一乗家のかわいい花嫁

 様々な父が自分を可愛がった。しかし、愛されているから可愛がられているというわけではなかった。
 母もたくさんいる父も、自分を互いの気を引くために使っていただけだ。
『お前は私に感謝しなよう。普通なら、道端に捨てられててもおかしくないんだからさ』とは、母の口癖だ。
 勝手に産んでおいて、何を言っているんだと何度思ったことか。
『本当の父親ぁ? さあ? 毎日いろんな男と寝てるから、そんなのわかりゃしないよ。でも、おかげでどの客にも可愛がってもらえて幸せだろ』
 母は、本心からこう言う人だった。
 義務だからと小学校にも通ったが、すぐに行かなくなった。
『はあ? 学校で娼妓の子だって馬鹿にされるって? そいつの父親は、その馬鹿にした娼妓の世話になってるかもしれないってのにねえ。どうせ母親が家で悋気をまき散らしてるんだろうさ』
 母はそういって大声で笑っていた。
 母の愛情など感じたこともない。だから、母が好きだったこともない。
 それからは、自分も母と同じ生き方をしていくのだろうなと、まだ一桁の子供が半ば諦めとも言えるような思いで生きていた。
 そうして、八歳のある日。
 起きたら母がいなくなっていた。
 箪笥の中にあった高そうな着物がいくつか消えていた。足抜けだ。
 女将は、港に大砲が撃ち込まれたのかと思うほどの怒号を上げて大怒り、すぐに自警団が呼ばれ他の店を巻き込んだ大騒ぎになった。
 その後、ひとりの女が店に怒鳴り込んできた。
 どうやら、女の夫が娼妓と逃げたらしい。その娼妓というのが、以前から男が客として通っていた母だという。そこで、母はただの足抜けではなく、男との駆け落ちだと判明した。
『雌豚共が……他人様に迷惑掛けずに、地べたを這いつくばって生きてなさいよ』
 最後にその女が残した言葉は強烈だった。
 その後、自分の処遇を巡って話し合いが行われていた。
 子供ひとりといっても、育てるには金がかかる。今までは、母の給金からいくらか払われていたのだが、その母がいなくなったのだ。店で面倒を見る必要などない。ましてや、母は足抜けという花街の大罪を犯し、店に大損をさせたのだ。周囲が自分を見る目も変わるものだ。
 母は最初から最後まで母親ではなかった。
 ただただ、自分にとって大嫌いな人間となった。
 そこへ、あの男――父が自分を引き取りたいと言ってやってきた。
 どうやらあの女は、逃げ出す前に父に手紙を送っていたらしい。
 華族の『父』は自分など絶対に引き取らないとわかっていたのだろう。だから、華族ではなく、しかし金払いが良くて、あの女に骨の髄まで惚れ込んでいてなんでも言うことを聞きそうな男を選んだようだ。いや、もしかしたら本当の父親かもしれないが、それはおそらく母ですらわからないことだろう。
 実の母親にも、家族のように育ててくれたと思っていた店にも、数多の父にも捨てられた。
 唯一、ひとりの父だけが残った。
 最後にあの女は、父親を与えるという、母親として最低限の行動はしたわけだ。
 手を引かれて店を出た時、少しだけ救われた気持ちになった。
 しかしすぐに、彼が自分を引き取ったのは、娘への愛情があるからではないことが判明した。父の部屋で、あの女が送った手紙を見つけた。
 そこに書いてあった文面を見て、やはりあの女は母ではなくクズだと思った。
 ――わけあって逃げなければならなくなった。私が迎えに行くまで娘を預かっていてほしい。どうか、あなたとの愛の証である娘を守って。ごめんなさい。
 馬鹿だ。騙す方も騙される方も。
 清須川家に引き取られて、また姉ができた。
 姉は、かつての姉達とは違った。優しかった。ただ、向けられる優しさから、なんの苦労もしていないのだとわかった。自分の生い立ちなど何も知らないくせに、姉を気取る彼女に無性に腹が立った。
 継母は、姉と分け隔てなく接して育ててくれたが、時折、ゾッとするほどに冷たい目で見られていることがあった。見覚えのある目だった。店に駆け込んで来た、母に夫を奪われ雌豚と叫んだ女と同じ目をしていた。その継母も、数年したら死んだ。少しだけ胸がスッとすいた。
 そこで気付いたのだ。
 嫌いな奴らが不幸になるのは気分が良い。
 自分を捨てた母も、追い出した店の人間も、娼妓の子だといじめてきた平民も、雌豚と罵ってきたあの女も、必要な時に見て見ぬふりする華族も、金持ちも、良い暮らしをする奴も何もかも嫌いだ。
 自分以外、全員不幸になればいい。
 全員、自分に見下されればいい。
「やっと、ほしいものが手に入るわ」
 茜は天井に手を伸ばした。この、古めかしい焦げ茶色の板張り天井ともおさらばだ。
 勇一郎が清須川家に入ったら、まず会社を勇一郎と自分のものにして父を追い出そう。
 そして、この古臭い家もすべて変えてやるのだ。
「やっぱり洋館よねぇ~」
 一乗家の屋敷よりも大きいのを建ててやる。
「それ以前に、あのお屋敷を手放すことになったりして……ふふっ、そしたらあたしが買い取ってあげようかしら、お義兄さまごと」
 雪人からの返事はまだない。もうどちらでもいい。銀行も華族も手を打った。彼が落ちてくるまでどうせ時間の問題だ。
 地味だった姉の祝言とは違う最高の披露宴で、最高に可愛い自分をたくさん見せつけてやろう。悔しさを我慢して祝う姉の姿は、最高に忘れられない結婚祝いになるだろう。
「皆、ちょろいわ」
 
        3
 
 三月、桜が散り始めた頃。
 東京の帝国ホテルの広間で、祝言を終えた二井勇一郎と清須川茜の披露宴が行われていた。大きな方形の卓がいくつも並べられた会場に、百名近い燕尾服や和装の男達が詰められた光景は圧巻のひと言だった。チラホラとだが、黒服の合間に淡色の着物を着た女性招待客もおり、各卓に生けられた花のように会場に華を添えていた。
 招待客は華族、士族、そして実業家、政府高官と実に豪華な面々である。