「んふふ、お姉さまったら『自分はいいから』だなんて、相変わらず自己犠牲大好きなんですねえ」
「なっ……!?」
「そんな犠牲とも呼べない程度の自己犠牲、自分に酔ってるだけですよう」
言葉が出なかった。
時折、言葉の端々で心の弱い部分を鋭く刺す子だった。
しかし、それすらも手加減していたのだと知る。
本当は、あの頃と――まだ仲の良い姉妹だと思えていた頃と――変わらぬこれほどに愛らしい笑顔で、真っ黒な悪意のみの言葉を言える子だったのだ。
「ねえ、自分は不遇だと思ってました? 不幸だと嘆きながらあの離れで過ごしてたんですか? うふふ、相変わらずおめでたい頭してますねえ。ばっかみたい。あんな程度、不幸にも不遇にも入らないのに」
茜が一歩、また一歩と近付いてくる。
「そうそう、お姉さまったら、お母さまが死んだ時も、この世で自分が一番つらいみたいな顔してましたよね」
思わず、千代の足もズッと後退してしまう。
どうして、ここまで堂々としていられるのか。
どうして、大好きだと言った姉を笑顔で刺せるのか。
いつから彼女は、自分のことをこれほどまでに嫌っていたのか。
茜は千代の手を取り、以前のような姉妹の距離で腕を絡めた。端から見れば、ただの仲良しの姉妹にしか見えないだろう。
茜は笑顔はそのままで、千代にしか聞こえない大きさの声で言った。
「甘いんだよ、ゴミ女が。反吐が出る」
「――っ!」
これは、本当に自分の知っている妹なのだろうか。
「あたし、お姉さまのその、自分には何もないって思いながら、花畑で座りこんでるみたいなの、虫唾が走るほど大嫌いなんですよ。家も食べ物もあって、まともな母親もいたくせに。ああ……だからお父さまからも、ゴミのように離れに捨てられたままだったんじゃないんですかあ?」
至近距離で見つめられる彼女の目は笑っているのに、光りの差し込まぬ古井戸の底のような、えも言われぬ恐怖と狂気が滲んでいる。
自分は今、誰と喋っているのだろうか。
いや、ナニと喋っているのか。
掴まれていた手に、無理矢理何かを握らされた。クシャリと渇いた音がした。
「はいっ、お姉さま。絶対にお義兄さまと来てくださいね」
よく知る愛らしい笑みを最後にニコッと浮べ、茜は千代の傍らを颯爽と通り過ぎていった。
手に握らされたものを見れば、『招待状』と書かれた手紙だった。
濃く甘い、いつまでも鼻にまとわりつくような香水の残り香。
千代は顔を顰めた。
手紙を握る手は震えていた。
椿の花も買い終えた千代は、急いで八百屋へと来た道を戻る。
「きっと、ナリさんはもう買い終えてるわよね。待たせちゃったわ」
やはり八百屋に彼女の姿はなく、千代は辺りをキョロキョロと探す。すると、少し離れた木の下に、見覚えのある短髪の女が立っていた。こちらに背を向けていたが、着物の柄と肩口で切り揃えられた髪型からするに、彼女で間違いない。
「ナリさん」と、呼びかけながら駆け寄ろうとして、千代はピタッと足を止めた。
彼女の奥にもうひとり、誰かいるようだ。
ナリの身体に隠れてハッキリと姿は見えないが、チラッと見える着物や籠から、同じくどこかの家の女中なのだろう。遠目からでも、身振りなどで談笑している様子が窺えた。
千代は邪魔しちゃ悪いと一旦その場を離れようとしたのだが、ちょうど相手が去って行くのが見えた。
「ナリさん」と声を掛けると、彼女は振り向いて「あっ」と手を振った。
「すみません、お待たせしてしまいました」
「いえ、私もちょうど今来たばかりだから……お友達?」
遠ざかる女中の背中を指さして尋ねる。
「そうです。買い物でよく会うようになってなんか意気投合しちゃって、会えば喋る仲ですね」
「ああ、以前そんなこと言ってたわね」
奉公家に妹をいじめる姉がいるとかいないとか、そんな感じ立ったと思う。
千代は雑踏にまぎれ、すでに姿はただの点となってしまった女中を見つめた。
(あの姿、見覚えがあるような……勘違いかしら?)
