一乗家のかわいい花嫁

「こんなことを伝えてごめんなさい……でも、私……っお姉さまに笑いかけるお義兄さまを見たら、とても黙ってられなくて。本当なら、お姉さまのやったことを考えれば、すぐにでも離婚を切り出されても仕方ないことです。ですが、お姉さまの幸せを奪うのは私の本望ではありませんし、結婚してすぐ離婚というのは、お義兄さまの評判にも関わってきますよね」
 雪人が口を閉ざしたままでいる間、茜は堰を切ったようにずっと喋っていた。我慢していたものを吐き出すように、口から滝のごとく一方的に言葉を浴びせ続けた。
「清須川家の娘に求められていることはわかります。私の婚約者の勇一郎さまも、やはり私だけでなく、私の後ろにある清須川家というものを求められてますから。お義兄さまも、清須川家が持つ繋がりが欲しかったから、うちに縁談を申し込まれたんですよね」
 きっと、自分が口を閉ざしているのは、彼女の話に衝撃を受けているからと思っているのだろう。まるで、こちらに考える時間を与えないといわんばかりに、彼女は矢継ぎ早に言葉を並べ立てる。
「私がお義兄さまの力になります。私も清須川家の娘ですし、家に残る私のほうが、きっと色々とお義兄さまのお役に立てると思うんです。だから、私にはなんでも話してください! 私、お義兄さまのためなら……」
 余韻を残した言い方を、たっぷりと甘えた視線と一緒に投げかけてくる彼女に、嗤笑が漏れそうになった。堪えたが。
 やっと口の動きを止めた彼女は、今度はこちらの言葉を待っていた。
 期待に応えて、口を開く。
「では早速ですが、少々君に聞きたいことがありまして」
「なんでしょう」と彼女は、顔を輝かせた。
「ただの女学生の君が、どうしてチヨという女性の噂を、そんなに詳しく知っているんですか」
 予想していなかった方向の質問だったらしく、先ほどまで窓から射し込む朝日のようにキラキラと輝いていた表情は、窓ガラスにヒビが入る速さで、一瞬にして笑顔が消え失せた。
「それ以前に、なぜ君は、噂のチヨが自分の姉だと思ったんですか。まるで、断定するような口ぶりでしたが」
「そ、それは女性が、清須川の千代って名乗って――」
「話では、その彼女は名字は名乗らないそうですよ。聞いても下の名前だけだと」
「そ、そうなんですねぇ……あっ、思い出しました。勇一郎さまがそう言ってたんですよ」
「へえ……元婚約者であり現婚約者の姉の醜聞を広めて回るとは、同じ男として二井様の行動は理解できませんね」
「……っ」
 言外に、姉の醜聞を広める茜の行動もあり得ないと言ったのだが、彼女の引きつった目元を見る限り、どうやら正しく伝わったようだ。
(それにしても、本当に俺に噂の話を言ってくるとはな)
 先日、千代と一緒に会社に来た時の様子は、端から見ると仲の良い姉妹にしか見えなかった。
(まあ、違和感はあったがな)
 しかし、社員達は皆、彼女をただの姉思いの美しい妹としか認識していなかった。そう思わせるように振る舞っていただけということが、今日のこの件ではっきりとした。
「わ、私……そんなつもりなどなくて……っ、ただ、お義兄さまのためを思って……」
 この、目を潤ませ、ただでさえ華奢な肩をさらにすぼめて俯く姿を、いたわしいと思ってしまう男もいるのだろう。自分はまったくそうは思わないが。
 雪人は薄いため息と一緒に「そうですか」と言った時、喫茶店にちょうどひとりの男が入ってきた。
 男はキョロキョロしながら喫茶店の中を進み、雪人と目が合うと足を止めた。
「あっれ~、仕事さぼってこんな美人とお茶だなんて羨ましいですねえ」
「さぼってないから、あっちへ行ってろ」
 雪人と男の気安い会話に、茜の視線が上がった。
 次の瞬間――。
「ああ、なんだ。久しぶりですね、こんにちは」
 たちまち、茜の顔色に動揺の色が浮かんだ。
「こ、こんにちは」
「あれ、自分のこと覚えてません? ほら、この間会ったじゃないですか」
 茜のぎこちない笑みに、男は思い出してとばかりに己を指さして、茜に迫っていた。
「名前覚えてませんか? 自己紹介したと思うんですけど」
「あっ、えっと……」
「すみません。この男は俺の部下なんです。この間、会社でも会ったかと」
 戸惑う茜に、雪人が助け船とばかりに口を挟む。
 そこで、やっと茜は思い出したと言わんばかりに「ああっ」と手を叩いて、表情をいつもの明るい少女のものへと変えた。
「そ、そういえば、この間会社でお会いしましたよね」
 にっこりと男が笑う。
「もちろん覚えてますよ、ナルミさま」
 茜は安堵したのか、元の人好きのしそうな笑みを浮かべながら、男の名前を口にした。
 同時に、雪人は小さくふっと鼻で笑った。
 引っ掛かってくれてありがとうとばかりに。
「茜さん……この男の名前は、瀬古忠臣と言いましてね」
「え」と茜の笑顔が凍り付く。
「自分がそのナルミっていう名前を名乗ったのは、たった一度だけなんですよ。夜の喫茶ブルーエで、チヨって名乗る綺麗で化粧が分厚い女の人にだけで……」
 ね、と男――忠臣は茜の顔を覗き込むように腰を曲げた。
「ああ、ちなみに社長は嘘は言ってないですよ。確かに会社で自分はあなたと会いましたからね……会社の入り口で、ですけど」
「だ、騙したんですか!」
「騙してませんって。あなたはなんだか知らないけど、ものすごい形相で足早に会社を出ていって気付かなかっただけで、自分はあなたを認識してましたから。会ったのは事実です」
「そんなの……っ」
 口惜しそうにする茜に、忠臣は人好きのしそうな笑みを浮かべて言った。
「女の化粧と嘘は、厚すぎると可愛くないですよ」
 二人のやり取りを見ながら、雪人は卓に両肘をついて指先を組んだ。
 彼のその動きは丁寧とも緩慢ともいえるもので、間をもたせることで茜を威圧しているようでもある。
「君が噂の『チヨ』だな?」
 雪人の言葉に、茜の口端が引きつった。
「どうして姉の千代に対して、こんなことをしたんだ」