一乗家のかわいい花嫁

 実に砕けたやり取りに、見ているこちらが笑顔になってしまう。雪人の様子をそっと窺ってみると、やはり彼も口角を上げていた。
 二人の軽妙なやり取りは中々終わらず、東郷屋伯爵のコホンというわざとらしい咳払いでやっと一段落がつく。
 彼は隣のレオンに向いていた目を、正面の雪人へと向ける。卓に乗せた腕に、体重を掛けて前のめりになった。
「しかし、これでどうやって彼女が、女学生では到底知り合えないようなお偉いさんと繋がっていたか、見当はついたな」
「やはり、花街の店ですか」
「その通りだ、一乗君。華族も花街を使う者は多い……色々な用途でな」
 雪人の相槌に、東郷屋伯爵は正解とばかりに人差し指をピンと立てた。
 しかし、次の瞬間には直立した人差し指は、へにゃりと力なく曲がる。
 一緒に東郷屋伯爵と雪人の顔も曇った。
「もし、それが本当であれば、茜さんは非常に危ない位置にいるかと」
「ああ。ちょっと、おいたが過ぎたな」
 二人だけ言外の部分で会話しており、花街に詳しくない千代とレオンは首を傾げるばかり。気付いた東郷屋伯爵が説明をしてくれた。
「茜さんは、花街で得た情報を使って、土井伯爵や銀行の融資関係者を脅している可能性が高い」
「それは、茜が娼妓の娘だからってことですか? ですが、清須川家に引き取られて来た時、茜はまだ幼く八つでしたよ。そんな、幼い子をお座敷になんか……」
 東郷屋伯爵が、ははっと困ったように笑った。
「女性には、この世界はわかりづらいだろうな。足を踏み入れることすらないまま、一生を過ごす者がほとんどだ」
 彼は花街という場所がどのような倫理観を持ち、どのような暗黙の了解の上に成り立っているか、丁寧に説明してくれた。
 花街には多種多様な男達が集う。
 単純に娼妓を買いにきた者もいれば、娼妓を商談時の場を和ませる酌婦と使う者など様々だ。男達は娼妓に快楽を求め、癒やしを求め、華やかさを求め、秘匿性を求めた。
 花街はそのような男達の金によって支えられており、男達が求めるものを花街は提供する必要があった。
 特に、『秘匿性』は花街全体の信用問題に関わってくることであり、娼妓達にも聞いたこと、見たもの、訪ねてきた者を決して外に口外しないことが義務づけられている。
 国の律で定められているわけではないが、花街の不文律としてだが確かに存在していた。
 そういった秘匿性が重視される中、時には子をもうけてしまう娼妓もいた。そういった場合、生まれた子は外の世界に出すか、店の中で皆と一緒に将来の娼妓として育てるかだった。
 ツルヱの話を聞くには、茜は後者だった。
 つまり、茜も座敷に上がらずとも、店の中での他の娼妓達の何気ない愚痴や、漏れ聞こえた座敷での内容を知ることができたというわけだ。
「もし、私達の推測が当たっていれば、まあ……花街の暗黙の了解を破ったんだ」
 すべてを聞き終えた、千代は『危険』の意味を理解して額に汗を流した。
 

 月を隠している暗雲と同じように、部屋の中も暗雲が立ちこめたような空気の重さだったのだが、仲居が新たな料理を運んで来たことで空気が改められた。
 開いた襖から、重い空気は走るように抜け出し、代わりに仲居達のハキハキとした掛け声まじりの空気が入ってきて、随分と雰囲気が軽くなる。
「とりあえず、確定と言える証拠はないし、彼女の件をこれ以上ここで話し合う必要もないだろう。せっかくの食事が不味くなる。それよりも、君たちが喜ぶ話をしよう」
「あっ、そうそう、本題はそっちだった」
 甘い出汁が利いた卵焼きをひと口に頬張りながら、レオンが指を鳴らした。
 もぐもぐと膨れた頬が動き、ゴクンと喉が上下した。
「君に紹介したい方だけど、実はもう予定は取り付けてあるんだ。僕と東郷屋伯爵も一緒に行こうと思って」
「それは、むしろこちらからお願いしたいくらいだが……元より相手は誰なんだ」
「近衛侯爵だよ」
「こっ、近衛侯爵!?」
 雪人が驚くのも無理はなかった。
 近衛侯爵といえば、血を辿れば皇族の出であり、貴族院議長を務めているほどの国政にも通じた実力者である。ただの侯爵家とはひとつも二つも違う存在であり、政治に関与できない女の千代ですら、その名を知っている。
 最初に、東郷屋伯爵が気難しい人だと言った理由がわかった。
「よ、予定はいつなんだ?」
 相手の名前を聞いて、珍しく雪人が動揺している。驚きのあまり顔が険しくなっている。
 舞踏会では、緊張はしていただろうが、自ら笑顔で華族に話しかけていたというのに。
 対して、家庭教師だからだろうか、レオンは「んーとね」と、まるで友人宅に雪人を誘っているかのような気安さだ。
「明日だね」
「明日!?」
「うん、明日の午後二時だよ」
「千代……明日は朝から忙しくなるぞ」
「そうですね、精一杯お手伝いいたします」
 ずるりと座椅子の背に、力なく身体を預け天井を扇いだ雪人を、千代だけでなく、東郷屋伯爵とレオンも笑って眺めていた。

        2

 それは、千代が清須川家を訪ねた日の夜。
「え? お姉さまが来てたんですか?」
「ああ」
 父はただの報告だとばかりに、それ以上はこの話題を続ける素振りはなかった。夕食に箸をのばし、静かに食べている。
「そ、それで、お姉さまは何をしに」
 結婚以来、姉が清須川家に戻ってくるのははじめてだ。戻ってくる理由がわからない。何か忘れ物があったのだろうかと思ったが、それならば結婚して数ヶ月も経った今というのもおかしい話だ。
(紗江子がヘマをして使えなくなったのが痛いわね。一乗家が今どうなってるかわからないわ)
 雪人の会社――一乗汽船については、知り合いの華族に聞けば、懸命に情報を集めて寄越してくれるから問題ないのだが、やはり家庭内というとそう簡単にはいかない。
 別に姉が何をしようと構わないが、というより、姉などどうせ何もできない人だが、蠅が自分の周りをうろついているのはいい気はしない。