ひとつの舞台を見ているかのように、皆が茜に瞳を奪われていた。
美女が華奢な肩をふるわせ、さめざめと泣く姿はそれだけで絵になる。
なんと自分の美しさをわかった妹なのだろうか。
「お姉さま……もう嫉妬はよしてください。私が、勇一郎さんを奪ってしまったからって、侯爵様や伯爵様に嘘を吹き込んで巻き込むのは……」
顔を上げた茜は、誰かに言葉を挟まれる前に、千代へと矛先を向けた。
会場がザワリとした。
「皆さまには黙っておりましたが、本当は勇一郎さまの婚約者は、私ではなく姉だったのです。でも、姉は男遊びがひどく、夜な夜な家を抜け出してはそのような場所へと行っていたようで。それを知ってしまい勇一郎さまに伝えたら婚約者は私に……その時はじめて、私も勇一郎さまも互いに想い合っていたとわかったのです。お互い姉の立場に遠慮して言い出せなかっただけで……」
ここまでくると、拍手を送りたくなってくる。
彼女が土井侯爵を『脅していない』という証拠は何も出していないのに、すっかり自分が悪者のような空気になりつつあった。
いつの間にか話題がすり替わっている。
「そうです、近衛侯爵! 茜さんの話は本当です」と、鼻息を荒くして二井子爵までやって来た。
「品格を疑うような噂がありましたので、息子は一度、千代さんとの婚約破棄をさせていただいたのです。しかしその後、息子と茜さんが想い合っていると聞いて、姉妹ではありましたが、相手を変え清須川家との婚約は継続したのです」
千代が覚えているのは、婚約破棄を言い出されたその日には、互いに身体を寄せ合う仲の良い茜と勇一郎の姿だ。破棄した後に想い合っていたとわかったようには見えなかったのだが。
二井子爵には適当なことを言っていたようだ。
それを鵜呑みにする二井子爵も二井子爵だが。
「子爵の仰るとおりです。茜はそのようなことをする娘ではありません! むしろ情報を得るのであれば、様々な男と夜遊びしていた千代のほうが可能性がありますよ」
援護するように、父まで入ってくる。
(可哀想な人……)
盲目の愛なのか、無知故の思い込みなのか。
父が自分を庇うようなことは言わないだろうと覚悟はしていたが、実際に目の当たりにすると、悲しいのではなく心が冷たくなっていくものだなと知った。怒りすらわかない。
「これが父親とは……いやはや」
「千代さん、今までよく頑張ったな。さぞつらかっただろう」
近衛侯爵も東郷屋伯爵も怒る気すらわかないようで、額を押さえて肺腑の底からのため息を吐いていた。卓の下では、雪人が千代の手を握ってくれ、千代はキュウと眉根を寄せて苦笑しながら「なれました」と肩をすくめた。
そこで、卓がバンッ! と騒がしい音を立てた。
額に青筋を浮かせた二井子爵が、卓を両手で叩いたのだ。
「近衛侯爵、この件はあまりにもではありませんか! 息子のめでたい日に、妻の茜さんに濡れ衣をきせるなんて……いくら侯爵でもこれは宮内省に訴えさせていただきますからね」
「同じく娘を侮辱されたのです。私も訴えさせていただきますよ」
「お父様方ぁ……っ」
二人の父に庇われた茜は瞳を潤ませ、ひしっと清須川の父に抱きついていた。父も感情が昂ぶっているのか「茜……っ」と情緒的な声で名を呼び、彼女を抱き締めていた。
父の陰から覗く茜と目が合った。
潤んだ瞳から涙はこぼれておらず、それどころか『勝った』とばかりに下瞼を持ち上げている。
「……勇一郎様」
「なっ、なんだ、千代」
混乱で意識を霞ませていた勇一郎が、ハッとして意識を現実に戻す。
「勇一郎様は、茜の夫として清須川家に入り、茜を二井家の親族として受け入れるのですね」
「何をわけなわからないことを、結婚したんだから当然じゃないか」
チラ、と向けられた勇一郎の目は『馬鹿なことを』と言っていた。
「今のお言葉お忘れなきよう」
千代がそう告げるとほぼ同時。
披露宴会場の扉が外から勢いよく開けられた。
卓を叩いた音とは比べものにならない爆ぜたような音に、はっきりと会場はざわつき、中には腰を上げている者もいた。
祝いの席には不似合いな格好の者達が、十人ばかりぞろぞろと入ってくる。
「知り合いのめでたい席みたいなんで、俺達もまぜちゃくれませんかねえ」
先頭にいた頬に大きな切り傷のある男は、楽しそうにこちらを見ていた。
◆
男――桑田は、子分に椅子を持って来させ、千代達がいた卓にドッカと腰を下ろした。
一応、祝い事だからだろうか、以前花街で見た着流し姿ではなく、黒の紋付き袴姿だった。格好だけ見れば会場には同じ紋付き袴の招待客もいるのだが、一見してすぐに違う世界を生きる者だとわかるのは、やはり頬の傷跡のせいだろう。
「桑田さん、もう少し丁寧に入ってきてくださらないと……扉が壊れたら弁償ですよ」
「そんなのソッチかソッチが払うだろうよ」
千代がやんわり窘めるが、彼は悪びれた様子もなく、卓を挟んで対面に立つ二井子爵と父とを交互に指さすのみ。
見るからに裏の者と平然として話す千代に、卓を囲んでいた父達や勇一郎、茜は瞠目して言葉を失っていた。
そして、状況理解が追いつかなさすぎた勇一郎が、とうとう爆発した。
「――っな、なんだ、あなた達は! 出て行ってくれ!」


