話を聞けば、叔父だと言っていた一柳は雪人の母親の弟ということだった。母親は雪人が幼い頃に亡くなっており、千代は彼女の姿を知らなかったが、きっと一柳のような、見た者をほっと息を吐かせるような、柔らかい顔をしていたのだろうなと思った。
それにしても、以前、横濱にある一乗汽船を訪ねた時も大きい会社だなと思ったものだが、こちらはその倍以上は大きかった。社員の数もざっと部屋を見回した限り、桁が違うのだろう。
(お父様は田舎者とか名前を知らないとか言ってたけど……もしかして、一乗家って東京じゃ有名なんじゃ……)
通された社長室も、洋室に和風の焦げ茶色の調度品が溶け込んだ、豪華で見事な和洋折衷だった。
「それで、いきなり訪ねてきた理由は?」
「実は午後から近衛侯爵を訪ねることになりまして、その手土産を探したいなと。ここなら、珍しい洋物があるかと思いましてね」
「おおっ、近衛侯爵かい! それはそれは……美味しい話があればぜひ」
通商ということは、売買の仲介会社なのだろう。しかも洋物――海外の品の取り扱いがあるのなら、貿易もやっていると推測された。海外と貿易ができる会社は限られており、やはり一善通商という会社は、外観通りに大きな会社なのだろう。
「そうだえね、やっぱり定番のチョコレートか……ああ、そうだ。最近新しく入れたんだけど、ビスケットってのがあってね。サクサクしていて美味しいんだよ」
「では、それをお願いします」
一柳は部下を呼ぶと指示を出して、あっという間に綺麗に包装された箱を整えて持たせてくれた。
その後、雪人と一柳だけで何か話すということで、千代だけ先に一階へと下りた。入り口で雪人を待っている時、社員達がチラチラと「あれが奥さんか」や「一乗さんの顔見たか」と見てきて、少々気恥ずかしくいたたまれなかった。
そうして、やっと下りてきた雪人の姿にほっとし、一柳には「千代さん、雪人君をよろしく頼むね。彼、働き過ぎるきらいがあって、無茶しないように止めてやってね」と言われ、千代は苦笑しながら「はい」と返事をして別れたのだった。
◆
指定された場所でレオンと東郷屋伯爵と待ち合わせし、友に近衛侯爵家を訪ねた。
二井家を見た時もその大きさや華やかさに驚いたが、近衛侯爵家は驚きを通り越して呆気にとられた。
千代達を出迎えた玄関ポーチは平面四角形の塔屋となっており、その上はバルコニーとなっていた。二階建ての洋館ながら、どこか西洋の城を思わせる。赤茶けたタイル張りの壁面には横並びに半円状アーチの装飾が施され、内側にいくつもの方形窓が規則正しく並ぶ。平葺き屋根の上には四本の避雷針が角のように立ち、節を設けた可憐なデザインから、教会の十字架として使われても違和感はなさそうだった。他にも深い木々の向こうには瓦屋根も見えており、洋館と同じ規模の和館もあることが窺えた。一乗家も和館と洋館があるが、和館は洋館の半分以下だ。同程度の屋敷が同じ敷地内にあるということは、きっと自分が思う以上にこの屋敷の敷地は広いと思われた。もしかしたら、洋館奥に見える小山は敷地外のものではなく、侯爵家のものかもしれない。
世の中には没落する華族もあるというのに、この規模を維持できているとは、やはり二人が紹介するだけあってただ者ではないのだろう、と背中にツーと汗が流れ落ちた。
ひとつひとつの意匠が凝っており、入る前でも圧倒されたものだったが、中に入ってもまだ圧倒された。
使用人とおぼしき燕尾服姿の老年の男に案内され、洋館の中を進む。
足元は大理石のタイル張り、天井はペルシャ刺繍の織物が貼られ、壁面に取り付けられた飾りアーチはサラセン風と目が眩むようだった。
「すごい」と雪人も屋敷の中を見回しては、感嘆のため息を漏らしていた。
心なしか、屋敷を眺める目がキラキラと輝いているように見える。
