なんだか紹介してもらったとは言え、申し訳ない気がしてきた。
近衛侯爵は両手を広げ、まるで帝劇俳優のような優雅な立ち居振る舞いで、やっとクルリと身体を反転させ全身をこちらへと向けてくれる。
「他人様の時間を奪う、それはとても罪なことだ。だからまず、時間を請う者は相手に時間を割いてもいいと思わせなければならない。その次に、時間を割いて良かったと思わせる話を展開しなければならない。そして最後に、握手と笑顔で別れられなければ……二度目はない。それが本物の交渉だ」
彼が言葉を発するたびに、背中を冷たいものだ幾筋も流れていく。
「私は本物以外、興味はない」
つまり、近衛侯爵はこの一度の機会だけで自分の興味を惹き、耳を傾けさせ、頷かせてみろと言っているのだ。彼は有名な投資家だ。もし、ここで失敗すれば今後の融資者探しにも影響が出るのは間違いない。
傍らにいた東郷屋伯爵がボソリと「またはじまった」と呟いた。「いっつもこうやってソレっぽいことを言うけど、実際は最初から聞く耳を持ってないんだよ」と、彼はコソッと耳打ちして教えてくれた。
(そ、それって、気難しいどころの話じゃないんじゃ……!?)
「どうして、お二人してそんな難攻不落のような方を紹介してくださったのですか!?」
聞く耳持たないとわかっていたのなら、もう少し望みがあるような方を……いや、紹介してもらった立場だから強くは言えないが。
「僕は雪人なら大丈夫だと思ったし」
「中途半端な者に頼んでも、また妨害されたら一緒だし、それなら誰も妨害できないくらい突き抜けた人がいいと思ってな」
「つ、突き抜けすぎですよ……」
レオンは根拠のない自信だし、東郷屋伯爵の考えはもっともだが成功確率が著しく低い気がする。雪人を信じていないわけではないが、やはり不安は大きくなった。
一方、三人がコソコソと潜め声を交わす中、雪人だけは話に入らず沈黙を保っていた。
さすがの雪人も緊張しているのだろうと、千代はそっと彼の顔を窺ってみたのだが……。
「え?」と、千代の目が点になった。
雪人は屋敷の中を歩いている時のように、なぜか目をキラキラさせているではないか。
「近衛侯爵、もしかしてこの洋館の設計は、ジョサイア・コンドルではありませんか」
この、絶対に失敗は許されないという重苦しい空気の中、雪人の口から出てきた最初の言葉に、雪人以外の皆がポカンと口を空けた。なんなら、目も点になっている。
「外構からもしかしてと思っていましたが、内装を見て確信しました。バロック様式だけではない、ビザンチンにサラセン……様々な建築様式を折衷させるのが彼の大きな特徴です。あちらの方に和館も見えましたが、こちらの洋館と和館との間にある庭には、薔薇の木々と松の木。彼は日本文化のものを好み建築だけでなく、庭造りにも取り入れたと――」
雪人が息を熱くして饒舌に語っていたところ、傍らから、口いっぱいに貯めていた水を、一気に吐き出したような盛大な吹き出し音が聞こえた。
レオンが腰を折って笑っていた。
「くくっ……ほら、大丈夫だって言ったでしょ。前々から二人は話が合いそうだなって思ってたんですよ、近衛侯爵」
「てっきり、先生の友人贔屓だと思ってたんだが……」
近衛侯爵は両掌を上向けて、肩をすくめて見せた。
西洋風な振る舞いだが実に板についている。
「私を訪ねて開口一番に金の話を出さなかったのは、君がはじめてだよ」
近衛侯爵はよく磨かれた黒い革靴の踵をコツコツと響かせながら、間にあった応接ソファにどっかと腰を下ろした。