「ねえ、ナリさん。あの方、どこのお家の女中さん?」
「それはわかりません」
「えっ、何度も会ってるのに?」
「お互いの奉公先って、あたし達の間じゃ言わないのが暗黙の了解なんですよ」
肩をすくめるナリに、千代は首を傾げて『どうして』と尋ねる。
「ほら、女三人寄れば姦しいって言うじゃないですか。やっぱり女中が集まってする話って、どうしても勤め先の愚痴っていうか……だから勤め先がわかると、必然的に誰のことを言ってたのか分かっちゃうんで、皆言わないし聞かないんですよ」
なるほど。そこは一応、奉公先の体面を守ってくれているのか。
下手をすると、他家の主人に愚痴の話が伝わったりするし、そうなると誰が言ったと、回り回って女中が罰せられることになるし。
「じゃあ、私もナリさん達の愚痴の種にならないように気を付けなきゃだわ」
ツンと鼻先を上向け、千代は冗談で言ったつもりだったのだが……。
「安心してください。うちは愚痴じゃなくて、自慢ばっかりしてますから。さっきだって、『近頃帰るのが遅い旦那様を奥様が起きて待っていただけで、君が心配だからって怒ったくらい旦那様の愛が重い』って、話してたんですよ」
「そ、それはそれで恥ずかしいからぁ……っ」
真面目な顔で返され、こちらが撃沈してしまう。
ケラケラと笑ってどうだとばかりに胸を張るナリの姿は、一番大きな沢ガニを捕まえたと威張る子供のように無邪気で、千代も思わず吹きだしてしまったのだった。
3
夜。いつもなら就寝している時間だが、千代は自室の椅子に座って悩んでいた。
手には昼間茜に渡された手紙。封はまだ開けていない。
封筒には切手が貼ってあるから、もしかすると、茜は郵便を出しに来ていたのかもしれない。いつもなら女中に頼んでただろうに、珍しいことだ。
それか、他に用事があったついでなのかもしれない。
それこそ、勇一郎と会う予定だっとか。
「なっ……!?」
「そんな犠牲とも呼べない程度の自己犠牲、自分に酔ってるだけですよう」
言葉が出なかった。
時折、言葉の端々で心の弱い部分を鋭く刺す子だった。
しかし、それすらも手加減していたのだと知る。
本当は、あの頃と――まだ仲の良い姉妹だと思えていた頃と――変わらぬこれほどに愛らしい笑顔で、真っ黒な悪意のみの言葉を言える子だったのだ。
「ねえ、自分は不遇だと思ってました? 不幸だと嘆きながらあの離れで過ごしてたんですか? うふふ、相変わらずおめでたい頭してますねえ。ばっかみたい。あんな程度、不幸にも不遇にも入らないのに」
茜が一歩、また一歩と近付いてくる。
「そうそう、お姉さまったら、お母さまが死んだ時も、この世で自分が一番つらいみたいな顔してましたよね」
思わず、千代の足もズッと後退してしまう。
どうして、ここまで堂々としていられるのか。
どうして、大好きだと言った姉を笑顔で刺せるのか。
いつから彼女は、自分のことをこれほどまでに嫌っていたのか。
茜は千代の手を取り、以前のような姉妹の距離で腕を絡めた。端から見れば、ただの仲良しの姉妹にしか見えないだろう。
茜は笑顔はそのままで、千代にしか聞こえない大きさの声で言った。
「甘いんだよ、ゴミ女が。反吐が出る」
「――っ!」
これは、本当に自分の知っている妹なのだろうか。
「あたし、お姉さまのその、自分には何もないって思いながら、花畑で座りこんでるみたいなの、虫唾が走るほど大嫌いなんですよ。家も食べ物もあって、まともな母親もいたくせに。ああ……だからお父さまからも、ゴミのように離れに捨てられたままだったんじゃないんですかあ?」
至近距離で見つめられる彼女の目は笑っているのに、光りの差し込まぬ古井戸の底のような、えも言われぬ恐怖と狂気が滲んでいる。
自分は今、誰と喋っているのだろうか。
いや、ナニと喋っているのか。