(そういえば、雪人さんって建築書を探して読むくらいには好きだったのよね)
一緒に教会を見に行こうと誘ってくるくらいだし。
なんだか、宝物を前にした子供みたいで可愛いなと、千代は密かに口元を和らげた。
そうして、千代、雪人、東郷屋伯爵、レオンの四人は南側にある客室へと通された。
部屋に入ると、応接セットの奥、正面の窓辺に壮年を少し過ぎたくらいの紳士が佇んでいた。
顔だけがこちらを向き、身体は窓の外に向けられたままだ。
東郷屋伯爵よりも細身だが、雪人よりかは肉がしっかりとついており、しかし無駄なものという印象は受けない。それは、彼の背筋が年の割にまっすぐと伸び、向けられた双眸に獣のような攻撃性が宿っていたからだろう。決して、老いた者が持つ眼光ではない。加えて、顎先が尖った細面からは神経質さよりも怜悧な印象を受ける。
東郷屋伯爵と親しい者と聞いていたから彼と似た感じかと思ったが、正反対で少々驚いた。
「その若者か、私に紹介したいと言ったのは」
近衛侯爵は東郷屋伯爵が雪人を紹介する前に、前置きなしに本題へと触れた。
「ええ、侯爵。こちらが横濱で一乗汽船という海運会社の代表をしている一乗雪人君です。隣は夫人の千代さん。雪人君、こちらは近(この)衛(え)林(りん)道(どう)侯爵だ」
千代と雪人は丁寧に挨拶をした。
「前々からレオン先生には会ってほしい友人がいると言われていたが、まさか、伯爵からもお願いされるとは。二人から言われたら会わないわけにはいかないからな」
歓迎をされているというわけではなさそうだ。
義理で会ったという感じだろう。気難しいと聞いていたが、思った以上だ。
「それでどんな用件があるんだ。まあ……私を訪ねてくる者の理由などわかりきっているがね」
近衛侯爵は、クッと片口をつり上げる。
実に皮肉的な笑みだ。
そういえば、レオンが有名な投資家とも言っていた。屋敷を見ただけでも、相当な資産家であることは窺える。きっと、自分達のように金の工面を頼みに来る者が後を絶たないのだろう。
それにしても、以前、横濱にある一乗汽船を訪ねた時も大きい会社だなと思ったものだが、こちらはその倍以上は大きかった。社員の数もざっと部屋を見回した限り、桁が違うのだろう。
(お父様は田舎者とか名前を知らないとか言ってたけど……もしかして、一乗家って東京じゃ有名なんじゃ……)
通された社長室も、洋室に和風の焦げ茶色の調度品が溶け込んだ、豪華で見事な和洋折衷だった。
「それで、いきなり訪ねてきた理由は?」
「実は午後から近衛侯爵を訪ねることになりまして、その手土産を探したいなと。ここなら、珍しい洋物があるかと思いましてね」
「おおっ、近衛侯爵かい! それはそれは……美味しい話があればぜひ」
通商ということは、売買の仲介会社なのだろう。しかも洋物――海外の品の取り扱いがあるのなら、貿易もやっていると推測された。海外と貿易ができる会社は限られており、やはり一善通商という会社は、外観通りに大きな会社なのだろう。
「そうだえね、やっぱり定番のチョコレートか……ああ、そうだ。最近新しく入れたんだけど、ビスケットってのがあってね。サクサクしていて美味しいんだよ」
「では、それをお願いします」
一柳は部下を呼ぶと指示を出して、あっという間に綺麗に包装された箱を整えて持たせてくれた。
その後、雪人と一柳だけで何か話すということで、千代だけ先に一階へと下りた。入り口で雪人を待っている時、社員達がチラチラと「あれが奥さんか」や「一乗さんの顔見たか」と見てきて、少々気恥ずかしくいたたまれなかった。
そうして、やっと下りてきた雪人の姿にほっとし、一柳には「千代さん、雪人君をよろしく頼むね。彼、働き過ぎるきらいがあって、無茶しないように止めてやってね」と言われ、千代は苦笑しながら「はい」と返事をして別れたのだった。