「まさしく、この屋敷はジョサイア・コンドルのデザインだ。異なるものを融合させる精神は、まさに今の日本を象徴しているようで、私は彼の建築が好きなのだよ」
「私も、東京にいた頃は、彼の建築物をよく眺めていました」
「横濱ならば、確か山手教会堂がそうじゃなかったか」
「ええ、コンドルのものです。最高です」
雪人を見る近衛侯爵の目にはもう、部屋に入ってきた時に向けられたような攻撃的な色はない。むしろ、同志と語らうように、会話が進むたびにどんどんと煌めいていく。
「建築に興味があるのなら工科大学か?」
「いえ、法科大学です。家の役に立ちたくて……ですので、建築は個人の趣味として本を読んだりするくらいで」
フッと近衛侯爵の口元が柔らいだ。
「興味がわいた。君の用件を聞こう、一乗君」
雪人の背中を東郷屋伯爵が無言で叩き、肩をレオンが「やったね」と叩く。
どうやら、第一段階は突破できたようだ。
千代はほっと、ここ最近で一番の安堵の息を吐いた。
近衛侯爵の隣に東郷屋伯爵が座り、向かいのソファには雪人とレオン、そして千代が腰掛ける。
「なるほど。内定していた銀行融資が突然取り消しに……しかも他の銀行にも断られたと」
「加えて、華族のいくらかの方が融資の相談を受けると仰ってくださっていたのですが、それもすべてなかったことにと」
「ほう、華族からの申し出があったと。どういった経緯でか聞いても?」
興味を持ったのか、近衛侯爵の身体が前傾した。
千代はかつて実家が営んでいた会社の手伝いをしており、そこで関係者に挨拶状を送っていたこと、それが縁で二井子爵の舞踏会で再び縁を結ぶことができたことを説明した。
すると、話を聞き終えた近衛侯爵はにんまりと深く笑って、雪人へと目を向ける。
「一乗君、良い妻を迎えたな。上っ面の者には他人は厳しいが、本当に心から他者を慈しみ大切に想う者には、皆が手を差し伸べるものだ。そういった者の周りには必ず人が集ますり、幸運も集まるものだ。彼女を手放さないようにしなさい」
「もちろん、絶対に手放しません」
この中で一番大層なことはしていないのに、そこまで褒めてもらえて嬉しかった。加えて、雪人の不意の言葉に、千代は顔を赤くした。
四方からのニヤニヤとした視線が、身体中に刺さっていたたまれない。向かいから「若いねえ」と聞こえて、千代はソファの端で小さくなった。
近衛侯爵は両手を広げ、まるで帝劇俳優のような優雅な立ち居振る舞いで、やっとクルリと身体を反転させ全身をこちらへと向けてくれる。
「他人様の時間を奪う、それはとても罪なことだ。だからまず、時間を請う者は相手に時間を割いてもいいと思わせなければならない。その次に、時間を割いて良かったと思わせる話を展開しなければならない。そして最後に、握手と笑顔で別れられなければ……二度目はない。それが本物の交渉だ」
彼が言葉を発するたびに、背中を冷たいものだ幾筋も流れていく。
「私は本物以外、興味はない」
つまり、近衛侯爵はこの一度の機会だけで自分の興味を惹き、耳を傾けさせ、頷かせてみろと言っているのだ。彼は有名な投資家だ。もし、ここで失敗すれば今後の融資者探しにも影響が出るのは間違いない。
傍らにいた東郷屋伯爵がボソリと「またはじまった」と呟いた。「いっつもこうやってソレっぽいことを言うけど、実際は最初から聞く耳を持ってないんだよ」と、彼はコソッと耳打ちして教えてくれた。
(そ、それって、気難しいどころの話じゃないんじゃ……!?)