掴まれていた手に、無理矢理何かを握らされた。クシャリと渇いた音がした。
「はいっ、お姉さま。絶対にお義兄さまと来てくださいね」
よく知る愛らしい笑みを最後にニコッと浮べ、茜は千代の傍らを颯爽と通り過ぎていった。
手に握らされたものを見れば、『招待状』と書かれた手紙だった。
濃く甘い、いつまでも鼻にまとわりつくような香水の残り香。
千代は顔を顰めた。
手紙を握る手は震えていた。
椿の花も買い終えた千代は、急いで八百屋へと来た道を戻る。
「きっと、ナリさんはもう買い終えてるわよね。待たせちゃったわ」
やはり八百屋に彼女の姿はなく、千代は辺りをキョロキョロと探す。すると、少し離れた木の下に、見覚えのある短髪の女が立っていた。こちらに背を向けていたが、着物の柄と肩口で切り揃えられた髪型からするに、彼女で間違いない。
「ナリさん」と、呼びかけながら駆け寄ろうとして、千代はピタッと足を止めた。
彼女の奥にもうひとり、誰かいるようだ。
ナリの身体に隠れてハッキリと姿は見えないが、チラッと見える着物や籠から、同じくどこかの家の女中なのだろう。遠目からでも、身振りなどで談笑している様子が窺えた。
千代は邪魔しちゃ悪いと一旦その場を離れようとしたのだが、ちょうど相手が去って行くのが見えた。
「ナリさん」と声を掛けると、彼女は振り向いて「あっ」と手を振った。
「すみません、お待たせしてしまいました」
「いえ、私もちょうど今来たばかりだから……お友達?」
遠ざかる女中の背中を指さして尋ねる。
「そうです。買い物でよく会うようになってなんか意気投合しちゃって、会えば喋る仲ですね」
「ああ、以前そんなこと言ってたわね」
奉公家に妹をいじめる姉がいるとかいないとか、そんな感じ立ったと思う。
千代は雑踏にまぎれ、すでに姿はただの点となってしまった女中を見つめた。
(あの姿、見覚えがあるような……勘違いかしら?)
「ねえ、ナリさん。あの方、どこのお家の女中さん?」
「それはわかりません」
「えっ、何度も会ってるのに?」
「お互いの奉公先って、あたし達の間じゃ言わないのが暗黙の了解なんですよ」
肩をすくめるナリに、千代は首を傾げて『どうして』と尋ねる。
「ほら、女三人寄れば姦しいって言うじゃないですか。やっぱり女中が集まってする話って、どうしても勤め先の愚痴っていうか……だから勤め先がわかると、必然的に誰のことを言ってたのか分かっちゃうんで、皆言わないし聞かないんですよ」
なるほど。そこは一応、奉公先の体面を守ってくれているのか。
下手をすると、他家の主人に愚痴の話が伝わったりするし、そうなると誰が言ったと、回り回って女中が罰せられることになるし。
「じゃあ、私もナリさん達の愚痴の種にならないように気を付けなきゃだわ」
ツンと鼻先を上向け、千代は冗談で言ったつもりだったのだが……。
「安心してください。うちは愚痴じゃなくて、自慢ばっかりしてますから。さっきだって、『近頃帰るのが遅い旦那様を奥様が起きて待っていただけで、君が心配だからって怒ったくらい旦那様の愛が重い』って、話してたんですよ」
「そ、それはそれで恥ずかしいからぁ……っ」
真面目な顔で返され、こちらが撃沈してしまう。
ケラケラと笑ってどうだとばかりに胸を張るナリの姿は、一番大きな沢ガニを捕まえたと威張る子供のように無邪気で、千代も思わず吹きだしてしまったのだった。
3
夜。いつもなら就寝している時間だが、千代は自室の椅子に座って悩んでいた。
手には昼間茜に渡された手紙。封はまだ開けていない。
封筒には切手が貼ってあるから、もしかすると、茜は郵便を出しに来ていたのかもしれない。いつもなら女中に頼んでただろうに、珍しいことだ。
それか、他に用事があったついでなのかもしれない。
それこそ、勇一郎と会う予定だっとか。