◆
指定された場所でレオンと東郷屋伯爵と待ち合わせし、友に近衛侯爵家を訪ねた。
二井家を見た時もその大きさや華やかさに驚いたが、近衛侯爵家は驚きを通り越して呆気にとられた。
千代達を出迎えた玄関ポーチは平面四角形の塔屋となっており、その上はバルコニーとなっていた。二階建ての洋館ながら、どこか西洋の城を思わせる。赤茶けたタイル張りの壁面には横並びに半円状アーチの装飾が施され、内側にいくつもの方形窓が規則正しく並ぶ。平葺き屋根の上には四本の避雷針が角のように立ち、節を設けた可憐なデザインから、教会の十字架として使われても違和感はなさそうだった。他にも深い木々の向こうには瓦屋根も見えており、洋館と同じ規模の和館もあることが窺えた。一乗家も和館と洋館があるが、和館は洋館の半分以下だ。同程度の屋敷が同じ敷地内にあるということは、きっと自分が思う以上にこの屋敷の敷地は広いと思われた。もしかしたら、洋館奥に見える小山は敷地外のものではなく、侯爵家のものかもしれない。
世の中には没落する華族もあるというのに、この規模を維持できているとは、やはり二人が紹介するだけあってただ者ではないのだろう、と背中にツーと汗が流れ落ちた。
ひとつひとつの意匠が凝っており、入る前でも圧倒されたものだったが、中に入ってもまだ圧倒された。
使用人とおぼしき燕尾服姿の老年の男に案内され、洋館の中を進む。
足元は大理石のタイル張り、天井はペルシャ刺繍の織物が貼られ、壁面に取り付けられた飾りアーチはサラセン風と目が眩むようだった。
「すごい」と雪人も屋敷の中を見回しては、感嘆のため息を漏らしていた。
心なしか、屋敷を眺める目がキラキラと輝いているように見える。
(そういえば、雪人さんって建築書を探して読むくらいには好きだったのよね)
一緒に教会を見に行こうと誘ってくるくらいだし。
なんだか、宝物を前にした子供みたいで可愛いなと、千代は密かに口元を和らげた。
そうして、千代、雪人、東郷屋伯爵、レオンの四人は南側にある客室へと通された。
部屋に入ると、応接セットの奥、正面の窓辺に壮年を少し過ぎたくらいの紳士が佇んでいた。
顔だけがこちらを向き、身体は窓の外に向けられたままだ。
東郷屋伯爵よりも細身だが、雪人よりかは肉がしっかりとついており、しかし無駄なものという印象は受けない。それは、彼の背筋が年の割にまっすぐと伸び、向けられた双眸に獣のような攻撃性が宿っていたからだろう。決して、老いた者が持つ眼光ではない。加えて、顎先が尖った細面からは神経質さよりも怜悧な印象を受ける。
東郷屋伯爵と親しい者と聞いていたから彼と似た感じかと思ったが、正反対で少々驚いた。
「その若者か、私に紹介したいと言ったのは」
近衛侯爵は東郷屋伯爵が雪人を紹介する前に、前置きなしに本題へと触れた。
「ええ、侯爵。こちらが横濱で一乗汽船という海運会社の代表をしている一乗雪人君です。隣は夫人の千代さん。雪人君、こちらは近(この)衛(え)林(りん)道(どう)侯爵だ」
千代と雪人は丁寧に挨拶をした。
「前々からレオン先生には会ってほしい友人がいると言われていたが、まさか、伯爵からもお願いされるとは。二人から言われたら会わないわけにはいかないからな」
歓迎をされているというわけではなさそうだ。
義理で会ったという感じだろう。気難しいと聞いていたが、思った以上だ。
「それでどんな用件があるんだ。まあ……私を訪ねてくる者の理由などわかりきっているがね」
近衛侯爵は、クッと片口をつり上げる。
実に皮肉的な笑みだ。
そういえば、レオンが有名な投資家とも言っていた。屋敷を見ただけでも、相当な資産家であることは窺える。きっと、自分達のように金の工面を頼みに来る者が後を絶たないのだろう。