「どうして、お二人してそんな難攻不落のような方を紹介してくださったのですか!?」
聞く耳持たないとわかっていたのなら、もう少し望みがあるような方を……いや、紹介してもらった立場だから強くは言えないが。
「僕は雪人なら大丈夫だと思ったし」
「中途半端な者に頼んでも、また妨害されたら一緒だし、それなら誰も妨害できないくらい突き抜けた人がいいと思ってな」
「つ、突き抜けすぎですよ……」
レオンは根拠のない自信だし、東郷屋伯爵の考えはもっともだが成功確率が著しく低い気がする。雪人を信じていないわけではないが、やはり不安は大きくなった。
一方、三人がコソコソと潜め声を交わす中、雪人だけは話に入らず沈黙を保っていた。
さすがの雪人も緊張しているのだろうと、千代はそっと彼の顔を窺ってみたのだが……。
「え?」と、千代の目が点になった。
雪人は屋敷の中を歩いている時のように、なぜか目をキラキラさせているではないか。
「近衛侯爵、もしかしてこの洋館の設計は、ジョサイア・コンドルではありませんか」
この、絶対に失敗は許されないという重苦しい空気の中、雪人の口から出てきた最初の言葉に、雪人以外の皆がポカンと口を空けた。なんなら、目も点になっている。
「外構からもしかしてと思っていましたが、内装を見て確信しました。バロック様式だけではない、ビザンチンにサラセン……様々な建築様式を折衷させるのが彼の大きな特徴です。あちらの方に和館も見えましたが、こちらの洋館と和館との間にある庭には、薔薇の木々と松の木。彼は日本文化のものを好み建築だけでなく、庭造りにも取り入れたと――」
雪人が息を熱くして饒舌に語っていたところ、傍らから、口いっぱいに貯めていた水を、一気に吐き出したような盛大な吹き出し音が聞こえた。
レオンが腰を折って笑っていた。
「くくっ……ほら、大丈夫だって言ったでしょ。前々から二人は話が合いそうだなって思ってたんですよ、近衛侯爵」
「てっきり、先生の友人贔屓だと思ってたんだが……」
近衛侯爵は両掌を上向けて、肩をすくめて見せた。
西洋風な振る舞いだが実に板についている。
「私を訪ねて開口一番に金の話を出さなかったのは、君がはじめてだよ」
近衛侯爵はよく磨かれた黒い革靴の踵をコツコツと響かせながら、間にあった応接ソファにどっかと腰を下ろした。
「まさしく、この屋敷はジョサイア・コンドルのデザインだ。異なるものを融合させる精神は、まさに今の日本を象徴しているようで、私は彼の建築が好きなのだよ」
「私も、東京にいた頃は、彼の建築物をよく眺めていました」
「横濱ならば、確か山手教会堂がそうじゃなかったか」
「ええ、コンドルのものです。最高です」
雪人を見る近衛侯爵の目にはもう、部屋に入ってきた時に向けられたような攻撃的な色はない。むしろ、同志と語らうように、会話が進むたびにどんどんと煌めいていく。
「建築に興味があるのなら工科大学か?」
「いえ、法科大学です。家の役に立ちたくて……ですので、建築は個人の趣味として本を読んだりするくらいで」
フッと近衛侯爵の口元が柔らいだ。
「興味がわいた。君の用件を聞こう、一乗君」
雪人の背中を東郷屋伯爵が無言で叩き、肩をレオンが「やったね」と叩く。
どうやら、第一段階は突破できたようだ。
千代はほっと、ここ最近で一番の安堵の息を吐いた。
近衛侯爵の隣に東郷屋伯爵が座り、向かいのソファには雪人とレオン、そして千代が腰掛ける。
「なるほど。内定していた銀行融資が突然取り消しに……しかも他の銀行にも断られたと」
「加えて、華族のいくらかの方が融資の相談を受けると仰ってくださっていたのですが、それもすべてなかったことにと」
「ほう、華族からの申し出があったと。どういった経緯でか聞いても?」
興味を持ったのか、近衛侯爵の身体が前傾した。
千代はかつて実家が営んでいた会社の手伝いをしており、そこで関係者に挨拶状を送っていたこと、それが縁で二井子爵の舞踏会で再び縁を結ぶことができたことを説明した。
すると、話を聞き終えた近衛侯爵はにんまりと深く笑って、雪人へと目を向ける。
「一乗君、良い妻を迎えたな。上っ面の者には他人は厳しいが、本当に心から他者を慈しみ大切に想う者には、皆が手を差し伸べるものだ。そういった者の周りには必ず人が集ますり、幸運も集まるものだ。彼女を手放さないようにしなさい」
「もちろん、絶対に手放しません」
この中で一番大層なことはしていないのに、そこまで褒めてもらえて嬉しかった。加えて、雪人の不意の言葉に、千代は顔を赤くした。
四方からのニヤニヤとした視線が、身体中に刺さっていたたまれない。向かいから「若いねえ」と聞こえて、千代はソファの端で小さくなった。


